祈願

 かみさま、お願いします。

 かしゃん、と軽い音をたてて俺はスパイクを手に装備した。
 腕にかかる慣れた重み、わずかばかりの拘束感。
 長年の相棒であり、戦いの命綱でもあるこの武器はあいかわらず違和感なく腕になじんでくる。
 腕を伸ばして構えると、寸分の狂いもなく照準が的へと合わさった。
「……よし」
「精が出るね」
 いつのまに来たのやら、戦闘直前の工作員の背後に回るなんて危ない真似をする上司の声に、俺は振り向いた。
「柄にもなく集団戦闘なんかに引っ張り出されてしまいましたからね。できるだけ装備を調えておかないと」
「運悪いからねえ、君。ちゃんとチェックしておかないとスパイクが詰まったりとかしそうだもんね」
「縁起でもないこと言わないでくださいよ」
「気にするクチでもないだろう?」
「気になりますよ。で、ササライ様こそここで油売ってていいんですか? 貴方指揮官でしょうが」
 俺の指摘に、ササライは微笑んだ。
 グラスランドの北、古代の英知が封じ込められたシンダルの遺跡近くに俺たちはいる。
 遺跡では、このグラスランドと周辺国全てを巻き込んだ戦争を起こした魔法使いルックが魔法陣をしいて、この世界を壊すほどの魔法を行っている。これから始まるのは、彼を止めるための一大決戦だ。
「作戦はシーザーと打ち合わせずみだし、準備のほとんどはディオスがやってくれるから大丈夫! もともと僕の武器は指輪だから今更装備の確認するまでもないし」
「とか言っておいて、指輪を宝石箱に置き忘れたりしてないでしょうね?」
「そんなことは……あれ、指輪が一個ない」
 自分の手をまじまじと見た神官将様は、のんきにそう言った。そのあまりに平然とした様子に俺はこけそうになる。
「何やってるんですかあんたは! 魔法使いが杖がわりの指輪なくしたらただの人でしょうが!」
「大丈夫だよー。ディオスが大抵スペア持ってるから」
「普段からスペア持たすようなことしないでください」
「特に問題ないんだからいいじゃない」
「問題おおありですよっ」
 俺の怒鳴り声など意に介さず、ササライは自分の服のポケットを探り始めた。……そんなところに、魔法使いの杖をつっこんでおくなよ。っていうか、小型化してる分、あの指輪は目が飛び出るほど高価だった気がするのだが。
「ないなあ……あれ? こんなものが出てきた」
 がさごそ、と乾いた音をたててササライのポケットから出てきたのはくしゃくしゃになった……俺の辞表。
「あー、ないと思ったらここだったか!」
「ここだったかじゃないでしょうが……あんた人が一大決心をして渡したもんそんなくしゃくしゃにしないでくださいよ」
 俺は急速にこの上司を絞め殺したくなってきた。
 ササライは、人の気持ちの詰まった文書をひらひらとうちわよろしく振っている。
「だってさー、受理したくないんだもん。……っていうかさ。君、本気?」
 本気、というその言葉になった瞬間、ササライの声が低くなった。ひやりと伝わるササライの真剣な表情。
「本気ですよ」
 俺は、おどけた笑い顔をひっこめて、ササライに向き直った。ササライは無表情だ。
「人を殺した……その血も乾かないような手で子供抱くわけにはいかないでしょう」
「いきなり家族想いだね」
「今度こそ、大事にしたいんです」
 俺は、一度家族を壊した男だから。
「そう。じゃあ戦が終わったらさよならだね」
 つい、とササライが視線をそらした。体を翻した瞬間、勢いがついたのか、手に持っていた辞表が落ちそうになる。
 いいかげん、ぞんざいに扱うのはやめろと言いかけて、俺は言葉を飲み込んだ。
 ササライの手がわずかに強ばって震えていた。
(ああ、そうか……)
 唐突に理解した俺は軽い罪悪感を覚える。
 ササライは、辞表をわざとぞんざいに扱っていたのだ。
 俺を手放したくなくて、辞表を処理できなくて、結局ポケットに突っ込んで忘れたふりをして。
 こき使われてたけど、俺はこの腹黒上司に気に入られていたらしい。
 紋章持ちっていうのは、なんでこうも素直じゃないのばっかりなんだろうなあ。
「ササライ様」
 俺はササライに近付くと、奴の頭に手を置いた。なんだか弟にでもするみたいに。
「来年の春になったら子供の首も据わると思うんですよ」
「……は?」
「そしたら、会いに行きますから。一緒に」
 ハルモニア国内ではむりでしょうけどね。
 そう言って笑うと、ササライは勢いよく俺の手をはねのけた。真っ赤になってむくれているのが十代の子供みたいで笑える。
「それは会いに来るって言わないよ! 全く、僕に見舞いに来させる気かい? 態度のでかい奴だな!」
「ええ、そうなんです。知りませんでしたか?」
「知ってて雇った僕の器の大きさに今びっくりしてるところだよ!」
 怒鳴るササライに、どうしても笑うのがやめられなくて苦しがっていると、ディオスが呼びに来た。
「ササライ様ー、出陣前の祈りの儀式、そろそろお願いします」
「もうそんな時間? ああもうナッシュに関わると時間の浪費だ!」
 ずんずん、と兵達へ向かって歩いていくササライにディオスが目を丸くする。
「ナッシュさん?」
「ちょっとした痴話喧嘩。それよりディオス、スペアの指輪用意したほうがいいぞ。ササライ様指輪を一個忘れたそうだから」
「……あー……やっぱり。出るときにダッシュボードの上に謎の指輪が一個あったのでもしやとは思っていたのですが。わかりました、出しておきます」
 ポケットを探りながら、ディオスが駆け出す。見送っていると、ササライがくるっと振り向いた。
「しょうがないから、君のことも祈っておいてあげるよ! シエラ様のためにね!」
「お気遣いいたみいります!」
 力一杯地面を踏みしめて、ササライは歩いていった。そこでは出陣前の緊張に包まれたハルモニア兵が彼を待っている。
 ハルモニア神聖国という宗教国家は戦の前に雄叫びを挙げるのではなく、祈りを捧げる。
 神官将の采配のもと、兵達は勝利を祈り、生き残ることを願い、そして神の兵となるのだ。
 彼らを導くのが筋金入りのリアリストのササライだというのが、少々矛盾しているが。
 慣れた手つきで、優雅に祈りを捧げるササライに合わせ、俺もその場で軽くハルモニア式の祈りの形をとった。
 祈る先は、国の主ではない。
 祈ることも、国の利益ではない。
 ただ、この戦で生き残ることを、どこかにいるかもしれない、俺に不運ばかり運んでくる神様に。
 これから始まるのは戦争。
 歴戦の勇者でも、新兵でも等しく死の洗礼が与えられる。
 きっと誰も死なないなんてことはないだろう。
 けれど、俺は生き残りたい。
 俺は目を閉じた。
 神がいるのなら、願いを聞いて欲しい。
 この先何があっても、どんなことになっても、俺はシエラと、彼女の子供を護ると誓うから。
 だから、神様。
 俺に生きて、子供を抱かせてください。
「キメラ兵、来ました!!」
 おお、という兵達の叫び声によってもたらされた戦の開始の合図に、俺はゆっくりと目をあけていった。

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