彼女自慢

 その日、風呂場に一歩足を踏み入れたパーシヴァルは、この時間帯に来たことを激しく後悔した。
「ナッシュ! だから水鉄砲ってどうやるのさ!」
「……30すぎてそんなもんにこだわらないでくださいよササライ様」
 ちゃきちゃきの江戸っ子ゴロウが経営するビュッデヒュッケ城の憩いの場、露天風呂の立派な湯船で、二人の人物がほほえましい光景を繰り広げていたからだ。
 一人は30すぎの痩身の青年。ややくすんではいるが、見事な金髪に澄んだエメラルドグリーンの瞳をしている。もう一人は、まだ十代の少年。薄い茶の髪にやはり緑の瞳をした綺麗な少年だ。
 出身地が同じ国であるせいか、歳の離れた兄弟にも見えなくもない二人が、風呂場でじゃれあっている姿はほほえましいと言える。
 ……少年の実年齢が実は32で、ハルモニアという超大国の権力者No2であることを頭から除けば。
「あれ、パーシヴァルじゃん、どしたの、こんな時間に」
 風呂の扉をあけて呆然としているパーシヴァルを見つけて、ナッシュがにやっと笑う。いつもの人の悪い彼の笑みに、パーシヴァルは苦笑でかえした。
 まあ、ここまで来ておいて回れ右というのも大人げない。パーシヴァルはおとなしく風呂場に入る。
「夜勤あけです。一風呂入ってから仮眠をとろうと思いましてね」
「へー、軍隊長クラスにまで夜勤シフトがあるの? 大変だねえ」
 人材足りてる? などというササライの失礼な発言を、パーシヴァルは苦笑しながら無視した。つい先日まで人のとこの人材をばかばか殺してくださっていたのは誰だろうかと思ったりもするのだが、横に置いておくことにした。
 パーシヴァルが軽く体を洗って湯船に入ると、ササライは真剣な顔で湯の中で手を組んでいた。水鉄砲のつもりらしい。
 為政者として純粋培養されたため、ときどき恐ろしく世間知らずなのだと聞いてはいたが……30すぎて熱中したくなるものだろうか。水鉄砲とは。
「そういえば、ナッシュ殿はともかくササライ様もこの時間帯にこちらにいらっしゃるのは珍しいのではないすか?」
「ああ、今さぼりだから」
「30時間ぶりのね」
 さぼり、の一言に呆れそうになったパーシヴァルに、ナッシュが的確なフォローをいれた。ササライは嫌そうに顔をゆがめる。
「そんなのは言わなくていいんだよ」
「俺の口が滑るのはいつものことでしょう」
「滑る以前に、動かなくしてあげようか?」
 少年に睨まれて、ナッシュは肩をすくめる。
「それは勘弁してください、俺には帰りを待ってるカミさんがいるんですから」
「の、わりには浮気をしているようですが?」
 パーシヴァルが言うとナッシュの顔が引きつった。
「まだ壁新聞の話を引きずるのかよ、お前もいいかげん忘れろよ!」
「壁新聞の話じゃないですよ。ここ……痕ついてますよ」
 パーシヴァルは、自分の首もとをとんとん、と叩いた。それを見て、ナッシュは慌てて自分の首筋を手で覆う。そこには、縦に二つ、小さな赤いあとがついていた。所謂キスマーク、というやつだろう。
「まぬけー! あははははは、馬鹿だねえナッシュ!!」
 彼の上司は、その綺麗な顔に似合わず大口を開けて爆笑した。
「ちょっ……ササライ様ひどいですよ、フォローしてください!!」
「どうやってフォローするのさ。そんな大間抜けに」
「随分新しい痕ですよねえ……奥方は帰りを『待っている』のではないですか?」
「そ、それは……っ……」
 ぐう、とナッシュが言葉につまる。常日頃、へらへらといらぬことばかりしゃべるこの男の口をつぐませることができたことが小気味いい。
「ナッシュの奥さんはね、ナッシュの部屋で、帰りを待ってるんだ。だから別に嘘じゃないんじゃないかな?」
 くすくす笑いながらササライが言った。パーシヴァルは目を丸くする。
「ササライ様、本当にナッシュ殿には奥方がいらっしゃるんですか? ってそれより、この城にいるんですか?!」
「いるよー」
「ササライ様!! お願いですからばらさないでくださいよ!! ほんと解ってらっしゃるんですか?!」
「いいじゃんべつにこれくらい」
「よくないです!!」
 ナッシュが力一杯断言した。しかし、手で耳栓をしたササライは全く聞いていない。
 パーシヴァルは呆然と二人を見比べた。どうやら、ナッシュに女がいること、これは本当に本当らしい。驚いたことに。
「ナッシュ殿、奥方がいらっしゃるなら何故かくしておくのです? こちらに来ているにしても、隠しておくのは窮屈でしょうに」
 それに、騎士団に対する風当たりだって若干弱まるはずなのだが。
 不思議そうに訊ねると、ナッシュは口をへの字に曲げた。
「大人の世界にはいろいろあるんだよ」
「……たかだか11歳差で子供扱いしないでください。あ、まさか壁新聞のお相手と二股をかけているからどちらにもばらせないとか」
「んなわけないだろうが!! 俺はカミさん一筋だ」
「どうだか。ササライ様、ナッシュ殿の言っていることは本当ですか?」
「そうだねえ。あの方美人だから、外に出したがらないんだよ、ナッシュは。ねえナッシュ?」
「……ええ、うちのカミさんは本当にいい女ですから紹介して惚れられても困るんですー」
 ササライの投げやりなフォローに、ナッシュが棒読みで応えた。これだけ嘘くさい言い訳にあったのは久しぶりだ、とパーシヴァルは眉をひそめた。
「いい女ですかあ?」
 明らかに疑っているパーシヴァルに、ナッシュが苦笑する。
「実際問題本当にいい女だよ、うちのカミさんは。見た目も、中身も」
 そう言って、ナッシュはうっとりと目を細めた。
「会ったのはもう15年も前だけどね、あんまりいい女すぎていつも振り回されるんだ」
 おかげで今まで浮気知らずだよ。
 と、のろけ半分にぼやかれて、パーシヴァルはあてられるより呆れる。
「の、割にはユイリ殿をナンパしたとかミオ殿をナンパしようとしたとかそんな噂を聞きますが?」
「あれは挨拶。食事に誘うならむさいオヤジより、女の子誘うだろ、普通」
「どこらへんが普通なんですか」
「全部だ」
 言い切った中年男にパーシヴァルは肩を落とした。ササライがにやりと笑う。
「ふーん普通なんだー。じゃ、あの方にそう言って話しても大丈夫だね?」
「え、あ。ササライ様、それは」
 おもしろいくらいにナッシュが慌てた。ササライは、天使の顔で、悪魔の笑みを刻む。
「最近ナンパ騒ぎで呆れてらっしゃったようだしー?」
「ササライ様、今のは戯れ言ってことでお願いですから片付けてくださいよー。カミさんに俺が殺されます」
「大丈夫、あの方手加減を心得てるから死ぬようなことはないよ」
「死ぬ一歩手前でやめるからたちが悪いんですよ!!」
 ナッシュは、本気で泣く一歩手前だ。
「いい女、なのではなかったですか?」
「でもって、めちゃくちゃ気が強くてわがままなんだよ! あいつは!! いいよなーパーシヴァルは、扱いやすそうで」
「私のところって……なんで知ってるんですか」
 パーシヴァルはじろりとナッシュを睨んだ。パーシヴァルの恋人、それは騎士団のなかで女神とさえ崇拝されている騎士団長、クリスだ。下手につきあいがばれると士気に関わるため、周りにはひた隠しにしていたはずなのだが。
「ちっちっち、このスパイのナッシュさんをなめちゃいけないな。そうじゃなくてもクリスとは個人的に仲いいのよ、俺」
「……あの方の人を見る目は、貴方に限っては間違っているようですね」
「お前、本当に男には冷たいよなー」
 パーシヴァルは、ナッシュを無視すると、蒸気を含んで濡れた髪をかきあげた。
「言っておきますが、あの方が扱いやすかったことなんて、一度もないですよ?」
「そうか?」
「ああ見えて、頑固でしてね。自分の道を決して曲げませんから」
 おかげでどれだけ心配させられたか、回数は数限りない。
「もっともそういう女じゃなきゃ惚れてませんけどね」
 くす。
 今度はパーシヴァルがのろける番だ。ナッシュとササライは苦笑する。
「私にただめろめろで、それが全てな女には興味はないです」
 焦がれたのは、前を見据えたあの瞳。
 確固たる自分をもち、選ぶ道を知っている。だから、守りたいと思うのだ。
「その気持ち、結構わかるかもね」
 ササライが笑いだした。
「確かに、相手に依存して、それだけしか見えない女っていうのには興味はわかないなあ」
「ササライ様、誰かとおつきあいしてらっしゃるんでしたっけ?」
 パーシヴァルがきょとんとして聞き返した。ササライはくすくすと楽しげに笑う。
「つい最近、とびきりの美人をね」
「で、とびきり気の強い人を。パーシヴァル、クリスから聞いてないか? ティントのリリィ嬢だよ」
「リリィ殿ですか?」
 パーシヴァルは思わず聞き返した。個性の強い城の中、一際目立つお嬢様、それがリリィだ。美人だから目立つのではない。その気の強さが群を抜いているのだ。
「それは……また。ああでもなんかわかる気はしますね」
 リリィの元気のよさは有名だ。その彼女とつきあうなら、これくらい落ち着いていて、つかみ所のないほうがいいのかもしれない。
「彼女といると楽しいんだ。毎日がびっくり箱みたいでね。人格と顔以外は生まれとか、あんまりこだわらないし」
 ハルモニアのNo2。それは、誰もがうらやむ地位だろう。だが、それは時に人と己の間に壁を作る。
 だが、生まれついての女王様、リリィはそれらの壁を、あっさりと蹴飛ばしてしまっていた。
「しかし、こう考えてると、俺たちって女の趣味にてるのかもなあ」
 湯船の中でナッシュはあぐらをくんで首をかしげた。
「そうですか?」
 パーシヴァルが聞き返した。気が強いらしいナッシュの奥さんとリリィはともかく、クリスはまた別だと思うのだが。
「だって、みんないい女で、そしてものすごく手がかかるだろ。普通の女じゃ満足できないってところがさ」
 ナッシュが、にやりといつものように人の悪い笑みになる。パーシヴァルはむっと眉間に皺をよせた。
「何だよ、俺そんなに変なこと言ったか?」
「確かに、あっていなくもないですが……あなたと同じ趣味というくくり方が嫌です」
「僕も嫌だね」
 パーシヴァルとササライに断言され、ナッシュは肩を落とした。




ちの様のリクエストで「彼女自慢、彼氏こきおろし」
とりあえず今回は彼女自慢バージョンで。

近日中に彼氏こき下ろしバージョンをアップします
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