夜の音楽

「ん?」
 ビュッデヒュッケ城の裏手、城に刺さっている状態で皆に利用されている、謎の巨大な船の甲板に出て来たクリスは、先客を見つけて足を止めた。
 大柄な男だった。
 浅黒い肌に淡い金の髪。身につける衣装はカラヤ特有の奔放な色彩と図案に彩られている。
 カラヤクランの戦士、ジンバ。
 以前クリスと剣を交え、そして父親のことが知りたければ炎の英雄を追え、と彼女が出奔する理由を作った男だ。
 あかりもない甲板で、へりにうずくまるように腰掛け、ジンバは目を閉じている。
 眠っているのだろうか。
 立ち去るべきか、と足をあげようとした瞬間、ジンバが顔をあげた。
「ああ、あんたか」
「すまん、起こすつもりじゃなかったんだ」
「いや、寝てたわけじゃないから。あんたは……そうだな、酔い覚ましってとこかい?」
「よくわかるな。……酒くさいか?」
 クリスは苦笑した。事実、さっきまでいた場所は酒場だった。ちょっとよっただけ、というところでルシアにつかまり、半ば無理矢理飲まされていたのだ。このまま部屋に帰るよりは、とここに出て来たのだが。
「ブランデーのいい香りを、臭いと言うやつはいないよ。むしろそうだな、ちょっと色っぽい」
「そう」
 クリスは息をついた。
 この男は苦手だ。
 初めて会った時からこっち、ずっとクリスを見すかしている。人のことを見すかしていて、それをかくそうともしない知り合いは他にもいたが、彼等は、引き際をわきまえているし、冗談にならないことはしない。それがわかっているからいいが……この男は、何を考えているかわからない。
 こちらは、わからないのに、相手が分かっているのが落ち着かなかった。
「早めに帰ったほうがいい。見ていて心配だ」
「どうだか……」
「信用がないな」
 ジンバはちょっと笑った。
「貴方の言うことは、いつも中途半端だからな。父を探すなら炎の英雄を追えといったが、見つかったのは父の足跡であっても、遠い昔のこと。今の父には辿り着かない」
「そんなに役にたたなかったか?」
「近いけれど、私の望むものではない」
「手厳しいな」
 くすくすとジンバは笑った。
 この男は本当に苦手だ。
 得体が知れないくせに、何かがひっかかる。
 だから余計に苦手になる。
「貴方こそ、ここで何をしていたんだ? カラヤの部屋は城のほうだろう? 貴方も酔い覚ましか?」
「いや、夜の音楽を聞いていた」
「夜……音楽?」
 クリスは辺りを見回した。
 こちらには、楽を奏でる楽器の類いは見当たらない。吟遊詩人の一行も、今は城のほうにいるはずだ。大体、先ほどから立っているが音楽の類いは聞こえてこなかった。
「楽器を弾いたり、歌を歌うばかりが音楽じゃないのさ」
「ふうん?」
 人を煙にまくような物言いに、クリスは顔をしかめた。
「おや、興味ない?」
「どうせ、適当なことを言っているのだろう?」
「ひどいな、それは」
「貴方のような手合いには慣れているから」
「……本当なんだがなあ。なあ、あんた、ちょっと目を閉じてみろよ」
 とたんに、クリスの腰の剣が、ちゃき、と音をたてた。
「うわ、違うって! 何もしない! 何もしないから! だから信用してくれ!!」
 ジンバが大仰に手を振った。クリスはそれを睨む。
「いい加減なことを!」
「本当に! 本当に音楽の話だって!! もしあんたに指一本でも触れたらその剣で刺してもいい! だからちょっとだけ俺を信用してくれ!」
「……本当に?」
「本当だ。精霊に誓ってもいい」
「……約束をやぶったら切るぞ」
 本気の声音でそう警告すると、クリスは目を閉じた。それをみて、ジンバは苦笑をもらす。それから、ゆっくりと囁いた。
「耳をすませてくれ。落ち着いて、肩から力を抜いて。……何が聞こえる?」
「……無音だ」
「そんなはずはない。……ほら足下から聞こえてくるさわさわとした音」
「……人の、気配」
「そう。吐息や、話声。足音も混ざってる。これが第一の伴奏だ」
 くす、とジンバの笑う音が、やけに大きく聞こえた。
「右手……城の森がある方に注意を向けてみるといい。小さな鈴のような音が聞こえないか?」
「虫……か?」
「そう。何十匹という虫のコーラス。これも伴奏だ」
「……何か貝をすりあわすような音も混ざっているが……」
「それはカエルだ。そろそろ彼等はいなくなるけど」
「……かえる」
 目を閉じたままのクリスの顔が険しくなった。
「嫌いか?」
「姿は。……声だけならいいが」
「なら今は問題ないな。……ああ、おあつらえむきに風がふいてきた。クリス、聞いて御覧、湖を風が渡ってくる」
 ざあ、と湖面を撫でて、風が吹いた。
 それは、岸にたどりつくと、下草を撫で、木々の葉をかき鳴らして船の上に上がり、クリス達の間を吹き抜けていった。そしてまた城のあちこちを鳴らして去ってゆく。
「なるほど……これは音楽だな」
 クリスは、笑うと目をあけた。ジンバもやはり笑い顔でクリスを見ている。いつもの曲者の顔ではない。慈しむような光りのともる瞳。
「だろ?」
 ぽんぽん、と軽く頭をたたかれて、クリスの目から、涙がこぼれた。
「え?」
 クリスも、理由が解らなくてぎょっとした。
「お、おいクリス、どうした?」
「わからないんだ……! 突然、何か胸が一杯になって、勝手に涙が……おかしいな……」
 溢れる涙を、クリスはただおろおろと手にうける。
「話を聞いていたら、何故か懐かしいような変な気分になって……」
 うろたえているクリスを、ジンバはゆっくりと抱き寄せた。
「ジンバ……っ」
「だったら、昔、似たようなことがあったんだろう。きっと」
「覚えてない」
「でも、どこかで覚えていたのかも知れない。……父親の、記憶かもしれないぞ」
「父……?」
「解らなくても、泣けるなら、泣ききったほうがいいんじゃないか? 俺が胸をかすから、父親だと、思ってさ」
 くす、とクリスが笑った。
「こんなに若い父親をもった覚えはない」
「やっぱり手厳しいな」
 それでもしばらく、クリスは泣ききるまでジンバの腕の中にいた。

一度書いてみたかったのです!
親子話!
書いてみると性格がナッシュに似てて おお弱り。
や、いろんなところでは違うのですが、
話し方が似てしまう〜〜〜
オペラ座の怪人を聞いていて思い付いた……って
言ってもさっぱりわかりませんね!


>帰ります