君と歩こう

 空を見ると思いだす。
 僕を乗せて運んでくれた、あの黒い翼を。

「ひゃっほーう!」
「こらあーっ! 最上階から飛び降りるな!」
 リドリー将軍の怒鳴り声にフッチが顔をあげると、五階からチャコが飛び降りるところだった。周りの者が目を丸くして見守る中、ウイングホードである彼は、うまく滑空して中庭へと降りてくる。が、やはり高かったのか、フッチの目の前の木に頭から突っ込んだ。
「だ、大丈夫?」
 恐る恐る見上げると、ずぼっ、とチャコが傷だらけの顔を出した。そこらじゅうひっかき傷だらけだが、満面の笑顔を浮かべている。
「おー? フッチか!」
「大丈夫?」
「だーいじょうぶだって! あーでもちょっと高かったかな。その分ながめよかったけど!」
 庭師がせっかく整えた木の枝をばきばき折りながら、チャコがおりてきた。
「城壁の外や、店の屋根が見えてさ、おもしろかったぜー!」
「…だろうね」
「なんだよ、ノリ悪ぃなあ。…ああ、そうか、お前竜に乗ってたことがあったんだっけな。そういう景色見慣れてたのか」
「…ここの景色は見たことはないけどね」
 寂しそうな顔をするフッチを不思議そうに眺めていたチャコだったが、すぐにその顔が引きつった。
「チャコー!!!」
 リドリー将軍が頭から湯気を吹きながらこっちへとやってくる。捕まったらお説教プラス、ゲンコツが飛んでくるだろう。チャコはその場を逃げ出した。

 ブラックがいたころは、あんな城のてっぺんよりも、もっと高いところを飛び回ることができたんだ。

「フッチ…………」
 兵舎の中、フッチとハンフリーにあてがわれた部屋でぼんやりしていると、声をかけられた。見上げるとハンフリーの巨体が目の前にそびえ立っている。
「ハンフリーさん、どうしましたか?」
 ハンフリーは無言で部屋の奥をあごでしゃくった。そこではブライトがフッチの額当てをかじっている。竜洞にいたころからつけていた、竜のひれを模したあの額当てだ。
「……いいのか?」
「よくないですよ! ああもう、ブライト、そんなよだれだらけにして……」
 額当てからブライトを引き離すと、フッチはため息をついた。額当ては竜特有のねっとりした唾液でべとべとだ。ブライトは、その姿が他の竜とは変わっていたが、それに加えてかなりのいたずらっ子でもあった。今日のように額当てをかじる、などというのは日常茶飯事。何か無くなったかとおもったら、大抵唾液と歯形まみれでブライトの腹の下から出てくる。
「もう〜」
 ブラックとは大違いだ、と重いながら肩を落とす。ブラックは頭がよかった。竜の方が成長がはやいせいか、世話を焼いてもらった記憶が多いのだが、ブライトには手をやかされてばかりだ。
「もうかじっちゃだめだよ!」
「きゅい?」
 わかっているのかいないのか。額当てあはこいつのお気に入りらしく、何度もかじられている。これでやむとは思えないけれど。
「……」
 ハンフリーが無言の圧力をフッチに送ってよこした。顔をあげると、ハンフリーはうなづいて戸口の方へと体を向ける。少し、出てくるというサインだろう。フッチはうなづき返した。
「ここで、留守番してます」
「…………フッチ」
「はい?」
「ブライトがどうしていたずらをするのか、考えてみろ」
 意味不明な言葉だった。わけがわからなくて、首をかしげるフッチをおいて、ハンフリーは出ていってしまう。フッチはブライトと二人(一人と一匹)、そこに残された。
 ブライトがいたずらをする、訳?
 ただ、何も考えてないだけだと思うけど。
 しかし、ハンフリーは無口なだけあって、無駄な発言はしない。彼の言葉は、常に、深い考えあってのことなのだ。
(なにか、あるのかな)
 しばらく考えてみたが答えは出ない。フッチはあきらめて当面の問題をかたづけることにした。
「全く、べとべとにしてくれちゃって…」
 タオルを出して、額当ての唾液をふき取る。タオルについた唾液を洗い流すのは骨が折れるだろうな、といやな予想をしながら。ブライトはその様子を首をかしげてみている。自分のしたことがわかっていないようだ。
「ブラックは、こんなことなかったのになあ」
 ぽつりとつぶやくと、ブライトがきゅい、と不満げに鳴いた。のてのてとやってくると、フッチのまたの間に、入ってこようとする。どうやら、背中に乗れ、ということらしい。しかし、当然のことながら、ブライトの背中は小さくて、とても乗れるものではない。
「無理だって、ブライト」
「きゅいっ!」
 ブライトは不満らしい。
「つぶれちゃうよ」
「きゅきゅいっ、きゅいっ!」
 ぱたぱたと小さなその翼を羽ばたかせて、乗れ、と主張している。フッチはため息をついた。
「まだ無理なんだよ。もっと大きくならないと」
「きゅい」
 ブライトはフッチを見上げた。やっぱり不満げに、そして、何か言いたげに。
 ブラックだったら、こんなとき、何が言いたいかすぐ分かったのに。
(でも)
 ふと、疑問がフッチの脳裏をよぎった。
 でも最初からブラックのいうことって分かってたっけ?
 気がついたときには、当たり前のように友達になっていて、忘れていた。ブラックとだって、最初から意志が通じてたわけじゃない。ブラックのことをわかろうと思ったときは、まず…
 フッチはブライトの瞳をのぞきこんだ。
 ブラックのことを理解しようと思った、そのときは、いつも、ブラックのことを見ていた。ブラックの表情、仕草をみていた。けれど、今自分はちゃんとブライトのことを見てあげていただろうか。
 確かに世話をしてやってはいたけれど。
「ごめんな、ブラックのことを思いだしてばかりいて、お前のこと、ちゃんと見てなかったな」
「きゅい!」
 ブライトがフッチのヒザに頭をのせた。言ったことが通じたのか、機嫌がよくなっているらしい。
 今わかった、ブライトがいたずらをするわけ。
 ブライトは、フッチに見て欲しかったのだ。ブラックのことばかり思っているフッチの気を引きたくて、いたずらをしていたのだ。
「ごめんな。僕はお前の主人だもんな。ちゃんとみてやらないとな」
 ブライトとブラックは別の竜だ。だから、必ずしもブラックのときと同じ関係を結ぶ必要はない。
 ブラックとは違った、ブライトとだけの関係を作っていかなければならないのだ。それは、ブラックを忘れることでも、裏切ることでもない。むしろ後ろを振り返っているのはブライトへの裏切りだから。
「ま、ころんでもけつまずいても、それは、それでおまえらしいかもな」
 その失敗はきっと全てが絆となっていくだろうから。
 フッチが笑いかけると、ブライトがきゅい、と鳴いた。
 窓の外に空が見える。フッチがあそこを飛んでゆくのは、きっと夢ではない。それは、近い、確実な未来のことだ。


大昔のHPに掲載していたSSをサルベージ。
そういえば、まだちゃんと引き上げてなかったのを最近思い出しました。
……そういえば放置から……五年くらい経っているような。
(HNもサイト名も傾向も全然違うよ)

ちゃんとデータを消すついでに、いくつかサルベージしてきました。
フッチ君はもともとこんなイメージです。



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