旅路

 静寂は度が過ぎると耳鳴りに変わる。
 村に入った瞬間、俺はそんな言葉を思い出した。
「意外に残ってるもんだな……」
 誰に聞かせるともなく、俺はつぶやいていた。あまりにも静か過ぎたから、音が欲しかったのかもしれない。
 デュナンの城を出て一月。宰相シュウの推理どおりの場所に俺は立っていた。深い森を抜けて一歩敷地に入ったとたん、沈黙に支配された瓦礫の村が俺を迎える。確かめなくとも、そこが蒼き月の村だということが分かった。
 呪いを外に撒き散らさぬためだろうか、それとも村の主が、その建物の朽ちることを嫌ったためだろうか、結界の張られたそこは何百年も放置されていたにもかかわらず、自然の木々や草に飲み込まれたりはしていない。
 村の中央まで来ると、月の紋章が刻まれた祠があった。
 昔は、ここにあったんだな……。
 しかしもうそこから力を感じることはない。
「さて、どうするかな」
 一面の静寂。
 それは、尋ね人がここにいないことを示していた。
「ティントに行くか……?」
 そこにはカーンがいると思われる。
 てがかりのなさに、少々落ち込んだときだった。
「物音……?」
 比較的原型をとどめている、石造りの家からだった。近づいてみると、この家だけ、最近補修された痕がある。
(シエラ……の、家か?)
 そっと、近づいてみる。
 確かに物音がしていた。ごとごとという、何か重たいものを動かす音。
 勝手口をゆっくりと開け、中をのぞいてみる。奥から、やはり人の出す物音が続いていた。
「シエラ……」
 中に入り、声をかける。そこには白い女ではなく、黒ずくめの男がいた。
「残念、私です」
「カーン? あんたか!」
 俺は二の句が継げなかった。ここの村を知っているのはてっきりシエラだけだと思っていただけに、ショックが大きい。ここで違う人物に会うなんて……。
「すいません、驚かせてしまいましたね」
「なんで……?」
「マリィ家は、古くからシエラ様と親交がありますからね。協力するうちに、この隠れ里のことも教えてもらっていたのです」
「はあ、なるほど」
 なんだか、力が抜けてしまった俺はその場に座り込んだ。
「そういえば、ナッシュさんはどうやってここに?」
「デュナンに行ってね。シュウの入れ知恵さ」
「シュウさんの? あの人も侮れませんねえ」
 カーンは、俺が入ってきたために中断した作業を再開し始める。荷造りのようだ。
「カーン、あんた何やってるんだ?」
「不必要なものを、封印してしまおうと思いましてね」
「封印?」
 そういわれれば、荷造りは随分厳重で、包み紙には魔方陣も描かれている。
「ネクロードを倒し、最後の吸血鬼を屠ったことで、マリィ家はヴァンパイアハンターを廃業することになりましてね。それで始祖様からいろいろとお借りしていた破魔の道具をお返ししようということになったんです」
 吸血鬼がいなければ、無用のものばかりですから。
 そう言って、カーンは荷造りを続ける。
「なあカーン……」
「なんですか?」
 俺は駄目でもともと、一応聞いてみる。
「シエラの居所とか……知らないか?」
「さあ? 知りませんねえ。気まぐれなお人ですから」
 予感的中。俺はがっくりとうなだれた。くす、とカーンの笑いが俺に刺さる。細くともつながっていたはずの手がかりの糸がここで完全に途切れたわけだ。激しい脱力感に、ため息が出る。
「よければ、これを祠に運ぶのを手伝ってくださいませんか?」
 カーンの言葉に、俺は諾々と従った。



「お味はどうですか?」
 祠に荷物を運び終え、俺は、唯一残る家の中でカーンの手料理をぱくついていた。運びながら聞いたところによると、この家はやはりシエラの家なのだそうだ。マリィ家の者が、吸血鬼を倒したり、何かシエラに用があって訪れたときに宿泊施設として使用することが許されているのだという。(ただし、二階の一番奥の部屋だけは入ってはいけないと厳命されているのだそうだ)
「うまいよ。へえ、香草をこんなふうに使うんだ」
「マリィ家秘伝の作り方です」
 俺は遠慮なくカーンの作った料理を腹に収めていく。と、マリィ家で思い出した。
「そういえば、あんたはこれからどうするんだ? ヴァンパイアハンターの技は、もう全部封印するんだろ?」
「ええ。ですからティントで鉱山の勉強でもしようかと思って」
 ヴァンパイアを追って坑道を駆け回っていたら、すっかり鉱山に詳しくなってしまいまして。カーンは笑う。
「ここへ来るのも、今回が最後でしょう。……ああ、そうだ。忘れていました、貴方にこれを差し上げましょう」
「ん?」
 カーンがポケットから何かを取り出した。チェーンのついた、蓋つきの懐中時計のようなそれは、中に時計ではなく絵が一枚、収められていた。
「ミニアチュール(細密画)……」
「きれいでしょう?」
 モチーフは、シエラだった。描かれたのは随分昔のことなのだろう。色あせたシエラはこちらへ向かって微笑んでいる。
「マリィ家に伝わる品です。どんなに人が代わっても、始祖様をお探しし、力を貸して差し上げることができるように、と私どもの方で作らせて頂きました」
「へえ……あいつ、こういうのは好きじゃなさそうなのに」
「ですから、数は少ないんですよ」
「え? いいのか、そんな大切なもの」
「実家に帰ればまだ何枚か額縁に入っているやつがあるからいいんですよ。生活が落ち着いたので、持ち歩く必要がなくなったということです」
「しかし」
 そうはいっても、貴重なものだろう。マリィ家にとっては大切な絆だ。俺が返そうとするのを、カーンは押しとどめる。
「いえ。お持ちください。今これを必要としているのは貴方だ」
 にんまり、と笑いかけられて。
 俺は奪い取るようにその絵を受け取った。
「あのなあっ、何を勘ぐって……って、今更か」
 月の村くんだりまで追いかけてくる男が、まあ友達なわけないことは明白で。俺はしぶしぶ認める。カーンは笑っていた。
「私は少し、貴方がうらやましいですよ」
「うらやましい?」
「ええ。ここだけの話、私の初恋はシエラ様でしてね」
「え?」
 驚く俺を見て、すくすとカーンは笑っている。
「成立しませんでしたねえ、さすがに。シエラ様の中で私はいつまでも「マリィ家のはなたれ小僧」ですから」
 これは、ご愁傷様というべきかどうするべきか。
「だから、貴方はとてもうらやましい。あの方が頼ることのできる位置にいますからね」
「頼るっていっても、俺は置いてきぼりにされたクチだ」
「それは、そのまま一緒にいると、ずるずる頼りそうだったからでしょう。あの方らしい」
 カーンはスープを飲み干すと、立ち上がった。
「あ、後片付けは俺がやるよ」
「じゃ、お任せしましょうかね」
 食器を持っていこうとするカーンを、俺は呼び止める。代わりに俺が、食器をまとめると台所へと移動する。
「ナッシュさん」
「ん? 何」
 振り向くと、カーンは晴れやかに笑っていた。
「私たちヴァンパイアハンターがその役目を終え、シエラ様の前から消えていくことを、少し、心苦しく思っていたのですが、その心配はないようですね」
「おい……そうなるかどうかは分からないぜ? 再会もしてないし、大体約束だって何もしてない」
「いえ、大丈夫ですよ」
 カーンは余裕だ。
「ここで貴方と私が会えたのです。シエラ様と貴方が会えないということはないでしょう。きっと、あなた方の道はまた一つになると思いますよ」
「その勘が当たるといいけどな」
 俺は食器を洗いながら、ため息をついた。



手がかりがなくなってしまいました
それでもまだまだ旅は続く
次回はビクトールとフリックに拾われて説教を食らってる予定
>ビクトールでも見ておくか
>帰るわよ!