素直じゃない

「……あれ」
 階段を上がったところで、珍しい人物を見つけてクリスは足を止めた。
「やあ」
 にっこりと、朗らかな少年そのものの顔でハルモニアの神官将ササライが笑う。
「こんにちは……」
 クリスの笑顔が凍るのは道理だ。
 なにせここはビュッデヒュッケ城の下層部、一般兵やら傭兵やらが適当に住み着いている宿舎。いくらごった煮がうりのこの城であっても殿上人とさえ言える神聖ハルモニア帝国の神官将様様に似つかわしい場所ではない。
 不思議に思った次の瞬間、彼が寄りかかっている壁のすぐ隣にあるドアの奥の住人を思い出して、クリスは納得する。
 彼女の用件の相手でもあるその男は、ハルモニアに由来する傭兵であったはずだ。
「貴女も、ナッシュに用事?」
 柔らかなボーイソプラノがクリスの推理を裏付ける。
「ええ。先日賭けに負けてしまって、ワインを一本届ける約束になっていたのです」
「ゼクセン騎士団長からワインを巻き上げるなんて、無礼な男もいたもんですね?」
「いいんですよ」
 手に提げていたワインを、クリスは持ち直す。
「もともと普段から世話になっていたお礼に何かプレゼントしたいと思っていたところですから」
 賭けのカタに、というのはこの贈り物が周囲に特別なものとして映らないようとの配慮だろう。
 くすくすと神官将は笑っている。
「なるほどね。ナッシュも随分と気を遣う」
 普段一番気を遣わせている張本人であろう上司は楽しそうだ。
「ササライ殿は……ここで何を?」
「うん、僕もちょっとナッシュに用があったんだけど……」
 神官将は、あくまでもかわいらしく首をかしげる。
 手には小さな紙片。
 何かの調査依頼だろうか。
「どうかされたのですか? 部屋にいない……とか」
 女性が尋ねてくるとわかっている時間帯に部屋をあける男ではない。
 そのあたりの正確さは彼女の恋人といい勝負だ。
「いや、いることにはいるんですけどね」
 そのとたん、『部屋の主』が叫んだ。
「いーかげんにしろっ!!!」
 普段絶対には聞くことのない腹の底からの叫び。ぎょっとして戸口を見やったが、彼は部屋から出てくることはなかった。
 どうやら部屋の中の別の誰かに叫んでいるようだ。
「だーかーらー! まずいんだって!!」
「何がどうまずいのじゃ?」
「……アンタ、自分がどういう状況かわかってないだろ」
「状況? おんしの部屋でくつろいでおるが?」
「だからそれが!!」
 会話の相手は、声のトーンからして女性であるようだ。しかも、随分に年若い。
 鈴を転がすようなかわいらしい美声は、しかしナッシュを横柄にあしらう。
「……ササライ殿」
 クリスはこの可憐な声をこの城で聞いた覚えがない。最近参入してきた者だろうか。
 ナッシュとは親しいようだが、彼の年齢にひどくそぐわない。
 ササライはにっこりと笑いながら、口の前に人差し指をたてて「しぃー」と子供みたいにクリスを制した。
 クリスは困惑したまま、口をつぐむ。
 部屋の中の2人は、クリス達にまだ気づかない。
「とにかく、せめて服を着て! 散らかしたものをトランクに詰め直してくれよ。それから俺の装備を返せっ!!」
「どーせまた散らかすのじゃ。今片付けなくてもよいじゃろうが」
「さっきから言ってるだろうが! 人が来るんだよ! 服着て片付けてそれから……」
「それから?」
 出て行け、とは言えないらしい。
 ナッシュが唸るのがドア越しに伝わった。
「……アンタ、他の連中に見つかるわけにいかないんだから」
「ふーん?」
「っていうか解ってて俺を困らせてませんかー?」
 ふてくされ気味の声。この男がこんな甘えた声を出すのクリスは初めて聞いた。いつも飄々としてふてぶてしい態度を崩さないくせに。
 よほど少女に気を許しているのだろう。
「アンタがここにくつろいでるのはいいよ。どうせ一人部屋だから。でもせめて服を着させてくれ! 応対できないから!」
「やれやれ、必死なことじゃ。おんしの言う客とは、それほど重要なのかえ?」
「約束を守るのは人として最低限のマナーだろうが」
「おなごであれば尚更のう」
「ん? ……ああ、まあ確かにクリスは…………ふーん?」
 ナッシュの語調が変わった。さっきまでのせっぱ詰まったそれではない。楽しげな、そして嬉しげな声。
「あー、そういうこと」
「何がそういうことなのじゃ。いきなり気持ちの悪い顔になりおって!」
「俺に女の客が来るってことで、ご機嫌ナナメなわけね」
「おんし、頭は大丈夫かえ? どこまで論理を飛躍させておるのじゃ!」
「え? 妬いてくれたんでしょ?」
「誰もそのようなことは思っておらぬ!!」
 今度は少女が怒鳴る。しかしナッシュは楽しげに笑ってまともに取り合わない。
 どころか……。
「こら、ナッシュ!」
「かわいいなあもう」
 声に、甘さが加わっていく。それもこちらが聞いていていたたまれなくなる方向に。
「……〜〜〜」
 恋人の邪魔をしてはいけないと思うべきか、淫行罪だと割って入るべきか、クリスがおろおろとしていると、ぽん、と肩を叩かれた。
「クリス殿、ナッシュのところまでやってきた、ということはしばらくおヒマですよね?」
「……はあ」
「じゃ、行きましょう」
「はい?」
 言うなりすったかすったか歩き始めたササライを反射的に追う。
「行くってどこにですか?」
「レストラン。一緒にお茶でも飲みましょう。というか、甘いものでも食べないとやってられません」
 確かに。
 恋人達にあてられてしまったやり場のないストレスを発散するにはそれくらいしか思いつかない。
 クリスはササライに追いつくとその横に立った。
 顔色をうかがうと目だけはそのままでそれはもすばらしくお綺麗にお笑いになっていらっしゃる。
 ……気持ちはもう心の底からわかるが。
「あの方も、いいかげん自分が素直じゃないことが最高のチャームポイントなんだってことにいい加減気づけばいいのに」
 困った人たちだ。
 珍しく憤慨した様子のササライに、クリスは苦笑いを返すしかなかった。

も〜〜〜〜久しぶりのナッシエです。
ですが、ナッシュもシエラも表には出てこず。

まあこれがうちの芸風といえば芸風なんですが。
しばらくゲーム用のテキストしか書いてなかったからちょっと描写が微妙なことに。
さて、リハビリに何本か書いているヒマがあるといいんだけど。


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