「ふう」
公園のベンチに体を預けて、シエラは息を吐いた。
投げ出した手足は鉛のように重い。
全身にたまった疲れが、重力と一緒になってシエラを地面へと引っ張っていた。
わずかな木漏れ日すら、今は鬱陶しい。
少女らしいたたずまいを作る気力さえ出せず、シエラはまた息を吐いた。
まあいい。
どうせここで待ち合わせているのは旧知のマリィ家の人間だ。見られて困る姿でもない。
今日、また同胞を一人、塵へと返した。
ハルモニアに棲みついていた彼を発見したのは、同じハルモニアに住むマリィ家の者達だった。まさかヴァンパイアハンターのお膝元に住んでいるとは思っていなかったから、発見が遅れたのだ。
久しぶりに会った同胞は、随分落ち着いていた。
眷属を置くでもなく、際限なく人を襲うでもなく、最低限の血だけを手に入れて、ひっそりと暮らしていたその男は、周辺であやしまれてはいたが、忌み嫌われてはいなかった。
命を絶つと、宣言したときも、彼は静かだった。
『疲れました』
男はシエラに向かって深く頭をたれ、そう言った。
『三百年前、ただ命を捨てることが怖くて逃げましたが、その結果、私は自信のあさましさを確認しただけでした。……それでも、自ら死ぬことはできずに、今日までのうのうと人の命を啜って生きてしまいました』
男は、わずかに震えていた。
『始祖様……申し訳ありませんでした』
シエラは、何も答えずに封印の詩歌を唱えた。背後に控えるマリィ家の者達もそれに協力する。
消滅するまぎわ、男はぽつりと言った。
『帰りたい……ですね。あの村に』
『……』
シエラは、やはり無言で男を見送った。
そして、シエラはハルモニア内の公園にいる。
帰りたい。
あの男はそう言った。
帰りたいと思うのは自分もだ。あのうつろだが、静かな村へ。いや、それよりもっと以前のあたたかな場所へ。けれど、そう思うことはシエラにとってあまりに無駄で、悲しすぎた。
わらわは……。
「わきゃあっ」
子供の声で、シエラは目を開けた。
見ると、公園の道端に小さな子供が突っ伏していた。
転んだのだろう。あれくらいの幼児にはよくあることだ。転んだ拍子に投げ出された薔薇の花束もまた、道に転がっている。
助け起こしたほうがよいだろうか?
思ったが、その必要はなかったらしい。幼児は大きな緑の瞳を潤ませながらも気丈に立ち上がり、ぱんぱん、と自分の服についたほこりを払い落とした。
随分と綺麗な子供だった。
歳は二、三歳。くりくりの、輝くようなハニーブロンドに、エメラルドグリーンの大きな瞳。教会に描かれる天使画にでも出てきそうな姿である。着ている服も一級品で、おそらく貴族の子供と思われる。
子供は、薔薇の花束を拾い上げると、観察している視線に気が付いてこちらを向いた。そして何を思ったかまっすぐに近づいてきた。
「こんにちは!」
子供がにぱっ、と笑いかけてくる。シエラもぎこちなく笑った。
「こ……こんにちは」
「あのね! ぼくね! きょう、おにいちゃんになったの! だからね、おめでとうなの!」
シエラは微笑んだ。
そうか、その花束は、兄弟のための祝いの花か。
同朋を手にかけたその日に、誰かが生まれたときに立ち会うとは、どういう皮肉か。
「それでね」
ごそごそ、と子供は花束をいじると、中から薔薇を一本引き出した。
「おすそわけ!」
ずい、と薔薇が、シエラに突き出される。
「くれる……のかえ?」
「うん! あげる」
にこぉっ、と子供は笑った。シエラもつられて微笑む。シエラは、おずおずとそれに手を伸ばした。
受け取ろうとした、その正にその瞬間、子供は背伸びをした。
ちゅっ。
子供の小さな唇が、シエラのそれに触れる。
「……っ?!」
目を見開くと、子供は屈託なく笑いかけた。
「元気! 出して、ね!」
「……」
その笑顔にあっけに取られているうちに、子供は身を翻すと、花束を持って走り去っていってしまった。
「なんじゃ、あの童は……!」
花を持ったまま、呆然とその後姿を見送る。
「まったく、末恐ろしい童じゃ」
くす、と笑って。
シエラは立ち上がった。口元が自然にほころんでいる。
「さて、行くとするか」
薔薇の花を持ち直すと、シエラは歩き出した。
固有名詞はひとつも出てきませんが
これはナッシエ話です
ていうか、こどもなのに手が早すぎです、ナッシュさん
こんな小さなころから女たらしの基盤が……!
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