まぐろ丼


たまには、そんな日だってあるんじゃない?

 陶器の触れあう音で、クリスは顔をあげた。
「クリス様、お加減はいかがですか?」
 ベッドに横になったまま、視線だけあげると、湯気のたつ盆を持ったままクリスを見下ろしている。
「ああ……大丈夫だ。ちょっと体がびっくりしただけだから」
「だといいのですが……お茶、飲みます?」
「もらおう」
 ゆるゆると、クリスは体を起こした。貧血でふらつく頭を押さえていると、盆をテーブルに置いたパーシヴァルが体を支える。
「ありがとう」
 微笑んで見せたが、パーシヴァルはまだ心配そうだ。いれたばかりの紅茶に、ミルクとはちみつをたっぷり入れてからクリスに手渡す。
「あまり香りのきついものは疲れるかと思いまして、アッサムにしてみました。いかがです?」
「ん……おいしい」
 暖かいものを飲んで、ちょっとほっとする。それでやっと安心したのか、パーシヴァルはクリスの隣に座った。
「すまない……せっかくの休日だというのに」
「気にしないでください。体のことはしょうがないですよ」
「うん……」
 パーシヴァルの声と同じくらい優しい味の紅茶を飲みながら、クリスは頷いた。
 国境周辺でいざこざが起こったのがつい二週間前。
 なんとか交渉を成功させることはできたが、その間、不眠不休を強いられた。もちろんその間、休暇などはない。
 やっと仕事を片づけて、久しぶりに恋人同士の休日を楽しむはずだったのだが……腹部に鈍い痛みを感じて、クリスがトイレに行ったところで計画は全てご破算になった。
「おかしいな……今まで一週間もずれたことなんてなかったのに」
「ここ二週間は緊張しっぱなしでしたからね、体が疲れちゃっていたのですよ」
「うん……私もそう思う」
 パーシヴァルは、やさしくクリスの頭をかきまぜた。
「気にしすぎちゃいけませんよ」
「でも、その……ずっとおあずけで……それで久しぶりに……だったのに……」
 ぼそぼそとクリスがこぼす言葉に、パーシヴァルが苦笑する。
「もう、気にしちゃだめだって言ったでしょう? 私だってそればっかり期待して貴女と一緒にいるわけじゃないんですから。こういうときは、さすがにこっちだってその気になりませんってば」
「あ、うん、それもあるんだが」
 クリスは困った、という顔でパーシヴァルを見上げた。
「……私が、したかったんだ」
 一瞬の間。それからパーシヴァルはぶ、と吹き出す。
「はは……貴女から、そんな台詞を聞くことになるとは思いませんでしたよ」
「……うるさいな。……こっちだって期待するときだってあるんだ」
 くすくすと笑うと、パーシヴァルはクリスを後ろから抱きかかえた。その手が、クリスの体を温める。
「じゃあ、次の機会のために、今日じっくり休んで備えましょう?」
「次か」
「そうそう。これからつきあい長いんですから、次の機会なんていくらでもありますよ」
「……まあ、そういやそうだな」
 よしよし、と頭ではなく、腹をさすられてクリスはなんだか笑ってしまった。
「とりあえず今晩は造血メニューですかね」
「う……レバーは……勘弁してくれ。普段はかまわないが、今日はあまりにおいのするものは食べたくない」
「ふうん? じゃあまぐろ丼はどうです?」
「まぐろか?」
 パーシヴァルはクリスの耳元で頷く。
「ええ。赤身の魚って、お肉と同じくらい鉄分を含んでいるんです。そのわりに脂肪は少ないですし。ついでにご飯とまぐろの間にレタスを敷いたらビタミンもとれて一石三鳥ですね」
「レタス? まぐろにか?!」
「結構あうんですよ?」
「う〜〜〜ん」
「あ、信じてないですね? では夕食を楽しみにしていてください。絶対おいしいですから!」
「……わさび使わなくていいのなら、考えておく」
 困った顔のクリスを見て、またパーシヴァルは笑った。
「いいですよ。たっぷり食べて、元気だしてください。たまには、こんな風に部屋でごろごろしてるのも楽しいですし」
「うん。わかった」
 笑って、パーシヴァルを見上げたクリスは、不敵な笑みのパーシヴァルにぶつかった。
「元気を出したその後には容赦しませんけどね」
「……っ!」
「次も、こんな風に一日部屋で過ごしましょうか。ただし、服を着ないで」
「………………好きにしろ」
 耳をくすぐるパーシヴァルの笑い声を聞きながら、クリスもまた、笑った。

ここのところ、堅い話ばかり書いていたので
ほのぼのが無性に書きたくなってしまいました
まぐろ丼は私的造血メニューです。
>戻ります