Petit Lady Chapter1

 戦争中だというのに平和なビュッデヒュッケ城。
 そこでは、今まさに最悪の偶然が重なろうとしていた。
 炎の運び手の中心人物であり、ゼクセン騎士団団長でもあるクリスは、朝稽古を終え城の玄関へと戻ってきていた。後ろには、稽古の相手を勤めていたパーシヴァルとボルスを従えている。
 大扉を開けると、そこでは鏡の前でビッキーにテレポートを頼むナッシュの姿が、そして、広間の方からなにやら話をしながら歩いてくるトーマスとロディの姿が見えた。
 どちらに声をかけようか。悪夢が起こったのは、ちょうど両者の真中に立つクリスが逡巡したときだった。
 ロディが高々と手を上げ、何か魔法の言葉を口にし、ビッキーが口元を押さえた。
「こんなかんじなんですよ! ワン、ツー、スリー!」
「は、は、はっくしょん!」
 偶然の失敗。同時に発生した二人の魔法の力はクリスの方へとまっすぐ飛び、閃光を上げて交錯した。
「「クリス様!」」
「クリス!」
「あれれれれれクリス様?」
「クリスさん!」
 目を刺すような光が収まった後、そこにクリスはいなかった。その代わりに、脱ぎ捨てられた甲冑と、小さな女の子が座っている。
「え……」
 全員、絶句するしかなかった。
 女の子は、五、六歳くらいだろうか。輝くような銀髪に、澄んだアメジストの瞳をし、だぼだぼのアンダーシャツ(多分クリスの)を身に纏っていた。女の子も呆然としている。「ここどこぉ?」
 返答はない。全員、思考が停止してしまっている。
「お父様? お母様? ……どこ? お父様どこ?」
 女の子の大きな瞳が潤んだ。かとおもうと、すぐに大粒の涙がぼろぼろとこぼれだす。
「お父様、お父様ぁ」
 うわあああああぁぁぁん、と大声で泣き出した女の子をひょい、と抱き上げたのはナッシュだった。城内一の不運男と誉れ低い彼だけに、こういう予想外の事態には耐性ができているのだろう。
「まあまあ、泣かないで、お嬢さん。俺はナッシュ。お嬢さんのお名前はなんていうのかな? お歳も言えるかい?」
 にっこりと笑いかけられ、女の子の涙はとまった。しかし止まっただけだ。まだ不安そうな顔をしている。
「……くりす、らいとふぇろー。……五さい」


 玄関にいた面々の表情がまた固まる。予想していた答えだが、やはり確信すると、より危機感が増す。
「クリス、君はちょっとした事情でね、このビュッデヒュッケ城に預けられてるんだ」
 なんとか言いくるめようとしたナッシュの瞳を、アメジストの瞳が射抜くように見つめた。
「ちょっとしたじじょうって、何?」
「えっとね」
「どうしてクリスのお名前も知らなかったおじちゃんが、そんなこと知ってるの? 離して! 知らない人についってっちゃだめって、お父様に言われてるんだから!」
 小粒でもやっぱり中身はクリス。
(こういう勘だけは鋭いんだから)
 腹のなかでナッシュは毒づくが、もう遅い。
 腕の中で大暴れを始めたクリスをもてあましたナッシュから、パーシヴァルがその身柄を引き剥がした。
「あ、騎士様」
 ナッシュに代わり、自分を抱き上げたパーシヴァルの格好を見て、クリスがほっとした声を出した。どうやら二十年来デザインの変わっていないゼクセン騎士団の制服が役にたったらしい。
「大丈夫ですか、クリス様?」
「あ、はい」
「お怪我はありませんか! クリス様!」
 ボルスがおろおろとクリスの顔を覗き込む。クリスは二人の顔を見上げた。
「あのおじちゃんは何なの?」
 おじちゃん、とはナッシュのことだろう。パーシヴァルはにっこりと笑いかける。
「ああ、あれは通りすがりの人攫いの悪いおじちゃんですよ。でも私達が来たからにはもう大丈夫、全力でお守りしますよ」
「……お前ら、言うに事欠いて人攫いかよ……」
「普段の行いが悪いから子供にも警戒されるんだ」
 ボルスが言う。ナッシュはその場でわざとらしくいじけ始めた。
「ねえ騎士様? お父様はどこか知らない?」
 クリスがパーシヴァルを見上げた。それを聞いてパーシヴァルは返答に困る。クリスの父親が死んだのは十七年前、ちょうど今と同じくらいの歳の頃だったと聞いている。もちろん、今はいない。
「え……と」
 どうしようかとボルスと顔を見合わせたときだ。
「あ! お父様!」
 クリスが元気よく叫んだ。
「え?」
 見ると、大広間からカラヤクランの族長、ルシアとその部下ジンバがやってくる。クリスはぴょん、とパーシヴァルの腕の中から降りると、ジンバに向かって全速力で突進していった。
 驚いたのはジンバだろう。
「のわっ、く、クリス? どうなってんだ、一体」
「おやまあ、随分と小さな銀の乙女だねえ」
 慌てて抱きとめるジンバを、ルシアはものめずらしそうに見つめる。
「ジンバ殿!」
 騎士二人とナッシュ、そしてトーマス、ロディ、ビッキーという変な組み合わせに、ルシアとジンバは困惑する。
「どういうことだい、これは」
「す、すいません、僕が失敗しちゃって……」
「はあ?」
 要領を得ないロディの代わりにトーマスが小声で耳打ちする。
「すいません。さっきロディとビッキーが同時に魔法を失敗しちゃって、それで、二人の魔法をうけたクリスさんが、五歳の女の子になっちゃったんです。ジンバさん、お手数ですけど、なんとかこの場をごまかしてはいただけないでしょうか?」
「ごまかすって……」
 ジンバは、ちらりとクリスを見下ろした。
「お父様?」
 クリスは無邪気に見上げてくる。ジンバはごほん、と咳払いをする。
「そうだな……。クリス、ここはビュッデヒュッケ城といってね、グラスランドとゼクセンの大きな会議をするために、人がいっぱい集まってるんだ」
「かいぎ? お仕事なの?」
「そう。お前にこのお城を見せたくて、連れてきたんだ。びっくりしただろう?」
 言うと、クリスは素直にうなずいた。
「これからお父様はお仕事があるから、クリスはお城の人たちに遊んでもらいなさい、いいね?」
「え? お父様も一緒じゃないの?」
 クリスの瞳がまた潤み始める。う、とジンバがうめいた。
「我慢しなさい、クリス。その代わり、あとでご飯を一緒に食べよう。それじゃだめかい?」
「ん……いい。わかりました。クリス、みんなと遊びます」
 不承不承、泣くのを我慢して、クリスはうなずく。その様子はなんだかとても愛らしい。ジンバはクリスの銀髪をくしゃりとなでた。
「よし、いい子だ。さあ着替えておいで。レディがいつまでもそんな格好してるんじゃない」
「あ! はあい」
「じゃ、トーマス君、この子を頼んだ」
 ジンバはすばやくクリスをトーマスに渡した。トーマスはうなずくとクリスを抱いたまま洗濯場の方へと走っていく。何か着せられる服を見繕うつもりだろう。
 残された面々は、ふう、と大きなため息をついた。
「ジンバ殿が演技上手で助かりましたよ」
 ボルスがやれやれ、と壁にもたれかかる。パーシヴァルは自分のあごに手を当て、首をかしげた。
「……しかし、何故クリス様はジンバ殿をワイアット・ライトフェロー卿だと思われたのでしょうか? ジンバ殿は言っては難ですが、どう見てもカラヤの民ですのに」
「あ、そういえばそうですね」
 不思議がる騎士達とロディ。それを見ていたナッシュとルシアがニヤニヤと笑っている。
「あー……それはだなあ」
 困り顔でジンバが何か言おうとしたときだった。
「顔が似てたんだろう」
 上から声が降ってきた。
 見上げると、年齢不詳の傭兵隊長、ゲドが階段を降りてくる。
「ゲド、見てたのか」
「子供の泣き声が聞こえたからな」
「ゲド殿! 顔が似ているとはどういうことですか?」
 パーシヴァルの問いに、ゲドはうなずく。
「十数年前、ゼクセに行ったときに、ワイアット・ライトフェローという騎士を見かけたが、今思えばジンバに面差しが似てないこともない」
「へえー、そうなんですか」
 ロディはあっさり納得している。それを見ながらジンバはそっと胸をなでおろした。ここに単純なロディがいて助かった。
「まあ当面の危機は去ったとして……とりあえず、これからどうするかだな」
 族長らしく、ルシアが今後を憂える。そこへ、また上から声がかかった。
「皆さん、どうしたんです? 先ほど子供の泣き声がしたようですが……」
「おやサロメ殿、いいところへ来た。こっちへきておくれでないかい」
「はあ……」
 ゼクセン騎士団のブレーンの登場に、ルシアが微笑む。これで、一緒に悩む人間が増えたというわけだ。案の定、事情を知ったサロメはパニックに陥った。
「えええええええ、五、五歳ですか? そんなことになったらこの同盟のパワーバランスが一気に崩壊するじゃないですか!」
「まあそうあわてなさんな。一週間くらいなら、グラスランドの連中を押さえておくことはできる。あんたも、それくらいなら評議会の連中の目をごまかすことくらいできるだろう?」
「そうですね。一週間くらいなら……その間になんとか元に戻る方法を考えますか。と、あと一つ忘れていたな。ボルス、パーシヴァル!」
「はい」
 ボルスとパーシヴァルは、後ろの方で空気と化していたナッシュをがし、とつかまえた。
「ん? なんだい、二人とも。俺はクリスと元に戻す方法は知らないぜ?」
「今の状況をハルモニアに報告されるわけにはいかないのです。わかってくれますよね、ナッシュ殿」
 にこ、と顔だけで笑うサロメ。ナッシュが引きつる。
「嫌だなあ、一週間やそこらで本国まで報告になんかいけないって、分かってるでしょう?」
「貴方が飼っているナセル鳥は、飛ぶのが随分早そうだ……。なに、命まで取ろうとは言ってません」
 とられてたまるか、というナッシュの発言は無視された。
「ビッキー、彼を地下牢に送ってください。絶対に、逃げられないようにね」
「はーいっ」
 恨んでやるーっ、という叫びと共に、ナッシュはその場から姿を消した。ふう、とため息をつくとルシアとサロメは改めて向き直る。
「問題は、元に戻す方法ですねえ」
「ああ。原因は事故だからね。方法があるかどうか……」
「元に戻せるわよ」
「うわっ、エステラ! あんたかいっ」
 いつのまにやら、女が一人、彼らの背後に立っていた。この城一番の魔法使いであり、この城一番のうそつき(ナッシュは同点首位)エステラだ。今日もボンテージ姿が無駄に悩ましい。
「簡単なことよ。トラン共和国大統領官邸の空中庭園に咲く黒龍蘭と龍のきもを煎じて……」
「黒龍蘭だな! わかった!!」
 言うが早いか、ボルスは全速力で玄関を飛び出していった。どこかの韋駄天エルフでもないのに、ドップラー効果をつけて走ることができるなど、珍しい人もいたものである。
「……………………………………っていうのはうそって言おうと思ったんだけど」
 エステラが遅すぎる注釈を付け加えた。
「……わざとだな」
 ぼそっとゲドが言う。全員ためいきをついた。そんなことは、わかっている。
「で、まじめな話、本当に元に戻す方法はあるんでしょうか?」
 騎士達が、エステラに詰め寄った。何故かジンバもそれに加わる。エステラは面倒くさそうに髪をかきあげた。
「まあ弟子の失態の責任くらいはとらないとね。なんとか一週間以内にはもどしてみせましょ。ロディ、ビッキー、いらっしゃいな」
 はあい、と元気よく返事をする子供達をひきつれ、エステラは去っていった。不安は残るがこれ以上の人材がいないことも確かだ。
 サロメはため息交じりに頭をふって言う。
「あとでジーンさんとホルテス七世にも彼女達に協力するよう言っておきましょう」
「あとは、それまでの間誰があの子の面倒を見るかだねえ」
 うーん……、とルシアとサロメは同時に首を傾けた。

これからぐりぐり続きます。
つきあって下さると有り難いです……
息切れしないように
挿し絵を入れてみたのですが、重いですね
>もうちょっとつきあってあげようかな
>もう帰る!