ウキウキササライ陰謀編

 コツコツ、という軽いノックの音で、ササライは顔をあげた。
 音のする方を見ると窓に、男が一人ぶら下がっている。ハルモニアの権力と財力を誇示するかのように、丁寧に、美しく仕上げられた瀟洒なステンドグラスに足をかけ、男は平然と笑っていた。
 それを見て、とがめるべき立場にあるはずのササライは微笑んだ。
 その無礼者こそが、彼の待ち望む来訪者であったから。
「入っておいでよ。鍵はかけてないから」
 声をかけると、男は器用に窓をあけて入ってきた。とん、と床を踏むと同時に陽光のような見事な金髪が揺れる。
 この不審者の名前は、ナッシュといった。
 歳は37歳。もとはここハルモニアでは名の通った貴族の子弟であったが、十五年も前からこういった胡乱な家業に手を染めている。裏街道に長くいるせいか、中身も外見もずいぶんすり減っており、以前の面影を残すのは、鮮やかな緑の瞳と、豪奢な金の髪だけである。
「で、首尾はどう?」
 ササライは紙の上を滑らせていた羽ペンを止めて、ナッシュにきいた。
 ナッシュとは対照的に、少年のようなササライは何もすり減ってはいない。だが、彼はむしろ減らなさすぎた。
 32。
 子供にすら見える男の生きてきた年数は、金髪のくたびれた中年と、五年しか変わらなかった。
 真の紋章がもたらす、不老の力がそうさせているのだ。
 だから、ササライは外見に似合わないほど人の悪い笑みを浮かべることができる。
 そのほほえみを確認してから、ナッシュはため息をついた。
「上々……というか、完璧ですね。何もかも、貴方のお望み通り」
 わざとらしく丁寧に言うと、ササライは執務机の引き出しをあけた。
「それはよかった。じゃあこれ、報酬ね」
 女性の化粧ポーチほどの包みをぽんと投げる。ナッシュはそれを受け取った。意外に重いその感触にナッシュは眉をひそめる。少ないようだが、中は全て金貨だ。
「ちょっと、多くないですか? これ」
 契約のときに提示された金額との差を計算しながらナッシュはきく。こういう追加料金がでたときは、大抵仕事が増えるのだ。ササライは微笑む。
「たまには僕だって特別ボーナスくらいだすよ。今日は機嫌がいいんだ」
「うっそお」
 十五年間たっぷり染みこまされた下僕根性が顔を出して、ナッシュは思わずそう言ってしまう。
「僕だってね、気分がいいときはあるんだよ」
 言わなければいい一言にもササライの笑みは変わらない。どうやら本当に機嫌がいいらしい。
「ならいいですけどね。まあ、私も苦労しましたし、ありがたくいただいておきますよ」
「危ない橋はあまり渡らせてないつもりだけど?」
「生きるか死ぬかって話はなかったですけどね! でも、それとわからないように情報だけ流して人をあやつる、なんてこと、発案はともかく実行するのはとんでもなく疲れるんですよ!」
 やかましく文句を言ったナッシュを見上げて、ササライは顔をしかめた。そして、軽く自分のこめかみを叩く。
「ナッシュ、目」
「……っと、すいません」
 言われたナッシュの目は、本来彼が持つべき深い緑ではなく、紅い光を帯びていた。何度か瞬きをしてそれからゆっくりとまぶたを開けると元の色に戻っている。
「どーも『腹が減る』と制御がうまくいかなくて」
「……おなかすいたからって、そこらで『食事』していかないでね」
「そんなことしたらカミさんに殺されますよ! そう思うんなら、こんな長期の仕事、あんまり押しつけないでください。俺、カミさんのそばにいないと死ぬんです」
 大仰に言い切ると、ナッシュは暖炉のほうへと移動した。そこでは、暖をとると同時に加湿をするために、火の上で湯が沸かされていた。
 側に置いてあるティーセットを勝手にいじる。
 その程度の勝手はいつものことなので、ササライはかまわず問いを続けた。
「で? 『モノ』は今どこに?」
 ナッシュは茶葉をティーポットにいれる。メジャースプーンに三杯。
「もう、すぐそこまで」
「早いね」
「まあ『モノ』が『モノ』なので。動き出したら早いですよ。そちらの準備はできているのでしょう?」
「当然だね」
「ならいいじゃないですか」
 湯をカップに注ぎ入れ、それからティーポットにもお湯を。
「で、正確にはいつごろ届くの?」
 子供がプレゼントをねだるような口調だった。いや、それと大差ないのかもしれない。
 ナッシュはたん、と砂時計を返した。
「この紅茶が飲み頃になったら」
 にっこり笑われて、ササライが一瞬呆ける。
「……それは、本当に早い」
「というわけで、俺はそろそろ逃げますよ。アレ、勘がいいからいるだけでばれかねない」
「そうしてくれるとありがたい」
「では、御武運を」
 ウィンクひとつくれると、ナッシュはそのまま部屋を出て行った。それを見送ると同時に、外廊下から足音が聞こえ始める。
 かつかつかつかつ! と硬質な床を蹴りつけるような勢いの足音はこの部屋へと向かっている。
 高い、女性の声。それから狼狽しきった秘書官(ササライは、この秘書官がここまで困った声を出したのを初めて聞いた)の声。
 そして。
 ばん! と勢いよくドアが開いた。
 重厚にしつらえられたこの部屋のドアが、ここまで勢いよく開けられたのを見たのは正直、初めてだ。
「ササライ!」
 女性の怒鳴り声。
 これは以前、何度も聞いたことがある。
「おやこれはリリィさん。久しぶりですね」
 にっこりと笑って立ち上がると、ササライはその女性を見た。
 半年前と変わらぬ美貌に、思わずうっとりと目を細める。
 豊かな栗色の髪、強い意志のともる深い菫色の瞳、くっきりとした形のよい眉。きゅ、と引き締められた唇は、白い肌の上に鮮やかで、紅い花びらのようである。
 彼女こそが、ササライがナッシュに手配させた『モノ』だったのだ。
「どうされたのです? ティントに戻られたのでは」
 白々しくも、ササライはそうたずねる。
「出てきたのよ! あんまり腹がたったから」
 どすん、と音をたててリリィはソファに座った。ちょうど砂時計の砂が落ちきったのを見て、ササライはティーカップのお湯を捨て、紅茶をつぎ始める。
「何か、あったのですか?」
「おおありよ! あ、ササライ紅茶ありがと」
「いえいえ」
 ナッシュのいれた紅茶は、すばらしくおいしかった。一息ついて、リリィはむう、とふくれっ面になる。
「パパったらひどいのよ? 帰ってみたらいきなり縁談がすすんでてさー!」
「縁談?」
 ササライは目を見開く。これも演技だ。なぜなら、ナッシュを使ってその手配をしたのがササライだったから。
「まあ、条件は悪くなかったわよ。家柄もいいし? 人望もあるし? 鉱山のことにも詳しいから、うちの国のこともわかってくれそうだし?」
 それも知っている。そういう人物をチョイスして、わざわざグスタフの耳にいれたのだから。
 ただし
「でもね! 眉毛つながってて鼻毛がでてるうえにおなか周りがあたしの五倍はある男っていうのは絶対、やなの!」
 とびきりの不細工を。
 彼女がなんだかんだいって、面食いなのは承知している。
 そして、容姿に頓着しないグスタフと、絶対衝突するということも。
「ゼクセンの騎士団長様には頼られなかったのですか?」
「う〜〜〜〜〜、相手の男の家柄が、ちょこっとだけだけどゼクセン評議会と関係があったのよ……へたに転がり込むとクリスに迷惑がかかりそうでね」
 リリィはくっきりとした眉をひそめた。
 ササライは、気づかれないよう、心の中で笑う。
 そのことだけが気がかりだったのだが、ナッシュはうまくオーダーを通してくれたようだ。
「でね! ササライ! あんたハルモニアのNO.2よね!」
 びし、とリリィがササライに指をつきつけた。
「ええまあ」
「ってことは家おっきいわよね!」
「ええ」
 ササライは微笑む。心の底から。
「あんたの家に泊めて!」
「どうぞ。お好きなだけ」
 それこそ、ササライの希望であったとは気づかずに、リリィは自分の主張を通した。そして満足げに紅茶を飲み干す。
 ササライも、笑った。
 あとで、宿代はもらいますけどね……。
 ササライの心中を、リリィは知らない

ササライ様、それは陰謀です……
前から書こう書こうと思っていた話。
ササライ、本当に悪人です
そしてナッシュがこっそりえらいことになっていたり

リリィさんが気づいたら、えらいことになりそうですが

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