それは、予想外の涙

 騎士になってこれまで、神に祈るしかない状況というものは、幾度もあったが、これほど自分でどうにもならないのは、初めてだ。


 柔らかに光の射す森の中を、パーシヴァルは馬に乗りひたすら疾走していた。
 疾風の騎士の名の通り、風と化しひたすら走る。
 目指すは森を抜けた先、ビネ=デル=ゼクセのライトフェロー邸。
 そこでは今、最愛の人が戦っている。
 早く、早く。
 気はあせるが、想いの通りには進めない。
「くそ……」
 いつもの上品な顔など捨て、パーシヴァルは馬の速度をまた上げて森を抜けた。
 全力で走ってきたパーシヴァルの馬にぎょっとした門番に形だけ頭を下げ、パーシヴァルはそのまま街に馬で乗り入れた。
 さすがに速度を落とし、歩行者に気をつけながら馬を進ませる。屋敷の前で馬を降りると、ライトフェロー家の執事が飛び出してきた。
「パーシヴァル様!」
「執事さん、状況は?」
 いつもなら声をかけてやる愛馬だが、今日ばかりは構ってやれない。乱雑な手つきでとりあえず手綱だけ結びながら執事に聞くと、執事は脂汗の浮いた額をせわしなくぬぐって悲壮なため息を漏らした。
「あと……ちょっとらしいのですが……まだ。もう私はクリス様のご様子が苦しそうでつらくてつらくて……」
「そうですか。執事さん、馬を頼みます」
「あ、はい! 奥にどうぞ!! お二階にいらっしゃいますから!」
「わかりました!」
 甲冑の重さも頓着せず、パーシヴァルは大急ぎで入口を抜けた。そして、玄関前の大階段を二段とばしで駆け上がる。
「おや、やっとご到着かい?」
 二階廊下に出ると、鮮やかな色彩の民族衣装を纏った、金髪の女性がパーシヴァルを迎えた。カラヤの民特有の日焼けした肌に、淡い色の瞳。カラヤの族長、ルシアだ。
「ルシア殿? 貴女は何故ここに」
「ちょうどクリスに前祝いを届けに来たところで始まっちゃってね。まあこういうことには先輩だし、駆けつける親戚もあまりいないと言っていたから母親代わりについていたのさ。それよりなんだい、あんたがついててやらなきゃいけないんじゃないのかい」
「……西の国境で不穏な動きがあったのでかり出されていたのですよ。でなければこの時期家を離れたりしません」
 五時間ほど、ぶっ続けで馬を走らせて帰ってきたパーシヴァルはいらいらと首を振った。
「それで、彼女は?」
「この扉の向こう。トウタ先生とミオがずっと看てるよ」
 ルシアが指した重い扉の向こうからは、なるほどかすかなうめき声が聞こえてきていた。パーシヴァルは唇をかみしめる。
「そうですか。なら……」
「お待ち」
 扉を開けて中に入って行こうとしたパーシヴァルの襟首をルシアが掴んだ。
「ルシア殿、放してください!」
「待ちなって。そんな汚い格好で部屋に入る気かい? クリスのためにならないよ。ほらせめて甲冑と上着を脱いで、こっちの白衣を着るんだよ。それから手も洗う!」
「……っ」
 もっともなルシアの言い分に、パーシヴァルはぐっと歯を食いしばったあと、甲冑を外し始めた。その慌てぶりに見かねたルシアが金具を外すのを手伝ってくれる。ルシアの唇からはわずかに笑みがもれた。
「ルシア殿?」
「いや。冷静さでは、あの眉毛なしと同じくらいかと思っていたけど、さすがにこういうときは慌てると思ってね」
「慌てますよ。一大事なんですから」
 がしゃん、と手甲が音をたてて床に転がされた。こんな放り出し方をしたら、あとの手入れが大変なのだが、もうそれは後ででいい。
「しかしあんたがあせっても……」
 こらえきれない、とルシアが笑い出しそうになったときだった。
 ほぎゃあ、と大きな声が扉ごしに廊下に響いた。
 クリスのものでも、トウタのものでも、ミオのものでもない新しい別の声。
「……っ!!」
「おや、産まれたみたいだね」
「ルシア殿、これお願いします!」
 ばさり、と騎士服の上着をルシアに押しつけると、手洗いもそこそこに、パーシヴァルは白衣をひっかけて部屋に入った。
「クリス!」
 部屋には、手を赤く染めたミオと、ベッドに横たわるクリスがいた。部屋には衝立が一つ置かれ、その向こうでは湯気らしいものが立ち上っていた。
 パーシヴァルが駆け寄ると、クリスは額にびっしりと汗を浮かべたまま幸せそうに微笑む。
「クリス……」
「おかえり」
「パーシヴァルさん、おめでとうございます。立派な男の子ですよ」
 衝立の向こうからトウタがひょい、と顔を覗かせた。そして今産湯にいれていた赤ん坊を肌着も着せずにパーシヴァルに見せる。赤ん坊は、まだ元気に産声を上げ続けていた。
「……男の子……」
「そうですよ。ほらお父さん、赤ちゃんをお母さんに見せてあげてください」
 トウタは、タオルで赤ん坊をくるむとパーシヴァルに渡した。思ったよりもずっと軽くて暖かい命の手触りに、パーシヴァルは緊張する。
「パーシヴァル」
「クリス……お疲れ様」
 微笑んで、クリスに子供を見せようとしたパーシヴァルは、そこで自分の視界がおかしいことに気がついた。
「あれ?」
 何故か、視界が歪んでいた。
 悪くないはずの視力。疲労で低下するにしてもあまりに唐突で、像のゆがみ具合がおかしい。
「あ……れ?」
 慌てて目を手でぬぐうと指先が濡れた。
 状況が、一瞬わからなくてパーシヴァルは混乱する。指先を濡らすこの液体の正体に思い至るまでに数瞬かかった。
「パーシヴァル?」
 微笑みながら、クリスがパーシヴァルに手を伸ばした。かがむと、クリスの白い手がパーシヴァルの頬をぬぐう。
「どうした? お前が泣くなんて、初めて見たぞ」
「……私だって、泣いたのなんかもう十年ぶりくらいですよ」
 パーシヴァルは苦笑しながら、子供を抱き直した。ようやくクリスにその顔を見せてやる。
「どうも、かなり嬉しかったみたいです。感情が暴走してしまうくらいに」
「冷静なお前にしては本当に珍しいな」
「自分でもびっくりですよ。こんなに嬉しいなんて予想してませんでした」
 パーシヴァルは、クリスをねぎらうようにその額に口づけた。
「お疲れ様、クリス。それからこの子をこの世界に産んでくれてありがとう」
 そう言うと、クリスは誇らしげに笑った。

ライン

10万ヒット企画、最後の更新。
「不意に、涙」でパーシヴァルに泣いてもらいました。

結構泣いているところが予想できないキャラなだけに新鮮なんじゃないでしょうか。
(書いた私もびっくりしていたり)

余談ですが、クリスって、男の子を産んだら絶対ワイアットってつけると思いません?


しかし今回、出産やら結婚やらの話多いなあ……


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