ザジ&ナッシュ 仁義なき戦い
その5 〜涙の別れ編〜

 重厚なドアをノックすると、聞きなれた声が返事をした。
「ザジです。入ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、いいよ。入ってくれ」
 ナッシュの声に促されて、私は部屋の中に入った。
 ドアと同じくらい重厚で、上質な書斎が私を迎え入れる。ここは、つい先週までナッシュの父、アロイス=ラトキエが使っていた書斎だ。そして、先週からは、ナッシュのものとなっている。
「すごい書類の山ですね……」
 私は見たままの感想を漏らした。
 書類の海におぼれるようにして事務作業をしていたナッシュは顔をあげる。
「まあ、うちくらいしがらみの多い家ともなると、事後処理も半端じゃないからなあ……。しかも、何にも用意してなかったし」
 ふう、とナッシュは息をついた。
「何か、手伝えることはありますか?」
「いや、いい。これは俺が片付けなきゃならない仕事だから。それより、ユーリについてやっててくれ。あいつが一番ショックをうけてるはずだから」
 ふふ、と私は口元に笑みをうかべた。
「そのユーリさまに言われて来たのですよ、兄を手伝ってくれ、とね」
「そうか。ユーリらしいな……。すまん、じゃあちょっとその書類をナンバー順にそろえてくれるか?」
「ええ、いいですよ」
 私は、床に散らばっていた書類を拾い上げた。
 ラトキエ家当主が急死してから、一週間がたっていた。
 愛娘の結婚式まであと一月というところでの死だった。わずか五十二の若さなだけに、いろいろと噂がたったが、検死の結果、何の毒物も発見されなかったため、病死と判断された。
 もちろん、彼の死は私が手に入れた組合特性の毒物が原因である。
 いろいろと波風はたったが、結果は目標どおりのところへおちついた。
 あとは食い気ばかりの貧乏性坊ちゃんと、夢見るユーリお嬢様の二人きり、と一息つこうと思ったのだが、ここへきて、ナッシュが意外な邪魔者となっていた。
 食い気にしか興味がないとばかり思っていたナッシュは、組合の技のほかにも、さまざまなものを父親に教え込まれていたらしい。
 父が死んで翌日、恐ろしい速さで書類を集めたナッシュは、財産、取引、政治的約定のすべてを完全に凍結させることに成功した。ほんのわずかな書類にも、漏れは一切ない。おかげで政敵も親戚も手が出せなくなっている。もちろん、組合も。
 このぼけっとしているだけの子供のような男にそんな一面がよくあったものだと思ったが、そもそも、あの当主の息子なのだ。何か隠しだまを持っていないわけがない。私は、次のナッシュ暗殺計画に関しては、もっと慎重に計画を練ることにしよう、と心に決めていた。
「……なあ、ザジ」
 跡を継ぐために必要な手続きを終えるため、書類と格闘していたナッシュは顔をあげずに私に話しかけてきた。
「なんですか?」
「お前たちの結婚式って、あと二週間後だよなあ」
「予定ではそうでしたけど、やはり延期にするべきではないでしょうか? この時期ですし」
「いや、それはむしろやったほうがいいだろう。ユーリには、側にいて支えてくれる人が必要だ」
「結婚しなくても、側にはいられますよ」
 ナッシュは苦笑しながらペンを走らせる。
「やっぱ約束事があると違うもんだって。って、結婚してない俺が言うのも変か」
「当主さまのご命令ならききますよ」
 言うと、ナッシュがむくれた。
「あのなあ、ザジ、弟になるんだからそういう物言いはよしてくれ。実のところ敬語もやめて欲しいんだぜ?」
「私のこれはもう、癖のようなものですし」
「じゃ、癖をつけなおせよ。当主命令っ!」
「それ、さっき言ったのと矛盾してませんか?」
「ばれたか」
 ナッシュはぺろりと舌をだした。
「しかし……二週間か……まあぎりぎり間に合うか」
「どうしました? ナッシュ様」
「や、ちょっと、行かなきゃいけないところができちゃってさ」
 私は首をかしげた。今はもうそろそろ深夜と呼べる時間帯だ。これからどこかに出かけようにも、馬車も何もでていない。大体、継承手続きのおかげで、むこう一ヶ月はハルモニアから出られないはずだが。
「どこへ行かれるのです? 今からですと、お帰りは朝ですか?」
「や、ちょっと一週間くらい旅に……」
「え? 事務処理はどうするんですか?」
「今大体終わったところだよ。時間がかかりそうなものは、全部凍結処理をしてあるから、ヒクサク様の命令でもないかぎり、誰にも手出しはできない」
「だからって……!」
 ナッシュは静かに、しかし決意のこもった目で私を見た。
「でも、行かなくてはならないんだ。その間、ユーリのことを頼む」
「しかし」
 ナッシュは、書類の最後の一枚にサインをすると、立ち上がった。
「頼むよ、ザジ。ユーリには……そうだな。借金取りがやってきて、逃げ出したとでも言っておいてくれ」
「しかし……」
 答えながら、私は考えをめぐらせる。
 今の時期に、妹をほうっておいて行くところ? 考えつかない。
 彼の予定や、出席しなければいけない会議などは、事前にこちらでも把握している。ここから出る用は、まちがいなく、ない。
 何をするつもりだ?
 しかし、その思考はのんきな声でさえぎられた。
「あ、やべ」
 書類をまとめていたナッシュが、間抜けな声を出した。
 今度は何だ?
「あーあーあー……しまったなあ……」
 がりがり、と頭をかいて、心底困った顔になる。
「どうしたんですか?」
「や、財布の中身が何もないのを忘れてた」
「はあ?!」
 あんたついこないだ莫大な財産を相続したところだろうが!
「財産分与やらなんやらで、 手続きが複雑になりそうだったから、全部凍結したんだよー……まいったなあ。旅費がないじゃん」
 ふう、とため息をついたあと、ナッシュはくるりとこちらを向いた。そして、パン、と手を合わせる。
 おい、なんだ、そのポーズは。
「ザジ! お金貸して!」
「……」
 私は、返答するまでに、数十秒間を要した。
「……べつに、いいですけど」
「ありがとう!」
 にぱっと笑うナッシュを見ながら、私は腹の中で大絶叫した。
計画性という言葉ぐらい、頭にいれとけ!!



ナッシュ、今日の戦利品…………20000ポッチ



えっと、一応次で終わりのつもり……


>戻ります