旅程

グラスランドを抜け、グリンヒル経由で俺は六角城に来ていた。デュナン湖のほとりに建つそこは、予想していたよりもずっと大きく、ずっと栄えている。もともと寄せ集めの軍隊だったというその噂どおり、街には人種を問わず人があふれ、皆商売やら生活に夢中だ。ここ数日滞在しているだけだというのに、俺もその熱気に飲まれてしまいそうになる。
「いるだけで楽しそうな街だなあ……」
 通りを横切る子供達や動物を見ながら俺は顔をほころばす。
 とはいえ。
 あまり笑ってもいられないことも確かだった。
 詳しい情報を求めてとりあえずデュナンに来てはみたものの、本に登場していた盟主カツミを筆頭に、ビクトール、フリック、カーンといった面々は、すでに旅立った後だった。話を聞こうにも、その行く先を知っている者はいない。
 一応所在のわかる手がかりとしては作者のマルロだが、彼はまた更にここからは遠いティントに住んでいるらしい。それにあの脚色だらけの本を書くような人間だ。どこまで真実を知っているかはかなり疑わしい。
(あの本のシエラは本当に可憐な美少女だった)
「一応図書館をあたってみて、次はティント……かな?」
 そうつぶやいた俺は、反射的に身をかわした。
「!」
 目の端に、今まで俺がいたところを炎がないで行くのが捕らえられた。俺は身をかわした勢いをそのまま殺さずに転がって間合いを取る。構えて見据えると、そこにはローブ姿の男が立っていた。
 けばい男……。
 第一印象はそんなところだろうか。顔の造作は、少々派手だが悪くはない。背中まである栗色の巻き毛は、ボリュームがあり、少し鬱陶しそうだ。呆れたことに、彼の両の手には炎がまとわりついていた。紋章術の一種だろうが、珍しい使いかただ。
「我が鉄拳をかわすとは、なかなかやるな」
 にや、と男が尊大に笑う。
 なんだなんだなんだ、こんなところで狙われる覚えはないぞ。
 ハイランドならともかく、都市同盟でなにかいざこざを起こした覚えはない。
「おい待ってくれ、俺は何も……!」
「問答は無用だ。それは俺の仕事じゃないんでな。そういうことはあいつの前で言ってくれ」
 ひゅ、と風をきって男はこちらに向かってきた。格好はけばいが、腕はたつようだ。炎をマントでかわしながら俺はさがる。
「く……」
 拳は次々に繰り出される。炎をまとう彼の攻撃は、一撃でもくらえば命取りになる……が、早い。さっき後ろからの攻撃をかわせたのは奴が本気じゃなかったからだろう。
「だあっ」
 拳を剣ではじく。なぜか奴の拳は硬い音を立てて跳ね返った。
「人間の拳かよっ、それ!」
「ふふふ、わが鉄拳は鉄よりも硬いのだ!」
 そんなのの相手はしたくないぞ!
 なんとか逃げ道を探そうとした俺の背後から、誰かが走ってくる気配がした。
「何?」
「ザムザ殿〜〜〜〜〜〜。私も助太刀しますぞ〜〜〜〜〜〜〜〜」
 叫びながら走ってくる男の姿は、また俺が絶句するのに足るものだった。
 辮髪、というのだろうか。頭のてっぺんをのこしてあとは全て剃り、残った毛を長く伸ばして三つ編みをするという南方独特の髪型に長い口ひげ。服は上がピンクで下はグレーというすさまじいファッションセンスだ。
「ロンチャンチャン! 邪魔するな!」
「なにをいってるんです! 助け合いは必要ですぞ! ホワチャアアアアア!」
 なんだその叫び声は。そんな突っ込みを入れている余裕は、実はなかったらしい。人間業とは思えない勢いで地面を蹴ったその辮髪男はものすごい勢いの飛び蹴りをかましてくる。
「わ……あっ」
 ザムザとロンチャンチャンに取り押さえられながら、俺は心の中で叫んだ。
 こんな人間離れした連中の相手なんか、してられるか!!!!!





「ふむ……ハルモニアも人材不足なんだな……」
 やれやれ、と俺の目の前で男が一人大仰にため息をついて見せた。
 男の名前はシュウ。盟主が放浪の旅に出ている現在、国を預かり切り盛りをする役目を預かっている宰相だ。まだ三十はいっていないだろう。だが長い黒髪をきっちりとまとめ仕立ての良い服をすんなりと着こなしたその姿には一分のすきもない。恐らくかなりのやり手だ。
 ザムザたちに取り押さえられたあと、牢屋に入れられるのかと思った俺は、何故か宰相の執務室につれて来られていた。今の護衛は俺の後ろに立つザムザだけ。一応仮とはいえ同盟の盟主のくせに無防備だとも思ったが、ザムザは実際使える奴だし、それを倒したとしても城内にはさっきの辮髪男の弟子やら、術一つで湖の形を変える魔法使いやら、人間離れした連中がうようよしているので、逃げられはしないそうだ。それを聞いて、実際、俺も戦意をなくした。あんなのともう一戦やりたくはない。
 シュウはこつこつと机を軽くたたく。
「なにもここまでわかりやすいスパイを送ってこなくてもなあ……」
「あのなあ、俺はスパイでもないし、ハルモニア人でもないってば!」
 俺の話をシュウはきいてない。
「首から上は一等市民で、その下は傭兵……ふむ、変な取り合わせだ。何か特殊技能でもあるのかね」
「だ、か、ら」
「君、うるさいよ」
「濡れ衣をかけられそうになってるって言うのに、黙ってられるか」
「まあ道理だな」
「じゃあ人の話を聞いてくれ」
「だが嘘は聞いていてもおもしろくない」
 シュウという男は、どこまでもマイペースだ。なんだか、国にいるあの「恩人」を思い出す。
「送り込まれてきた割には事情を知らないようだな……。ティントで月の紋章が奪還されて以来、もう十人近くハルモニアからの調査人がここに来ていてね。お前でもう八人目。毎回丁寧に返り討ちにして差し上げているのだから、いいかげんあきらめたと思っていたんだが、今度はこんな変わり玉をもってくるとはね」
 聞きながら俺は背筋が寒くなるのを感じていた。
 確かに、ティントでの一件は有名な話だ。ハルモニアが動かないわけがない。つまり、俺は間違えられたのだ。しかし否定しようにもつい先日までスパイだったことも、似たような理由で動いていたのも確かで。
(どう切り抜けるか……)
 時間稼ぎをするつもりで、おれは喋る。
「オーケイ、事情はわかった。確かに俺はハルモニア人だよ。だが軍は関係ない」
「火薬のにおいをさせて?」
 にっこり。
 笑いかけられて、俺はひきつる。火薬の技術は「吼えたける声の組合」門外不出の技だ。だから、火薬の匂いなどかいだことのある人間など世界にそうはいない。なのになぜ。
「うちの変り種の一人にね、クライブというのがいたんだ。戦争中領地内を自由に動き回ることのできる通行証を発行する代わりに、協力してもらっていたんだが……さて、彼しか持っていなかったような代物を持っている君は何者なんだろうねえ」
 クーラーイーブーッッ!!!
 ミューズでみかけたから、あのあたりをうろちょろしてたのは知ってたけどっ、ここにいたのかっ。っていうかガンをそんな独断で人のために使うなよっ!!
「なに、尋問のあとには楽しいお薬の時間が待っている。苦痛なんて記憶に残らないから安心していいぞ?」
 どこが安心なんだ、どこが!!!
「カツミがいなくなってから本当、腹黒一直線だな、シュウ」
 後ろで控えているザムザもさすがにあきれている。
「お子様には見えないよう、気を遣っているだろう? 手を汚すのは軍師の役目ってね。さて、そういや名前をきいてなかったな。名前は?」
 本名を名乗ることなど期待してないんだろうな、このひと。とか思いながら、一応俺は答えることにする。
「ナッシュ」
「?」
 シュウの顔が、初めて怪訝そうなものになった。そして、俺を上から下までしげしげと見る。
「何」
「……金髪の、ナンパ男?」
 ぽつりとつぶやく。俺はひく、と自分の口の端が痙攣するのを感じた。
「誰だ、そんな噂流したやつ」
「外見は少女で中身はオババな人だ」
「……シエラめ……こんなところでまで」
 グラスランドで会ったアイリから、そんな噂を立てられていたとは聞いていたが、なんで宰相までこの話を知っている。
 しかし、このやり取りはおれの感情は別として、いい方向へと働いたらしい。
「ザムザ、縄をといてやれ。どうやら本当にシエラの知り合いの男らしい」
「いいのか? そんなことをして」
「話でしかシエラを知らん人間は、あいつをオババと言ったりはしない。それに、言われてみれば噂どおりの見てくれだしな」
 そう言うと、シュウは紙片に何かを書いたかと思うとザムザに渡す。
「ここに書いてある連中に、シエラの荷物持ちのナッシュが来たと伝えてやれ。それから、マルロがまだこっちに居残っていただろう。本の資料をもって至急来るように伝えろ」
「えー……こんなに?」
 人数が多いらしい。ザムザは膨れる。
「誰か適当に人を使えばいいだろう。なんだ、それくらいもできんのか?」
「俺ができんわけないだろう。すぐに手配しておくさ」
 ふん、といいながら、ザムザは出て行った。後には俺とシュウが残される。
「おい本当にいいのか?」
 シュウは椅子から立ち上がると手ずから茶を入れにかかる。座っていたからわからなかったが、けっこう背が高い。軍師のくせに体格いいな……無駄だけど。
「俺はうそつきなんでね。うそつきの嘘はすぐわかる」
「……それ、自分で行ったことはあるけど、人に言われたことなかったな……」
 はは、とシュウは笑う。
「ならいい経験をしたな。そら、飲むだろう?」
 茶を差し出されて、俺は受け取る。
「茶一杯で今のをなかったことに?」
「そんなことはない。これは、俺が喉が渇いたからいれた、お前のはそのついでだ」
「……いい性格してるな」
「よく言われる」
 人の上に立つ人間というのは、畢竟歪んでいるものなのだろうか。俺は頭痛を感じながら茶を口に入れる。
「しかし、金髪のナンパ男ってだけで判断される俺って……」
「それだけでもないさ。ネクロードを倒した祝勝会でお前のことが話題になってな、話はいろいろと聞いている」
「いろいろ? シエラが?」
「いや、シエラ以外にもニュースソースはいる。お前同盟領でどんなスパイ活動をしてたんだ? 十人以上の人間が、お前のことを覚えていたぞ」
「え? まさかさっきのリストはシエラを知ってる人間じゃなくて俺を知ってる人間?」
「そういうことだ。散り散りになったから数は半数ほどになっているが……」
「失礼します! あのっ、シエラさんをナンパしてふられたナッシュさんがおっかけてきたってきいたんですけど、本当ですか?!」
 どかん!
 元気な声とともにドアが勢いよく開かれた。運悪く内開きだったドアの前に立っていた俺は、ドアと壁にはさまれ、サンドイッチ状態になる。
「いってええええっ」
「あ! すいません、ナッシュさん、そこにいたんですか?!」
 見るとそこにはオレンジ色の胴着姿の少女が立っていた。ショートカットがかわいらしい。
「ワカバ……ドアを開けるときは静かにするようにいっておいただろう? ナッシュが茶器を落として割ったらどうする」
「あ、すいませーん!」
「おいシュウ、あんた茶器の心配しかしてないだろう……」
「お前の打ち身は放っておけば治るが茶器は割れたら元に戻らん」
 その茶器、結構高かったんだ。そういいながらシュウはさっさと茶器を片付けにかかる。本当……っいい性格してるよあんた!
 何か言おうとした俺を、ワカバが見上げていた。とりあえずその顔をみて俺は和むことにする。
「ワカバもこの軍に参加してたのか?」
「はい! カツミさんに、師匠を探すのを手伝ってもらいまして、それで師匠ともどもカツミさんに力を貸すことに……。やー、びっくりしましたよ。師匠が曲者を捕まえたってきくからどんな人かと思ったらナッシュさんなんですもの」
「師匠?」
 俺は驚いてワカバを見下ろした。俺を捕まえたのは、あのザムザと辮髪男だが……。
「……お前の師匠、あの辮髪は趣味か?」
「そうなんですよ! かっこいいですよねっ。毎朝頭剃ってるんですよ!」
「…………真似するなよ」
「やりたいって言ったら、これは男の髪型だから駄目って言われちゃいました!」
 あはは、と笑うワカバの声を聞きながら、俺は背筋に薄ら寒いものを感じる。さっき見た師匠の蹴り……あれはどう考えても人間のやることではなかった。もしかしたらワカバもああなのかもしれない。
「ナッシュさん、でもすごいですね〜〜。シエラさんナンパしたんですって?」
「ナンパはしてない」
 似たような状況だけど、一応あれはナンパじゃない。シュウもその言葉尻が気になったらしい。
「そういえば俺はシエラの荷物持ちが来たしか言わなかったんだがなあ……ワカバ、それ誰に聞いた?」
「ゲンゲン隊長です!」
「……ザムザめ、適当に人選したな」
 ふう、とシュウは息をつく。たしかに戦争中にこういう伝言ゲームになったら困るだろう。あまり同情はしないが。
 コンコン、というドアのノックの音がした。
「お、また誰か来たな」
 またサンドイッチにされると困るので、俺はドアの横に移動した。まあ、ここなら開けてすぐ目に付くし、大丈夫だろう。
「入れ」
 シュウが許可すると、ドアが勢いよくあいた。そして勢いよく誰かが突っ込んでくる。
 べしゃっ。
「シュウさん! シエラちゃんに捨てられた元彼氏のナッシュさんがストーカーになったって本当ですか?」
「……ニナ。俺はテレーズに伝言を頼んだはずなんだが、学院に戻ったお前が何故来る」
「今日はテレーズさんのお手伝いで一緒にお城に来てたんです! ……あれ? ナッシュさんは?」
「お前の下だ」
 ニナは視線を下に向ける。そこには無残につぶされた俺がいた。
「ああっ、ナッシュさん、どうしてここにっ!」
 お前のせいだってば。
 ようやくニナにどいてもらい、体を起こすと、エミリアを連れたテレーズが室内に入ってくるところだった。
「ナッシュさん、お元気そうで」
「テレーズ、あんたは随分元気になったなあ……」
「ええ、おかげさまで。新都市同盟の協力でグリンヒルが開放され、やっと復興のめどがたちましたの」
 俺がグリンヒルに転がり込んだあのときとは違い、テレーズは明るく朗らかに笑った。それに笑い返してから、俺は絶対いるはずの人物がそこにいないことに気がついた。
「あれ? シンは? あんたのそばを離れるような人じゃないだろう?」
 そう言うと、テレーズは少し寂しそうに笑う。
「旅に……出てしまいました。多分もう戻らないでしょう」
「そうか……」
 俺はそれ以上聞かないことにした。テレーズも納得ずくのようだし、まあ野暮ってものだろう。
「それよりもナッシュさん!」
 エミリアが俺の袖を引っ張った。
「シエラさんのストーカーになったって本当ですか?」
「はい?」
「そうそう、そうきいてびっくりしちゃって、あわててここに来たのよ!」
 ニナも腕を振り回して主張する。テレーズも心配そうだ。
「ええっ、ナッシュさん、ナンパじゃなくてストーカーだったんですか?」
 シュウがワカバを押さえる。
「……ワカバ、お前まで一緒になって混乱するんじゃない。で、ニナ、それを誰に聞いた?」
「えっとねえ、ガボチャ」
 シュウが盛大に息を吐いた。
「……シュウ、そのガボチャっていうのはどういう……」
 俺が聞くと、
「さっきのゲンゲン隊長に輪をかけた感じだ」
「なるほど」
 本当に内容に輪がかかってるよ。
 伝言ゲームで話が曲がっていることを伝えると、やっと三人は落ち着いたようだ。
「ああ、誤解だったんですね? びっくりした」
「でもシエラちゃんをおいかけてることは一緒なのよね? ロマンチックー!」
「や……そんな色気のある話じゃ」
 暴走するニナを止めようとしたとき、またノックの音がした。
「シエラに片思いしたナッシュがついに刃物をもって殴りこみにやってきたって話を聞いたんだけど……おや満員御礼だね」
「レオナ。それにアンネリー?」
 ドアを開けて、赤い服を来た美女と、白い服を着た歌姫が入ってきた。そのあとから、金髪の少年が入ってくる。
「こんにちは、ナッシュさん」
「あ、コーネル。君も来てたのか」
「はい! 今日はテレーズさんと、ニナさんのお手伝いで。いい機会なのでアンネリーさんの歌を聞かせてもらってたんです」
 にこ、とコーネルは笑う。少し背が伸びたようだ。シュウが一応、といった感じで三人にきく。
「その妙な伝言を持ってきたのは誰だ?」
「チャコだよ。まあ、半分くらいは嘘だと思ってたけどね」
 レオナが笑う。この流れから察するに、チャコという人物も相当曲がったキャラクターの持ち主らしい。
「同盟軍ってこんな人ばっかり……?」
 俺がぼそっとつぶやいた言葉は禁句だったらしい。シュウの眉が少しつりあがる。
「お前も随分と曲がった人間関係にいるようだが? 先ほどから見ているが、やってくるのは女ばかりではないか。やはりスパイではなくナンパ師か?」
「俺はナンパじゃねえ! てゆうかスパイでもない!」
「ええ? ナッシュさん、ナンパ師だったんですか?」
 アンネリーやコーネルが驚く。って、お前達信じるんじゃない。
「別に男の知り合いだっているのに……」
「言うだけならただだな」
 ふふん、とシュウは笑う。……今度から発言には気をつけよう。こいつを怒らせたら本当にろくでもない目にあわされる。
 そういえば、とニナが言った。
「でも、ナッシュさん、シエラちゃんを追いかけてきたんでしょ? シュウさんに呼ばれたのは嬉しいけど、私たち、シエラちゃんの行方は知らないわよ?」
 そういえばそうねえ、とテレーズが首を傾ける。
「シエラさんと仲がよかったといえばビクトールさんだけど……あの方は戦争を見届けるとどこかに行ってしまったし……」
「ビクトールっていうと、決戦ネクロードでカーンとシエラの取り合いをやってた人か?」
 俺が聞くと、エミリアが笑う。
「あの本、読まれたんですね? 随分脚色過多ですけど」
「まあ……シエラが可憐な美少女っていうんで笑わされたが」
「あ! でもでも安心して! そういう関係じゃないと思うから!」
 なぜかニナが俺の袖を引っ張って力説していた。そういう関係ってお前……おれだってそういう関係じゃ。レオナが意味深に笑いながら付け加える。
「ビクトールがちょくちょくうちから酒を買ってってシエラと飲み明かしてただけさ。ふふ」
「……はあ、ちょくちょく、ね」
 酒場で飲まずにわざわざ酒を持っていって二人で飲んでたわけだ。……って、気にするな、俺。それじゃレオナの思うつぼだ。
「あと因縁が深いといえばカーンさんですけど、あの人も今どこかに行ってしまいましたしねえ」
 エミリアはため息をつく。アンネリーが言った。
「あら、でもティントで鉱山の研究をするとか言ってませんでしたか?」
「その前に行きたいところがあるっていったきり、姿が見えないんですって。そのうち帰ってくると思うのですけど……」
 テレーズが気遣わしげに教えてくれる。うーん、このへんは、俺がここに来て集めた情報と大差はない。その沈黙を破ったのはワカバの元気な声だった。
「シエラさんと仲がいいっていえば、一人このお城にいるじゃないですか!」
 すると、なぜかこの場にいた全員の表情が硬くなる。
「ワ、ワカバちゃん、その人はちょっと……」
「え? でもシエラさんすっごく気に入ってたじゃないですか。あの人の前に出ると、態度も全然違いましたし! 恋する乙女って感じで」
 恋する乙女? あいつが?
 どんな状態だ、それは。
 発言者がワカバなだけに信じるべきか俺は迷う。助けを求めるようにシュウに視線を移すと、奴はにやり、と笑いやがった。
「おい」
「心配は無用だ。あいつもこの場に呼んである」
「ええーーーーーっ、シュウさん、何考えてるんですか! そんなことしたら修羅場ですよ、修羅場っ!」
 ニナが派手に叫ぶ。修羅場ってなんだ。しかし、俺の疑問は長続きしなかった。本人が部屋に入ってきたからだ。
 コンコン、というあわただしいノックの音。そして、誰かがドアを開ける。
「シュウさん、クラウスです! シエラさんに振られた間男ナッシュが「彼女を出せ、出さないとシュウを道連れにして俺も死ぬ!」といって人質をとり執務室で刃物を振り回して立てこもってるって本当ですか?」
「お前、そこまでいったら嘘だって気づけよ……」
 シュウがふうううううと、今日最大のため息をついた。俺は呆然として入ってきた人物を見る。
 小柄な青年だった。まだ二十歳はいっていないだろう。精巧に作られた人形のように綺麗な立ちをしている。数年もすれば、女がほうっておかない美青年になること請け合いだ。だが、しかし何故彼はその腕にピンクのマントをつけたむささびを抱いているのだろう?
「ええ? 嘘だったんですか?」
 青年は驚く。シュウは眉間をぐりぐりと揉み解しているところだった。
「……それを教えたのは誰だ?」
「ああ、そういえばホイさんです」
「……そんなのを伝言役に使ったザムザもザムザだが、クラウス、お前も軍師ならそんな情報を信じるな!」
「す、すいません!」
 その様子を見ながら、俺は二度驚く。クラウスという名前はかなり有名だった。悲劇の武将、キバの息子クラウス。武勇ではなく知力で父を支えていた息子は、その後同盟軍で軍師の修行を積んでいると聞いていたが……何故むささびを。
「大体、俺の執務室にはいってくるときは、そのむささびは置いて来いと言っておいただろうが!」
「ええっ……だ、駄目ですか?」
「あたりまえだ!」
 クラウスはつらそうに腕の中のむささびを見る。すると、むささびはつぶらな瞳でクラウスを見返した。
「キュー?」
「……っ! すいませんシュウさん、私にはそんなことできません!」
「あほか!」
 シュウは一喝する。すると、クラウスはしぶしぶそのむささびを手放そうとし……できなくてやめるを繰り返しはじめる。
「シュウ……今は執務中じゃないんだから許してやったらどうだ?」
 俺が言うが、シュウは冷たい。
「放っておけ。甘やかすとためにならん」
「しかし、このままじゃ話もできないぜ?」
「それもそうなんだが……。まあいいか。クラウス! むささびはとりあえず置いておいていいから、客人にあいさつをしろ。ハルモニアから来たナッシュ氏だ」
「あ、はい。すいません! クラウスです!」
「ナッシュだ」
 ぴょこんとお辞儀をしてから、クラウスは俺の名前に思い至ったらしい。
「ナッシュさんというと、先ほどの話でシエラさんにふられたっていう」
「違う! ふられてない、というかそういう関係でもない! 前に荷物持ちをさせられてね。そのとき踏み倒された宿代を取り立てにきたんだ」
「そうですか……」
 言って、クラウスはさびしげに微笑んだ。後ろで、ニナとエミリアが修羅場だとかなんだとか言っている。お前らなあ……さっきから話題になってたのはこいつか。確かにシエラ好みの美少年だ。
「そいつはシエラのお気に入りでな。よく猫なで声で擦り寄られてたんだ」
「シュウさん! あの方の鈴を震わせるような声をそんな風に言わないでください!」
 クラウスが反論する。
「ひどいです。あんなに可憐で、たおやかな方を……ナッシュさん、そう思いませんか?」
 話を振られて俺は困る。
「可憐っていうのはどうかと……どっちかっていうとずぶといっていうか」
「そんなことないですよ。あの方は本当に繊細で……病弱で、よく貧血を起こしてはお倒れになられてましたよ」
「お前が抱きとめられる範囲内でな。さて、シエラの批評はどうでもいいから、あいつの居所を知らないか? どっち方面に行ったかということでもいいから」
「シュウさん……どうでもいいはないでしょう。残念ですが、私は知りません。あの方は、自身の真実を、私には打ち明けては下さりませんでしたから……」
 そう言って、クラウスは悲しげにため息をつく。悲劇的な場面なんだろうが……いかんせんむささびの無邪気な笑顔が思い切り水をさしている。
「そう……か、となると最後の手がかりはマルロだな」
 シュウが、ふむ、と顎に手をやって考え込む。
「マルロ、というと本の作者か」
「ああ。本を書くためになんだかんだと聞き出していたからな……と、来たみたいだな」
 コンコン、というノック音に、俺たちは注意をそちらへ向けた。
「入れ」
「失礼します。シエラさんに色仕掛けでだまされて有り金全部巻き上げられ捨てられたナッシュさんが慰謝料をよこせと本拠地に殴りこんでシュウさんを人質にしたのだけど助けに来たクラウスさんに一目ぼれしてミクミクと争奪戦に突入したって聞いたんですけど本当ですか?」
 ずる。
 俺はその場でこけるのをなんとかこらえた。
「マルロ……それはどこで聞いた」
 頭が傷むのだろう、シュウがこめかみを押さえている。
「シドさんが伝えにきたんですけど、結局どういう用事ですか? ナッシュさんって?」
 おとなしそうな少年が、不安げに室内を見渡した。大きめの鼻に黒ぶちのびんぞこめがねが印象的だ。
「シエラの荷物持ちがご主人様を探しているんだよ」
「シエラさんの? ……ああ、シエラさんをナンパしたっていう勇気のある人!」
「ナンパじゃない! シュウ、誰がご主人様だ!」
 俺は怒鳴るが、周りは聞いちゃいない。
「しかし、僕もシエラさんの居所は知らないですよ? 確かに取材はしましたけど。それだったらカーンさんがティントに戻るのを待ってから聞いたほうがいいんじゃないですか?」
「だから、本を書いたときの資料をもってこいって言っただろう?」
 シュウは怪訝そうなマルロから、取材ノートを受け取った。しばらくぱらぱらとやっていたかと思うと、本棚に置いてあった歴史書をめくる。
「シュウさん、なにやってるのかしら?」
 ニナたちギャラリーも不思議そうだ。不意にシュウが顔を上げる。
「ナッシュ、ミューズの手前に住み着いていた吸血鬼の名前は?」
「リィン・ペンネンバーグだが、何か?」
「ペンネンバーグ、ね。マルロの資料じゃ名前しか書いてなかったから少し分かりにくかったんだ……とすると、ふむ」
 言ってから、シュウは奥から地図を取り出してきて、そこに一点、しるしをつけた。
「シュウ?」
 場所を確認する間もなく、シュウはそれを丸め、俺に手渡す。
「ここが、蒼き月の村だ」
「ええ?」
 そこにいた全員が絶句した。
「えええええええ? 本当ですか? ナッシュさん、見せてください!」
「こらマルロ、お前は見るんじゃない」
「だってええ」
「お前が見たら書きたくなるだろう? お前は、あの吸血鬼の村を観光地にする気か?」
 マルロはぐ、とうなると引き下がった。一緒になってみようとしていた面々も動きを止める。
「こういうのは、関係者だけが知っていればいい」
「しかしシュウさん、何故その場所がわかりましたの?」
 エミリアは不思議そうだ。
「マルロの取材ノートがあっただろう? あれを読めば、蒼き月の村の気候、風土、存在していた時期がわかる。それに、三百年前周辺で神隠しや吸血鬼伝説が多発した場所を照らし合わせると大体の位置が特定できるわけだ」
 三百年前、とはネクロードが紋章を奪い、吸血鬼たちが一気に村から出て行った時期だろう。シュウはにやりと笑う。
「それだけじゃまだ決定打にはならないんじゃないですか? 僕が言うのもなんですけど、あやふやなものも多いし」
「だから、ペンネンバーグの名前を聞いたんだ。ハルモニアより前、苗字つきの貴族のいた場所は結構狭い。賭けみたいなものだが、非業の死を遂げたはずの騎士がよみがえり、主のかたきを討ったという伝説は残っていた」
 ほらこれだ、とシュウは古びた歴史書を出した。
「この男がペンネンバーグ。異常な魔力を持っていたらしい。これが確かだとすると、シエラをのぞいて一番古い吸血鬼伝説だな」
「よく一瞬でそんなことがわかるな」
 俺は素直にこの男の頭脳に感心していた。歴史家に、様々な事象を推測して隠された事実を発見する者はいるが、彼の推理は群を抜いている。
「なに、前からだいたい考えてはいたことなんだ。ただ、別に人に言うほどのことじゃなかっただけで」
「シュウさん、すごい! ただの猫好きじゃなかったんですね!」
「ワカバ、この場合猫は関係ない。それに、お前この国を切り盛りしてるのが誰かわかってるか?」
「切り盛りってなんですか?」
「もういい……」
 俺はそのやり取りと見ながら、荷物の中に地図をしまった。顔がほころんでいるのが自分でもわかる。
「シュウ、ありがとうな。これで大体目的地のめどはついたよ」
「いるかどうかは保証しないぞ?」
 これだけわかっただけでも十分、と俺は笑う。
「随分親切にしてもらって、ありがたいと思ってるよ」
 上機嫌の俺に、シュウの最後の皮肉が突き刺さったのはこの後だ。
「なに、間違えて逮捕したわびもあるし。それに、白鹿亭のヒルダとアレックスから、お前がシエラに置いてきぼりにされた朝、この世の終わりのような顔をしていたと聞いていたからな」
「余計なお世話だ!」





すっごい長いんですけど、切りようがなく、そのまんま……
シュウがでばっているのは私の趣味です
書いていて「シュウ×ワカバ」もいいかも、
と思った私の頭は腐ってます

>さてまだまだ続きますけど用意はいいですか?
>帰るわよ!