七人目は笑う

 気がつくと、私はそこにいた。
「え……」
 辺りを見回す。
 今、自分がいるのは、どこかの礼拝堂のようだった。宗派がどこかはわからないけれど、その部屋の構造は、何かをあがめるためのものだ。
 頭がはっきりしなかった。
 ここは……どこだろう。
 身じろぎをすると、間近でがしゃりと音がした。びっくりして自分の体を見下ろすと、銀の鎧が目に入った。
 甲冑、だ。
 音はこれが原因だったらしい。
 疑問は、とけると同時に新たな疑問を産んだ。
 甲冑を着ていることはわかる。だが、私は何故こんなものを着ているのだろう?
 いや。
 そもそも。
 何故私は、
「……!」
 急に速くなった鼓動を抑えるように、私は胸に手を当てた。
 まさか……そんなことは。
 意味もなく周りに視線をさまよわせると、ステンドグラスに映る女と目があった。銀の甲冑を着込み、銀の髪をひっつめたその女は、不安げに紫の瞳をさまよわせている。
 私の口元がひきつると、彼女の口もひきつった。
 まさか、そんなことは。
 どくどくと脈打つ鼓動は一向に収まらない。どころか、速くなるばかりだ。
 まさか。
 まさかまさかまさか。
 私が叫びだす一瞬まえ、がちゃりと礼拝堂の入り口が開いた。
「だ……誰?!」
 無言でふらりと部屋に入ってきたのは、自分と同年代の青年だった。
 切れ長の、濃い茶の瞳。風になびかすように流した髪も同じ色。いかにも女受けしそうな甘いマスクの青年だ。
 私が着ている甲冑と、ほぼ同じデザインの甲冑を着て、腰に剣を帯びている。身仕舞いから察するに、どこかきちんとした騎士団の騎士だ。
 誰だろう? いや同じ甲冑、ということは。
 私は思わず彼に駆け寄って、その腕を掴んでいた。
「なあ、貴方は私のことを知らないか?!」
 虚をつかれたのか、青年は目を見開いて一瞬沈黙した。それから、その形のよい唇をふるわせて言葉を紡ぐ。
「いえ……」
「そ、そうか……」
 事態はそううまくはいかないらしい。
 あきらめてため息をついた私の腕を、今度は青年が掴んだ。
「貴方は私のことを知りませんか?」
「え……?」
 まさか、と思って私は青年を見上げた。しかし彼の目は真剣だ。
「貴方もか……?」
「ええ。私も、自分の名前がわからない」
 記憶をなくした私たちは、見知らぬ礼拝堂で途方にくれた。

「気がついたら、そこの廊下だったんです。景色に全く見覚えがないし、どうしようかと思ったのですが、目の前に大きな扉があったから」
「で、開けたらそこに私がいたわけか」
「ええ」
 がしゃがしゃ、と騒がしく甲冑の音をたてながら私たちは礼拝堂から伸びる廊下を歩いていた。
 全体的に重厚な作りになっているこの館は、そのせいか、天井が高いくせに昼間から暗い雰囲気が漂っていた。人が住まなくなってだいぶたつのだろう、そこここに埃がたまり、蜘蛛の巣が張っている。
 衝撃的な出会いをした私たちは、その場にじっとしていてはどうにもならない、と館の探索を始めることにした。
 何かが原因で、人の記憶が飛ぶということは、まあよくあることではないが、事実として存在する。だが、二人いっぺん、などと言うことはまずありえないだろう。
 重大な何かがきっとあったのだ。
 そして、原因を探るためには、まず周りを把握するのが第一歩だ。
「ここは一体どの地方になるんだろうな?」
 私は窓から外の景色を見る。あいにくと、そこから広がるのは森ばかりだ。
「結構北の地方でしょう。どこの窓もつくりが小さいし、どの部屋にも立派な暖炉がある」
「へえ、そう言われれば……物知りだな」
「自分自身のことに関しては物知らずですがね」
 青年は悪戯っぽく笑う。二人で笑い合っていると、どこからか泣き声が聞こえた。
 いくつくらいだろうか? 少女の声だ。
「行ってみよう」
 廊下の奥へと走っていくと、玄関ホールの隅に人影があった。人数は二人。シルエットから察するに、男と少女のようだ。色あせたソファに並んで座っている。
 少女はまだ泣いている。
「貴方は……?」
 声をかけると、男のほうが顔をあげた。
 闇色の隻眼が私たちを見る。30代後半くらいだろうか、使い込まれた革鎧と剣、それから無駄のない引き締まった体つきから、彼の職業は傭兵であると見て取れた。
「……それがわからなくて困っていたところだ。お前達二人……俺たちのどちらか……こいつだけでもいいんだが、見覚えがないか?」
 どうやら彼もお仲間らしい。いや、とクリスが首を振ると、隻眼の男はため息をついた。
「そうか」
「私たちも、自分が誰なのかわからないんだ。……貴方も私たちのことは知らないみたいだな」
 私がそう説明すると、隻眼の男は眉をあげる。
「俺たち以外にもいたのか」
「ああ。私たちは気がついたらそこの礼拝堂だった。そちらは?」
「玄関ホールだ。俺は階段のところで気がついて、そこの床にこいつが倒れているのを見つけて起こしたんだが……記憶がないということがわかったとたん泣かれてな……困っていたところだ」
 記憶がないことよりも、少女に泣かることのほうがよほど困るらしい。しかめっつらでため息をついたその様子が妙に笑える。
 改めて見てみると、少女は魔法使いらしかった。着ている服は白いローブだし、握りしめているのは細身の杖だ。
「大丈夫か?」
 がしゃ、と音をたてて膝をつくと、私は少女の顔をのぞき込んだ。
「お姉さん……誰……?」
 か細い声を出しながら、少女が顔をあげる。大きな緑の瞳が涙に潤んでいた。もっと小さな少女かと思ったが、年の頃は15、6といったところだ。今は泣いているけれど、笑うときっとかわいいだろう。
 不安そうな少女に、私は苦笑する。
「それは、私にもわからないんだ」
「お姉さんも……?」
「そう、それからそこのお兄さんも」
 ほろりとまた少女の瞳から涙がこぼれた。
「じゃあみんなおうちがわからないんだ……あたし、おうちに帰れないよう……」
「まあまあおちついて」
 騎士の青年が、私と一緒になってしゃがみ込む。
「今はわからないけど、元に戻る方法はきっとあるよ。それに、君は一人じゃないだろう」
「え?」
 私は精一杯笑いかける。
「記憶がないのはみんな同じ仲間だからな」
「お兄さんとお姉さんも、お仲間なの?」
「そう。だから安心して」
 言うと、少女はやっと笑った。一人ではないことでほっとしたのだろう。
「えへへ、お姉さんありがとう! あのね……あたしは……あれれ、名前は……」
「記憶をなくしているんだから名乗りようがないだろう……」
 隻眼の男がぼそりと言う。
「あ、そういえばそうだ!」
 少女は本当にそれを忘れていたらしい。
 騎士の青年が立ち上がった。
「これで記憶喪失は四人ですか……最初は彼女と私だけかと思ったのですが、まだ他にいるんでしょうか」
「記憶をなくした人間が?」
 私は彼を見上げる。ありそうなことだ、と隻眼の男が頷いた。
「へー、お友達がいっぱいになるのかな?」
 少女の言葉に、隻眼の青年は苦笑する。
「ともかく館全体を回ってみて……」
 がたん、という音が会話を遮った。耳をすませると、どすん、ばたんと音が続いている。
「何だ?」
「上からのようですが……」
 見上げると同時に今度は叫び声。
「だから! あたしは誰だってのよーっ!!!!」
「俺が知るか!! 俺だって自分の名前がわからねーって言ってるだろうが! 物を投げるな! 物を!!」
「うっさいわね!」
 がたんっ! とまた派手な音が響く。
「……いたみたいだな」
 隻眼の男のぼそりとしたつぶやきが、玄関ホールに響いた。

「で? あんたたちも記憶がないってわけね」
 高々と足を組んで椅子に座りながら、女性が言った。そうだ、と私は頷く。
 結局、二階で騒いでいた人間は二人だった。彼女はその一人だ。歳は私と同年代。高級そうな騎士服に、大きな赤い羽根飾りのついた帽子をかぶっている。どこかのお嬢様だろうか? 剣を帯びてはいるが、豊かな栗色の髪は手入れされてつやつやだし、唇を彩る紅は鮮やかで、高級品だけがもつ上品な色合いをもっている。
「ひいふう……六人か。結構な人数だな」
 二階で騒いでいたもう一人、金髪の男がにやにやと笑う。彼は隻眼の青年と同じくらいで、三十代くらいのようだ。少しくすんではいるが見事な金髪にグリーンアイ。ダークグリーンのジャケットによれよれのマフラーを羽織っている。彼も傭兵のようだが、にしては装備が少し軽装な気がする。
 彼ら二人が騒いでいるのを聞きつけて、私たちが二階に行くと、そこでは金髪の男相手に帽子の女性が椅子を振り上げているところだった。暴れる彼女を必死に止め、他に人がいないか確かめた私たちは、最初の礼拝堂に落ち着いていた。
「何があったの? ってあんたたちにきいてもしょうがないわね」
 帽子の女性の言葉に、騎士の青年がため息をつく。
「ええ。それは私たちも聞きたいです。何故、我々が記憶をなくしているのか、何故ここに閉じこめられているのか」
 私たちは沈黙した。
 この館の中に、他に人がいないか見回ったときに気づいたことなのだが、この館には結界が張ってあるらしかった。扉という扉、窓という窓、どんな小さなものであっても、一つとして開くものがなかったのだ。押そうが引こうが、戸板がきしむことすらなかったことから、きっと魔法によるものと思われる。
 閉じこめられたという新たな事実が、私たちの気分を更に暗くしていた。
「まあまあ、とにかくこうしていてもしょーがない。一つ、自己紹介といかないか?」
 金髪の男が指を立てて言った。はあ?と帽子の女性が声をあげる。
「何言ってんの。記憶がないんだから自己紹介のしようがないじゃない」
「まあまあ。でもさ、調べることはできるんじゃないのか? ほら、服とかアクセサリーに自分の名前とかいれてたりしてさ」
「……そういえば、そうだな」
 隻眼の男が静かに同意する。
「うん、自分のものにはちゃんとお名前書かなきゃいけないもんね!」
 魔法使いの少女はにっこり笑うと自分の持っていたポーチの中身をごそごそと探り始めた。他の五人もそれにならう。
 私は籠手を外し、中を見る。するとそこには小さく「Chris」と彫り込んであった。襟元や他の武具を調べて見ると、同じように「Chris」とはいっている。
 クリス、それが自分の名前らしい。相変わらず実感はないが。
 ポケットを探ると、また何か出てきた。小さなコンパクトくらいの大きさのそれを取り出し、中を開けてみたが……
「!!」
 すぐにまたもとのようにしまい込んだ。
「どうしました?」
 騎士が私を不思議そうに見ている。私は椅子に座ったまま後ずさった。
「や、ややややや、なんでもない!」
「なんでもないって……そんな顔してませんよ?」
「本当になんでもないんだ! そのポケットにつまらないものを入れてたのを発見しただけで! ……あ、そうだ、名前! 私の名前はクリスと言うらしい。お前は?!」
 強引な話題の振り方だったが、騎士はそのまま流すことにしてくれたらしい。にっこり笑うと、襟についた縫い取りを示す。
「パーシヴァル、それが私の名前のようです。ファミリーネームまではわかりませんね……Fで始まるようですが」
「長いお名前……」
 魔法使いの少女が不思議そうに騎士パーシヴァルを見上げる。
「子供の頃、名前を呼ぶのに苦労してそうですね、確かに」
「パーシィちゃんとか幼名でもついてたりしてな。そう呼んでいい?」
「やめてください。気色悪いですから」
 金髪男の提案をパーシヴァルはあっさり却下する。いい年をしているのに、この金髪男の言動はまるで子供である。
「私の名前はリリィみたいよ」
 帽子の女性が言った。
「リリィ……花の名前ですね」
「まあそこそこ似合ってなくもない名前でよかったわ。どこかのお嬢様みたいね。いいもの着てるし」
「の割には口が悪……いてぇ!」
「あんたは黙ってなさいよ!」
 リリィに殴られて、金髪男は口を閉じた。本当に一言多い男だ。
「あたしはビッキーLさんだってー!」
 魔法使いの少女が元気よく宣言した。
「ビッキーはともかく、Lというのは何だ?」
 私が聞くと、少女はにっこり笑ってハンカチを出した。そこには、自分で刺繍したのか、つたない手つきで「Viki.L」と縫い取りがしてある。
「それはファミリーネームでしょーが。あんたはビッキー。Lはいらないでしょ」
 リリィが呆れて言う。そうかなあ、とビッキーは首をかしげた。
「……俺は、ゲドというらしい」
 ビッキーと同じようにハンカチと、そして手袋の手首の部分を見せながら隻眼の男が言った。そこにはビッキーのものよりもっと綺麗で丁寧な、でもプロの手によるものに比べたら少し不格好な刺繍で「Geddoe」とある。
「女房でもいたのかもな……」
「こんな丁寧に刺繍をしてくださる女性はなかなかいませんよ? 大切にしてあげないと」
「記憶が戻ったらそうすることにする……」
「ラブラブだねえ」
 金髪男がにやにやと笑う。それに、リリィがびし、指を指した。
「あんたねえ、さっきから人に茶々いれてないで自分の名前を言ったらどう?」
「え? 俺?」
「そうよ! 大体自己紹介提案したの、あんたでしょう。名前わかんないのあんただけよ?」
「……ん〜〜〜〜〜まあねえ」
 金髪男は、その金髪をがりがりとかいた。
「どうしました?」
「それがわからなくて」
 金髪男は、ほとほと困ったと腕組みをした。
「さっきから自分の持ち物を調べているんだが固有名詞をつけている持ち物がひとつもなくて」
「自分のものにお名前つけてなかったの?」
 首をかしげるビッキーに金髪男は笑いかける。
「みたいだなあ……うっかりしたことに。一応武器に「gerade」ってついているけどこれは武器の名前っぽいし」
「あんた怪しいわよ!」
 リリィが言うと、金髪男はわはは、と笑った。
「俺もそう思う。まあでも名前わかんないの俺だけだし、適当にナナシとでも呼んでおいてよ。とりあえず不便はないだろ?」
「貴方が怪しいという点に変わりはありませんが……」
「……ヤな奴だね、パーシヴァル」
「本当のことを言ったまでです」
 にっこり。笑いあうパーシヴァルとナナシの目は笑っていない。ふう、とゲドが息を吐いた。
「一応名前だけはわかった。で、一体ここはどこなんだろうな」
「北の地方ということはわかりますがね」
 パーシヴァルが、先ほど廊下で披露した知識を繰り返す。
「ハルモニアのはずれだと思うよー。さっき窓からその地方特有の花が見えたから」
 ナナシが言う。私は思わず聞き返した。
「ハルモニア?!」
「そう。といっても東のはずれだけど」
 俺がわかるのはそれくらいかなー、とナナシは椅子の上であぐらをかく。私は礼拝堂の祭壇を見上げた。
「せめて、祀っている神が何かわかれば少しは……あれ?」
「どうしました?」
「神が……いない」
 私は祭壇を呆然と見つめる。祭壇の上、普通ならば何かその宗教で祀られるべき神が据えられる場所には、何もなかった。神の形を禁ずる宗派もある。だが、それにしては様式がおかしい。
「吸血鬼だわ」
 ぽつりとリリィがつぶやいた。
「そうよ……! この重苦しい雰囲気といい、神のいない祭壇といい、吸血鬼の館そのままじゃないの!」
「馬鹿な……吸血鬼はとうに滅んだはずだ。それに神がいないだけでそう言うか?」
「あいつらは神様が嫌いなくせに、祭壇を作りたがるのよ」
「しかし……」
「いや、一人まだ残っていたはずだ」
 私の疑問を、ゲドが否定する。
「吸血鬼は、真なる月の紋章の眷属だもの……真なる月の紋章を継承している始祖がいるはずだわ」
「詳しいな、お嬢さん」
 ナナシが額に手を当てながら言う。リリィは自分の腕を抱きしめた。
「わからない……わからないけど、吸血鬼って聞くと、とても怖いの。しかもなんで詳しいの……」
「詳しいついでに、始祖の名前はわからないか?」
 私が尋ねると、リリィは眉間に皺を寄せた。
「名前はそう…………シエラよ」
 がたん!!
 ドアの外で物音がした。何か物がおちた、とかそういう音ではない。明らかに人がたてた物音。
 パーシヴァルとナナシが同時に驚くべき早さで扉を開ける。
 そして、私たちが見たのは、廊下の角曲がり、姿を消す白い人影だった。

えっと、33333ヒット記念
りん様のリクエストでパークリで「記憶喪失」です

見ればわかると思いますが、
続いてます。
すいません、りんさん!!
パークリどっちが記憶喪失になってもOKとのお題で
ふと「両方」ってのはどうだろう
と思ったのが悪かったみたいです。
リクエストなのに、暴走しすぎですね……
これの続き〜完結までは、早めにアップしますので、
ちょっとだけ待っていてください!
すいません……

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