岐路

 ロックアックスから東に少し移動したところ、街道の村で、俺は男二人と一緒に食卓を囲んでいた。
 一人は、筋肉の鎧をその身に纏った三十がらみの大男。もう一人は、青いバンダナを始め、マントやら服やらを青で統一した、ハンサムな青年だ。彼らとは、この近くの森で出会った。
 蒼き月の村をでて、あてもなくうろうろしていた俺が森に差し掛かったところで、青いマントの青年が怪我をして、二人が立ち往生しているところに出くわしたのだ。会ったところをこれ幸い、と大男の方に「あんたこの前殴り倒した兄ちゃんだろ?」と捕まえられ、救助を手伝わされ、お礼に、と食事をおごってもらっている。懐が寂しくなってきた俺としては、結構喜ばしい状況だった。
「いやー、あんたが優しさの雫札をもっててよかったよ。村人の依頼で森に巣くうモンスターをやっつけにいったはいいが帰り道にカズラーの群生地に迷い込んじまってさ。こいつ、カズラーの目にはうまそうに見えるのか、まあ飲まれる飲まれる。ボスを倒して紋章も札も使い果たしてたところだったから、実はかなりピンチだったんだ」
 わはは、と大男は笑う。それは、笑い事じゃないだろう。
「だから、近道なんてことをせずに道なりに帰ろうって言ったんだ……人の話をきかないんだからなー」
 悪かったって、と全然そうは思っていない口調で大男は謝る。青年のほうはため息をついた。日常茶飯事なんだろう。
「そういや兄ちゃん、名前をきいてなかったな。俺はビクトール」
「俺はフリックだ」
 言われて、俺は驚く。見つからないと思っていた手がかりの一つだったからだ。
「傭兵ビクトールに青雷のフリック?」
「お、兄ちゃん物知りだねー。そう、俺がビクトールさ」
「調子に乗るなよ」
 意味もなく胸を張るビクトールをフリックが制する。彼らの名前は戦場では有名だ。それに、先日読んだ「決戦ネクロード」にも登場している。
 しかし、男の俺から見てもイイ男の部類に入るフリックが絶世の美男子扱いされているのはともかくとして、美青年として、シエラと乙女チックワールドを形成していた男が、目の前の大男かと思うと、今更ながらマルロの文才に疑問を感じてしまう。
「マルロ・コーディー作の決戦ネクロードを読んで、名前は」
「ああ、マルロの本か! へえ、もう出版されてたんだ。俺は書いてる最中にデュナンの城を出たから内容は知らないんだ」
 ビクトールは上機嫌で笑う。
「どんな風に書かれているか、少しどきどきしていたんだが、そうか、どこかで見かけたら買っておこう」
 フリックのほうも楽しそうだ。俺は足元に置いてあった荷物から本を引っ張り出す。
「俺はもう読んでしまったから、古本でよければどうぞ?」
「いいのか?」
 フリックは遠慮がちに俺を見る。
「何回か読み返したから大体内容は覚えた。それに元々俺もただで手に入れたものだし」
 更に言うなら、この二人がこの本を読んでどんな反応をするかも少し見てみたかった。絶対笑うって、これ。
「サンキューな! ええと」
「ナッシュだ」
 今度は、二人が驚く番だった。
「ああ、ナッシュっていうともしかして金髪ナンパ男のナッシュか? あー、言われてみれば随分甘ったるい顔してるもんなあ」
「ビクトール、初対面の人に失礼だぞ」
 フリックの言葉に、わりーわりー、とビクトールはまた全く誠意のない謝り方で謝る。それから、おもむろに俺を眺めたかと思うとにへら、と笑った。
「何だ?」
「いや〜〜? シエラもいい趣味してるな、と思ってね」
 そしてくつくつと笑っている。どういう意味だ、それはっ。
「全く……人の悪い。ナッシュ、気にしないでくれ。こいつはおせっかいっていう不治の病に侵されててね。ときどき症状が悪化するとこうなるんだ」
「なんだよー、そのおかげで女とつきあえたくせにー」
「あれは七割方俺の努力だ!」
「でも三割は俺だろ?」
「三割はまた別だ」
 フリックがすげなく言い放つと、ビクトールはフォークをくわえたままいじけ始めた。
「あの……?」
「あれは放っといていい。復活するとまた面倒だから」
「面倒って言うな!」
「……充分面倒じゃないか……」
 ふう、というフリックのため息をビクトールは無視する。
「しっかし奇遇だな。こんなところでシエラの知り合いに会うなんてさ。あいつ、元気にしてるか?」
「いや、荷物持ちをお払い箱になってから会ってないんだ。あんた達こそ、行方を知らないか?」
 ビクトールは意外そうな顔になる。
「あ、そうなの? あいつ珍しくお前さんのこと気に入ってたみたいだから、戦争が終わった後てっきり拾いにいったものとばかり思っていたが」
「すまないな、ナッシュ。俺たちもあの人の居所は知らないんだ。なにせ気まぐれな人だったから……人の暮らしを眺めたいとは言ったから、どこかの街を歩いているとはおもうんだが……手がかりにならないな」
 すまなそうなフリックに向かってだけ、俺は謝る。
「いいって。あのオババのことだし」
「オババ! あいつにそう言ったのか? お前勇気あるなー」
 シエラをオババ呼ばわりするのはシュウとフー・タンチェンくらいだぜ、とビクトールは笑う。俺がナッシュだと聞いてから、ビクトールは何故だかずっと上機嫌だ。
「ビクトール、いいかげんやめないか」
「だって面白くてさ」
「面白い?」
「シエラとは飲み友達だったんだが、酔ってお前のことを口にするとなあ、本当、不機嫌になるんだよ。で、そのことをつっこむと、また不機嫌になる」
 な、面白いだろ? とビクトールは俺に同意を求める。だったら、どうしたって言うんだよ。っていうかどう反応しろと?
 しかし、ビクトールは俺の返答を必要とはしていなかったらしい。そのまま話を続ける。
「だから、俺はあんたがシエラに再会するといいな、と思ってるわけだ」
「だからって……あんた何か誤解してるだろう? 俺はあいつにとって別に」
「特別さ。がんばれよ、青少年」
「あのなあ!」
 ビクトールとの問答に、俺が苛ついたときだった。
「ナーーッシュ! ナッシュ!」
 宿の入り口から、金切り声と羽音が聞こえてくる。見ると、見慣れたシルエットがこちらに飛んでくるところだった。
「ドミンゲス?」
 一度、レナにだけ無事を伝えておこうと離した俺のナセル鳥だ。ドミンゲスは、俺の所まで飛んでくると、差し出した腕にちょこんととまる。
「ナッシュのペットか?」
「まあそんなところだ」
「ナッシュ! タイヘン! ユーリ! ユーリ!」
「ユーリ?」
 俺はぎょっとして聞き返した。ユーリが、大変だと?
「ユーリ! タイヘン!」
「ちょ、ちょっと……」
「お客さん! 店の中に動物を入れられちゃ困るんだけどね!」
 手紙を受け取ろうとした俺に、おかみの声がかけられる。俺は立ち上がった。
「少し、席を外してくる」
「ああいって来い。でもさっさと帰ってこなかったら飯はなくなってるぜ?」
 ビクトールのいたずらっぽい笑みに送られながら、俺は店から出た。出てくるついでに持ってきたパンをドミンゲスにやりながら手紙を広げる。そこには、見慣れたレナの字でこう書かれていた。

「ナッシュ、生きているか?
 こっちは大体落ち着いたんだが、今回の事情を大体知ったユーリがお前を探しに行くといって家出した。
 世間知らずのユーリのことだから、まだ近くをうろうろしていると思うが、心配だ!
 とにかく、ユーリが無茶をする前にお前がさっさと帰って来い!」

 ぐしゃ。
 文面を見た俺は、思わず手紙を握りつぶしていた。
「ユーリが、家出だあ?」
 そんなことをする娘ではなかったはずだ。人に護られるべく生まれてきて、人に護られることで生きている、そんな娘なのに。それが、家出。
 あの事件でショックをうけているだろうとは思っていたけれど、まさかそれがこんな方向で出てくるなんて思わなかった。
「……〜〜〜っ!」
 俺は声にならない叫びをあげてうっとおしい自分の金髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
 どうしろっていうんだ。
 ユーリには、会えない。婚約者を二度も殺した兄貴が、どの面さげて会いに行こうっていうんだ。そんなこと、できない。
 けれど、ユーリが俺に似て頑固なところがあることも知っている。多分、こうと決めた以上、妹は最低一年は家出を慣行しつづけるだろう。その間に、どんな危険が待ち受けているやら、想像しただけでも恐ろしい。
 バサ。
 ドミンゲスが飛び立つ羽音に、俺は我に返った。
 一晩、考えてみよう。なにかいい作戦がおもいつくかもしれない。
 夕食を途中にしてきたことを思い出して、俺は店へと戻った。
「お、鳥はどうしたんだ?」
 中に入るとビクトールとフリックがまだ食事を続けていた。ちゃんと、俺のぶんの夕食が残しておいてある。
「放してきた。そのうちまた戻ってくるだろう」
「頭がいいんだな……」
 フリックはコーヒーを飲みながら感心したようにそう言う。食事を再開した俺へ向かってビクトールは身を乗り出した。
「で? 本当にユーリとかいう人になにかあったみたいだな。大丈夫か?」
「……俺、そんな顔をしてるか?」
 ポーカーフェイスには自信はあったのだが
「まあな。世界の終わりって顔してるぜ? それに、そんなレッドペッパーを山盛りかけてグラタン食う奴は普通いないしな」
 言われて手元を見ると、クリームグラタンが真っ赤になっていた。
「あ……」
 自分で思っている以上に、俺は動揺していたらしい。まいったな、冷静にならなきゃいけないのに。
「ま、落ち着けや」
 ビクトールが、俺にコーヒーを差し出した。俺は素直に受け取る。
「ユーリっていうのは誰だ? 恋人ってことはなさそうだが……」
「妹だよ。俺のことを探しているらしいんだが、正直あいつには合わせる顔がなくてね」
 自嘲気味に笑うと、フリックに肩を叩かれた。
「そうか、ならちゃんと会ってやったほうがいい」
 強い口調に、俺は戸惑う。
「しかし」
「会うことを、望まれているのだろう? なら、向き合うべきだ」
「フリック……」
「人には死というものがある。昨日生きていた人間が、次の日にはもういない、なんてことはざらだ。このまま避けつづけている間に相手が死んだら…………絶対後悔するぞ」
 俺は、反論できなかった。なぜなら、フリックの言葉には抗いがたい重みがあって。
 黙っていると、ビクトールが笑った。
「だな。生きているうちのわだかまりも、何もかも、死んでしまえば全部無駄になっちまう。あとに残るのは、ただ、本当に空しい気持ちだけだ」
 彼の笑いは今までと違って、からからに渇いていて。
 俺は、彼ら二人が同様に何か大切なものをどこかでなくしてきたのだということを知った。原因は、恐らく死。
「悪いことは言わん。会っておけ」
 ビクトールにも肩を叩かれる。
 俺はぎこちないながらも、なんとか、頷いた。
「よーし、となったらちゃっちゃと食って、ちゃっちゃと休んで出発に備えるんだな! ほれ、食え!」
「わっ、ちょっとそれさっきのクリームグラタン!!」
 真っ赤なグラタンを差し出すビクトールに、俺は全力で抵抗した。



風はまた違う方向に吹きはじめました
どうなることやら

>慌てて帰るナッシュを追う

>帰るわよ!