彼氏自慢?

「あれ? クリスじゃない。先に入ってたの?」
 湯船につかる、銀髪の女性の後ろ姿を認めて、リリィは声をかけた。先ほど、夜勤あけの彼女と一緒に風呂に入る約束をしていたから。一旦部屋に服を取りに戻ると言っていた割に素早い、と思ったのだが違ったらしい。
「ん?」
 振り向いた彼女の顔は、親友のものではなかった。
「あれ?」
 頭に巻いたタオルの間からこぼれる銀糸は親友のものと同じ。だが、その肩は彼女のものよりずっと小柄だ。顔立ちも幼く、少女と言ってもいい。抜けるように白い肌のなか、深紅の瞳が鮮やかだ。
「誰じゃ、おんしは」
「ごめん! 人違い……って」
 謝ったリリィは、その途中で動作を止めた。
 少女の姿に見覚えがあったからだ。
 随分昔……15年も前の幼い頃に、目の前の少女と全く同じ少女を見たことがある。
「シエラ様……? うそ、なんで?!」
 名前を言い当てられて、少女が目を見開いた。
「おんし? なぜわらわを知っておる!」
「シエラ様、お忘れになりました? 私、リリィです。15年前ティントを襲ったネクロードから助けて頂いた」
「ティント……? おんしあのときの幼子か!」
「はい!」
 リリィは満面の笑みを浮かべた。シエラも驚きながらも笑う。
「そうか、あのときの子か……随分綺麗に育ったものじゃのう」
「シエラ様に助けて頂きましたもの!」
「リリィ? 何やってるんだ?」
 嬌声をあげるリリィを不思議そうに見ながら、クリスが風呂に入ってきた。湯船につかる銀髪の少女を見つけて歩をとめる。
「その少女は……」
「紹介するわっ! この方はシエラ様。十五年前あたしを助けてくれた人なの!」
「……え?」
 クリスは理解できずに眉間に皺をよせた。

「と、いうわけでー、あたしはシエラ様に助けられたのよ!」
 クリスとリリィが湯船に入ってから、風呂場ではちょっとした昔話大会が繰り広げられていた。(主にしゃべっていたのはリリィだが)
 リリィとシエラが知り合ったいきさつを聞いて、クリスはやっと納得する。
「そうか。だからリリィと知り合いなのか」
「もーあのときのシエラ様はね、同盟軍のリーダーとか、クマとか青マントとか従えててすっごいかっこよかったんだから!」
「クマ……青マント……?」
「傭兵ビクトールと、青雷のフリックじゃ。おんしも名前くらいは知っておろう?」
「ああ、劇に出ていたあの役ですね」
 言われて、クリスは苦笑した。いくら実物を見ているとはいえ、デュナン建国の英雄をクマあつかいできるのはリリィくらいのはものだろう。
「では貴女も真の紋章を……」
「宿してずいぶんになるがのう」
 シエラは笑うと、右手を持ち上げた。そこには青く光る真なる月の紋章がある。
「シエラ様! ここにいるってことはやっぱりシエラ様も宿星として協力してくださるんですか?」
 幼いころのあこがれの人に会えてよっぽど嬉しいらしい。リリィが目をきらきらさせて訊ねると、シエラは軽く首を振った。
「残念じゃが、わらわはこの戦に関わるつもりはない」
「えー!」
「クリス、おんしならわかるであろう? この戦は五行の紋章の戦じゃ。これ以上の真なる紋章の関わりは大地にとって害でしかない」
「そうなのークリス!」
 リリィに不満そうに睨まれて、クリスは身を退いた。
「や……その、そうだ。ただでさえ四人も城には集まっているから……」
 ちえー、とリリィは口をふくらませる。シエラにあえて嬉しいせいだろうか、仕草がいつもよりこどもっぽい。
「しかし、ではシエラ様、貴女は何故この城に来たのですか?」
 クリスが訊ねると、シエラは困ったように少し笑った。
「あのルックという男とは、顔見知りじゃったからのう。少し気になっての」
「恋人がいるから……とかじゃないんですか?」
 リリィがくすくす笑いながらきいた。シエラはつまらなそうに否定する。
「そんなものはおらぬよ」
「そうですか? でも、胸のところに結構色っぽい痕があるんですけど!」
 心底楽しそうなリリィに指摘され、シエラは自分の胸を見下ろした。そして、胸元に赤い小さな痕を発見してぱっと手で隠す。
「あ……あの馬鹿男……! いつの間に!」
「ねえねえ、誰なんですか♪ お相手は!」
「リリィ……? 虫にさされた痕が何故そういう話になるんだ?」
 楽しげなリリィにクリスが不思議そうに問いかける。シエラとリリィは同時にお互いの顔を見合わせた。
「そっかー、パーシヴァルとつきあいだしたっていうのは聞いてたけどまだ『そういう』関係じゃなかったのねー。パーシヴァル、よく我慢してるわ」
「リリィ?! だからなんでそういう話になるんだ!」
 本気で慌てるクリスに、シエラは吹き出した。そのまま腹をかかえて笑っている。
「よいではないか。清らかな乙女には男の噛み痕など似合わぬし」
「噛み痕……?」
 やっと意味がわかったクリスの顔から一瞬、血の気が引いた。そして次の瞬間耳まで真っ赤になる。
「痕って、あ……ああ……そういう、意味か……」
 男のつける噛み痕。それは行為のときのキスマークにほかならない。
 それがわからない女というのは、つまりそういう経験がない、というわけで。
「……そう言うリリィはいやに詳しいんだな」
 さすがにむっとしてクリスが言い返す。しかしリリィはそれを思い切り鼻で笑った。
「だってあいつ痕つけるの好きなんだもん、嫌でも見慣れるわよ」
「おやおや、随分と癖の悪い男じゃのう」
 くすくすと面白そうにシエラが笑う。リリィは口をとがらせた。
「あの馬鹿独占欲強すぎなのよ。わがままだし、論理は破綻してるし!」
 それは、そのままリリィにもあてはまったりはするのだが、とりあえず二人は指摘しないことにした。
「大抵のことは何だって許される地位にあるからってうぬぼれてるのよ! そうはいかないんだから」
 だから、思いっきり振り回してやるの! と声も高らかに宣言したリリィのその元気の良さにシエラは苦笑した。
「それはまた……相手も大変じゃのう」
「そうでもないですよ、シエラ様」
「ん? クリス、おんし何ぞ知っておるのかえ?」
「ハルモニアの神官将のササライという方を知っていらっしゃるでしょうか? 彼女の恋人というのはその人なんですよ。だから、大抵のわがままは、本当にたいしたことじゃないようですから」
「何? ササライ?!」
 リリィの恋人の名前を聞いて、シエラは目を丸くした。
「あれ、シエラ様知ってるんですか?」
「……ん、まあ真の紋章がらみでいろいろとな。そうか……ううむ、なんじゃ、おもしろい組み合わせじゃのう」
「ねえねえそれよりもシエラ様! シエラ様の恋人ってどんな方なんですか?」
 シエラ様の恋人なんだから、きっと素敵な人なんでしょ? と言われ、シエラはうーん、と困った顔になった。
「う……む。そうじゃのう……悪い男では、ないのじゃが……」
「ないのだけど?」
 クリスも首をかしげる。
「少々軽いところがあってのう。お人好しで女に弱くて、いつも考えなしに行動しては痛い目にあっておるし、運がないから常に絶対絶命じゃし……」
「なんか、私の知り合いにすごく思い当たる人物がいるのですが」
 クリスが、眉間に深々を皺を刻む。
 軽くて考えなしで、女に弱くてお人好し。少々人が悪いという点が加われば完璧である。
「至極優しい男じゃし、見目も悪くないのじゃが、ほうっておくといつまでたっても騒動に巻き込まれっぱなしのようで」
「それで気になって来たってわけですか?」
「そうじゃ」
 シエラは困った顔のまま頷いた。特徴を更に聞いて、クリスの眉間の皺が一層深くなる。
「シエラ様、もしかしてその恋人というのは、金髪で碧眼で三十過ぎだったりはしませんか」
 クリスが訊ねると、シエラは更に困った顔で、深々と頷いた。
「え? クリスの知り合いで、金髪碧眼で軽い男って……ナッシュ?!」
 リリィが叫んだ。
「うそ、嘘嘘嘘! シエラ様もったいなーい!」
 ナッシュが聞いたら地の底までめり込んでしまいそうな台詞を吐いて、リリィは驚いた。
「シエラ様ならもっといい男、つかまりますよ? なんでよりによってあんなうさんくさい人ー」
「言ったであろう? 悪い男ではないし、優しい男じゃと」
「だってあいつこの間ナンパなだけじゃなく、ロリコン疑惑まであったんですよ!! 壁新聞に書いてあったんですから! 湖で白い肌の美少女と会ってた……って……あれ?」
 勢いよく主張していたリリィは途中で口ごもった。
 今目の前にいるシエラの容姿。
 それは、何も知らない人がみたら、ただ肌が白いだけの美少女に見えるだろう。
「なんだ……もしかしてただの恋人とのデートだったわけ? あいつ! もーややこしく『古い知り合い』だなんて言わないでよ、もー」
「リリィ、それはしょうがないだろう。彼だってシエラ様のことを公にするわけにはいかなかったわけだし」
「ったく、普段うさんくさいのが悪いのよ! あいつは」
 ぷう、とリリィは口をふくらませる。
「あ、とすると、やっぱりナッシュの言っていた『カミさん』は貴女ですか?」
「婚礼はあげてはおらぬがのう。まあそう思っても構わぬじゃろう。つきあいも長いし」
 そう聞いて、クリスはうーん、と唸った。
「なんじゃ、まあわらわのようないい女が、あ奴には勿体ないというのは解らぬでもないが」
「いえ! そうではなくて……その……! ……」
「クリスー、なにやってんのよ」
「う……うー……ん。あの、シエラ様、失礼でなければ、その、一つおききしていいでしょうか?」
「ん?」
 真剣な顔で詰め寄られ、シエラは少し体を引いた。冗談かとも思ったが、彼女は本気らしい。
「ナッシュのようなナンパな男をつかまえておく秘訣って、何なんですか?」
「はあ?!」
「あ、や、すいません! ちょっと聞いただけですから!! わわわ忘れてください!」
 言って後悔したのか、クリスはざぶ、と音を立てて後退した。予想外の問いに、シエラはもとよりリリィも驚く。
「あんたそれ、パーシヴァルが聞いたらへこむわよ?」
「う、だ、だって!」
「リリィ、そのパーシヴァルというのはどういう輩じゃ」
 シエラがリリィに訊ねる。
「クリスと同じ騎士で、『疾風』の異名をもつ乗馬のエキスパート、です。まあ顔がよくてやたら女うけいいから、常に誰かしらとりまきがいるんですけど」
「ほう?」
「クリスー、あんた悩むことなんかないじゃない。あいつあんたしか見えてないんだから」
「リリィはつきあいが浅いからそんなことが言えるんだ!」
 リリィの呆れ半分の物言いに、クリスが本気で涙目になって反論した。
「あいつはただごとじゃなくてモテるんだ! しかも、あしらいがうまいから『ふられてても好き』とか言ってる女は多いし!」
「のろけるか愚痴るかどっちかにしなさいよ」
「私は真剣に悩んでるんだ!」
「そんなの、あんたたち二人が付き合ってるってばらせばいいじゃない」
 クリスはむくれた。
「そう主張できるならそうしてるさ! ……けど、今は戦争中だからだめだってサロメに止められて。今団長がそんなことにうつつをぬかしているなんて兵に知られたら士気が落ちるって」
「あー……落ちるでしょうねえ……」
 サロメの機転に、リリィは呆れてため息を漏らした。確かに士気は落ちるだろう。
 失恋のショックで。
 騎士団に団長ファンが多いのは周知の事実である。
「あいつのモテ方は本当に半端じゃないんだ。今まで言い寄った女は三桁、くだらないし」
「あんた何律儀に数えてるのよ」
「う」
 ばしゃん、とクリスは湯船の中に突っ伏した。相当なクリティカルヒットだったらしい。
 それだけ相当見てきていて、よく今つきあう気になったものである。
「そうじゃのう……」
 くすくす、と楽しげに笑うと、シエラはクリスの背に手を伸ばした。そして、つっぷしたままのクリスの顔を上げさせる。
「同病相憐れむ、とも言うし、教えてやろうかの」
「シエラ様」
「クリス、ではおんしはまず『いい女』でいることじゃ」
「いい、女ですか?」
「そうじゃ。誰もが目を奪われる、誰も放っておかないいい女にのう」
「それは……?」
 クリスは困って首をかしげた。シエラは笑う。
「何も浮気をしろと言っておるのではない。ただ、魅力ある女であれと言っておるのじゃ。自分以外の誰もが恋人を口説こうと思っておるのなら、浮気どころではなかろう?」
「ああ、成る程」
「ああいうナンパ男はプライドが高くて独占欲が強いからのう」
 くすくす、シエラとリリィは笑いあう。しかし、クリスの眉間には皺が刻まれたままだった。
「ですが、いい女でいる、というのも私には難しいのですが……」
 本気の、心の底からの言葉に、言われた二人は失笑した。
 ゼクセン最高の、極上の戦女神。
 彼女以上のいい女なんて、このゼクセン連邦にはいないというのに。
 シエラはにい、とその桜色の唇に笑みを刻んだ。
「では、いい女でいるこつも教えてやるとするかのう……」



 数日後、久しぶりの逢瀬を楽しんでいたはずのパーシヴァルが「どこでそんなこと覚えてきたんですか!!」と大絶叫していたそうな。

ちの様のリクエストで「彼女自慢、彼氏こきおろし」
予告していた彼氏こきおろし、です。
なんか、彼女をほめたたえる男どもよりぜんぜんすらすら書けていたり……
うちのサイト傾向をいいぐあいに表してますね。
ナッシュなんか、シエラどころか周りにまでこき下ろされてます。
哀れな……
彼氏、彼女自慢、どちらも楽しんで書かせていただきました!
リクエストありがとうございましたです!!




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