夏の風物詩

「つ……っ」
 首筋に牙をたてられ、俺は小さく悲鳴をあげた。
 女に抱きつかれた体勢のまま、身じろぎをすると、安宿のベッドがぎしりと不安そうな音をたてる。
 彼女は、俺のそんな様子など意に介さず俺の首に巻き付けた手に力をこめると、牙で傷をつけたそこを思い切り吸い上げた。
 一瞬の苦痛。
 けれど、それは一瞬だけのこと。
 どういう不思議か、血を啜られる苦痛は快感へと変化する。
 くらくらとする酩酊感のなか、女の唇だけが鮮やかに首筋に刻まれ、そこから広がるのは甘やかな悦楽。
「く……ふっ……」
 思わず変な声が出そうになって、俺は歯を食いしばった。
 けれど、口の端から漏れる吐息の熱さだけはどうしようもなくて。
 それを見透かしたように、女は俺の首筋を強く吸い上げた。
「ーーーーーっ!」
 餌食にされているだけ。そのはずなのに体は情けなく悦ぶ。
 思わず、女を抱きしめる手に力をこめると、彼女は首筋からつと顔を上げた。
「っあ」
 唇を離され、俺の口からは名残惜しそうな声がでる。まるで、もっとしてほしいみたいに。
 俺は心の中で苦笑した。
 とことんまで吸われたら、当然人間の俺は死んでしまう。それなのに、なんて欲だ。
 俺にとっては、死の恐怖よりもこの女の与える快楽のほうが上らしい。
「ごちそうさま、じゃ」
 猫のようにしなやかに体を起こしたシエラはそう言って笑った。
「おそまつさまで」
 快感の余韻だろうか? 今ひとつはっきりしない意識で俺はシエラに答える。そして手を彼女の腰へと回した。
 指先で脇腹をくすぐってやると、シエラはその少女の顔に似合わないほどに妖艶な笑みを浮かべて俺を見下す。
「ねえ」
 俺がねだるようにして見上げると、シエラはシャツごしに俺の胸板をなぞった。それを了解ととった俺は、あいた手をシエラのブラウスの中にいれた。
 吸血のあとの行為。
 いつからそういう取り決めになったのかは忘れたけれど、俺たちの間では、そうすることが暗黙の了解となっていた。
 俺は俺で血を吸われたときの快感で、その気になっているし、シエラもまた血に酔っている。だからそれはある意味自然な流れだろう。
「今日はまたせっかちじゃのう……わらわに血を吸われるのがそんなに気持ちよかったかえ?」
「そんなことは」
 俺はシエラの衣服を脱がせていた手を止めて否定する。
 血を吸われるのが気持ちいい、なんてことを、この妖怪わがままオババに知られたら最後、なんの見返りもなしにしょっちゅう血を吸われる羽目になっちまう。
 しかし、シエラはそれをみすかしたように微笑んだ。
「気持ちよいであろう? なにせ、わらわのような吸血鬼の唾液は血に混ざると媚薬に転ずるのじゃからな」
「……何?!」
 俺は驚いて目を見開いた。そして楽しげなシエラの顔をまじまじと見る。
「な……媚薬って……! それは反則じゃないのか?!」
「吸血鬼は血を吸わねばならぬからのう。吸血のとき、餌が痛がるのではそう何度も吸えまい? 麻酔兼麻薬じゃの。依存性はないが」
「俺にとってはあんたが一番依存性が高いっての。そうか……唾液が媚薬にね……あれ、ってことは」
 俺はシエラをベッドに押し倒してから、ふと首をかしげた。
「蚊と一緒?」
 ものの本に書いてあったが、蚊は、人や動物に針を刺したとき、血を吸う前に自分の唾液を送り込むのだという。その唾液は、血を飲みやすく薄める効果があるのだが、麻酔にもなっていて、吸われる動物に気づかれにくくするのだとか。(それがあとでアレルギー反応を起こしてかゆくなるらしい)
 そう言うやいなや。
 ごす。
 すばらしい勢いで、シエラの拳が俺のみぞおちにきまっていた。
「……っ……! ……し、シエラ!……」
「わらわをそんな下等な虫風情と一緒にする気かえ?」
 今まで浮かべていた艶のあるほほえみはどこへやら。
 俺の腕の中の恋人は、般若に変わっていた。
「わあああああああああ、す、すいませんすいませんすいませんごめんなさい!! お、俺が悪かった! 失言でした!!」
「失言ですむかこの馬鹿!!」
 しまった!!
 この自尊心の強い女王様にそんなことを言うんじゃなかった!!
 速効後悔したが、もう遅かった。
 人間離れした力で、俺の体を押したシエラは、とん、と寝台から降りた。そして、俺が脱がせていた衣服を身につけ始める。
「あ、おいシエラ!! ごめん、悪かったって!!」
「知らぬ」
 じろ、と睨み付けられ、俺はひきつる。
 おいまさか。
「もう言わないから! 謝るから!!」
「知らぬ、と言っておろう?」
 とうとうショールまできっちり着込んで、シエラは俺を見下ろした。
「興がそがれたゆえ、わらわは帰る。では息災にのう」
「あああああちょ、ちょっと待ってくれよシエラ! 悪かった! 悪かったって!!」
 追いすがろうとしたが、間に合わなかった。
 シエラは窓を開けると、そのまま白いコウモリと変化し、飛び去ってしまう。
「……やられた……」
 する直前に逃げられ、俺は宿のなかで一人寂しく取り残された。

ライン

一周年企画ちの様のリクエストで「ナッシエ」
ナッシエならなんでもOKということで、
人生一寸先は闇なものを書いてみました。
ナッシュがかわいそうな上にラブ度低めですが、よければお納めください
リクエスト、ありがとうございました!!


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