風邪っぴき攻防戦

「んあ”」
 朝起きて、まず出した自分の声が、やたらかすれていることに気がついて、俺は顔をしかめた。
 目を閉じて、意識を喉に集中する。唾液を飲み込もうとしたら、ひっかかる感じがする。
「んっ……」
 布団からはい出て伸びをする。寝起きでまだ血圧はあがっていないが、とりあえず体は自由に動くようだ。
 シャツをひっかけてから、サイドボードにおいてある水差しに手を伸ばす。そのままコップを使わずに一気に中身をのみほした。
 そういえば、昨日寝る前に十分水分をとってなかった気がする。喉がひっかかるのはそのせいだろう。
 風邪なんかひいていられない。
 なにしろ、
「ナッシュ、こんな時間まで寝倒すなんて、いいご身分だねっ」
 ここは戦場なのだから。
「ササライ様〜〜……予告なしにいきなり部屋にはいってこないでくださいよ」
 十五年前から変わらないお美しいボーイソプラノで傍若無人な台詞を吐きながら人の部屋に突撃してきた上司をみやって、俺はげっそりとつぶやいた。
 ここはビュッデヒュッケ城。
 真の紋章の力を破壊使用と画策する破壊者に対抗するゼクセン、グラスランド、ハルモニア連合軍の拠点である。
 俺はここに、ハルモニアからおくりこまれてきたスパイだ。
 様々な民族が混在するこの軍のこと、当然俺には敵が多く、風邪をひく間もないくらい気を張り詰めてなきゃいけないはず……なんだが。
「っていうか、雇い主がスパイの部屋に入り浸るって間違ってませんか」
「身元がばればれな三流スパイの君に反論する権利はないね」
 一番の敵が雇い主の上司ってどういう状況ですか。
「カンベンしてくださいよ〜もともとは貴方のオーダーで張り込みやってたせいで寝不足なんですよ?」
「それだけぼやくんだから報告書はあがってるんだろうね?」
「書面に残せないから口頭ですけどね」
 俺は、ササライの耳元に顔を近づけると、昨日調べてきた内容をぼそぼそと耳打ちする。とあるゼクセン連邦評議会議員の細かな財政事情についての調査内容を手短に話すと、満足したらしいササライは天使のほほえみをうかべた。
「うん、僕の予想通りだね! 調査ご苦労様」
「結構苦労したんですよ? 秋も終わるこの季節に二時間も外で張り込んだり、家に忍び込んだり」
「それが君の仕事だからね。じゃ、次はレナンダール卿の一人息子の素行調査をお願い」
「はあ?!」  俺は声をあげた。ちょっと待て。それは、前から重要人物だけどガードが堅くてあまりお近づきになりたくないなあって思ってた貴族の名前の気がするんですけど?
 しかも、ササライが必要としてそうな深い交友関係を調べるのはかなり難しいんですけど?
「そうだねー。今度裏条約を結ぶときの駆け引きに必要だから、三日後までに情報提出ね」
「はい?! ちょっと待ってください! 無理!! 絶対無理です!!」
「それをどうにかするのも君の仕事でしょ。じゃ、頼んだから」
 俺の困惑もどこ吹く風。ササライ様は言いたい放題言い放ち、そのまま部屋を出て行く。
「無茶言わないでくださいよっ! 無理っ、絶対無理!! っていうか!! ドア全開で出て行かないでください! 俺はまだパンツ一丁ですっ!!」
 しかし、いつものことだがこの鬼上司は聞いてない。

「……それで、結局引き受けたのか」
「も〜引き受けるとか引き受けないとかそんな次元の問題じゃないんだよ。『イエス』か『はい』しか俺には返答の台詞が用意されてないんだ」
 俺は涙ながらにそう語ると、ゲドはあきれたようにふう、と息をついた。
 ササライの襲撃にあったあと、俺は腹が減っては戦はできない、と食堂にやってきていた。ちょうど遅い朝ご飯にやってきたゲドとアイラ(他の傭兵連中はまだ寝てる)と一緒に朝ご飯だったのだが、そのまま会話が俺の愚痴になってしまっていた。
「ナッシュも大変だね。体調悪いのに」
「ん? そんなに俺、体調悪そうに見えるか?」
 アイリの言葉に俺は顔をあげた。十分水分をとったのだが、実はまだ、喉にひっかかりがあるのだ。
「精霊の様子がわかるからね、あたしは。オーラから人が元気かどうかくらいはわかるよ。ナッシュのは風邪の引きはじめって感じだね」
「う」
「……あるのか、心当たり」
「実は朝から喉がいがらっぽくてな」
 俺は苦笑しながら、いつもは飲まないミルクティー(普段はブラックコーヒーだ)をすする。
「じゃあ早めに治療したほうがいいよ! そうだ、あたしのど飴持ってるから食べなよ」
「お? それはうれしいな」
 ちょうど食事も終わったところだ。食後のデザートにいいかもしれない。俺がそういうと、アイラは懐から小さな袋を出してきて、中身を俺の手の上にいくつかのせてくれた。綺麗な鼈甲色をしたあめ玉だ。
「うまそうだなー」
「カラヤ秘伝ののど飴だよ。絶対きくから食べてみて!」
「そうさせてもらうよ」
 俺はあめ玉を口に放り込む。いやー、女の子はこういうところが潤うよなあ………………ッて。
「ぐふっ…………はっ……」
 女の子からもらったものにも関わらず、俺は危うくそのあめ玉を口からはき出すところだった。
「ナッシュ?! ナッシュ、大丈夫か?!」
「……ぐ……ちょ…………アイラ、こののど飴、何が入ってるんだ? 予想外に個性的な味がするんだが」
 涙目の俺の口の中に広がるのは、漢方薬特有の苦みとえぐみ。そして中途半端な飴の甘さが奏でる壮絶な不協和音だ。これを一気にはき出さなかった俺ってすごい。
「個性的? 変だなあ、蜂蜜とレモンの皮を練ったもののはずなんだけど」
 不思議そうな顔をしてアイラが残っていたあめ玉を口にいれる。と、彼女の顔もゆがんだ。
「あ! ごめんナッシュ!! これは咳止めのほうの飴だった!」
 本物はこっち、とか言いながらアイリが別の袋をポケットから出す。
 ちょっと待て。
 間違いはいいが、これ、咳止めなのか?
 言っちゃあなんだが、咳が出てるときにこれ嘗めたら息の根も止まりそうなんだが。
「これが本物ののど飴!こっちは甘くて食べやすいよ」
 ころりとまたさっきとそっくり同じ色の飴が俺の手に渡される。おそるおそる口にいれてみると、蜂蜜の甘さとレモンらしいさわやかな香りが俺の喉を柔らかく癒した。
「あーこれならなかなか……」
「でしょ?」
 にこっと笑うアイラに、俺も笑い返す。
 実のところ、喉の痛みは和らいだもののさっきの激マズのど飴にがつんと味覚をぶん殴られたせいで、微妙に頭のほうも重くなった気がするのだが、それを言ったらアイラが気にする。
「アイラにうまい飴ももらったし、俺はそろそろ行くよ」
「調査に行くのか?」
 立ち上がった俺を、ゲドが左目だけで見あげる。
「今日のうちに現地に行くくらいはな。大事をとって調査は明日からのつもりだ」
「お大事にねー」
 いくつか余分にもらったあめ玉をポケットにつっこむと俺はレストランをあとにした。頭の中で、今日の予定を組み立てる。
(ササライの調査対象はゼクセン貴族だから、まずはキャシーのところで馬を借りて、それから今日はあっちに宿をとって……)
 調子の悪い頭でぼんやりと考えながら歩いていたせいだろう。
 俺は、いつもなら真っ先に気づくべきことに全く気がつかなかった。
 ぶうん、とすぐ近くで空気をかき乱すような耳障りな音がした。
「ん?」
「ナッシュさん、危ないっ!!」
 遠くで俺を呼ぶ声。そして、顔をあげたその先には巨大な甲殻類昆虫が出現していた。
「うわぁ!!! ルビっ!!!」
 空を飛ぶという、軍事戦略において画期的な能力をもつ巨大昆虫。ルビークの民だけが乗りこなすことができるという特殊な虫なのだが……こいつだけは何故か俺がお気に入りだった。
 気に入られるというと聞こえがいいが、気に入られても所詮相手は雄の昆虫で、俺はルビークの民じゃない。
 なつかれてうれしい訳がない!
 つーかルビ!! お前のなつきかたは迷惑なんだよっ!!
 宝物を巣にため込むカラスみたいに巣に持ち帰るんじゃない! 埋めようとするんじゃない!
 とっさに気づいた俺は、いつも通り人を捕まえようと伸ばされてきたルビの足をかわした。
 転がって逃げようと……って、あれ?
 服の端をぐい、と引っ張られて俺の足は地面から離れた。
「え?! うそ!!」
「ギチギチギチギチギチ♪」
 見上げると、俺の服の端がルビの足に引っかかっている。そのまま持ち上げられ、高度を上げられて俺はあわてた。
「うっそだろー!」
 完璧によけたはずなのにっ。
 あせる俺の頭に、ずきん、と痛みが走る。
 そうか、さっきから喉が痛いだけとばかり思っていたけど、身のこのなしや体力にまで影響でてたのか。
「ちょっと離せ、ルビ!!」
「ギチギチギチギチギチ」
「ぎちぎちじゃない! こら!!」
 もがいて降りようとするが、体力のない今の俺ではルビに敵わない。
 あっという間に湖の上まで持って行かれて更に焦る。
 飛び降りるには高すぎるところまで高度を上げられ、逃げようがなくなるかと思ったそのときだった。
「ナッシュー、大丈夫ー?」
 白い翼の救世主がやってきた。
 といっても天使なんかじゃない。
 白い翼の竜の背に乗った金髪の少女だ。
「シャロンか、またルビにつかまったんだが、助けてくれないか?」
「えー、でもルビはごきげんだしなあ。どうしよっか、ブライト?」
「この状況を見てどうしよっかはないだろうが。頼む、助けてくれ。あとでケーキの一個くらいはおごるから」
「一個?」
「……この状況でご褒美をつりあげようとするなよ。っていうか保護者はどうしたんだ?」
 いつも彼女(というか竜)から離れず一緒にいる保護者の姿を探して俺はあたりを見回した。しかし、大柄な好青年は竜の背に乗ってない。
(フッチなら、二つ返事で助けてくれるのに……!)
「知らないよっ。今ごろヒューゴと洞窟の穴の奥にでもいるんじゃない? それより助けてほしいの? ほしくないの?」
 ぷう、と少女が顔をふくらませると、その下の竜もそっくり同じ表情でむくれた。どうやら、二人(?)ともおいていかれたらしい。これは下手に逆らわないほうがよさそうだ。
「わかったわかった、ケーキ二個、おごってやるからおろしてくれ!」
「じゃあ交渉成立ね! ブライトやっちゃって!!」
「やっちゃって?」
 俺が問い返す暇もなく、少女は竜に命令を下していた。
 ブライトはぐ、と体を引きながら息を吸い込む。
(まさか……)
 つう、と嫌な汗が俺の背筋を滑っていった。
 この動作のあとに繰り出される攻撃はあれしかない。
「いっちゃえー!」
 ご。という轟音とともに巨大な火炎がルビに向けて発射された。あわてたルビが俺を取り落とす。
「無茶すんなー!!」
 俺自身、火炎に灼かれそうになりながらルビの手からなんとか逃れた。
 落下する直前にブライトに捕まろうとアンカーを射出する。
 しかし。
「うっそ」
 どうやら、熱が出ていたのか俺らしくもなく目測はぎりぎりのところで外れた。つかみそこねたアンカーは空を切り、俺は湖に向かってそのまま落下する。
「うわああっ」
 派手な水しぶきをあげ、俺は冷たい水の中に突入した。

「ナッシュ、大丈夫?」
「あんま……大丈夫じゃない」
 なんとか岸辺にはい上がった俺の顔をのぞき込んできたシャロンに、俺はそう答えた。
 一応返答したが、俺の体は冷え切っていて歯の根があわなくなってたから、ちゃんと言葉になっていたかどうかは怪しい。
 この風邪っぴき状態でまさかの寒中水泳をする羽目になった俺の体調は最悪だった。
 背筋がぞくぞくするし、体は寒いし、でも頭はなんかぬくくてぼうっとするし、間接は痛い。明らかにたちの悪い風邪をひいている。
「キュゥ」
 俺がつかまりそこねたブライトは、ごめんなさいをするように俺に頭をすりよせてきた。
「大丈夫だって、お前が悪いんじゃないよ。いつもの俺ならちゃんとよけられたタイミングだったからな」
 よしよし、と頭をなでるとブライトはもう一度頭をすり寄せる。
「ナッシュ、医務室まで行ける? なんならボクとブライトでつれてってあげるけど」
「そうだな。じゃあブライトに捕まらせてもらうか」
 俺は立ち上がるとブライトの肩につかまった。人慣れしているブライトは愛想良く鳴くと俺を軽く引っ張って歩き出す。とりあえず今日の仕事はキャンセルだ。この体調では何をやっても成果はあがらない。
「ブライトだけじゃ捕まりづらくない? ボクは?」
「ずぶ濡れだからなー。つかまったらお前さんまで風邪をひきそうだからやめておくよ。それに、あとで君の保護者殿に嫉妬されそうだし」
「……っ、フッチはそんなんじゃないもんっ!」
 ぷう、と口をふくらませて、シャロンは俺の手を引っ張って歩く。
「絶対怒るぞー、シャロンに何やってんだって」
「そ、そんなこと……しそうだと、ナッシュは思う?」
「思う思う。だから今は怖くてさー」
 顔を真っ赤にしながら怒っているシャロンを見てかわいいなあ、と不謹慎なことを考えたのが悪かったのだろうか。
 またややこしそうなのが、俺の目の前にやってきた。
「……だから! やってみないとわからないだろうが」
「失礼ながら、その件に関しては試すまでもないことと思われます」
「試すまでもないだと?」
「ですから……」
「どうしたクリスにパーシヴァル。お前さんがたが喧嘩なんて珍しいな」
 俺が声をかけると前方からけたたましく意見を戦わせていた白銀の乙女と疾風の騎士殿が立ち止まった。
「そういうお前は、また何か不運にでもあったか? すごい顔色だぞ」
「不慮の事故で風邪をひきこんじゃってさー。今医務室にいくところなんだ」
 あきれ顔のクリスに、俺は笑ってみせる。それをみて、何かを思いついたらしいクリスはにこっと笑った。
「風邪か。ならば私が治療してやろうか?」
「クリス様、それは……!!」
「パーシヴァルは黙ってろ」
 何があったのやら。パーシヴァルの抗議をクリスは問答無用で押さえ込む。
「治療はありがたいが、クリスは騎士だろう? どうやるんだ」
「水の紋章を使っての治療だ。水の紋章の効果なら、傷の治療だけでなく病気や毒も一緒に治療できるからな」
「あー、そういえば真の水の紋章があったんだったな」
 騎士としての能力が高すぎるせいでよく忘れるが、真の紋章を宿すクリスは水の紋章が使えるんだった。確かに、水の紋章を使えばかなりの治療効果が期待できる。
「クリス様、おやめください。それにナッシュ殿もおやめになったほうがいいと思いますよ」
 パーシヴァルが必死に言う。いつものように、クリスに近づく男に警戒しているのかとも思ったが、何か様子が変だ。
「大丈夫だ! 覚醒の紋章をつけて魔力を強化したんだから効果がでる」
「その紋章をつけてるから危ないんじゃないですか!」
「覚醒……?」
 俺はクリスが宿したという紋章の名前を反芻して眉をひそめた。
 魔力を倍加させる覚醒の紋章。紋章を持つものに絶大な効果をもたらすが、反面。
「それって四分の一の確率で暴発するおまけつきじゃなかったか?」
「大丈夫だ。たかが四分の一じゃないか」
「たかがって確率じゃないですよ、クリス様。魔力不足を補っても命中率が悪いのでは元も子もないでしょう」
 パーシヴァルが息を吐く。クリスは接近戦闘の才能がある反面魔力がほとんどないことは有名だ。その魔力不足を補うための方法なのだろうが、その暴発率は見捨てておけない。喧嘩の理由を理解した俺は、あとずさった。
「さあナッシュ、治療するぞ!」
「い、いやいやいやいやクリス、やっぱり病気は薬で治したほうがいいと思うぞ! 最近疲れてたから思いっきり寝るのも必要だと思うし!!」
「……ナッシュ、お前さっきまで乗り気だったじゃないか」
「それはそれ、これはこれだ。クリス、魔法の練習はまた今度ってことにしてくれ」
 いつもだったらこの程度のことは自分魔法レジストの能力の高さを頼みに引き受けるが、今日の最悪の体調では無理だ。
 逃げだそうとした俺の目の前で、クリスの右手がまばゆい青い光を放ち始めた。
 その顔は女神のように美しくほほえんでいるが、目がかなり険悪だ。
 もしかして、水の紋章を宿しながら魔法の才能ないの、気にしていたのか?!
「人の親切を邪険にするのはよくないと思うぞ?」
「どこが親切だ! 思いっきり脅迫してるだろー!!」
 しかし、抗議できたのはそこまでだった。すぐに光に満たされた右手が俺のほうへと伸ばされる。
 とっさに、俺の手をひいていたシャロンをつきとばす。それと同時に目の前で水色の光がはじけた。
「……おい、ナッシュ! ナッシュ大丈夫か?!」
「だからいわんこっちゃない……」
 次の瞬間、クリスたちが見たのは凍り付いて雪だるまと化した俺の姿だった。

「ん……?」
 鈍い頭の痛みとともに目をあけた俺の視界にはいってきたのは、自分の部屋の天井だった。
 位置からしてベッドの上。どうやら俺は布団にくるまれてベッドに横になっているらしい。
「起きたかえ?」
 ひやりとした手が俺の額にあてられ、鮮やかなルビーアイが俺の顔をのぞき込んできた。極上の絹糸を思わせる銀の髪がさらりと俺の顔にかかる。
「しぇ……ら……?」
 言葉というよりは喉を鳴らしただけのようなかすれた声で名前を呼ぶと、少女はにっこりとほほえむ。
「そうじゃ、わらわじゃ。やれやれ、『ナッシュさんが死んじゃう!』とビッキーが呼びに来たときには何事かと思ったが、ただの風邪のようじゃのう?」
 シエラは俺の頭をなでると。俺の額の上に乗っていた濡れタオルをとった。じゃぶじゃぶ、という音がしたかと思うと、またひんやりとしたタオルが俺の頭にのせられる。
「かんびょう、してくれたのか……?」
「ビッキー引っ張られてここまで来てしまったからのう。何もせずに帰るのもばからしい」
 くすりと笑って、シエラはまた俺の頭をなでた。
「まだ熱はひかぬようじゃのう。どれ、何ぞ口にいれるかえ?」
「……いや、いい……」
 喉がとにかく痛くて、何も食べたい気がしなかった。それに体を起こすだけの元気もない。
「さっきまで嫌な汗をかいておったから、水分の補給だけでもしておいたほうがよいぞ。ほれ口だけでも開けよ」
 弱々しく口を開けると、病人用の水差しの口があてられた。そこからレモンの香りのついた湯冷ましがゆっくりと流し込まれる。
 ほのかなレモンの香りのおかげか、意外にすんなりと湯冷ましは喉を通る。
「あり……がとう」
 必要なだけ水を飲んでそうささやくと、シエラが苦笑した。
「ずいぶん甘えたになったものじゃのう。子供と変わらぬ」
「あんた……だから、な……」
 そういうと、またシエラはほほえんで額の布を取り替えてくれた。と、その手が止まる。
「なんじゃ? さっきまでとろけた顔をしていたというのに不満そうな顔になって。何ぞ具合が悪くなったかえ?」
「いや……」
 俺はゆっくりと首を振った。
「あんたが……いる、のに。……力が出なくて、抱きしめられない」
 思ったことをそのまま口にするとシエラは笑い出した。
「この期に及んで考えることがそれかえ? 全くしょうのない男じゃ」
「……だっ、て」
「無理にしゃべるでない」
 シエラは笑ったまま俺の布団を持ち上げた。ショールを脱ぐと中に潜り込んでくる。
「え……しぇら…………? 風邪、うつる……」
「吸血鬼が人間の風邪などひくわけがなかろうが。おんしの手では抱きしめられぬというなら、わらわがおんしを抱いてやろうぞ」
 言うが早いか、抱きしめられた。
 シエラのぬくもりが俺の体を柔らかく包み込む。
「大きな子供じゃな、おんしは」
「風邪、ひいてるから……甘えたいんだ」
 ほんにしょうのない。
 くすくすと笑うシエラに与えられたぬくもりに体を預けて俺はまた眠りにおちていった。
 シエラが看病してくれるなら風邪をひくのも悪くないかな、と考えながら。



 三日後、調査結果はまだかとササライに怒鳴り込まれ、病み上がりで調査にでかけさせられて、風邪をひきなおしたというのはまた別の話。
(ちなみにそのときはシエラはきてくれなかった)




20万ヒット記念企画
194000ヒットの紅紫様のリクエストで
「一層苦労するナッシュ」

というわけで、風邪をひいているというのに、
次々と不運に見舞われて悪化したあげく倒れてます。

更にシエラにひどい目にあわされとこうかなーと思ったのですが、
あんまりかわいそうだったのでやめておいてあげました。
ちょっとシエラ様が優しめですが、さすがに病人には優しくするんじゃないかと思います。


リクエスト、ありがとうございました!!


>戻ります