幸福の我が家

 こんな幸福が本当にくるなんて、思ってなかった。

「クリス様、申し訳ないのですが、週末の予定をキャンセルさせてはいただけないでしょうか?」
「ん? お前が断ってくるなんて珍しいな」
 パーシヴァルの申し訳なさそうな声に、クリスは顔をあげた。執務机の前では、表は同僚裏は恋人であるパーシヴァルが困り切った顔で立っている。
 今週末は、騎士団長様のお休みの日。そしてパーシヴァルも休暇であるのをいいことに、デートをする予定だったのだが。
「申し訳ありません」
「それは構わないが……どうした? 何か部隊に問題でも生じたか?」
 何より女性を大切にするパーシヴァルが、デートの予定をキャンセルするなど珍しい。というより前代未聞の事件だ。それだけに、なにかよほどの事情だろうとクリスは首をかしげる。しかし、パーシヴァルはこりこりとこめかみを掻いた。
「いえ、実家の手伝いを頼まれてしまいまして」
「実家、というとイクセ村か。今駐屯しているビュッデヒュッケ城からは近いからなあ」
「実家の資産に貸し家が2軒ほどあるのですが、そこに身重の若夫婦が引っ越してくることになったのですよ。片付けをしなくてはならないのですが、この前のイクセ襲撃で人手が足りなくなってまして……」
「そうか。親孝行はできるうちにしておいたほうがいいぞ。なあに週末なんてまたあるから行ってこい」
 親孝行をする暇もなく、両親と死に別れたクリスのその物言いにパーシヴァルが苦笑する。
「今度何か埋め合わせをしますから」
「だったらイクセにピクニックがいいな。景色がいいから」
「……それなら……」
 パーシヴァルは、何かを思いついたらしく、クリスの耳元に囁きかけた。
「ん?」
「こうするのはどうでしょう?」



 パーシヴァルの提案にクリスが耳を傾けた数日後の週末、クリスはパーシヴァルと共にイクセ村を訪れていた。
 目的地はパーシヴァルの実家の貸し家。
 実家の手伝いとクリスとのデート、一石二鳥の計画である。クリスは、パーシヴァルとイクセののどかな自然を見ることが出来、パーシヴァルは親孝行ができるわけだ。
 一つ問題があるとすれば、
『そうすると、私の両親に紹介することになってしまいますが……』
 提案しながら、困ったように頬を染めたパーシヴァルの顔を思い出して、クリスは馬の背の上で笑った。
 クリスとしては、家族に紹介してもらえる恋人、という地位をあのプレイボーイから獲得したことに喜びこそすれ、迷惑と思うことなどない。むしろ、恥ずかしげなパーシヴァルの顔がひどくおかしかった。
「クリス様?」
「いや、なんでもない。それよりこんな戦の時期にここに引っ越してくるなんて、その若夫婦も物好きだな」
 別の話題をふられて、パーシヴァルは追求をやめた。視線を前方に戻す。
「引っ越してきた、というのとはちょっと違うみたいですよ。そもそも旦那がこの戦に参加している軍人なのだそうで、はるばる顔を見に来た奥さんがうっかり妊娠してしまったのだそうです。それで、身重のまま返すわけにもいかないのでここで産むことになったらしいです」
「それは大変だなあ」
 戦の合間に久しぶりに会う妻。抱きしめたい気持ちはわからなくはないが、この混乱の時期に子供を授かることは苦労が多そうだ。
「奥方が、子供を産める体質ではない、と医者に言われていたそうですから、予想外だったそうです。嬉しいことなのでしょうが」
「この戦争で随分多くの命が失われたから、そんな奇跡なら嬉しいな」
「ええ。ですから、母もできるだけ協力してやりたいのだと言っていました……と、あの建物です」
「なかなか感じのいい家だな」
 前方に、こぢんまりとした緑色の屋根の家を見つけてクリスは微笑んだ。
「割と古い建物なんですが、まだまだ使えるはずです」
 近付いてみると、家は遠くから見たよりもやや大きいようだった。一家族が暮らすのにちょうどいい大きさの木造二階建て。屋根裏には愛らしい丸窓。建物の横には畑と厩がついている。
「パーシィ、お帰り! あんたが手伝ってくれるのを待ってたよ!」
 井戸の脇で水を汲んでいた、恰幅のいい五十がらみのおばちゃんが笑いながらやってきた。パーシヴァルそっくりの濃い茶の髪を瞳をしたなかなか美人のおばさんである。(さすがに髪は立ってない)
「ただいま母さん」
「男手が少ないからねえ。ばしばし重いもの運んでもらうよ! っと、そこの後ろの別嬪さんは誰だい?」
 人好きのする笑顔を向けられて、クリスは馬から降りると丁寧にお辞儀した。
「クリス=ライトフェローと申します。息子さんに誘われて、お手伝いに来ました。体力には自信があるので力仕事も協力させてください」
「あら……まあまあまあ。そりゃありがたいねえ。人手は多いほうがいいよ」
「がんばります」
 パーシヴァルの母は、にっこりと満足げな顔で笑うと、パーシヴァルの脇腹をどついた。
「随分綺麗なお嬢さんじゃないかい! この前、村の祭りに連れてきた子だね? 団長さんと同じ名前っていうのも縁起がよさそうじゃないか」
「いやその……」
 クリスとパーシヴァルは同時に複雑な顔になった。
「母さん……彼女は、その、ゼクセン騎士団の団長本人なんだけど」
「あら本人? 本人って……パーシィ! あんた団長様に何やってんだい!」
「何って」
「昔から女の子に手が早いとは思ってたけど、まさか職場でまで……」
「いやだから母さん……」
 一人で大騒ぎを始める母親に、慌てるパーシヴァル。珍しい光景に、おもしろいと見物をするべきか、ここは自分が仲裁に入るべきかと本気でクリスが悩んだところだった。
「大家殿……何の騒ぎじゃ?」
 ゆらり、と白い影が玄関から現れた。
「おやシエラちゃん、つわりがひどいんだから寝てなきゃだめじゃないか!」
「寝ているのにも飽きたのでな」
 ふらふらと歩いてくるのは、予想外なことに、まだ年若い少女だった。
 クリスのものより更に色素の薄いプラチナブロンドにルビーアイ。つわりのせいなのか、青ざめたその顔は病的なくらいに白い。体も全体的に華奢で小柄で、とても妊婦には見えないくらいだ。
「客かえ?」
 パーシヴァルの母に抱きかかえるようにして支えられ、少女はクリス達を見た。
「そうだよ。手伝いに来た息子のパーシヴァルと、それからクリスさん」
「シエラじゃ。よろしく頼む」
 その外見に似合わない、古風な言い回しでシエラはなんとかお辞儀をした。クリスはかがんで手を差し出す。
「よろしくお願いします」
「クリスさんとシエラちゃんが並ぶと似てない姉妹ってかんじだねえ」
「同じ銀髪だからね」
 フロイライン親子の感想にシエラが笑う。
「こんな美人の妹ならわらわも大歓迎じゃ」
「え? 妹?」
 明らかに年下の少女の、さも当然と言わんばかりの感想に、クリスがぎょっとする。
 しかし、問い直そうとしたところに邪魔が入った。
「大家さん、地下の掃除してたら変な酒瓶がいっぱいでてきたんだけど……あれ? 客?」
 玄関から、男が一人ひょっこりと出てきた。
 歳は三十半ばくらい。埃やら蜘蛛の巣やらで、少しくすんではいるが見事な金髪に深い緑の瞳。いつもの剣呑な装備満載のジャケットを外し、エプロンを身につけてはたきを手に持っているが、あきらかに、クリスとパーシヴァルの知っている男、だった。
「ナッシュ!」
「わぁっ!」
 がん! というすさまじい音がして、玄関に剣が二本勢いよく刺さる。その下では、今正に間一髪で命拾いをした男が地べたにはいつくばっていた。
「貴様……こんなところで何をやっている、何を!」
「い、家の片付け〜……え、えへ?」
「30過ぎのオヤジがかわいいポーズをつけてもダメですよ!」
 短剣片手に近寄るパーシヴァルから、ナッシュは慌てて逃げる。
「何をやってるって聞きたいのは俺のほうだよ! せっかくトーマスに調べてもらって家を紹介してもらったっていうのに、なんでお前ら二人が来るんだよ!」
「ここは私の実家です!」
「フロイラインなんて名前は……あれ? まさか」
「庶民の出ですからねえ……フロイラインの家名は私が騎士になったときについたものです」
「そりゃ反則ってもんだろうがー!」
「貴方の女性関係のほうが反則でしょうが!」
 男二人は、口げんかをしながら、かなりきわどい攻防を繰り返している。パーシヴァルの母は、息子の暴走に笑いながら呆れた。
「あらまあ、クリスさん、あの二人知り合いかい?」
「私も含めて、仕事で少しありまして……その、ことと次第によっては私もナッシュを締め上げたいところなのですが」
「つくづく男にもてぬ奴じゃのう」
 旦那が結構なピンチだというのに、シエラはくすくすと笑った。
「締め上げたいって、何かあったのかい?」
「いえその……」
 クリスは、ちらりと少女を見やった。
 先ほどはとっさにキレて剣を投げてしまったが、身重の少女の前で「ナッシュには実はつきあいの古い奥方がいるらしい」とか「湖で真っ白な肌の美少女と逢い引きをしていたらしい」とかそんな話をしていいものか。
「ナッシュの『奥方』のことかえ? それとも壁新聞のことかえ?」
 くすくす、と少女が笑いながら言う。驚いて絶句したクリスを見て少女は更に笑う。
「いろいろと誤解があるようじゃがたいしたことではない。どれもわらわのことじゃ」
「え?」
「なにシエラちゃん、あたしには秘密のことかい?」
「ナッシュのような男にわらわのようなよい妻がおるのが信じられぬらしいのじゃ」
「あらあら、結構お似合いなのにねえ」
「お似合いとかそういう話ではなくて……その、歳が」
 先ほどからの肝の据わりようから、少女がかなりいい性格をしていることはわかる。似合うという感想も、まあ納得できないことはないが、それでもやはり少女である。
「言っておくが、この中で一番の年長者はわらわじゃぞ」
「……は?」
「それより、あの二人をいいかげん止めた方がよさそうじゃな」
 クリスの疑問など、意に介さず、シエラは手をすっと挙げた。見慣れた紋章魔法の光が少女の手に集まる。
 不毛な争いを続ける男二人に平然と雷を落とすその姿に、クリスは思考を放棄した。



「……あの、いくつか聞きたいことがあるんですが」
 シエラの雷に喧嘩を中断され、強制的に家の掃除を始めることになったパーシヴァルは、棚を持ち上げながらぼそりとつぶやいた。
「何だよ」
 棚の反対側を持つナッシュが、雷ですすけた顔をゆがめながら答える。
「なかなか、奥深い奥方でいらっしゃるようですが、一体どういったご関係の方なのですか?」
「あ〜……まあ、なあ」
 ナッシュはちらりと部屋の隅で横になっているシエラを見やった。その隣では、クリスが食器を整理しながら彼女の面倒を見ている。パーシヴァルの母は、必要なモノがあるから、と自宅に一旦帰ってしまっている。
「私も、腑に落ちないことがいくつもあるのだが」
 食器を持ったまま、クリスも眉間に皺を寄せた。横になったままシエラが笑う。
「じゃろうな。よいよ、ナッシュ。どうせ子が生まれるまではここの大家殿とは家族同然の暮らしをするのじゃ。彼らも親戚のようなものじゃろう」
「まあシエラがいいって言うんならいいけど」
 どん、と棚を降ろしてナッシュはそこに寄りかかった。
「ナッシュ殿?」
「まあアレだ。単刀直入に言うと、俺のいつも言ってるカミさんと、壁新聞の少女と、そこにいるシエラ、全部同じ人間だってことだよ」
 新聞通りの白い肌の美少女だろう?
 そう言われて、クリスは首をかしげる。
「そうすると年齢が合わないだろうが。お前の口ぶりでは相当昔からシエラ殿と知り合いのようだが、彼女はどう見てもまだ二十歳前じゃないか」
 その言葉に、シエラはこらえきれない、と笑いだした。
「おんしも宿しておるというのに、意外に考えが及ばぬもののようじゃのう」
「私も宿している……って、え? もしかして貴女も真の紋章を?」
「おんしのように、ただの属性の紋章であればよかったのじゃがな」
 シエラが右手をクリスに差し出した。そこには青白く光る月の紋章がある。
「月……? ということは貴女は吸血鬼の」
 パーシヴァルの言葉は最後まで続かなかった。吸血鬼の始祖が身ごもっているというこの状況が信じられなかったのかもしれない。
「このことはハルモニアの本国は知っているのか?」
「知ってるわけないだろ。あそこの紋章に対する執着は半端じゃないんだから。実を言うと、ここにシエラがいるっていうか俺が知り合いだっていうことすら危険な話だったりするんだけどな。……まあ、ササライが知ってて握りつぶしてくれてるっていうのもあるけど」
「いい上司を持ったな」
「ぎりぎりのところでだけ運がいいんでね」
 ナッシュは苦笑した。
「そうか。……しかし、真の紋章を持っていても子供は産めるんですね」
「おんしの父も紋章持ちではないかえ」
「その、父の場合は父親でしたから。母親となるとまた別かと思ってまして」
「半分死んでいるわらわでも子ができるのじゃ。それなりに紋章の影響はうけるじゃろうが、体が変質しておらぬ限りは普通のお産と変わりないじゃろうよ」
「死んでって……シエラ殿」
 クリスが困ってシエラを見る。シエラは笑った。
「わらわは吸血鬼じゃからのう。トウタによると、生きて産まれてくるかどうかは半々じゃそうじゃ」
「で、更に正気で産まれてくるかが半分」
 ナッシュの軽い口調の付け足しに、パーシヴァルさえもが顔を引きつらせた。
「それは……」
「うん、危険だな。だけど、産まれる前に命をつぶすようなことは、したくなかったんだ」
 ナッシュの声は、静かだった。シエラも幸せそうに微笑んでいる。
「産まれた先に、悲劇が待っているかもしれない。けど、俺は……俺たちは子供に産まれてきて欲しいんだ。悲しみも、喜びもその先にしかないから」
「まあ、悲劇が起こったとしても、半分重荷を持ってくれる荷物持ちはいることじゃしの」
「そうだな」
 穏やかに笑い合う二人に、クリスとパーシヴァルは完全に言葉をなくして沈黙した。



「ちゃんと産まれてくるといいな」
 イクセからビュッデヒュッケ城へ戻る途中、クリスがぽつりとつぶやいた。片付けのあと、フロイライン家で夕食をとったため、もう辺りは真っ暗となっている。
「ナッシュのことですか?」
「ああ。せっかく起こった奇跡だから、幸せになってほしい」
「そう、ですね」
 クリスの隣で馬に乗っているパーシヴァルが静かに答える。真の紋章を持つ母親……珍しい状況だが、クリス達にとっては他人事ではない。ふとクリスが笑い顔になった。
「クリス様?」
「いや、子供が生まれたらナッシュは絶対子煩悩になると思ってな」
「そうですか?」
「ああいう女たらしに限って、子供が生まれると甘くなるんだ。断言していいぞ」
「じゃあ、産まれてきたあとのナッシュ殿をじっくり観察させて頂くことにしますよ」
 容赦のないパーシヴァルの物言いにクリスは笑う。
「絶対そうだって……と、そういえばお前も女たらしか」
 ナッシュとひとくくりにされた上に、女たらし(このへんは自業自得だが)呼ばわりされて、パーシヴァルは眉間に皺をよせた。
「その件については、随分前に貴女とつきあった時点で足を洗ったはずですけどね。……でしたらこの戦争が終わったあとにでも実地に観察してみることにしますか?」
「え?」
 クリスは馬を歩かせる手を止めた。
 父親となるパーシヴァルを実地に観察するということは。
「いかがですか? クリス様」
「それは、それでいいかもしれないな」
「でしょう?」
 にっこりと笑うパーシヴァルを直視できず、クリスはそのまま城まで馬を全力で走らせた。
 

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