Robe de mariage

「うーん……」
 窓から庭を見下ろして、俺はうなった。
 季節は春。こぢんまりとした庭は、春の日差しをうけて美しく成長し、淡い色の花々がそこここを飾っている。
 庭にはテーブルがいくつか出ていた。その上を飾るのは、花ではなく料理。普段は絶対に作らないような、手間のかかった料理とワインがいくつも並んでいる。
 そして、テーブルの間には何人もの人影があった。俺の妹のユーリと、叔母のレナ。それから仕事の上司のササライにその部下のディオス。
 何故か彼らはきっちり礼装していた。ササライ様に至っては、式典用の完全正装である。
 まあ、それを見ている俺も礼装しているのだが。
「なーんで、こんなことになったかなあ……」
 俺は庭で笑いさざめく人々を見ながら、首をひねった。

 話は五行の紋章戦争にまでさかのぼる。
 戦争が終結し、任務を解かれて晴れて自由の身となった俺は、出発前に装備品を整えようとビネ=デル=ゼクセへ向かった。ビュッデヒュッケ城も普段なら品揃えは悪くないんだが、同じような目的で買い物をしている奴が多いせいで、店は混んでいる。
 保存食と武器の補充を終えた俺は、ふらりと衣料品の店に立ち寄った。戦闘中に手袋を裂いてしまったのを思い出したからだ。
 手を保護するものがないと、旅はツライからな。
 そう思って戸を開けた俺は、その場で立ちつくしてしまった。
「へえ……綺麗だな」
 俺が入ったのは、庶民が買い物をするには少し高めの高級衣料品店だった。手先を使う仕事が多い俺にとって、動かしやすい手袋は重要なので、これだけはいいものを買おうと、事前にゼクセン騎士団の連中からいい店を紹介してもらっていたのだ。
 店に入るなり目にとまったもの……それは一着のドレスだった。
 たっぷりのレースを使った、バレエの踊り子を思わせるような純白のミニドレスだ。飾りは小粒の真珠。よく見ると、白地にやはり白でびっしりと刺繍がしてある。
(あいつに着せたら、似合うだろうなあ……)
 俺がその衣装に見とれたのは、それが単に綺麗だったからだけじゃない。それが、ある人物にとてもよく似合いそうだったから。
 って、ある人物っていう言い方も変か。
 ……それは、俺の恋人なんだから。
 俺には、あまり大声では言えないが、恋人がいる。お互い、しがらみやら重荷やらを随分持っているせいで、つきあいは長いくせに素直に公表できない間柄だけど。
 でも、愛しているのも愛されているのも真実。
「ナッシュ、何やってる?」
 目の前のドレスを着るシエラの姿を想像していた俺は、不意に声をかけられて、危うく悲鳴をあげそうになった。
「な……だ、クリス?」
 振り向くと、そこにはゼクセン騎士団長、クリスが立っていた。
「どどどどどどうしてここにっ!」
「どうしても何も……買い物だが」
 よく見ると、彼女の背後には同じ騎士のパーシヴァルが立っていた。二人とも普段着なところを見ると、本当に単なる買い物らしい。
「それよりナッシュ殿どうしたのですか? そのような入り口で呆けて。いくら貴方でもぼけるには少々早いかと……」
「会うなり嫌味をありがとうよ、パーシヴァル。ちょっとドレスを見ててな」
「ドレス? お前が着るのか?」
「んなわけねーだろうが。いくらおじさんでも、そこまで人生捨ててないぞ、クリス」
 真顔で聞いてきたクリスに、俺は肩をおとした。
「いやお前だったら人の嫌がらせ程度にそれくらいならやるかなと」
「やるか! だいたいこんな小さなドレスはいるかよ!」
「あ、本当に小さい」
 俺が指さしたドレスを見て、クリスがそうつぶやいた。
 ドレスは、普通のドレスより小さく作られていた。この小さなつくりも、シエラを連想させるんだよなあ。
「小さなドレス……ナッシュ殿、まさかついに奥さんと離婚して、壁新聞でねたになっていた『美少女』と再婚する気なんですか?」
「なに?! ナッシュお前浮気だけではあきたらずそんなことを!」
「違う! パーシヴァル、勝手に人の人生を崩壊させるなあっ。これは、カミさんに似合いそうだと思って見てたんだよ」
 真相を白状すれば、壁新聞でねたになっていた『美少女』っていうのがまんまカミさんで、恋人のシエラだったりはするんだが、とりあえずそれは説明しないでおいた。大体、カミさん=結婚してるっていうのだって嘘だし。
「奥方に……?」
 それを聞いて、クリスが不思議そうな顔になった。
「こういうドレス、奥方には着せていないのか?」
「ああ。ドレスなんて高級なもの、着せてやる金も暇もなかったからな」
 庶民としては普通だろ? と言うと、パーシヴァルまで呆れ顔になった。
「甲斐性なしだと思ってましたが、そこまでとは」
「うるせえな、騎士団のお貴族様としがない工作員を一緒にしないでくれ。ドレスなんて俺には……」
「そうでもないですよ?」
 店の奥から、店主らしい男が出てきた。俺たちが騒いでいるのを聞きつけてやってきたらしい。
「そのドレスは特別でしてね。お買い得なんですよ」
 にこにこ笑いながら、店主が示したのは、確かにがんばれば庶民にも手が届きそうなくらいのお手頃値段だった。
「え? でもそんな値段でこのドレス、作れないだろ。レースも生地もかなりいいのを使ってるし……」
「いえそれ、わけありの品でしてね」
「わけあり?」
 まさか、このドレスを着た奴はみんな死ぬとかそんな不吉な話じゃないだろうな。俺たち三人が、警戒すると、店主は笑い出した。
「たいしたことじゃないですよ。これは、ある貴族の娘さんのために作らせていただいたのですが……着る直前娘さんがコレになりまして」
 店主は笑いながら、ジェスチャーで腹がふくれる仕草をする。
 つまり、娘さんはドレスを着る前にオメデタになってしまったのだろう。コルセットで締めるタイプのドレスは、妊婦にはむかない。
「他の方に流用しようかと思ったのですが、なにせ小柄な人でしたからねえ。どうにもならなくて。それでこの店のディスプレイがわりにさせていただいているのですが……やはり、服は着てもらってからこそですから」
 あいかわらずにこにこしている店主の言葉に嘘はなさそうだ。話を聞いて、クリスが俺の肩を叩く。
「買ってあげたらどうだ? 奥方に。少し遅いかもしれないが」
「遅いってなんだ? 俺のカミさんは今でも小柄で細くて美人だ」
「……そういう意味じゃないんだが」
 クリスは困ったように眉間に皺をよせる。店主がまた笑った。
「お客さん、いかがです? こんな上等なマリエ、なかなかないですよ?」
「う……んまあそうなんんだが」
 マリエというのがこのドレスの名前らしい。ドレスの種類には無頓着な俺は、それを聞き流しつつうなった。
 確かにこのドレスは破格の安値。だが、それはやはり貴族の感覚だ。任務が終わって報酬をもらったところとはいえ、これを買ってしまったら生活できない。
「しょうがないなあ」
 困る俺を見かねて、クリスがため息をついた。それから男らしく交渉を始める。
「店主、後で私がこの店でドレスを二三着作るから、このドレス、もうちょっとまけてやってはくれないだろうか」
「ええ? おいクリス、いいのか?」
 俺としてはおいしい話だが、それじゃクリスが困るだろう!
「いいって。どうせ私は評議会の企画した祝勝会やら何やらでドレスは必要だし、このマリエの細工を見れば、この店の作る服の質がいいのもわかるし。店主に異論がなければいいんだが……」
「異論なんてとんでもない! 銀の乙女のドレスを作れるなんて、こんな光栄なことはないですよ!!」
 そういえば彼女はゼクセでは有名人だった。彼女のドレスを作ったとなれば、かなりいい宣伝になるだろう。
「なら、言葉に甘えようか。すまないな、クリス。世話かけて」
「これくらいはたいしたことない。……ああ、世話というなら、今お前に手を貸したおかげでやきもちを焼いているパーシヴァルの機嫌をもとにもどすのが面倒かな?」
 そう言われたときのパーシヴァルの顔は、なんというかかなり『見物』だった。

 で。
 ドレスの他に、手袋やら靴やらヘッドドレスやらまでおまけしてもらって(ブーケまで入ってたよ)家に帰った俺は、久々に手放しで喜ぶシエラを見ることになった。
 どうもかなり嬉しかったらしい。
 そして、『ドレスは着るためにあるのじゃ』とこのパーティを企画したわけだが……。
 まあシエラがドレスを着るのだから、それなりにフォーマルな集まりになるのは解る。
 だが、ここまでする必要はあるのだろうか? 俺なんて、燕尾服だぞ! しかも花のコサージュまでつけさせられるし。
 若いころならともかく、この歳で着るもんじゃないだろう。
 しかも、すぐにはパーティに出してもらえず、部屋で待たされている。
 なんで。
 パーティーはホストが対応しないとだめだろうが。
 答の出ない問いに、ううん、ともう一度うなっていると、ドアが開いた。顔をあげると、ユーリとレナが入ってくる。彼女たちも綺麗なカクテルドレスを着ていた。
「兄さん、支度できた?」
「できてるよー」
 やる気のなさそのままに返事をすると、レナに頭をしばかれた。
「そんな座り方をしてるんじゃない! 皺になるだろうが」
「皺って……たいしたことないだろう。どうせ見るのはお前らとササライくらいなんだし」
「馬鹿者。シエラ様に恥をかかせる気か?」
「そう言われるとそうなんだけどさ」
 口をとがらせてみるが、当然レナが聞くわけもない。着付けを直し始めたレナにされるまま、俺はその場に立つ。
「レナもユーリも……そんなに気合いいれなくてもいいだろう? たかがドレスなんだから」
「たかが? お前、あれをたかがですませるつもりか?」
 じろり、とレナに睨まれて俺は唸った。
「……たかがって……なんかそれじゃすまないのか?」
 言うと、一瞬ユーリとレナの動きが止まった。そして見る間に血の気が引いてゆく。
「お前……あのドレスの意味、わかってなかったのか?」
 レナが言う。
 俺は、彼女達の様子に驚きながらも頷いた。
「何か、意味あるのか?」
 ごすっ。
「こ、この……この大馬鹿者ぉ!」
「痛ェ!!! なにしやがんだよ!!」
「何じゃない! この馬鹿! あのドレスの意味をわかってなかったなんて!」
「え、ちょ、ちょっとレナ! 痛い! 痛いって! ユーリ、ちょっと説明してくれよ!」
 レナに殴られながら、妹に助けを求めてみたけれど、おとなしいはずの妹は、絶対零度の冷ややかな目で俺を見下ろしていた。
「兄さん……それはちょっとひどいと思うわ」
「や、ひどいって! だから何がだよ」
「ナッシュ、お前この服を買ったとき、服屋に何か言われなかったか?」
「ん? そういや上等のマリエだとかなんとか行っていた気がするが」
 ごす。
 また殴られて、俺はその場にしゃがみこんだ。ユーリがそれをのぞき込む。
「兄さん、ローブ・ド・マリエってわかる?」
「何それ」
 ばしっ。
 とうとうユーリにまで殴られて、俺はつっぷした。
「ローブ・ド・マリエ、わかりやすく言うと、ウェディングドレスのことよ」
「ああ、ウェディングドレスね。成る程……って、ウェディングドレス?!」
 俺は耳を疑った。
 あのドレスが、ウェディングドレスだって?!
 い、いや。だったら、何故ユーリ達が驚いているのかが理解できる。
 ウェディングドレスを着るパーティー……それは、結婚式にほかならない。正装するのはあたりまえだ。祝福を与える役の神官ならなおさら。
 いやそれよりも。
 花嫁衣装なんかプレゼントして、一緒にパーティーをやってるっていうことは。
 俺は。
「知らない間に、シエラにプロポーズをしてた、ってことか?」
「やっとわかったか、この馬鹿」
 ごす。
「レナ! ぽんぽん殴るなよ! 痛いだろうが」
「顔はよけてある。大体殴られて当然だ! まだ足りないくらいだぞ」
 レナの言い分はあまりに正しくて、俺は反論できなかった。確かに俺が悪い。
「兄さん、この事態をどうするつもりなの?」
「ええと」
「シエラ様は結婚する気だぞ?」
「え」
 レナに言われて、俺はやっと思い至った。
 このパーティーを企画したのはシエラ。つまり、彼女は俺のプレゼントを着るつもりになったってことで……。
「シエラ、あいつ俺のプロポーズを受けてくれてたんだ……」
 ごすっ。
「だから殴るなって言ってるだろうが!」
「馬鹿みたいにほうけてる場合か! どうするつもりなんだお前は」
 睨む女性二人の肩を、俺はぽんぽん、と叩いた。
「いい方法がある」
「何」
「このままなし崩しにシエラと結婚する」
「お前なあ」
「だってそうだろ? シエラに異論はないみたいだし、俺はもちろんOKだ。で、お前達も、ここに出席したってことは別にいいんだよな?」
 思いっきり祝福するつもりのササライ様もまあ大丈夫だろう。
 なんか予想外の展開だけど、悪い話じゃない。
「指輪はどうするの、兄さん」
「う」
 俺は口をへの字に曲げた。
 そんなもの、当然用意してない。だが、結婚という儀式には必要なものだ。
 ユーリがふう、とため息をついた。ポケットから何かを取り出す。
「兄さん、これ」
「なんだ?」
 小さな小箱だった。細かな細工のほどこされたその箱には懐かしいラトキエ家の紋章が刻まれている。
 開けると、中にはそろいのエメラルドのはめ込まれた金の指輪が一対、納められている。
「これは……」
 指輪には見覚えがある。ひどく懐かしい記憶だが。
「父さんと母さんの形見よ。私は嫁いだ家の指輪があるから、兄さんがシエラ様にあげて」
「ユーリぃぃぃぃ」
 俺は思わず妹を抱きしめていた。
 本当に、できた妹だよ、ユーリは。
「兄さんのことだから、何かありはしないかと思って持ってきててよかったわ」
「ありがとうユーリ、助かったよ」
「本当に手間のかかる奴だな」
 レナに言われて、俺はうなだれる。確かに、ドレス一つでこの騒動だもんなあ。
「ナッシュさん、支度、できました?」
 軽いノックとともに、ディオスが部屋に入ってきた。三人固まって話し込んでいるのを見て、驚いたらしい。
「ああすまん、すぐ行く。先に行っててくれ」
「早くしてくださいよ。シエラ様、もうめちゃくちゃ綺麗なんですから見ないと損ですよ」
「わかってる」
 俺が言うと、ディオスは出て行った。見送る俺の背中で、ユーリとレナが囁き会う。
「このこと、シエラ様には内緒ね」
「ああ。知られたら最後、結婚式の次の日に離婚なんてことになりかねない」
 その秘密は、延々守られることとなる。

39393ヒット記念。夏茂いく様のリクエストで「ナッシエで結婚式ねた」
勘違いナッシュ、うっかりプロポーズをするってかんじで。
吸血鬼伝説というと、闇の婚礼という話が多いのですが、
シエラ様、そういう儀式めいたことは好きじゃないような気がしたのでこんな形に

当初、シエラ様の前でばれるバージョンも考えていたのですが
それ、絶対シエラ様許してくれない気がしたのでやめました。
さすがに、結婚式は乙女の夢ですからねえ……。
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