ザジ&ナッシュ仁義なき戦い
その2 〜自己紹介編 〜

「ザジ先生」
 母屋から別館に渡る渡り廊下を歩いていると、声をかけられた。振り向くと、美しい金の髪をした少女が私めがけて走ってくる。
 ユーリ・ラトキエ。
 私が組合の命により手の内に納めることになった少女だ。
 大きなエメラルドグリーンの瞳に、化粧なしで珊瑚色に色づく唇。命令によっては、どんなに不細工な女でも相手にしなければならない私にとって、彼女の容姿が美しいことは、運が言いといえるだろう。
 愛を語るときに嘘をつく手間が省けてすむ。
 素直でおとなしい性格も、あしらいやすくて楽だった。
「ザジ先生、これからお帰りですか?」
 見上げる瞳から、ただの好意以上のものを感じつつ、私は微笑む。
「ええ。ですが、別館のほうに上着を忘れてきたことを思い出しましてね」
「また忘れ物ですか? ザジ先生」
 ふふ、とユーリが笑う。
「新しい本が手に入ったからといって、浮かれてしまって。そうしたらうっかり」
 苦笑しながら、私は手に持っていた分厚い本を持ち上げた。紺色の背表紙のそれは、ずっしりと重い。タイトルは「用草綱目」……薬草の本だ。この家で、私は本好きということになっている。
 頭がいいという印象を植え付けるためもあるが(私の頭のできは正直いいほうだが)その他に、指令書を疑われずに受け取る方法としても有効だったからだ。
 この本は一見普通の本だが、実は表紙に細工がしてある。裏表紙が二重になっており、そこを特別な方法で開くと中に指令書が入っているのだ。
 自分を破滅させる方法が潜ませてある本を『すごいですね』などといいながらユーリは面白そうに見ている。
「あら」
 自分を見ていた少女が、視線を移した。
 一緒になって視線をたどると、中庭の先にその対象がいる。
 それは、『絵に描いたような王子様』だった。
 陽光のもと、きらきらと光る金の髪。極上の宝石を埋め込んだような深いエメラルドグリーンの瞳。顔の造作は甘めだが、精悍さもあり、上品な美貌と言っていい。背は高く、なんの気負いもなく着こなした上等な服からは、すんなりと伸びた手足が覗いている。
 恵まれた人間というものは本当にいるものだと、羨望と強い嫉妬を感じながら、私はそれでも顔だけは笑む。
 いや、そんな批評をしている場合ではない。
『王子様』を見つけたユーリの声音はかなり嬉しそうだ。彼女を口説き落とすのに障害となるような男ならば、排除しなければならない。彼は一体誰なのかと尋ねようとすると、それより一瞬早く彼女は『王子様』を呼んだ。
「兄さん! こんなところにいたの?」
 呼ばれると、『王子様』はぱっとこちらを向いて嬉しそうに笑った。屈託のない笑顔は、陽光をはじくようだ。その様子は一枚の絵画のようですらある。
 ではなくて!
 一瞬、情景描写に逃げそうになった自分の思考を、私は無理やり引き戻した。
 兄さん? ユーリの兄さん?
 言うまでもなく、ラトキエ家の子供は二人だけだ。長男ナッシュと、妹のユーリ。だから、ユーリが兄さんと呼ぶのはナッシュただ一人のはずだ。しかし、となると彼は昨日庭で私の弁当を奪ってがっついていた『ぼろ雑巾』と同一人物ということになるわけで……。
 停止してどこかに放り出したい自分の思考に私は頭痛を覚える。
 でも顔はいつもの笑顔のままだ。……多少ひきつっているかもしれないが。
「ユーリ!」
 『王子様』は軽く走ってこちらに近づいてきた。ユーリが笑いながらそれを見上げる。
「父さんが剣の稽古をつけるって言っていたから、てっきりまだ訓練室にいると思ったわ」
「あんな何時間もつきあってられねーからな。休憩させてもらったんだ」
「自主的に?」
「ま、そんなとこ」
 『王子様』はその外見に似合わず、口を開くととたんにがらの悪い口調になる。こういうところはあの『ぼろ雑巾』そのままだ。
「っと、ユーリ、隣の人は?」
 『王子様』はやっと私に目を向けた。
「こちらは私の家庭教師のザジ先生よ。歴史を教えていただいてるの。ザジ先生、こちら、私の兄のナッシュです」
 ……やはり、彼は昨日の『ぼろ雑巾』であり、ナッシュであるようだ。私は軽く頭を下げた。
「ザジです。よろしくお願いします」
「ナッシュだ。よろしく」
 にこやかに笑うと、ナッシュは手を差し出してくる。私はそれを握り返した。
「ザジか……そういやあんたどっかで……」
「あら兄さん、お知り合いでしたの?」
「いやそうじゃなくて……ええと……あ、そうだ! 弁当の人!」
 弁当の人ときたか。
 これで顔が微妙に引きつるだけ、という私の顔面の筋肉は、我ながら凄いと思う。
「お弁当の人?」
「そうそう。昨日屋敷の庭で行き倒れてたら、親切に弁当をわけてくれてなあ……やー、あんたのおかげで助かったよ」
 ありがとな、と屈託なく笑うナッシュに対し、怒るべきか呆れるべきか私は本気で悩む。しかし、私が怒る必要はなかったようだ。それを聞いて、おとなしいユーリの顔が険しくなる。
「兄さん……昨日、ザジ先生からお弁当もらったって……」
「うん? ユーリ、それがどうかしたか?」
 きょとんとするナッシュの顔をユーリが睨みあげる。
「兄さん、私がザジ先生に作ってさしあげたお弁当、食べちゃったの?」
「ええ? あれ、ユーリが作ったのか? 道理でおふくろと同じ味が……って! あ、怒るな、ごめん、謝るから!! 兄さんが悪かった!!!」
「せっかくザジ先生のために作ったのに……」
「ごめん……悪かったよ…… それもこれも路銀をほとんどよこさなかった親父が……!」
 ユーリをなだめていたナッシュが言葉を切った。そして物凄い勢いで私の手から本を奪い取ると、自分の頭にかざす。
 たん、と音がしたかと思うと、次の瞬間には本に投げナイフが刺さっていた。ナッシュの行動が一瞬遅ければ、確実に彼の命を奪っていただろうその軌道と速度に私はぞっとする。
 ? 刺客か?!
 ラトキエの家には敵が多い。
 私の他にも狙っている人間はいるはずだが、私に気配を殺気を感じさせず行動できる程の刺客が、ことを起こすという知らせは入っていない。情報もれか、と思っていると、ナッシュが怒鳴った。
「いきなりナイフなんか投げてくるんじゃねえ! このクソ親父!!」
 ……は? 親父?
 ナッシュが振り向いた先、ナイフが飛んで来た方向をみると、そこには果たしてラトキエ家現当主、アロイス=ラトキエが立っていた。
 ちょっと待て。
 今のナイフは、確実に命を狙った軌道だったぞ。
 親がそんな勢いで跡取りにナイフ投げるか? 普通。
 呆然としていると、当主はまた腕を振りかぶった。タ、タン、という音がして、ナッシュの持つ本に刺さるナイフの数が増える。ナッシュがまた怒鳴った。
「ユーリもそばにいるんだからそういう危ない真似はやめやがれ!」
「妹も守り切れん息子に育てた覚えはない!」
「むちゃくちゃ言うなこの馬鹿親父!」
「親を馬鹿よばわりするんじゃない! 全く、稽古を放り出してなまけおって!」
「五時間も剣を振ってばっかいられっか! 俺は昨日帰って来たばっかりなんだぞ! 少しは休ませやがれ」
「そういうたるんだ根性が悪いんだ!」
 ぎゃんぎゃんと親子喧嘩をくり返すうちにも、本に刺さるナイフは増えていく。満遍なくナイフが突き立てられた本は今や針山のような有り様だ。ナイフをくり出すアロイスもアロイスだが、全部受けるナッシュもナッシュだ。
「ユーリ様……あの……これは……止めなくてもいいんですか?」
「いつものことですから大丈夫ですわ。お父様もさすがに兄さんが避け切れないようなことはしませんし」
 可憐なユーリお嬢様はおっとりと笑っている。……これをいつものことと片付ける家庭って一体……。私は、ユーリに関する認識を新たにすることにした。
 呆然と二人のやりとりを見守っていた私は、彼等の動きが見覚えのある型をもとにしていることに気がついた。無駄のないマーシャルアーツ。忘れようとしても忘れられない、吠え猛る声の組合のナイフ技術だ。
「ユーリ様……ナッシュ様が留学していた先って、もしかして……」
「あれ? 言いませんでしたっけ? 確か吠え猛る声の組合とか……なんでも火薬の扱いを学ばせるとかいって……お父様が無理矢理決めたようでしたけれど」
 まじかよ。
 思わず腹で毒づいた言葉が表に出るところだった。
 私が教えを受けていた指導者とは別の派閥のギルドマスターに教わっていたのだろう。今までよくばれなかったものだ。
 うちと無関係なところというとサウロ老あたりだろうか……そんなことを考えていた私は、ある重要なことに気がついた。
「俺はあんたのおもちゃじゃねえ!」
「わかっておるわ、この馬鹿息子!」
 罵声が飛ぶたびにナイフが刺さってゆく本。
 そういえば、あれには指令書が隠してあったのではないのか。
 両面ともにナイフが刺さりまくった指令書はおそらくもうぼろぼろになっているだろう。いや、ぼろぼろになるだけならまだいい。だが、あの指令書には特殊なしかけがしてあった。封が切られると、証拠を消すために一定時間で燃えて消えるのだ。
 ナイフが刺さった書類は、封が切られたのと同じ状態。
 つまり、何時火がついて燃え出しても不思議ではないというわけだ。
 やばい……!
 人畜無害な家庭教師の本が燃えていい道理などはない。
「ユーリ様、あの、私の本が……!」
 とりあえず、この状況で一番影響力のありそうなユーリに声をかけてみる。兄も父親も、溺愛している娘の言うことは聞くかもしれない。言われて、ユーリもやっと本が私のものだったということに気付いたらしい。
「あ! そういえば! 兄さん、お父様、やめて! ザジ先生の本が!」
 しかし、それは一瞬遅かったらしい。
「この阿呆が!」
 アロイスがゆったりとした上着のなかからパチンコのようなものを取り出した。素早い動きでそれを一気に引き絞る。
「食らえ!」
「食らうか!!」
 ナッシュが、ハリネズミのようになった本を投げた。二人のちょうど中間点で、パチンコから発射された弾と本がぶつかり、そして大爆発を起こした。
 爆音と爆風、そして熱。
 まさかこんなところで浴びることになるとは思わなかった懐かしい衝撃。
「な……!」
 思わず出した声は、ほぼ地であったことを、私は白状しよう。ナッシュが怒鳴る。
「こんなところで火薬玉を発射するんじゃねええええ!!」
 この台詞だけは、私はナッシュに賛成する。何故親子喧嘩で組合の秘術であるはずの火薬が使用されるんだ!!
「……ユーリ様、もしかして、ご当主様も組合に留学経験が……」
「ええ。祖父の代から続いているのですって。もうここまできたら、一家の伝統ですわね」
「そ、そうですか」
 それ以外に、私は返答の仕様がなかった。他の言葉というと、罵声しか思い付かない。
 一体、なんだって、ここの親子は、こんな馬鹿げた喧嘩をするんだ!!
 お前ら!!
 私の指令書をかえせ!!!!
 灰となった本のことを気にかけているのはきっと私だけだ。

ナッシュ本日の戦利品……ザジの本と指令書(焼失)

こんなしょうもない話なのに続きます……
ナッシュのお父さんって私こんなイメージです。
てか、東方不敗とドモン?
……つっこみはいれないでください。

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