運命

それは、26になった今でも俺には訪れていない。



「アルベルト、シーザー! いらっしゃい!!」
 控え室に入るなり花嫁に迎えられ、俺たちは呆然と立ちつくした。あんまり綺麗なものを見たから。
「あら? うーん、やっぱりこんな格好似合わないかしら?」
 言葉を発しない俺たちに、純白のドレスを着た彼女は首をかしげる。
 俺はぶんぶん、と頭を振った。
 似合わない、なんてものじゃなかった。
 いつものひっつめた髪を丁寧に結い上げて花を飾り、眼鏡を外して化粧をした彼女は「綺麗」でしかない。
「そんなことないです! その……アップル先生……綺麗です」
 本当、こんなに綺麗な人だったなんて。
 他の男に嫁ぐ日に気づくなんて大間抜けもいいところだけど。
 アップル……彼女は、俺たち兄弟の家庭教師だ。昔軍師として活躍した彼女は、現在師匠の伝記を執筆する傍ら俺たちに通常の学問と一緒に様々な兵法を教えてくれていた。
 今日、彼女がドレスを着ているのは、彼女自身の結婚式のため。
 トラン共和国の大統領令息と、大恋愛の末やっと結婚……なのだそうだ。
 あんな女たらしと聡明な彼女が何故結婚することになったのか。それがここ数日の俺の疑問だったりもするが。
「アルベルト……お世辞はいいのよ?」
 アップルさんは苦笑した。
「本当にお世辞じゃないです。なあシーザー!」
 まだ幼児の弟に話を振ると、弟は花嫁を見上げてほにゃ、と笑う。
「うん。せんせーきれー」
「あら。じゃあ自信もっちゃおうかな」
 くすくすとアップルさんは笑った。くそ、幼児の言葉のほうが信頼度が高いっていうのがなんか腹たつぞ。
「アップル! 控え室にいると聞いたが……」
 軽いノックとともに、低い声が響いてきた。花婿シーナのものではない、聞いたこともない声に俺は驚く。しかしアップルさんは聞き覚えがあったらしい。声を聞くなり、顔を輝かせた。
「シュウ兄さん! 来てくれたんですか?! 入ってください!!!」
「妹弟子の結婚式を祝わないわけにいかないだろうが。相手が誰でも」
「もうシュウ兄さんたら……」
 軽い笑い声と一緒に入ってきたのは、背の高い男だった。
 歳は三十手前だろうか? 端正なくせに、精悍な顔つき。長い黒髪をきっちりとまとめ、地味だが高級なスーツを何の気負いもなく着こなしたその姿は、「デキる男」の見本品のようだ。
「アップル……綺麗だな……」
 男は、アップルを見下ろすと満足げに微笑んだ。
「今更だが、嫁に行くのはやめておかないか? あのどら息子にやるにはもったいない」
「兄さんがもらってくれるならやめておくけど?」
「それはなかなか迷うな……」
 彼らはかなり親しいらしい。端で聞いていると、かなり心臓に悪い内容でも笑っている。
「ん? 彼らは?」
 部屋に、手伝いの女性以外の人物がいるのに目をとめて、男は俺たちを見た。
「この子達は、私の教え子なの。彼がアルベルト=シルバーバーグ、彼がシーザー=シルバーバーグ」
「ああなるほど……シルバーバーグの……。初めまして。俺はシュウだ。彼女の兄弟子にあたる」
「アルベルトです」
「しーざーです!」
 にこやかに挨拶されて、俺とシーザーは礼を返した。
 そういえば、シュウという名前には聞き覚えがある。
「シュウさん…というと、もしかしてデュナン共和国の宰相の?」
 アップルさんから、時折デュナンの宰相の話は聞いていた。兄弟子であり、最高の軍師のうちの一人なのだと。問いかけると、シュウは笑った。
「まあそうだ。実態は仕事に縛り付けられてがんじがらめになっている哀れな男だが」
「そういえばシュウ兄さん、お仕事は?」
「フィッチャーとジェスに押しつけてきた。まあ、なんとかなるだろう。それよりお前の花嫁姿のほうが大事だ」
「それは光栄ね……」
 二人が笑い合ったとき、ばん、と控え室の戸が開いた。そして燕尾服の男が走り込んでくる。
「おいとんでもないのが来たって聞いたけど……げ!! シュウ!!!!」
「なかなかイイ挨拶だな。花婿殿?」
 入ってきたのは、花婿であるシーナだ。シュウを見つけて思い切り嫌そうな顔になる。
「デュナンの仕事も忙しいだろうに、わざわざ来なくていーよぉ……」
「お前のためじゃない。アップルのためだ。ヴァージンロードを一緒に歩く者がいなくては困るだろう?」
「ちょっと待て!! ヴァージンロードまで歩く気か!!」
 シーナが悲鳴を上げる。
 確かに、彼と並んだら花婿のほうがかすんでしまうだろう。……少しいい気味だが。
「まあ私を育ててくれたのはマッシュ先生とシュウ兄さんみたいなものだものね。シュウ兄さんに父親代わりをしてもらうのがいちばんしっくりくるのかも……」
 花嫁は乗り気だ。
「待て。こんな若い父親いないだろーが! むちゃくちゃ言うなーーっ!」
「え? 駄目?」
 アップルが困り顔でシーナを見上げた。
「う」
 シーナは、見つめられた体勢のまま硬直する。
 彼女は、いつもの調子で見上げたのだろうが、今日は違っていた。化粧をして、ドレスを着た彼女のおねだりは破壊的なくらい綺麗で魅力的だ。
 ややあって、シーナは視線をそらすとそこらの椅子に座り込んだ。
「わかったよ! わかりましたよ!! 俺がおれます!! よろしくな! シュウお父さん!!」
「ああ。息子よ」
 ばりばりと火花をちらしている男二人の間で平然としているアップルさんって、かなりの大物だと俺は思う。
「そーいやさ、あいつどーなったの?」
 しばらくして、ふてくされていたシーナが、ふとシュウに問いかけた。シュウはつまらなそうに応える。
「ああ、あいつか? 元気だよ」
「うそ、なんで元気だって知ってるんだよ!」
 聞いた本人のくせに、返答に驚いたらしい。シーナはがば、と起きあがった。シュウは平然とシーナを見下ろす。
「手紙が来るからな」
「……逃亡中になんで手紙だすんだあのアホは」
 これから式だというのに、花婿はがりがりと頭をかいた。
「ねえアップルさん……逃亡中って……」
 小声できくと、アップルさんは口の前で人差し指をたてた。
「内緒よ。シュウ兄さんの一番大事な人……今は旅に出てしまったけれど」
 宰相シュウの一番大切な旅人。そう言われて俺はやっとわかった。恐らく、即位直前で姿を消した、デュナン王国の王だろう。
 集った仲間を捨て、姿を消してしまった彼を、国民は恨むことなく今でも帰りを待ち続けているのだという。
「手紙って何。帰ってくるって?」
 横柄なシーナの問いに、シュウは律儀に答える。
「別に。今のところそんなことは書いてないな」
「じゃあ何が書いてあるんだよ」
「生きてる……とかまあそんなとこだ」
 シーナはふう、と息を吐く。
「それでまた待つのかよ?」
「ああ。姉が結婚したら帰ってくるだろ」
「あの鉄砲玉が?! 何年かかるんだよ」
 シーナの呆れ声に、シュウは笑った。落ち着いた笑いだった。
「生きていると解っていて、帰ってくると確信できている。これ以上悩むことはないね」
「……わからねー……」
「お前に解られたくもないな」
 シュウがくす、と笑うのを見て、シーナは口をへの字に曲げた。
「だろうな! じゃ、俺は自分の控え室にもどるわ」
 聞きたいだけ聞いて飽きたのか、シーナは立ち上がった。そのまま乱暴に戸を閉めて出て行く。
「全くあいかわらず勝手な奴だな」
「じれったいのよ、きっと」
「あいつはこらえ性がないからなあ」
 言っていると、また戸がノックされた。
「すいません……そろそろ列席される方は……」
 式場のメイドらしい。シュウは立ち上がると戸口に向かった。
「ではヴァージンロードの前ででも待っていることにするか。アルベルト、シーザー、お前達も来るんだ」
「え、あ」
「アルベルト、シーザーを連れて一緒に行ってちょうだい。ヴェールを持ってほしいの」
 お願いされて、俺たちも戸に向かった。出て行く直前、アップルさんは俺に耳打ちする。
「ついでだから、よく話をするといいわ。シュウ兄さんは軍師として最高だもの。きっと勉強になるとおもうの」
「はい」
 廊下に出ると、シュウは俺たちを待っていた。シーザーの手を引きながら、俺はシュウと並んで歩く。
「……シルバーバーグ……ということは軍師になるつもりか?」
 しばらくして、ぽつりとシュウがつぶやいた。
「はい。祖父のような軍師になるのが夢です」
 言うと、シュウは苦笑した。
「祖父……レオン=シルバーバーグのようにか」
「ええ」
 俺はシュウをみあげた。
「アップルさんは、貴方が軍師として参考になると言ったけど」
「ん?」
「俺は貴方のようになりたくない」
 シュウは、眉を少しだけあげた。
「デュナンを統一したことはすごい功績だと思うけど、そこまででしょ? 宰相の職務に縛られて、いつ帰るとも知れない誰かのために、ただ待ち続けて立ち枯れていく人生なんて嫌だもの」
「そうか」
 くす、とシュウは笑った。
「……レオンのように、己の功績のみを求めるのならば、そう考えるのが当然か。だがアルベルト、俺の思うところは違う」
 シュウは立ち止まって俺を見た。そして、懐から小さな本を出す。
「軍師とは、本のようなものだ」
「本」
「ああ。ただ、閉じた本だがな」
 俺は首をかしげた。シュウはその本を俺に手渡した。
「本はこの中にぎっしり知識を詰め込んでいる。だが、その知識はページを開かれないかぎり活用されることは皆無だ。軍師も同じ。活用すべき主君があってこそ役に立つのだ」
 俺たちは、本であり、書き手でも読み手でもない。
 そう言い決めると、シュウは俺の肩に手を置いた。
「まずは、運命を見つけることだな」
「運命……つまり、俺を使う主君ということ?」
「ああそうだ。この者故に命を賭したいという相手を見つけるといい……そのとき、わかるだろう」
 俺は頷く気になれなかった。軍師という道を選んでいても、自分自身の運命の主は自分だと思ったから。
 それを見て、またシュウは笑った。
「まあわからくていいさ」
「その内絶対わかるって顔ですよね」
 俺は睨む。
「その通りだ」
 苦笑したシュウの言葉を、俺はそのまま十数年以上も理解しないまますごすことになる

半年ほど前に物書き同盟に投稿させていただいたもの。
投稿をもっとしたいとおもっていたのですが、仕事が忙しすぎて断念

シーナアップル話かと思いきや、実はシュウ話。
シュウさんって、結構「主君ではない軍師である自分」
を気に入っていると思うんです。

戻ります