誉め言葉?

 

「よい、しょ、っと」
 軽く声を出して、シエラはトランクの蓋を閉めた。ぎゅうぎゅうに服やら日用品やらが入っているトランクは、閉めるだけでも一苦労なのである。
「あとはこれとバッグを持てば準備完了じゃな……」
 脇に置いてあるバッグを見て、シエラは息を吐いた。
 広大なデュナン湖のほとりに建つ城、リョウザンパク城。新都市同盟とハルモニアとの戦争において重要な拠点として機能した城である。新都市同盟の勝利という形で争いに決着がついた現在、城に住まう人々は戦争中とはまた別の意味であわただしく行き交っていた。
 ある者は留まり、ある者は去り……戦争という条件のなかでのみこの城に身を寄せていた者たちが本来あるべき場所や状況へと戻ってゆくのだ。

 シエラも、去ってゆく者の一人だ。

 ネクロードという共通の敵を滅ぼすために同盟に力を貸し、気まぐれでそのまま情勢の行く末を見守っていたが、状況が落ち着いた以上、この城に留まっている理由はない。
 もともと、時間という観念から切り離された彼女が、同じ場所にこれほど長く居着いているのも珍しいことだったのだ。
 眷属も敵もいなくなった今、放浪する先の目的はない。あるのは、少しだけ軽くなった気持ちと、人を見る視線の暖かさ。
 人の暮らしを横目で眺めながら、しばらくのんびりとしようか、そんなことを考えていると、声がかかった。
「シエラちゃん!」
「おお、アイリか。リィナも……」
 見上げると、旅芸人の姉妹、アイリとリィナが立っていた。姉妹であり、顔の造作はそっくりなくせに、性格の全く違う彼女達はぱたぱたと小走りでシエラの元へやってくる。
「あと少しで馬車の方の用意が終わるってさ! シエラちゃんの用意は?」
「うむ。荷造りは終わりじゃ。すまんのう、無理を言ってしまって」
 リィナがおっとりと笑う。旅芸人である彼らが北へ移動すると聞き、シエラは馬車に一緒に載せてもらえるように頼み込んでいたのだ。
「いいんですのよ。馬車は広いし、一人や二人、道連れが増えるくらい」
「そうそう! そっちのほうが楽しいしね!」
 にこぉっと笑ったあと、シエラの荷物を見たアイリは、もともと大きな瞳を更に大きく見開いた。
「うわ、シエラちゃん、そんなにおっきなトランク持っていくの?」
「うむ。最小限の荷物だけ、と厳選したつもりなのじゃが、気が付いたらいつもこれほどの大荷物となっておってのう」
 心底不思議そうな顔のシエラに、リィナが苦笑をもらす。
「ふふ、女の一人旅も楽じゃありませんわね」
「そうなのじゃよ。やれやれ……考えるだけで今から肩こりがしそうじゃ」
 見た目年齢より、ずっと老けた仕草でシエラは自分の肩を叩く。
「今まではどうしてたの?」
 不思議そうにアイリがシエラの顔を覗き込む。
「まあて適当に引きずったり、馬車に便乗させてもらったり……ああそうじゃ、荷物もちがいたこともあったのう」
「荷物もち?」
「うむ。旅の途中で知り合った金髪のナンパ男だったのじゃが、阿呆でのう。途中で適当に捨ててきてしもうたが、あの労働力は惜しいことをした……」
「アンタひでえことすんなあ」
 男の声が割って入った。
「ビクトール、なんじゃ、急に人の話に入ってくるでないわ!」
 体格のいい傭兵連中のなかでも、一際目立つ大男、ビクトールが愛想のいい笑顔を浮かべながらやってきた。
「なんだよ、飲み友達が城を出るってんで見送りにきたんじゃねえか。そんなに怒るなよ」
「お主は遠慮というものを本当に知らんのう。あの荷物もちといい勝負じゃ」
「……ナンパ男で阿呆で遠慮知らずだったの? その荷物もちの人」
 アイリの言葉に、シエラが頷く。
「まあそんなとこじゃな。そのうえ女好きでマナーが悪くて手癖が悪いのじゃ」
「じゃ、捨ててよかったんじゃねえの? 労働力があるっていっても不満があったんならさ」
 ビクトールがそう言ってにやりと笑う。
「ぬ?」
「ナンパで女好きでマナーも手癖も性格も悪かったんだろう? なんだ、オババも案外男を見る眼がないな」
 含みたっぷりの視線を送られて、シエラの白い頬が赤くなった。
「……や、その。いいところもないわけではなかったのじゃ。……底抜けのお人よしで、や、優しいことは優しかったし、ぶちぶち文句はたれていても言うことはきくし、手先も小器用じゃったし……、って、ええい! やめじゃやめじゃ! そもそもおらぬ者のことを言ってもしょうがない!」
 シエラは立ち上がると、乱暴に荷物を持った。
「おい、シエラ?」
「先に馬車に行っておる!」
「重いだろ、手伝うぜ?」
 ビクトールの差し出した手を、シエラは乱暴払う。
「よい。エレベーターを使えばすむことじゃ!」
 シエラは言い切ると、荷物を引きずって去っていった。その姿を見送ってから、リィナとビクトールは同時に吹き出す。
「も……もう、ビクトールさんも人が悪いんだから……」
「オババをからかえるのも最後だと思うとつい、な。後で謝っておくよ」
「アネキ? ビクトール? 二人とも何笑ってるんだ? シエラもなんだかよくわからないのに怒ってるし……」
 アイリ一人がきょときょとと二人を見比べている。リィナがにっこりと笑った。
「つまりね、アイリ、私にはシエラさんが荷物もちさんのことを表現する言葉が『愛してる』にしか聞こえなかったってことよ」
「はあ?」
 アイリは更に難解な姉の言葉に困惑する。
「なあリィナ、賭けをしないか?」
 ビクトールがにやにやと笑いながら銀貨を一枚取り出した。
「あら、どんな?」
「あのオババが荷物もちをこれから拾いにいくかどうか」
 言われて、リィナはくす、と笑う。

「やめておきますわ。だって、私もビクトールさんと同じ方に賭けるつもりですもの」
「だな」
 また吹き出した姉とビクトールを見ながら、アイリはさっぱりわからない、とため息を漏らした。





6666ヒット記念月穂様のリクエストで
「ナッシュを褒めちぎるシエラ様」
すいません、誉める前にさんざんけなしてます。
そのうえフォロー少ないです……
シエラ様が素直な言葉を吐く日は遠いようです……
(ううむ、しかも短い)



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