「……っ」
女のすすり泣きの声に、私は眉を上げた。
「うるさいですよ」
冷ややかにとがめられ、女はひくっ、と喉の奥で悲鳴をあげて黙る。
やれやれ、女というのはどうして、こんなにうるさいのだろうか。泣くときも悲鳴をあげるときも、……笑うときも声が甲高くて気に障る。
女は行為の傷痕を隠すようにブラウスの前をかき合わせると、震える手でボタンをとめはじめた。
そんなに隠そうとしなくても、痕をつけるようなまねはしていないのだが。(そもそも、証を残したいような女でもない)
シャツの前をはだけたまま、私は女を見下ろす。
先ほどまでの熱の余韻があたりを漂っていた。
視線を移すと目に入るのは調理器具とシンクとオーブン。あまり、この場にこの空気はそぐわないな、と私は思う。
まあどっちにしろ、本能の行為に場所など関係ないのだが。
私が今いるのはラトキエ家の屋敷のキッチンだ。
ユーリの婚約者におさまった私は、当主の誘いをうけて、今はこの屋敷に寝泊りをしている。結婚式の準備、というのがその理由だ。準備といってもそのなかの半分くらいはラトキエ家の婿教育だったりもする。
この状況は、彼らが言い出したこととはいえ、当主の殺害計画を実行に移すには、もってこいだ。私はすぐに、前から目をつけていたメイドに手を出し、自分の命令に従う人形へと仕立て上げた。今ここにいるのは、人形のメンテナンス作業といったところだろうか。自分の体の処理、というのも目的にないわけではないが。
「ひどい……」
「そんな当たり前のことを言っても、私は傷つきませんよ。はいこれ。塩のようですが、中身は砒素です。当主さまの食事に、ちょっとずつ混ぜてください」
「……混ぜる、って!」
「混ぜられて、生きてる人はあまりいないでしょうねえ」
女は沈黙した。
「頼みますよ。手駒はまた手に入りますけど、いちいち調整するのが面倒なので」
「ご当主さまや、ユーリさまに言います!」
「言えば?」
私は笑った。ほんとうにおかしかったから。
「言ったところで、嫉妬にかられた貴女の狂言でことはすまされてしまいますよ」
私はポケットから、一通の手紙を取り出した。
「ザジさま……例え貴方がユーリさまの婚約者であってもお慕いしております……貴方のマデリーン。……だめですよ、こんな不用意な手紙を送っちゃあ」
「貴方がそんな人だと知っていたら、こんな手紙、書きませんでした!」
「あなたのように愚かなひとに、わかるわけないでしょう? 完璧に隠していたのですから」
女はまた泣こうとする。
ああ、うっとうしいったら。
「考え方でもかえたらどうです? うまくいけば、ラトキエ家次期党首の愛人、なんてポストにおさまることもできるのですよ?」
女は息をのんだ。
「まさかナッシュ様まで……」
「さあどうでしょう」
笑おうとした私は、そこで動きを止めた。
「ザジ……様?」
「しっ、誰か来る」
私は物音を立てないよう慎重に彼女を調理台の下に押し込んだ。そして、自分もそこに隠れる。大の大人が隠れるには少し狭いが、贅沢は言っていられない。それに、一応扉には鍵がかかっているのだ。
ただ使用人が通りがかっただけならいいが、鍵を持っている女中頭あたりなら、少々面倒だ。
私は耳を澄ます。
近づいてくる足音の大きさと、間隔で大体の体格を推し量ることにした。
背は高い……この高さと重さからして、男性だろう。そして、この微妙に訓練された名残のある足音はおそらく……
「あー腹減ったああぁぁ」
ナッシュだ。
私は胸のうちで盛大にため息をついた。
まったく、こいつの間の悪さは天下一品だな!
腹が減った、という台詞のとおり、彼の目的地はここ、キッチンらしい。
いいかげんにしてくれ。
大体何故こんな時間に腹が減る。ああでも、鍵がかけてあるからおとなしく帰るか……。
しかし、そんな私の思惑はかなり甘かったらしい。
がしょがしょ、とドアノブをいじったナッシュはこう毒づいた。
「なんだ、鍵かかってんじゃん。ゾフィーも意地が悪いなあ……とはいえ、腹が減ってちゃ寝られそうにないし……しゃあない、開けるか」
何がしょうがないんだ!
そんな私の叫びなど気づかずに、ナッシュは何かを懐から取り出したようだ。ちゃりちゃり、という金属音と、聞きなれたキーピックの音。
……こんなところで組合の技を使うんじゃない。しかも、夜食ごときで。
調理台の下で息を潜めていると、ナッシュは鼻歌なんぞ歌いながら部屋に入ってきた。正面からは見えないが、裏から見られたら確実にばれる。最悪の事態を予想して、私は手の中にナイフを滑り込ませた。
ここで、まだ正体がばれるわけにはいかないのだ。
「さ〜〜てと、手軽に食べられるものは〜と、パン……は、うわ、硬いな〜〜、でもないよりはましか。あと…腹にたまるものは……」
ナッシュは、ごそごそと簡易貯蔵庫のあたりを探っている。場所は、私たちの隠れているところの斜め横。あと数センチでも視線を移動させらたらアウトだ。
「お、ハムがあるじゃん。ラッキー。ちょっともらっていこう。……っと」
ナイフで肉を切る音が耳に届く。
やれやれ、あの大喰らいでも、ハムまであれば納得するだろう。
「あとはチーズもあれば完璧なんだけどなー……って、あんまり贅沢も言ってられないか。食べ過ぎると、ゾフィーに怒られるし。……あれ?」
ナッシュが動きを止めた。何かを拾う気配。
「なんだこれ……塩? いやにちっちゃい瓶だな」
…………!
私は、全身から血の気が引いていくのを感じた。
まずい、あれは今女に渡そうとしていた砒素の瓶だ!
隠れるときに落としたのか?!
しまった……彼は薬品の知識がある。見ただけではもちろんわからないだろうが、不審物として調べられれば一発で毒物と知られてしまう!
やはりここで殺してしまおうか。私は手に握るナイフに力をこめた。しかし
「どーせまたユーリが買った健康食品だな? まったくあいつの、ものみんた崇拝にも困ったもんだ。今週は塩の特集でもやってたのかな」
ものみんた、というのは、上流階級の奥様がたの間で話題の社交界司会者である。特に健康法についての講演が大人気で、医者の指導よりも、彼の健康法を信じる年配の人は多いらしい。
そうか、彼女にはそんな一面が……って、ポイントはそこじゃなくて!
ナッシュは、瓶を不審に思うでもなく、その塩の瓶を調味料棚に戻すと、踵を返した。そしてそのまま外に出て行く。
足音が完全に聞こえなくなってから、私はため息とともに調理台の下から這い出した。
「毒薬は……別のを用意しますから」
「ええ……」
うなずいた彼女の声が疲れていたのは、私のせいだけではないだろう。
…………。
夕食ぐらいちゃんと喰っとけ! この大喰らい!!
ナッシュ、今日の戦利品…………ハムのかたまりとパン

今回はちょっと大人な話にしてみました。
といってもあいかわらずギャグですが
「ものみんた」の元ねたがわからなかった人は、
平日の昼十二時におも○っきりテレビを見てください。
奴がモデルです
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