策士

 人生は生真面目であればよいというものではない。

 清らかな水をたたえる大河と肥沃な草原によって形作られた豊かな国、ファレナ。
 大地の恵みそのままに華やかな首都の中心に、支配者の威光を輝きでもって示すかのうようにして建てられた白亜の宮殿が座している。
 名前を太陽宮。
 太陽の紋章を掲げる王族の住まいであり、政治の中心部でもある。
 その宮殿の奥、歩く者の顔が映りこむほどに磨き上げられた廊下を一人の青年が本を手に持って歩いていた。
 年はまだ若い。
 二十歳を過ぎたばかりと思われるその青年は、その若さであるにもかかわらず廊下ですれ違う他の全ての兵士から最大限の敬意を払われた。
 理由は彼の纏う装束にあった。
 黒のビロードに金の縫い取りのされた豪奢な騎士服に大きな飾り襷。髷を結った銀髪。目元にさした鮮やかな紅。
 彼は、女王直属の親衛隊、女王騎士なのだ。
 幼いころから女王騎士となるために厳しく育てられ、育てられた通りに騎士となった青年の面差しは厳しい。
 一切の感情を表に出さず、無表情に規則正しく歩いていた青年は廊下の奥まで歩を進めるとそこで止まった。
 目的地の扉を見上げ、息を吐く。
 表情のなかった顔がやや変化したかと思うと眉間にくっきりとした皺が寄った。
「……」
「よおザハーク! 調子はどうだ?!」
 不機嫌に立っていた騎士の背を思い切り叩いて声をかけた者があった。
 乱暴な扱いに、ザハークはよろめいて手に持っていた本を床にばらまいてしまう。
「……っ、ゴフッ……っ、き、騎士長閣下……っ! おはよう、ございます」
 ザハークが振り向くと、そこには彼とよく似た黒い衣装を纏った威丈夫が立っていた。
 線の細いザハークとは対照的にこちらは豪快を絵に描いたような男である。
「朝からそんな不機嫌な顔してるもんじゃないぞー? これから授業か?」
 ファレナ女王騎士を束ねる女王騎士長、フェリドはザハークがぶちまけてしまった本を拾ってやりながら笑っている。ザハークは本を受け取りながら顔を無表情に戻す。
「すいません、閣下に拾いものをさせてしまうとは。ありがとうございます。これから授業です」
「そーかそーか。で、今の進み具合はどうだ?」
 にこやかな質問にザハークはまた眉根を寄せる。
「全くお話になりませんね」
「進んでいないとは聞いていたが、そんなにダメか?」
「ダメですね」
 ふう……とザハークは息を吐いた。
 一ヶ月前、女王騎士ザハークと、同じくアレニアにフェリドは一つの課題を出していた。
 それが彼らの言う「授業」だ。
 二ヶ月前にやっと収束した隣国アーメスからの侵略戦争。その時に多大な功績をおさめた一人の少年兵をフェリドが女王騎士見習いとしてスカウトした。しかしこの少年兵、出身は市井の孤児。所謂ストリートチルドレンであったため、女王騎士に求められる学識、礼儀作法を一切身につけてはいなかったのだ。
 とはいえその戦闘センスは失うには惜しい、というわけで先輩にあたるザハークとアレニアが女王騎士として必要な学問を教えることになったのだが。
「頭は悪くないと思いますが、集中力が一切なく、やる気も一切ありません。あのような怠け者、教育したところで意味があるとは思えませんが」
「手厳しいな…」
「毎日毎日、与えた課題を目の前にして眠りこける者に対しての評価としては適切であると思いますが」
「ふむ」
 フェリドはおもしろそうにザハークを眺めた。
「お前の見立てでは、頭は悪くないんだな?」
「理解力はあります」
 ザハークは彼の長所を認めた。
 授業を理解する能力がないわけではないのだ。
 しかし、能力があるとわかるぶんだけ、怠けられると余計に腹が立つ。
「だったら要はやる気をださせてやればいいんだ」
 にやりと笑うと、フェリドはザハークの肩をぽんぽんと叩いた。
「そう簡単におっしゃいますが……」
「なあに簡単なことだ」
 フェリドはザハークにウィンクひとつくれると目の前のドアを開けた。その中ではきつい面差しの女性騎士がテーブルにつっぷしている金髪の少年を叱りつけている。
「だから! 文字の『払い』のたびに墨を飛ばすのはやめなさいと言っているでしょう!」
「いやでもこれ力加減難しいですってー」
「力一杯筆を押しつけなくても文字は書けます!」
「ううう……」
 金髪の少年は筆を握ったまま唸る。
「よおアレニア、カイル、調子はどうだ?」
「騎士長閣下、ザハーク殿も」
 女性騎士アレニアは生真面目にお辞儀した。少年兵カイルはぱっと顔を輝かせる。
「あー、フェリド様こんにちはー」
「おう。元気そうだな。書き取りの腕は上がってないようだが」
「あうう……、申し訳ありませんー」
 騎士長の期待に応えられていないことに関しては負い目があるらしい。カイルは垂れた目尻を一層下げて弱々しく笑う。
 フェリドはカイルが書き取りをしていた紙をひょいと取り上げた。
「これが今日の成果か……なるほどひどいな。カイル、こんなんじゃ女にもてんぞ」
「え?」
 がば、とカイルが顔をあげた。
 ザハークとアレニアもぎょっとしてフェリドを見る。
「ソルファレナの娘は皆ハイソだからなー、歌の一つでもつけて恋文でも送れなくちゃそもそも相手にしてくれんぞ?」
「ううっ!?」
「字が綺麗なのは当然だが、添える歌も古今の文学、世事に富んだセンスのよいものでなければならん」
 食い入るように自分の書き取りを見つめるカイルをフェリドはにやにやと笑っている。
「それにもしうまくデートに誘うことに成功したとしても、テーブルマナーもできないのでは当然ふられる。貴族の女は立ち振る舞いが綺麗な男が好きだからなあ」
「う」
「社交ダンスの一つも踊れなければパーティーでのナンパは確実に失敗だな」
「ううっ!!」
 相当にショックを受けたらしい。
 カイルは目の前にうずたかく積まれているマナー、ダンス、文学などの教科書を真剣に見つめている。
 ザハークは手に持っていた歴史学の教科書(今日の授業範囲)をカイルの前に置いてみた。
「……カイル、土地の歴史をわかった上で口説かないと、諸侯の娘を口説くときに失敗しかねないぞ。講義を聞くか?」
「聞く!」
 ザハークは頭を抱えたくなるのを必死で抑えた。
 こんなくだらない理由が、このクソガキの原動力だという事実が腹立たしい。
 苦悩するザハークの肩を騎士長閣下がぽんと叩いた。そしてカイルには聞こえないようにこっそりと囁く。
「人はこうやって使うもんだ」
「……」
 その日を境にカイルは学問の才能を現し、水の紋章魔法を扱うまでに成長することとなるが、成長すればするほどザハークが不機嫌になっていったのは言うまでもない。

8年前くらいのねつ造SSです。
やんちゃなカイルと、彼に手を焼くザハークとアレニア。
動じてない騎士長様です。

カイルを召し抱えるにあたって、
ザハーク達に「人にものを教える難しさ」を勉強させるために
あえてカイルの教育係を彼らに押しつけたのだったらいいなあと妄想してみました。
それでもザハークは排他的……。
あまり仲がいいとは言えない彼らだけど、カイルはザハーク達が大好きだったらいいのに
とか思ったりします。




>戻ります