Shall we dance?

「ふむ……」
 その日、ナッシュが目の前に広げて見せたものに対し、シエラはわずかばかりのため息をもらした。
「上物じゃのう」
 手に取ってみる。
 極上の絹でできたそれは、滑らかでしっとりとした優しい手触りがした。
「だろ? あんたに似合うと思ってさ」
 ナッシュは、もう37だというのに相変わらず行儀悪く椅子にあぐらをかきながら笑った。
「それは否定せぬが……のう」
「ん?」
 ナッシュはわざとらしく首をかしげた。
 今シエラの目の前にあるもの。それは、極上のシルクでできた、宵闇色のドレスだった。
 少女らしい清楚なデザインに、たっぷりとしたレースと刺繍。ところどころに金でできた小さな蝶々が縫いつけられている。
 正式の礼装にしては少々丈が短いが、これはおそらくダンスパーティー用のものだからなのだろう。
 一緒に、金の蝶々がついた同色のダンスシューズと髪飾りがついている。
 本当に、極上の部類にはいるドレスだった。
 そして、
「明らかにおんしが買える代物ではないのじゃが」
 言うと、ナッシュはへらっ、と笑った。
「あ、やっぱわかるー? さすが始祖様、ものを見る目があるねえ」
「問題はそこではない! ナッシュ、で、このドレスをわらわに贈るからには、何ぞ裏があるのじゃろう!!」
 思い切り怒鳴られて、ナッシュは苦笑した。

 ゼクセン騎士団長クリスは、珍しくドレスを着て夜会に出席していた。
 白を基調に、紫と黄で刺繍を施された豪奢な衣装はダンスパーティー用のもの。ダンス嫌い、というよりは、ダンスの神様にとことんまで嫌われた彼女にしては、かなり珍しいことと言えるだろう。
 しかも、夜会が開かれている場所も更に珍しい。
 夜会の会場は、ゼクセン騎士団の領地でもなければ、評議会の領地でもなかった。ハルモニアとの国境にある小さな領主のパーティである。
 普段の彼女を知る者ならば、どういう風の吹き回しかと首をかしげるところだ。
 だが、彼女には出席しなければならない理由があった。
「ふう……」
 ダンスパーティーだというのに、会場に現れてから、軽く飲み物を飲んだだけでひたすら壁の花と化していたクリスは、ため息をついた。
 側にパートナーはいない。
 見た目だけならば、他の出席者が放っておかない美女なのだが、その凛としすぎた立ち姿と背中に棒が入っているかのような直立不動の体勢に、まだ誰も近づけないでいる。
 ふと会場の入り口に目をやったときだ。
 その辺りで、小さくどよめきがおこった。
 誰か、出席者が新たに現れたのだろう。そのチェックも仕事の一つであったクリスは、目をこらし……そのままの表情で固まってしまった。
 そこに現れたのは、ハルモニアの貴族らしい二人連れだった。
 かなりの高位の貴族なのだろう。おちついた緑の服を着た男のほうは、見事な金髪をしていたし、その連れの少女はクリスの上をいくほど色素の淡い、また見事のプラチナブロンドをしていた。
 そして、二人とも身に纏うそのドレスがすばらしい。
 いや、ドレスだけではない。立ち振る舞いにおいても、その一つ一つがこの上なく優雅なのだ。
 ただある一点の違和感を除けば。
「え……?!」
 クリスはその違和感にとらわれて絶句したままだ。
 クリスの違和感。
 それは、男の顔だ。
 彼の顔は、クリスが見知っている者と非常によく似ていたのである。
 育ちがいいだの、もと貴族だの、いろいろと噂は聞いていたが、過去に彼がクリスに見せていた顔は、およそ上品とはいえないものばかり。だから、顔は同じでも、今見ている男とは別人にすら思える。
 だが、その造作。そして緑の瞳。
 かなり長い間呆然としていたクリスは、人に声をかけられて、我にかえった。
「こんばんは、娘さん」
「あ、は、はい。すまな……」
 謝ろうとしてクリスはまた凍った。
 目の前にいたのは、件の怪しい貴族だったからだ。にこにこと、男はとらえどころのない笑顔を浮かべている。
「はじめまして、私の名前はドミンゲスと言います」
「ど、ドミンゲス殿か……か、変わった名前だな。私の名前はクリス=ライトフェローという。よろしく……」
「ええよろしく、銀の乙女さん」
 にやり。
 かつて、ゼクセンとグラスランドの中立地帯で見せたのと、そっくり同じ笑いを見せて、男は一瞬だけ笑った。それを見て、クリスは確信する。
 こいつは……あいつだ!!
「ハルモニアの工作員が、わざわざ正装してなんでこんなところにいる?!」
 ぐい、と夜会服の裾を掴み、人の流れから離れるとクリスは『ドミンゲス』の耳元で囁いた。
「ま、いろいろと大人の事情がありましてね」
 くすくすと楽しそうに男は笑う。
「何が大人の事情だ。ここで会ったのも何かの縁だ、知っている情報を流してもらおうか、ナッシュ……む!」
「その名前は、ここでは言わないの! 正体ばれたら元も子もないんだからさ」
 軽く指先で口を封じられ、クリスは背の高いこの男を睨みあげた。
「そうそう。ちょっとだけ、おとなしくしててね」
「グラスランドが再び戦火に脅かされようとしているのだぞ、おとなしくなんかしていられるか」
 クリスは低く言った。
 つい半月前に流れてきた、ハルモニアのグラスランド進出の噂。
 確かに、現在グラスランド、ゼクセンの両軍は五行の紋章戦争のおかげで弱体化しており、攻め入るにはもってこいの状態である。
 痛手をうけたのはハルモニアも同じだろうが、相手は大国、もともと手元に置いてある兵力の差がありすぎる。
 だから、その先兵と噂されるハルモニア貴族の館に調査にやってきたわけなのだ。
「前からしてみたら随分の行動力だよねえ……そういえばパートナーは?」
「今、女性を中心に調査中だ」
「あー……パーシィちゃんが護衛なのね……そりゃ適任だわ」
 ナッシュは苦笑した。
 ナッシュ以上に女性の扱いを心得ていらっしゃる疾風の騎士、パーシヴァル。彼以上にこういった夜会の潜入捜査に向いた人間はいないだろう。
「噂であればいいと思っていたが……お前がここにいるということは、戦争の話は本当のようだな」
「そうでもないよ?」
 こきこき、と首をならしてナッシュは言った。
「うまくすれば、噂は噂のままにしておけるかもしれない」
「なに?!」
 ナッシュの台詞に、クリスの眉がつり上がった。まあまあ、とナッシュはどこから入手したのやら、花を一輪差し出して笑う。
「ここはパーティ、もうちょっと楽しそうな顔をしなさいよ。……実はね、この戦争の話、上層部からはまだ承認がおりてないんだよ」
「え?」
「ほら、ハルモニア軍って優秀だろ? だから連戦連勝、国土は増えるばかり……って、増えるのも問題でさ。今国境が広がりすぎてて困ってるんだよ。今はむしろ、国内をきちんと整理するほうが重要課題でさ」
 いいかげんにしておいて、また仮面の神官将みたいなのがでてきても困るからねえ。
 のんきに工作員は言う。
「けれど、ここの領主はそうは思っていないみたいだぞ」
 クリスが言うと、またナッシュは花を取り出した。
「そう、そこが問題。一端ハルモニア軍として戦端を切っちゃえば、国としてはフォローしないわけにいかないしね。今回の俺の任務は、本当の火になっちまう前に火種を消すことなんだ」
「……」
 クリスはナッシュをじっとみつめた。
 嘘とごまかしだけで世間を渡る男だ。総簡単に信用していいものかどうか、迷う。
「ひどいなあ。俺、女の子傷つけるような嘘言わないよ?」
 ばさり、と今度は花が束になってナッシュの手から現れた。そして強引にクリスの手におしつけた。
「それはそれで信憑性がないな、ドミンゲスとやら。お前が連れてきたあの少女、お前が潜入する隠れ蓑として使われているのではないのか?」
 ダンスホールの隅で、男達に囲まれて困った笑みを浮かべている、ナッシュのパートナーを指してクリスが言った。ナッシュは笑う。
「お前の正体がのちのちばれれば、彼女にも累はおよびかねん」
「そのへんはご心配なく。彼女もハルモニアの貴族なんかじゃないから」
「え」
「カミさんを仕事にひっぱりこむのは気が引けたんだけどねえ……」
 聞き逃すには、重要なことばかり含まれているナッシュの言葉に、クリスは問い返そうとした。だが、ナッシュの手に花が現れて、また口をふさがれる。
「クリス様、どうされました?」
 いいかげん花をたたき返してやろうかとおもっていたところに、声がかけられた。
 見ると、小姓姿のルイスが、飲み物を片手にこちらにやってきている。
「ああ、ルイスか」
「どうされたんですか、そのお花……それに……え、あれ?!」
 ナッシュの姿を認めて、ルイスは危うく飲みものを落としそうになった。
「ルイス、こちらはハルモニアの貴族のドミンゲス氏だ。失礼のないようにな」
「はじめまして、ルイス」
 にっこり。
 むっつりとした上司と、にっこり笑う男を見て、優秀な小姓はそれ以上の追求をやめた。
「ふーん、ルイスも連れてきてたのか。あと他に六騎士の連中はいるの?」
「いや。あとは警護の一般兵だけだ。さすがに何人もブラス城を留守にさせるわけにいかないからな」
「そうかそうか……」
 ナッシュはしばらく思案顔になったかとおもうと、にやりと笑った。そして、その笑顔のままクリスに話しかける。
「なあ、ちょっと共同戦線といかないか?」
「なに?」
「クリスも俺も、戦争は回避したい。そうだろ?」
「それはそうだが……」

 ナッシュは、また花を渡すふりをして、クリスの耳元で囁いた。
「実は、クリス達も狙っている、この戦争の作戦書、そのありかはもうわかってるんだ」
「?!」
 クリスは驚いて、花を落としかけた。手からこぼれおちた花を拾って、ナッシュは囁く。
「パスコードも入手ずみ。だけど、盗みにはいる隙がなくてね。どうだい? 俺が人の目を引きつけている間に、ルイスにとりに行かせるっていうのは」
「……そんな、危険なこと……ルイス一人に」
 クリスはナッシュを睨んだ。
「人目をひく俺たちも結構危険だぜ? それに、成功すれば、ただの小姓でノーマークのルイスが、一番安全だ。どうだい?」
「……」
 クリスは、ルイスを見下ろした。
 話を横で聞いていた彼も頷く。
「わかった。お前の話を信用しよう。だが……しくじったり、裏切った場合は、お前の本名をここで叫ぶからな」
「どうぞご随意に」
 くす、と笑って、ルイスに何か小さな紙片を渡すとナッシュはクリス達から離れた。そして連れてきた少女へ声をかける。
「シェーラ、一曲踊らないか?」
「あら、旦那様は私のことを忘れたのかと思いましたわ?」
「怒らないで。少し商談をまとめるのに手間がかかってしまったんだ」
「あら、本当かしら?」
「私が君以外を見てるわけがないでしょう?」
 くすくす、と少女は笑う。ナッシュが手を引くと、彼女は素直に従って、ダンスホールへと歩を進めた。
 ワルツが始まる。
 そのとたん、会場のあちらこちらでため息がもれた。
「……これはまた綺麗な踊り手だな……」
 生来の朴念仁のクリスでさえ、そう漏らすほど、二人の踊りは美しかった。
 紳士に手を引かれ、可憐に踊る少女の姿。
 紳士のエスコートに従順に従うかと思えば、ときに奔放に舞うその様子はどこまでも繊細で、容姿に似合わぬ優雅さまでも醸し出されている。
 くるり、と彼女が身を翻せば、極上のレースの裾が合わせてまいあがった。
 その裾一つさえも美しいと感じてしまうのは、やはり彼女の踊る姿がすばらしいからだろう。
 そして、その少女の踊りを的確にリードするナッシュも相当の舞い手だ。
 しばらく、その姿に見惚れていたクリスは、そこで我に返った。
 確かに、彼らの踊りはすばらしい。会場の視線のほとんどは、彼らに向けられている。だが、それだけではまだ足りない。
 肝心なのは、警備の目だ。
 ルイスはすでにクリスの側から離れていた。今頃は会場の出入り口付近だとは思うが、まだ作戦書を取りには行けない。
 そのときだ。
 きらり。
 シェーラと呼ばれた、ナッシュのパートナーの右手が小さく光った。
「ん……?」
 ナッシュのことだから、何かの余興だろうか?
 少女もただ者ではなさそうだが。
 きら、きらり。
 少女の右手は、また明滅する。
 その不自然な光は、紋章術のようだが、何の紋章かははっきりしない。
 見ていると、だんだんと少女の手の明滅の早さが激しくなってきていた。
 きらり。
 少女の手が、一際強く光る。
 と、同時にワルツを踊っていた二人の周りに光が溢れた。
「な、何?!」
 真っ白な光に、目を開けていられない。光とともに、眠りの風にもにた薄紅色の花びらのようなものが見えた。
 どこからか異常を察知した警備員が駆けてくる。
 そして、始まったときと同じように、唐突に光は消えた。
 踊り手達の姿もない。
「な、な、何事だーっ!!」
 警備員達の怒鳴り声が交差するなか、クリスさえも呆然とそこに立ちつくした。

「あー今日はツイてたっ!」
 森の中を歩きながら、ナッシュは笑った。
 その手には、ルイスに入手してもらった作戦書があった。こちらは証拠として作戦書が欲しかったため、クリスには同じ内容の写しを渡してある。
「やれやれ、一緒にパーティに出てにこにこしておればよい、と言っておった癖に、とんだ骨折り損じゃ」
「悪かったって、シエラ。でもおかげで仕事は大成功だったぜ」
   きっちりとセットされていた髪を、ナッシュはぐしゃぐしゃとかきまわす。胸元のアスコットタイは館を出たときにほどいていた。
「他人を使うばっかりしておいてよく言う……」
 こちらは、ドレスだけは変わらずに表情だけかえて、シェーラ、もといシエラはむくれた。
「だから……って、お」
 ばさり、と鳥の羽音がしてナッシュは顔をあげた。リュックサックを背負ったナセル鳥がこちらへ降りてくる。
「なっしゅ! 仕事ハカタヅイタカ!!」
「もう完璧。早速これをひとっ飛びササライ様に届けてくれよ」
「ショウガナイナー」
 ドミンゲスはナッシュの手へと降りてくると、背中をむけた。ナッシュは器用に片手で作戦書を折りたたむとドミンゲスのリュックにいれてやる。ナセル鳥はくるる、と一鳴きするとすぐに飛び去った。
「さて、と」
 また森の中を進もうとしたナッシュにシエラの手が触れた。
 不思議に思う間もなく、シエラが紋章の力を使う。
 気がついたときには、館からかなり離れた丘の上だった。
「シエラ?」
「この格好で、追っ手からちまちま逃げるのは面倒じゃ。ったく、派手な真似をさせるから」
「術を派手にしたのはシエ……痛……っ、い、いえなんでもありません」
 足を踏まれて、うめくナッシュをじろりとシエラが睨んだ。
「……で、これだけ働かせたのじゃ。なんぞ見返りは期待してよいのじゃろうな?」
「あれ? ドレスだけじゃだめ?」
「これは経費じゃろうが。わらわは『おんし』から礼が欲しいのう」
 尊大に言い放つシエラに、ナッシュはどこからか花を取り出し、手渡した。
「ではシエラ様、一曲お相手を」
「ん?」
 丘の上は広く、月明かりは明るい。だから踊れない状況ではないが、意図がわからなくてシエラはナッシュを見上げた。
「その間に考えるからさ」
「しょうがないのう。では、一曲だけじゃぞえ?」
「じゃあできるだけ長い曲を……」
 低くワルツを歌うナッシュの声に合わせて、シエラはステップを踏み始めた。

50000ヒット記念、
夢月 蒼様のリクエストで、
「正装でダンスを踊るナッシュ&シエラ」です
いつもいつもいつも、貧乏くさいナッシュを書き慣れているせいか、
私用で正装をするナッシュ、というのがねた的にぜんぜん思い浮かばなくて、
こんなかんじになってしまいました。
ラブなんだか、ねたなんだかなんなんだか……うーん
こんな作品でよければお納めください
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