理由

「よっと」
 机の上にばらまいていた書類をまとめると、ササライはとんとん、と机にあててそろえた。それを処理済、と書かれた箱に入れると、今度は引き出しを開ける。中のものを全て出そうと体をかがめると、色素の薄い茶の髪が揺れた。
 本日、円の宮殿は小春日和。実に平和な空気が流れている。
 瀟洒な細工のされたステンドグラスから差し込む光を浴びて、ササライは微笑んだ。
「人が茶を飲む隣で掃除などするではない。埃が入るであろうが」
 若々しい、上等の鈴を転がすような声のくせに時代がかった口調で抗議され、ササライはその笑いを苦笑へと変化させる。
「そうはいっても、掃除をしているところにシエラ様がやってきたのではありませんか」
 ササライが顔を上げた先、部屋の中央に据えてある豪華な応接セットのソファには一人の少女が座っていた。いや、少女というには少々誤りがあるだろうか。
 シエラ・ミケーネ。
 27の真の紋章の一つである月の紋章を宿した永遠の少女。その齢は実に八百歳を数える。
 血のようなルビーアイがササライを睨む。
「そういうときは、中断するものじゃ」
「申し訳ありませんが……ここの掃除は今日中にやってしまわなければならないのです。どうか、ご容赦を」
「いつも散らかしているからじゃ」
 ふん、とササライに向けていた視線を外し、シエラは紅茶を口に運んだ。彼女が、本気で怒っているわけではないことを知っているササライは、もう一度謝ると今度は執務机のわきに積んであった本を分類し始める。これはもともと、部屋の奥の本棚にあったものだ。
 ハルモニア神聖国。
 現在世界で最も古い神政一致国家であるこの国は、神官長ヒクサクの所有する円の紋章のもと、実に五百年の長きのあいだ、停滞と繁栄を謳歌していた。国を支える真の紋章。その力を強化するために、数百年前から神殿では国をあげてほかの真の紋章の探索を行っている。
 シエラの持つ月の紋章もその一つ。本来ならば、のんびり茶など出している場合ではない。だが、ササライはヒクサクの不在をいいことに、彼女の存在を容認していた。
 月の紋章は不死の呪いの紋章。
 絶大な力はあるものの、持つ者を血に狂わせ、呪いを周囲に撒き散らすその凶暴な性質は多大な被害を辺りにもたらす。それを押さえ込めるのは、現在シエラただ一人と判断したからだ。彼女から紋章を取り上げたところで、こちらには被害しかでない。
 もちろんあまり大きな声で言えたことではないのだが。
「そういえばですね」
 周辺に散らばっていた辞書類を拾いながらササライが言った。
「なんじゃ」
「うちの部下に馬鹿なのがいましてね」
 シエラがふと紅茶を傾ける手を止める。
「馬鹿、とな?」
「ええ、大馬鹿です。仕事をやらせたら小器用で有能なんですけど二言目には休暇をくれって」
 一日二日の話じゃないんですよ?
 言って、ササライは本棚に本を戻し始めた。
「一つ仕事が終わるとすぐ雲隠れしてどこか行ってしまう。おかげで毎回仕事を依頼するのに一苦労なんです」
「それは……ただの勝手な者では?」
「いやそれが、休暇をとって旅に出る理由というのが、実は女でして」
「ふうむ?」
 シエラが目を上げた。
「行方不明になった女のあとを、ずっと追いかけているのです。それも五年も。ね? 馬鹿でしょう?」
 にっこりとササライはシエラに笑いかける。シエラはそれを無視した。
 不意に、部屋の戸がノックされる。
「誰?」
「ディオスです」
「ああ、入っていいよ」
 手入れをされた戸は、大きいくせに音もなく開く。新米将校は、緊張した面持ちで紅茶の乗った盆を持って入ってきた。
「シエラ様、お茶のおかわりをお持ちいたしました。それからササライ様、ごみ袋をお持ちいたしました」
「ああ、ありがとう。ディオス、お茶を出したらそこのごみを全部まとめて持っていってくれる?」
「はい」
 丁寧な手つきで客人の前に茶を出すと、ディオスはごみをまとめ始めた。この異様な客に対して何も追及しなければ他言もしないこの部下を、ササライは気に入っている。
「ええと、どこまで話しましたっけ。ああそう、五年も女を追いかけてるってとこまででしたよね。それで、その部下、そこまでしているのだから、きっとその女とは深い係わり合いがあるのだと思うでしょう? けど、聞いてみると、約束も何もしていないのだそうです」
 ティーカップを持とうとしたシエラの手が、ぴくりとふるえた。
「それどころか、契りはたった一夜。それだけだというのに」
 ふう、とササライはため息をつく。
「本当に、大馬鹿ですよ。ねえディオス、君もそう思わない?」
「え? い、いえ私にはなんとも……」
 突然話を振られてディオスはうろたえる。
「そういうときは嘘でも『そうですね』くらいは言うものだよ。まあ、もっともそれが言えないところが君のいいところだけど」
 くつくつとササライは笑った。
「その馬鹿は……ほかの女に目を向けようという気にはならなかったのじゃろうか?」
 ぽつりとシエラが言った。ササライは本棚に本を押し込める。
「ならない、というよりなれないらしいです。一度、奴好みの女との縁談を持ちかけたこともあるのですが、どうあっても『彼女以外惚れられない』んだそうで。あれはもう病気ですね。重度の熱病」
 困るでしょ? とまたササライはシエラに同意を求めたが、彼女はやはりそれを無視する。
「僕としてはさっさとその女を捕まえて、ふられるなりくっつくなり、ちゃんとけりをつけて欲しいと思うのですが、なかなかどうして、その女も身軽らしくて捕まってはくれない」
「女は、その男に近づいて欲しくはないのかも知れぬぞ」
「なら、会ってちゃんと振るべきです。しかし、それをしないということは、女に迷いがあるのですよ」
 じろり、とシエラは睨むが、当然のことながらササライは動じない。
「女の方も罪です。なまじ未練があるから突き放せず、ずるずると追いかけさせたままにしている。あの男があきらめることがないことくらい、重々承知のくせに」
「承知しておらぬのかもしれぬ」
「いえ、わかってますよ。これ以上ないというくらい、ね」
 ことん、と音を立てて、ササライは最後の本を棚に納めた。見回してみると、部屋は随分綺麗になっている。書類は全て片付けられ、机や棚に収められていないものはない。
「部下は、今年二十七になります。二十代の大半を、このことに費やすつもりのようです。人の人生において大事な時期のくせしてね……全部棒にふってしまった」
「馬鹿じゃの」
「ええ、馬鹿です」
「しかし、その女を見つけたとして、その男は何を得るのじゃろうか」
 シエラは目を伏せる。
「それだけ費やしたところで、女から何も得られないやも知れぬ。どころか、更に何かを奪われるだけかもしれぬのに」
「それは……部下次第でしょう」
「いや、確実に何かを失うぞ、その男は」
「もう随分いろいろなものを失ってると思いますけどね。……しっかし、それだけ散々探してる相手が、まさか上司の執務室でのんびりお茶を飲んでると知ったら、あいつ泣くだろうなあ」
「ササライ」
 ぱり、と小さな音をたてて、シエラの手に光が集まった。雷の紋章だ。
「すいません、失言でした。ああ、ディオス、ごみはもう集め終わった?」
「はい。捨てにいってきますね。ついでに処理済の書類を持っていきましょうか?」
「お願いするよ。あと、カフェテラスに行って、僕の昼ご飯を注文しておいてくれないかな? メニューは、ミートスパゲティがいいな。一緒に食べよう」
「かしこまりました」
 部下を部屋から出して、ササライはうん、と伸びをした。
「なんじゃ、昼食にも行ってしまうのか?」
「そろそろですから。退散しないと後が恐い」
「……? どういう意味じゃ、それは」
 にこ、とササライは意味深に笑った。
「ですから、そろそろ……」
 いいかけたとき、ばたばたというせわしない足音が廊下から響いてきた。それはササライの執務室までたどり着くと止まり、次いでドアが乱暴に開かれる。
「ササライ様っ! 何なんですか、あの脅迫じみた召喚状は! 俺は十年は寿命がちぢみましたよ!!」
 飛び込んできたのは、陽光のような金髪と、深い森の緑の瞳の青年。五年前とはまたデザインの変わったマントを着込んでいるが、ダークグリーンを基調とした色使いは一緒だ。
「ナッシュ……?」
 シエラは目を見開いた。
 彼女の持つ情報では、ナッシュは現在、遠く離れた南の地方にいるはずだったのに。
 ナッシュもまた、飛び込んできたものの、そこに予想外の人物を発見して固まっている。
 この事態を、ただ一人予測していたササライは、笑った。
「役者がそろいましたね」
「ササライ! これはどういうことじゃ!」
 シエラはササライを怒鳴りつけた。ついでに雷の紋章を使うが、相手は真の土の紋章持ち。簡単に跳ね返される。雷の余波が辺りに散ったが、先ほどから完璧に掃除をしていたおかげで、重要書類はすべて棚に守られた。一日かけて整理した甲斐があったというものである。
「言ったじゃないですか。さっさとけりつけてもらわないと困るって。僕は、毎回毎回、どこにいるかさっぱりわからない部下を探すのはもううんざりなんですよ」
 言いながら、ササライは窓をあけた。ここは二階。少々高いが、木を使えば降りられないこともない。
「ササライ様、これはどういうことなんですか?」
 部下が呆然と聞いてくる。
「まあ、上司から部下へのプレゼントってやつ? 君に貸しをつくっておいて、僕に損はないし。じゃあね」
 ササライは身軽に窓から飛び降りた。
「ササライ! 待て!」
 シエラが後を追う。しかし、それは見えない壁によって阻まれる。
 精緻な結界。この部屋に入ってきたときには感じなかった。恐らく、掃除をしながら徐々にササライが張っていったものなのだろう。シエラは唇を噛んだ。
 月の紋章を使えば、これくらいの結界、外せなくはない。だが、そんなことをする余裕を後ろに立つ男が許してくれるわけもなかった。
「ナッシュ……」
 振り向くと、ナッシュが途方にくれたような顔で立っていた。
「シエラ……あんたササライと知り合いだったのか? ……まあ、分からなくは、ないけど……」
 ナッシュが近づいてくる。シエラは窓にはりつくようにしてあとずさった。
「来るな!」
「シエラ」
「来るでない! わらわに触るでない!」
「嫌だ」
 ナッシュは歩みを止めない。
「わかっておるのか? わらわはおんしから奪う者じゃぞ? 平穏な生も、陽光の下の生活も、家族とのつながりも。ただ、奪うことしかできぬのじゃぞ? それなのに、何故追う? 何故求めるのじゃ!」
 シエラは部屋の角に追い詰められた。
「おんしは、わらわに何を求めるのじゃ!」
 叫ぶと、男の顔が怒りの表情へと変わった。
「……ナッシュ?」
 見上げた、ナッシュはこれ以上ないというくらい怒っていた。そして怒鳴られる。
「馬っ鹿野郎! 俺は、あんたが泣いてるから探してたんだ!」

 

ナッシュはシエラに何かを求める存在ではなく
与える存在であるということが
書きたくて書いた話です。
う〜〜〜ん、伝わっているのでしょうか?
個人的に、ササライの腹黒さ加減が書けてそこはかなり楽しかったです
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