それは、どうしてなのですか?
ゼクセン騎士団長クリスは、夜明け前の静けさに支配されたブラス城の廊下を一人歩いていた。こつこつという彼女の足音だけが廊下に響く。
今日は元日、新しい一年の始まりの日だ。
日付の区切りとともに、気持ちの区切りをつけ、新たに暮らしていくための日。
といってもゼクセンの安全を一手に担う騎士団が暇になるわけもなく、むしろ、年末にかけて増える犯罪の取り締まりや、年越しでパーティーをやりたがる評議会議員の警護などで、むしろ仕事が激増する過酷な時期である。
今も、やっと夜勤から解放され、サロメと交代してきたところだ。(もちろん緊急事態が起これば呼び戻される)
これから24時間は、一応休暇ということになっているのが救いといえば救いか。
徹夜の騎士団長は、しかし足を自室へではなく別の方向へ向けた。
「あれ? クリスどこに行くんだい?」
と、その途端全く気配のなかった廊下奥から声をかけられてクリスは身構えた。
「おお怖、そんなに警戒しなくってもいいじゃない」
へらへらと笑いながら闇の中から姿を現したのは、緑のジャケットを着た三十がらみの男だった。見事な金髪に、いたずらっぽい光をともすグリーンアイ。
「ナッシュ……お前か」
名を呼び、剣を降ろすと金髪のナンパ親父は楽しげにクリスに近寄ってきた。
「夜勤明けでしょ? どこに行くんだい。寝不足はお肌に悪いよ」
「お前に肌の心配をされる筋合いはない。というか、何故お前がここにいる」
ここはゼクセンの護りの要ブラス城である。他国の工作員がふらふらと歩いていていい場所でも時間でもない。
近寄ってきたところを見計らってクリスはナッシュの胸ぐらを掴んだ。手首を回して、襟元を締めてやるとナッシュは「ぐえ」と品のないうめき声をわざと漏らす。
「お仕事ですって。君と一緒で俺の仕事にも年末年始ってものはないからね。ほら、ゼクセン評議会員のレッドリバーって人いたでしょ? あの人がうちの神官とおもしろそうな取引をしてるらしいっていう噂があったから調査に」
「何? それは本当か?」
「いや、デマだったみたい。さっき出勤途中のサロメと確認したんだが、全然事実と違ったから」
ハルモニアからゼクセンまではるばる来たっていうのに、ひどい話だと思わねぇ?
男は大仰にため息をついてみせた。
「それで、せっかくこっちに来たんだから、夜勤あけのクリスにあけましておめでとうくらいは言っておこうと思って待ちかまえてたのに、君、部屋を素通りしようとするし」
「ああそれは……」
「どこか行くの?」
「……いや、その」
ナッシュに顔を覗き込まれて、クリスは口ごもった。
「ん? 何か秘密のことかい」
「いや、秘密、ってほどのこと……じゃないんだけど」
「いやここまで口ごもっちゃ秘密でしょ。こんな夜明け前に女の子が行くところなんて、おじさん興味あるなあ」
意地悪く微笑まれ、クリスの眉がつり上がる。
「お前のことだから、何か変な曲解をされる前に言うが、単に日の出を見に行くだけだぞ」
「初日の出? そりゃめでたいねえ。あれ……でもサロメはそんなこと言ってなかったけど」
その指摘に、クリスはますます困る。
「えっと……その……」
「六期士の連中を誘ってないってことは……まさか一人で? それはそれで寂しいなあ。ねえ、どうせなら俺も一緒に行っていい?」
ナッシュの提案に、クリスは慌てて手を振った。
「いや! つ、連れはいるから!」
「へえ?」
「そ、その……サロメとかは……誘って……ない……けど……えっと……そうするとひいきみたい……なん……だけど……」
もごもごと、真っ赤になってクリス自身よくわからない言い訳をすると、何故かナッシュはにんまり、と笑った。
「あ、なーんだそういうこと」
「そういうことって、ナッシュ! お前何を変な風に納得してるんだ!」
「全然変じゃないさ。ごめんねークリス、困らせちゃって。それじゃあ俺がついてくわけにはいかないよなあ」
「だから!」
「で、も! その格好はいただけないね」
びし、とどこかの尊大お嬢様よろしくナッシュはクリスの目の前に指をつきつけた。
「か、格好?」
クリスは自分の姿を見下ろした。今は任務開け。当然着ているのは騎士服だが。
「そうそう。もうちょっと色気のある格好しなきゃね」
「色気って!」
ナッシュはうろたえるクリスのことなど構わず、手を掴むと、彼女の私室にまでずんずんと歩いていった。そして部屋に入るとクリスの手を離してクローゼットへ向かう。
「ナッシュ?」
「折角のデートなんだから、かわいい格好しなきゃだめでしょう」
「いやデートなんかじゃ」
「でもだれか特定の人と、でしょ? ほら、これとこれ着て!」
何故お前が人のクローゼットの中身を知っている、とか、デートではないというその言葉をナッシュは全く聞かなかった。ずい、とクリスに服を押しつけると、彼女を寝室に追いやりドアを閉めてしまう。
「……」
クリスは、不承不承服に袖を通し始めた。
そもそもの発端は、十日ほど前にさかのぼる。
年末に向けての仕事を、がんばってこなしていたときに、副官の一人パーシヴァルが聞いてきたのだ。
『そういえば、クリス様は正月に夜勤なんですよね?』
それがどうしたか、と聞き返すとパーシヴァルはにこにこと笑いながら言った。
『初日の出を見に行きませんか?』
聞くと、なにやらいい場所を見つけたらしい。夜勤明けに酒でも飲みながら祝おう、とそういう算段らしい。
それはとても面白そうだったから、クリスは二つ返事で了承した。
しかし。
そこで小さな問題が発生した。
話を持ちかけられたとき、部屋にいたのはクリスとパーシヴァルの二人しかいなかったのだ。
初日の出を見ようなんていう企画、いつもだったら他の連中も誘うイベントである。パーシヴァルだって、上司であるクリスを誘っているのだから、業務のレクリエーションだと思っているだろうし。
けれど、そうするには、クリスやパーシヴァルが彼らに声をかけなければならないわけで。
なのにクリスは、その話を誰にもしなかった。
期間は十日。話す機会なんていくらでもあったのに、言い出せなかった。
そしてどうやらパーシヴァルも誰にも言わなかったらしい。
多分、来るのはパーシヴァルだけだろう。
「ナッシュ、これでいいのか?」
寝室から出てくると、ナッシュはクリスの化粧品を広げて待っていた。
どこからそんなものを引っ張りだしてきたのかというクリスの抗議には構わず、ナッシュはクリスの髪をほどくと綺麗に整え、化粧を施していく。
「ナッシュ、いいかげんにしろ」
「はいはい、この化粧が終わったらね」
「だから……これは騎士団のレクリエーションの一環だから、デートなんかじゃ……」
「本当に?」
グリーンアイに覗き込まれて、クリスは返答の言葉を失った。
「えっとそれは……」
「はい! できあがり。かわいい格好ちゃんと見てもらうんだよ」
「だから!」
返答をする間もあらばこそ。
クリスはあっさりと部屋の外に出されてしまった。
「……あのおせっかいめ」
ちらりと窓の外を見てから、クリスは待ち合わせ場所へと向かい始めた。
空は、夜闇の漆黒から、濃紺へと色を変えつつある。少し、遅れてしまったか。
「パーシヴァル」
待ち合わせ場所にたたずむパーシヴァルに声をかけると、私服姿の騎士は、はじかれるように振り向いた。
「クリス様。あけましておめでとうございます」
「おめでとう、パーシヴァル。遅れてしまってすまないな。その……着替えていたら時間が」
ナッシュに会ったことはなんとなく言いづらくて、クリスがそう言い訳すると、パーシヴァルは嬉しそうに笑う。
「その可愛らしい格好をしてくださるために遅れたのなら大歓迎ですよ。それに、時間もちょうどいいですし」
「ああ、もう夜が明けるな」
クリスは、また空を見上げた。空は濃紺から、深い青へと、明るさを徐々に増している。
「こちらですよ」
パーシヴァルは、足下に置いていた荷物を持つと、歩き出した。今は使われていない物見台へと向かう。
「この間、ボルスとこの物見台の中を探検しましてね。眺めもいいし、掃除をしたら結構使えるのじゃないかと」
「一緒に見つけたのだろう? ボルスは誘わなかったのか?」
クリスは、パーシヴァルに誘われてからずっと疑問に思っていたことを投げかけた。
クリスが他の騎士を誘わなかった理由は、自分自身のことだから知っている。けれど、何故彼も誘わなかったのだろうか。
何故。
パーシヴァルは苦笑した。
「貴女を誘ったのに、何故彼を誘わなくてはいけないのですか」
「えっ」
クリスの驚きをよそに、パーシヴァルは物見台の上に上がった。クリスに手を差し伸べ、彼女の体を引き上げる。吹きさらしのはずの物見台は、何故かわずかに暖かかった。
「ん……火が……」
「寒いと思いましたので、七輪を持ち込んでみました。あとで餅でも焼きましょう」
笑いながらパーシヴァルが見せた荷物の中には、酒と餅、それからハムなどが入っていた。
「用意がいいな、お前は」
「ええ。折角ですから」
「正月だからな……」
「いえ」
折角、の意味を正月だととったクリスの言葉を、パーシヴァルが遮った。
「折角貴女と二人ですから」
「……っ」
手袋ごしに、パーシヴァルの手が触れる。引き寄せられて顔を上げると、パーシヴァルの漆黒の瞳がクリスを見つめていた。
「貴女は先ほど、何故ボルスを誘わないのかと言いましたね。当然ですよ。私は、貴女と二人だけになりたかったのですから」
パーシヴァルの手に、力がこもった。
白みかけた空に浮かび上がる顔がわずかに歪む。
切なげに。
「私は、貴女を独占したかった……」
「パーシヴァル……っ」
どう答えたらいいか解らなくて、クリスはただパーシヴァルの名を呼んだ。
パーシヴァルの見せた独占欲。それは、クリスに特別な感情を持っているからこそのもの。
目を見開き、沈黙し続けるクリスの体を、パーシヴァルは包み込むようにして抱きしめた。
「貴女こそ、どうして他の方を誘わなかったのです?」
静かに訊ねられて、クリスはびくりと体を強ばらせた。慌てて視線をそらそうとしたが、頬に触れるパーシヴァルの手が、それを許さない。
「貴女は、私が言うまで今日のことは私もいつものリクリエーションだと思っている……そう、思っていたのでしょう? それなのに、何故他の方を誘わなかったのですか」
「それ……は」
「そして何故、そんなに着飾って現れたのです?」
クリスは頬を染めて俯いた。今が夜明けであることが恨めしい。どんな顔をしているのか、パーシヴァルにはっきりと見えてしまうから。
パーシヴァルが誘ってきたとき。
二人きりであったことを、クリスは幸運だと思っていたのだ。
出かけることを知っているのは二人だけ。ならば、このまま忘れたふりをして、他の連中を誘わないでおけば自動的に二人だけで行くことになると、消極的な打算を働かせてしまった。
ナッシュに強引に着せ替えをされたときだってそうだ。拒否しようと思えばできたものを、そうしなかったのは、やはり綺麗な格好でパーシヴァルと会いたかったから。
そのくせ臆病なことに、パーシヴァルがただ上司を誘っただけと思っていたらと、必死にいつものレクリエーションだと言い訳ばかりしていて。
「私、も……お前を独占したかったんだ」
絞り出すように、その答えを言葉にすると、パーシヴァルはぎゅう、と抱いていた手に力をこめた。
「クリス……!」
「パーシヴァル……その、私は」
寒さとは、別の理由でぎこちなくしか動かない手で、パーシヴァルの背に手を回すと、彼の唇がクリスの頬に寄せられた。
「愛してる」
囁きとともに繰り返されるキス。
プレイボーイの癖に、らしくなくおずおずと重ねられた唇は、思ったより温かかった。
されるがまま、抱きしめられていたクリスはパーシヴァルの忍び笑いでふと我に返った。
「パーシヴァル、どうした?」
「いえ、一応初日の出を見るという目的でここに来たはずだったのですが……」
苦笑するパーシヴァルの視線をたどると、草原の先山脈の陰からは、とうの昔に朝日が姿を現している。
「……あ」
一体何分抱き合っていたのか。
足下をみると、七輪の炭ももう下火になっていた。
「体も冷えてしまいましたし、戻りますか」
「そうだな。暖炉に火もはいっているだろうから、私の部屋ででも飲み直すか」
言うと、パーシヴァルは意外そうな顔になった。
「いいんですか? 部屋に行っても」
「恋人を部屋に誘って何が悪い」
「何かしますよ」
「好きにしろ」
二人は笑いあうと、ブラス城に向けて歩き始めた。
100000ヒット記念
まあ様のリクエストで「年末年始任務なパーシヴァル×クリス+ナッシュ」
なんか年末年始関係なさそうな気はしますが、
それは横においておいてくれるとありがたいです。
騎士だなんていう、安全管理を任されている身分の人間が
年末年始に暇になるわけないよなあ、
ということで彼らは夜勤となりました。
年始一発目ですが、楽しんで頂ければこれ幸いです。
オマケの一枚
パーシヴァル「何故ですか?」
クリス「そ……それは」
まあ様、素敵なリクエストありがとうございます!
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