「泣くでないわ・・・」
シエラは一人ごちった。
彼は他人に気付かれずに泣く。
一人で号泣する。
その泣き方はシエラにとって一番嫌な泣き方だった。
「罪に苛まされて、一人で泣くでない」
眉を寄せてシエラはもう一度口にする。
この波動を知っている。
恐らく彼は再び禁忌に染まってしまったのだろう。
そして、その後の罪に一人で泣いているのだろう。
再び闇に飲まれた事への後悔に。
「仕方のない男じゃ・・・」
シエラの爪先が地面を蹴り、その姿が夜の中へ溶けていった。
翠色の瞳は、目前の世界を捉えた。
血塗れの骸。
最期の一人が赤く染まった腕を手で押さえ、こちらを睨みつけている。
ナッシュの衣服も赤く染まってはいるが、それは返り血であり自分の物ではない。
何も映していない瞳が、ただ狂気に染まって最期の獲物を見遣った。
男は怒りに心を燃やしながらも、ただ黙々と動く相手に純粋に恐怖した。
年のころは30半ば。
だがその動きは歳にしては俊敏で油断がなく、その感情は未だ微動だにしない。
潜むのは、ただ殺意だけ。
「おのれ、おのれええええ」
力の限り咆哮し、男は自慢の大剣を振り回した。
一矢報いなければ気が済まない。
そんな思いを剣にたしなめて。
ナッシュは男の動きに反応して地を蹴った。
翠の瞳が目的物を睨め付け、鈍い金色の髪がふわりと揺れる。
口元に彩るのは残忍な笑み。
その笑みでもって、ナッシュは男の一撃をいとも容易く払いのけた。
そして反撃の構えを取る。
男もやられまいと防御の姿勢を取った。
何度となく交わされる刃。
静まる地に唯一響く金属の音。
男が異変に気付いたのは、数回目の剣を払いのけた時だった。
急に翠の瞳に動揺が奔った。
まるで初めて視点を捕らえた様に、その瞳に意思が籠められる。
「なんだ・・・貴様」
「・・・・・すまない」
眉を寄せて剣を振り上げる男に、ナッシュは狂おしげに一言呟いた。
再び刃が交わされる。
しかし、そこには今まで見られなった感情が潜んでいた。
機械的な物ではなく、人の織り成す剣の技だ。
男はその時になって初めて、人と戦っている事を実感した。
しかし相手の力に衰えはない。
そして自分は既に限界を超えていた。
「・・・ぐっ」
強い一撃を受け、男の体は後方に墜ちた。
仰向けで倒れこみ、次の体勢を取ろうとして動きが止まる。
男の首筋に向けられたのは、二つの剣の片割れ。
その瞬間男は敗北を知った。
「くっそ・・・」
男はその切っ先を睨め付け毒づいた。
きっと自分も命を絶たれた他の仲間と同じ扱いを受ける。
この男は躊躇いもなく残忍な笑みでもって、最後の一閃を振るうのだろう。
まるで自分たちを虫けらとでも思っている様に。
男は自嘲気味な表情で相手を睨み付け、そして言葉を失った。
ナッシュは眉を寄せ、苦しそうな表情で自分を見下ろしている。
「なんなんだ、貴様」
男はもう一度呟いた。
それにナッシュが何かを返そうとして、口を閉ざした。
そしてもう一度目を男に向けて、宣言する様に告げる。
その瞳に先程の狂おしげな感情はなかった。
敢えて淡々とした表情を選び取り、自分と対峙する方を選んだ様に。
「あんた達を倒すのが俺の役目だ」
「・・・っち、嫌な奴が相手になったもんだ。俺の運も尽きたって事か。」
「そうだな。俺の身内に手を出そうとした事が、運のツキだったってことだ。」
男ははっと笑った。
そして鋭い眼光を向けて吐き棄てる様に言い放つ。
「俺達も相当酷い事をしてきたから、お前を責めるいわれはねえ。
だがな、お前の様な戦い方をする奴は・・・地獄に堕ちるのがお似合いだ。」
それを耳に入れてナッシュは最期の一撃を振るった。
自分の意思で持って。
「それは俺が決めることだよ」
既に事切れた男に、ナッシュはぼそりと呟いた。
そして再び静寂が戻った。
ナッシュは深く息を吐き、その場に座り込む。
体力はまだもつが、精神的には限界だった。
今回の仕事で敵が狙いを定めたのは殊もあろう事かユーリとレナの2人だった。
どうやら背後に情報収集に長けた者が存在していたらしく、そこからナッシュの弱みを暴かれた訳だ。
勿論、その情報屋及びそれに連なる一族は、ハルモニア本国の手により既に拘束されている。
黒幕は財力に目がくらんだ貴族のだと言う事だった。
血筋だけで資力のない貴族は、ハルモニアにも数え切れぬ程いる。
その末端が形振り構わずに、闇の世界と取引をしていても不思議ではない。
ただ、今回動いたのが、それでも上層部に食い込んでいた人間だったというだけで。
しかし、そんな背景は今のナッシュにとってはどうでもいいことだった。
ユーリ達の安全は再び神官将ササライの手により約束されたのだから。
そんな事よりも。
「あーあ・・・」
ナッシュは剣を地面に投げやり、一人ごちった。
フラッシュバックする。
迫り来る男達。
嬉々としてそれを受け取り、二つの剣を操る自分。
一閃を送る度に倒れていく姿を見て、自分の心は興奮していた。
血を、もっと血を見たい・・・と。
「は・・・ははは」
ナッシュは息を吐く様に笑った。
身内が危険に晒されたと知り一国の猶予もなくなった時、ナッシュは再びあの存在と対峙した。
もう二度とこの手にしないと誓って、封印した家宝の剣。
自分の意思に自惚れた。
今なら、剣に心を支配される事無く、振るえるのではないかと。
不安と期待が入り混じった感情で鞘を抜いた。
だけれど、現実は。
「・・・馬鹿だな、俺も」
確かに相手は許せない存在だった。
弱者を人質にとる等という卑劣な行動に出た奴らだ。
だけれど、殺意のみで倒して良い相手なんていない。
自分の意思を放り棄て、完膚なきままに潰すやり方など・・・。
「あれから15年が経ったってのに、俺も成長していないってことか」
自嘲気味に笑って、地面に投げやった剣に視線を落とす。
最期に正気を取り戻さなければ、関係のない人も手にかけていたかもしれない。
そういう剣だ、これは。
それなのに、まんまと飲み込まれたのは自分の失態だ。
「ははは・・・」
ナッシュはひたすら笑った。
そうでもしないと、闇に飲まれてしまいそうな気がして。
後悔の渦に飲まれたまま、再び殻に閉じこもってしまいそうな気がして。
その時、羽の音が聞こえた。
「やめよ」
突然影がかかり、女の声が上から降ってくる。
面を上げると、そこには腕を組んで眉を寄せるシエラの姿があった。
「そういう泣き方はやめよ」
「・・・なに、言ってるんだ?」
突然の叱責にナッシュは唖然として言葉を零した。
誰も泣いていない。
そりゃ情けない面はしているかもしれないけど。
「久しぶりの再会に何なんだ、あんたは」
「おんしは15年の間に頭のネジを何本も落としてきたのかえ?」
「・・・は?」
するとシエラの細い手がすいっと前に出された。
その手の先の人差し指が、ナッシュの左胸の辺りを示す。
「誰も外見上の事は言っておらぬ。ここで泣いておるであろう?」
「・・・泣いてなんか・・・」
なおも言い募る相手にシエラは鼻を鳴らした。
そしてわざとらしく首を横に振る。
「若い男の意地っ張りは微笑ましいが、中年のそれは見苦しいぞえ?」
「あ、あのなあ!」
ナッシュは情けない声を出して立ち上がった。
その男の顔を見上げて、シエラは問いかける。
「・・・あの剣は簡単には使いこなせぬものであろう?判っておったはず」
「・・・・・・」
「泣く位なら、二度と手にしてはならぬ」
「・・・だけど、どうしても助けなければならなかったんだよ」
言って唇を噛むナッシュに、シエラは深く嘆息した。
そして紅い瞳で一瞥する。
その瞳に同情も哀れみも含ませずに。
「・・・では、悔いるな。危険と隣りあわせだと判って手を出すのならの。
それでも手に入るなら、その危険は覚悟せよ。それ位の心持が必要じゃ」
そう言い放ち、じっと自分を見てくる女の顔。
ナッシュは力の抜けた様な笑みを浮べて、一つ息を吐き出した。
「始祖様は相変わらず厳しいな」
「優しい言葉が欲しいのかえ?慰めて欲しいなら慰めてやるが」
「いや、良い。今の俺には、そっちの方がいい。」
ナッシュは頭を振って、二つの剣を再び手に取った。
そして背中にかける。
その動きの一部始終を見守る様に、シエラは視線を送った。
今は眠った様に静かな二つの剣。
ユーリ達の安否をこの目で確認してから、再び封印しようと思う。
そして次に手に取る時は、どんな結果になろうとも悔いる事のないように。
それだけの覚悟を持って。
「さて、報告にいきましょうかね」
いつも通りの表情で言うナッシュに、シエラは口の端を挙げた。
とりあえず、もう泣くのを辞めたようだ。
その事に心の中で安堵する。
「何かあれば、妾を呼べ。やる気になったら助けてやらんこともない」
「やる気になったら?」
「当然じゃ。そう簡単に呼ばれる程、妾は安くないぞえ?」
肩を竦めてぼやくナッシュに、悠然とした微笑でもってシエラは返した。
シャラさんのところのHP「Leap!」で7777をふむことができまして、頂いたSSです
ちょうど一周年企画のときだったので、
イラストSSの交換会な感じになってしまいました
「グローサーフルスを掘り返して後悔しているおやじナッシュ」などと
難しいテーマにもかかわらず綺麗なSSを書いて頂いて、本当に嬉しかったです
や、もう、「戦闘の途中で我にかえっちゃったナッシュ」とか
「呆けて笑ってるナッシュとか」
「泣いてるナッシュとか」
そして、
「慰めるのではなくたしなめるシエラ様」とか!!!!
本当に素敵すぎで!!!!!!!
ありがとうございました!!
SSの交換に書いたイラスト(へぼい……)
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