七人目は笑う

「なあに、遠くへは行かないさ。やばくなったら逃げてくるからさ」
 俺はそう言って部屋を出た。
 ぼそぼそと話しているゲドとクリスの気配を感じながら廊下を歩いていく。
 まいったねー……。
 のびすぎた前髪をくしゃりとかきあげ、俺はため息をついた。
 クリス達から離れて外に出た理由、それはもちろん偵察のためなんかじゃなかった。ただ単に一人になりたかったからだ。
 頭がぐらぐらして気持ちが悪い。
 記憶喪失。
 それは不思議な感覚だった。自分の名前、今まで歩いてきた道のり、全てがわからない。
 けれど、それ自体は思うほど怖くなかった。
 不安にならないわけじゃない。
 しかし、嬉しい思い出も、悲しい思い出も、それが何故大切であったかということすら忘れていては、悲しむ余地がない。
 だから結構ふざけた態度を取ることもできていたのだが、ここへきて状況は変わりつつあった。
 俺は、この屋敷にひっかかるものを感じている。
 壁に、天井に、廊下に、そして周りを取り囲む空気に。
 俺は、この屋敷を知っている。確実に。
 何故?
 その疑問は恐ろしくてなかなか形にできない。
 だってそれでは、クリス達と俺が、違うということになってしまうから。
 彼女達を閉じこめる屋敷に関係がある俺は、彼女たちの敵なのかもしれない。
 そこまで考えて俺は苦笑した。
 皆記憶をなくしている仲間だということに、存外、安心感を覚えていたらしい。
 一人になるのをこんなに恐れているなんて。
 記憶をなくして今まで恐ろしくなかったのは、仲間がいたせいかと俺は思い直した。
(そういえば、俺は名前すらないんだっけ)
 そこも彼女達とは違うところだった。格好や持ち物の怪しさを考えると(火薬まで持ってたよ、俺は)当然のことかもしれないが。
 何かないかと、もう一度手荷物を調べてみる。手持ちの紋章は何かないかと左手の手袋を脱ぎかけた俺は、ちょっとしゃれにならないものを発見してまた手袋をはき直した。
「……これは、記憶戻さないとまずいな」
 だってこのままじゃ、確実に誰かが泣く。
 顔をしかめたあと、ふと、俺は足を止めた。
 無意識に随分と屋敷の中を歩いていたらしい。目の前にはバルコニーへ出るための扉があった。
「……?」
 扉を見上げると、ちり、と心の隅が焦げるような感覚があった。
 ああ、ここも知っている。
 ここは、俺の気に入りの場所だ、きっと。
 何がどう気に入っていたのか、それがわからなくて俺はもどかしさに唇を噛んだ。
「覚えがあるのかえ?」
「……?!」
 背後から声をかけられて、俺はびくりと体をこわばらせた。
 記憶をなくした他の5人とは違う、鈴をふるわすような声。
 振り向くと、そこには少女が一人立っていた。
 クリスのものより更に淡い白銀の髪。日焼けとは無縁の、白く抜けるような肌。着ているワンピースさえ白くて、血の色のようなルビーアイと花びらみたいな唇だけが鮮やかに赤い。
 人というより、いっそ壁画の女神か何かのようで、俺は呆然とその少女を見つめた。
「……誰、だ?」
 俺の口はカラカラで、それだけ言うのがやっとだ。
 ざわざわと、沸騰する心。
 誰だ、という疑問ばかりが頭を巡る。
 知らない少女。
 けれど、俺は絶対この少女を知っている!!
「わからぬ、か」
 そんな俺の様子を観察していた少女はため息をついた。
 仕草が見かけの年齢にそぐわない。でも、俺はそれをこの少女らしいとどこかで納得している。
 一体、何故。
「あんたは、誰だ? 俺のことを知っているのか?」
 すがりつくような勢いで俺が肩を掴むと、少女は顔をしかめた。
「この乱暴者が。痛いではないか」
 振り払おうと、少女が左手を俺の腕にかけた。その白い手を見て、俺はまたぎょっとする。
 彼女の薬指には、指輪があった。
 白銀に光るシンプルな指輪。一瞬銀製かと思ったが、光りかたから察するに、白金 (プラチナ)らしい。
「その指輪……は?」
「思い出せぬのなら、わらわは教えぬ」
「え?」
 ふわり、と少女の手が俺の頬を包んだ。そして同時に強烈な眠気が俺を襲う。
「……っ?!」
「眠れ」
 記憶はないが、この魔法が何かはわかる。
「眠りの……風?……」
 少女は答えない。
 くそ、いきなりわけがわからないうちから眠らされてたまるか!!
 俺は腕に力をこめた。このまま眠りたがっている腕を無理矢理動かして、少女の手を掴む。
「やめ……」
 自覚はないが、俺の魔法レジストの能力が頼みの綱だ。
「く」
 少女の顔が歪む。
 俺は渾身の力を振り絞り、少女の手をはらった。
 よし、これで……
 少女に反撃しようとした俺は、そこで固まった。
 俺に振り払われた少女は、そのまま勢いに押されて床に尻餅をついていた。痛そうに顔をしかめている。そして、その瞳には傷ついたような光がともった。
(……?!)
 その光を確認した俺を襲ったのは、途方もない罪悪感だった。
 どうしたんだ? 俺?!
 この少女は俺を襲ったんだぞ?
 なんでこんな気分になる?
(コノ女ダケハ傷ツケテハイケナイ)
 わからないはずの俺の心は、どういうわけかそう絶叫していた。
「おい、あんた大丈夫か?」
 思わず手を伸ばした俺の耳に、危険な音が届いた。ばちばち、と空気がはぜるような音。
「この……」
 傷ついていた少女の形相は、怒りへと変化していた。目の前で雷の紋章が発動される。
「馬鹿男が!!」
「うわああああああああああああああああああっ!!!!!」
 俺は絶叫し、意識を手放した。

「ナナシ! ナナシどこだーっ?!」
 私たちは、大急ぎで館の中を走り回っていた。
 屋敷中に響き渡ったナナシの悲鳴に驚いて、飛び出してきたのだ。
 さっきまで飄々としていた男の、悲鳴混じりの絶叫。それは、彼がただごとではない目にあったということだ。
 だからいわんこっちゃないのだ。七人目などと、怪しい人間のいる場所で、一人になるなんて。
「クリス! ナナシは?」
 追ってきたパーシヴァルが私に訊く。
「わからん。何かおこったのは確かだが……」
「もー、あのおっさん人に心配かけるんじゃないわよ! 子供じゃないんだから」
 料理を途中で放り出してきたせいで手袋をしていないリリィが、その白い手でぐしゃぐしゃと頭をかく。
「おい」
 二階へ走ったゲドが、階段の上から声をかけた。
「何だ?」
「来てみろ。おもしろいものがある」
 階段を駆け上がってみると、バルコニーへと出る扉の前でゲドがしゃがんでいた。
「ゲド、何が……」
 言いかけて、私は彼が何を示そうとしているのかを悟った。
 わずかに、焦げた床。
 何かの戦闘のあとのようである。
「……雷の紋章、だな」
「それをナナシがくらった、ということですか?」
「推測だが、そう考えるのが自然だろう」
「雷くらったくらいで人は消えないでしょ」
 焦げた床を指さして、リリィが言う。ゲドはゆっくりとリリィを見上げた。
「雷をあびせてナナシが意識を失ったところを、七人目がどこかに連れ去ったというのはどうだ?」
「連れ去るってどうして」
「……それはわからんが……」
 パーシヴァルがあごに手をあてて首をかしげる。
「どっちにしろ、七人目が危険だということはわかりませんか?」
「確かにな。ん? とすると……」
 私は、一つ重大な見落としに気がついた。同時に気づいたらしいリリィが声をあげる。
「ビッキー!! ビッキーが危ないわ! どうしよう、食堂に置いてきちゃった!」
「戻りましょう!!」
 ばたばたと、私たちは大急ぎで食堂に戻った。しかし、それでは遅かったのだとすぐに思い知ることとなる。
 ビッキーがいたはずの部屋には誰もいなかった。魔法使いが絶対に手放さないはずの杖だけがそこに落ちている。
「ビッキー!!」
 呼んでも、当然返答はない。
「七人目のせい……?! 何考えてるのよ!」
 だん、とリリィがテーブルを叩いた。
「落ち着け」
「うるさいわねゲド! あたしは落ち着いてるわよ!!」
「落ち着け……」
 ゲドはリリィの肩を掴んで支える。リリィは暴れようとしたが、ゲドは見た目以上に腕力があったらしい。がっちりと押さえ込まれて、リリィはやっとおとなしくなった。
「わかった……もういいから離して」
「……」
 ゲドがリリィから手を離して、私たちは沈黙する。
 六人いたうちの、二人が姿を消す。それは今まで以上に非常事態だった。
 七人目はやはり、私たちに何かするつもりなのだ。
「とにかく、彼女たちを捜さなくてはなりませんね」
「しかし、隠れるといっても屋敷の中はさっき探索したところだろう?」
「いや、まだ一つある。二階だ」
 ゲドが顔をあげた。
「あ、あの開かずの間!」
 リリィが言って、私たちは頷いた。

えっと、33333ヒット記念
りん様のリクエストでパークリで「記憶喪失」第三話です

順調に伸びてます……。
計算ではあと3話で終わるつもり……って今半分かい!!
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