ラッシュデートアワー

「どうにかしたいんだ!」
 だん、とクリスは机を叩いた。
 勢いよく叩かれた机の上で、ティーセットががちゃんと音を立てる。
「……何が?」
 しかし、言われた相手はのんびりと、やる気なくそう問い返した。クリスは相手……リリィを睨む。
「うちの騎士団の連中だ」
「あー、別にいいんじゃない? 元気で」
「元気とかそういう問題じゃない」
 クリスは苦虫をかみつぶしたような顔になると、どっかりとソファに座り直した。リリィはやれやれ、とためいきをつく。
「実際に職務にだって支障がでているんだ。騎士団長として、この事態は収拾をつけなければならない」
「……女としては」
「もっとどうにか収集をつけたい!」
「あーそぉ」
 リリィはやはりのんびりとお茶をすする。クリスは恨みがましくリリィを見つめた。
「人ごとだと思って〜〜……!」
「人ごとじゃない。しかも自業自得」
「う」
 あっさり言い切られて、クリスは言葉に詰まった。
 ゼクセン騎士団長クリスが、誉れ高き六騎士のうち烈火の剣士と疾風の騎士と軍師の三人にほぼ同時に告白をうけ、ばっさり断ってから一週間が過ぎていた。
 断った、ことにはなっているが、「気持ちは嬉しい」と答えてしまったために、現在彼ら三人によるクリス口説き合戦へと突入していた。
 暴走するボルスと。
 ボルスという炎に油を注いで楽しんでいるパーシヴァルと。
 収拾をつけようと思いつつも、私情が入ることに困っているサロメと。
 三人に囲まれてクリスは困り果ててしまったのだ。
 身近な相談相手、ということでリリィのところに駆け込んでみたものの、有る意味贅沢すぎる悩みにあまり相談に乗る気はないようだ。
「さっさと誰か一人を選べばいいじゃない」
「適当に選ぶなって言ったのはリリィじゃないか」
「真剣に、早く選ぶ!」
「それができたら苦労はしてない!」
 叫んだクリスの声は、半分涙声だ。
「しょーがないなー、じゃあおぢさんが一肌脱いであげようかな」
「お前の脱ぐ肌などたかがしれている。……っていうかナッシュ! 何故お前が会話に参加してる!!」
 クリスは怒鳴ると声がした窓のほうを振り返った。
 前回リリィに相談に来た時同様、部屋は人払いをしてリリィとクリスの二人だけだったはずなのだ。しかしこれは、明らかな第三者の声だ。
「君が困ってるってきいて放っておけるわけないじゃない」
 にこにこ、と表面上はきわめて人の良さそうな顔を浮かべて、ハルモニアのスパイは窓枠に座っている。
 いつから座っていたかは彼だけが知っているのだろう。
「いいかげん人のプライベートに立ち入るのはやめろ。次はないぞ」
「えー、俺クリスちゃんの力になってあげたいなあって思ってるだけなのに」
「次にやったら、私が惚れているのはお前だと六騎士の前で発表するぞ」
 クリスが宣言すると、ナッシュの顔から笑顔がはがれおちた。
「……それは、勘弁。俺まだ死にたくない」
「なら……」
 立ち去れ、と言おうとしたクリスに、ナッシュはすりよった。
「でもさあ、俺の案を聞くくらいはしてもいいと思うんだ」
「ナッシュの案?」
 クリスは訝しんだが、リリィは興味をひかれたらしい。
「おいリリィ」
「いいじゃない。ここまで話を聞かれたんだから、今から追い出したってしょうがないし。それに、他に案なんてないんでしょ?」
「それはそうだが……」
「じゃあ決まり! 話だけでも聞いてくれよ、クリス」
 親友の言葉と、ナッシュの怪しい笑顔に押されてクリスはとりあえずうなずいた。
「今度の休暇を使ってさ、三人とデートでもしてみたらどうだい?」
「デート? 三人いっぺんにか?」
 それは血の雨が降るだけではないだろうか。言うと、ナッシュは苦笑して手を振った。
「一日ずつ、別の人間と交代でデートするんだ。で、デートの間、他の男は干渉しない。恋人っていうのは、二人きりの時間を過ごす相手でしょ? デートしてみて、ずっと一緒にいて、もっと一緒にいたいと思った相手を選ぶわけさ」
 どう選んだらいいかわからないから、困ってるんだろ?
 クリスの悩みどころを、的確に指摘されてクリスはうなずいた。
 告白してきた三人の男。職務上ではよく知ってはいるが、プライベートな部分は詳しく知らない。まして、彼らの男の部分などわからない。
 ここ一週間で意識するようにはなったものの、彼らが暴走しているせいか、余計わからなくなった部分もある。
「まあ……悪くはないか」
「よし! 決まり!! 確か来週のお休み、クリスは三連休だったよね?」
「ああ……そうだが」
「その一日目が確かボルスの休みと重なっていてー、二日目と三日目がパーシヴァルと、三日目がサロメの休暇と重なってるから……うん、ボルス、パーシヴァル、サロメの順にデートすれば丸くおさまるな」
「確かにその順でいけばスケジュールはあうな。だがナッシュ」
 ちゃき、とクリスはナッシュののど元に剣をつきつけた。
「何故外部のお前が、六騎士の勤務シフトを知っている!!」
 怒鳴り声のあと、部屋からハルモニアのスパイは全速力で逃げ出していた。

 そして週末。
 クリスは、屋敷の前をうろうろする不審人物を警戒するじいやを、なだめる羽目になっていた。
「じいや……あれはほうっといていいんだ」
「しかしクリス様。一刻ほど前からずっといらっしゃるのです。お声をかけたほうが……」
「それはそれで失礼な気がするしなあ」
 クリスは、ため息をついて二階の窓から家の門を見下ろした。
 そこには巨大な白百合の花束を抱えた金髪の男がいる。本日デートをすることになった、烈火の騎士ボルスだ。
 クリスの家に迎えに来ると約束したボルスは、約束の時間の二時間も前に現れ、今までずっと青くなったり、赤くなったり、顔をしかめてうなったりを繰り返しつつ、門の前をうろうろしている。
 花束を持った目立つ姿と、挙動不審ぶりのせいで、通りを歩く人々や近所の住民にかなり不審がられていたりするのだが、本人は気づいていないらしい。
 どころか、遠巻きに人垣ができつつある。
「しょうがないな」
 リリィには、男なんて少し待たせたほうがいい、とは言われたが変な噂がたつのは困る。
 クリスは化粧を整え、上着を羽織ると小走りで玄関へ向かった。
「あ、あああ、クリス様! おはようございます!!」
 ドアを開けると、ボルスがうわずった声でクリスに駆け寄ってきた。
 ばさりと巨大な花束が目の前に突き出される。
「おはよう、ボルス」
 勢いあまって、顔面におしつけられた花を押しのけながらクリスが答える。ボルスはあわてて花束を引っ込めた。
「すすす、すいませんクリス様! おけがは?!」
「花束程度で怪我をするわけがないだろう。とりあえず落ち着け。待たせてしまったようですまないな」
「いえ! 私は今来たところですから!!」
 嘘をつけ。
 ちからいっぱいつっこみをいれてやろうかと思ったが、ボルスの舞い上がりっぷりを見てやめておいた。
 多分、今来たところだと本人は思っているのだろう。
「で、ではクリス様行きましょうか!」
 ぎくしゃくと、右手と右足を器用に同時に出してボルスが方向転換する。その手をクリスはあわてて捕まえた。
「ボルス、ちょっと待て!」
「はい?! クリス様なんでしょう?!」
「その花束、私への贈り物だろう。そのままもって出てどうする」
「あ」
「くれ。屋敷に飾っておくから」
「は、はははははい!」
 勢いよく突き出された花を今度はなんとかかわし、クリスはその束を受け取った。後ろではらはらしながら見守っていたじいやにパスする。
 こんな大きな花束、もって出かけたらいい噂の種だ。
「行こうか」
「はっ!」
 敬礼しそうな勢いのボルスを、クリスはなんとか押しとどめた。


「で、どこに行くんだ?」
「とりあえず食事でも、と思いまして、レストランになど行きませんか」
「ああ、そうだな」
 ぎっくしゃっく、と相変わらず右手と右足、左手と左足を同時にすという器用な歩き方で歩くボルスに連れられて、クリスは歩く。
 デートコースは相手におまかせ、ということで事前にどこに行くかは知らないのだ。
「ここなんていかがです?」
 引きつりぎみの笑顔(脂汗浮いてるぞ、ボルス)のボルスが指したレストランを見て、クリスもまた顔を引きつらせた。
 そこは、とても凝った造りのレストランだった。
 無駄に丸いラインを追求した外装に、インテリア。窓にかけられたギンガムチェックのカーテンは普通の二倍くらいのギャザーが寄っていて、三倍くらいのフリルがついている。少女趣味にこってりとレースとフリルをのっけたあまりにも可愛らしい店の姿にクリスは尻込みをした。
 ティーンエイジャーならまだしも、二十代のカップルが来る店ではない、と世間知らずなクリスでもそう思う。
 ちら、と横を見ると、緊張して顔をひきつらせきったボルスの上着のポケットから『ゼクセンwalker』という雑誌のはしっこが覗いていた。
 どうやらこれが元ネタらしい。
(……って、それ、十代の子供が読むデートスポット雑誌だろうが!!)
「クリス様?」
 期待に満ちた笑顔で、ボルスは声をかけてきた。
「ええと……」
 これから展開されるであろうデートコースを予想して、クリスは強い目眩を覚えた。



「クリス様、大丈夫ですか?」
 五時間後、帰宅したクリスを見て忠実なる執事は声をかけた。
 げっそりと疲れ果てた顔をしていたからだ。騎士団の仕事を抱えているときでもここまでひどい顔はしていない。
 クリスは、軽く頷くと上着を脱ぐこともせずにソファにどっかりと腰をかける。執事が上着を脱がせようとすると、クリスは子供のようにされるがままになっていた。
「……」
 執事もまた無言だった。
 今日は何のために出かけたのか知っているだけに、何があったのか追求することはできない。恐らく、追求すればするだけ主人の疲労は増すのだろう。
「これがあと二日続くのか……?」
 ぼそりとつぶやくクリスの声は低すぎるほど低い。
「……クリス様。明日もお出かけになるとのことでしたが」
「そのつもりだ」
「明日ご一緒にお出かけになるパーシヴァル様からお手紙を預かっております」
「……手紙?」
 クリスの声が、更に低くなった。
 いっそ殺意すら感じるほどの鋭い視線を向けられながらも、執事は恐る恐る手紙を渡す。
 手紙を開けたクリスは、それからしばらく手紙を見ながら呆然としていた。


 翌日。
 きっちり約束の五分前に現れたパーシヴァルを、クリスは不審そうに見上げていた。
「どうされました、クリス様」
 こぢんまりとしたブーケを優雅に渡しながらパーシヴァルは微笑む。
「……なあパーシヴァル、デート、なんだよな?」
「ええそうですよ」
 パーシヴァルはどこまでも笑顔だ。
「だが、こんな格好でいいのか?」
「そういう格好をしてください、とお願いしたのは私ですよ」
 にっこり。
 だめ押しをされて、クリスはパーシヴァルに問うことをあきらめた。
 デート前日、クリスに渡された手紙の内容はごく簡単なものだった。
 曰く、『馬に乗ることができるように、ラフなパンツルックを着ていらしてください』
 そして、その言葉通りクリスもパーシヴァルもラフな乗馬服である。
「デートって、おしゃれをするものじゃないのか?」
「まあ、場所にもよりますけどね。それでは貴女が疲れるでしょう? さ、行きますよ」
 クリスを彼女の白馬に乗せると、パーシヴァルも自分の馬にひらりと飛び乗った。
「行くってどこへ?」
「ヤザ平原の先に、いいところがあるのですよ」
 パーシヴァルは楽しげに、ウィンクをした。



「……わあ! 綺麗……!!」
 パーシヴァルに連れられて遠乗りに出かけたクリスは歓声をあげた。
 ヤザ平原の奥にある小さな泉だ。他にあまり人は来ないのだろう。泉のまわりはひっそりとして静かだ。
 パーシヴァルは馬を降りると、日当たりのいい草地に布をひきはじめる。
「パーシヴァル?」
「お弁当を作ってきたのですよ。馬を走らせておなかがすいたでしょう? お昼にしましょう」
「パーシヴァルのお弁当か? うまそうだな」
「今日はクリス様の好物スペシャルです」
「やった!」
 クリスも馬をおりるとパーシヴァルの横に座った。
 目の前では、クリスの大好きな食材がいくつも並べられている。
「ふふ……あ、でもパーシヴァルはこういうのでいいのか?」
 ナイフとフォークを渡されながら、クリスはパーシヴァルを見上げた。
「いい、といいますと?」
「デートの内容。私は確かに気楽だが……」
「それが重要なんじゃないですか。デートって何のためにするかわかってます?」
「……何のため……って」
「お互いの時間を楽しく共有するため、ですよね。だったら、別に型どおり街をうろついたり遊園地に行ったりするだけがデートじゃない。クリス様が、レストランで食事をするより遠乗りに出かけるほうが気楽だっていうのなら、それでいいんですよ」
「お前の希望はどうなるんだ?」
 言うと、パーシヴァルは笑った。今日はパーシヴァルがよく笑う日だ。
「実は、私も街より遠乗りのほうが楽しいのですよ」
「でもそれじゃいつもの遠乗りと変わりが…………って、あ」
 反論しようとしたクリスは、そこで言葉を止めた。
「どうされました? クリス様」
 にこにこと、パーシヴァルはやっぱり笑っている。
「パーシヴァル、もしかして時々お前が誘ってくれていた遠乗りって……お前にとっては、デート……だったりした……のか?」
「ええまあ」
 やっと気づきましたか。
 笑顔で答えられ、クリスは顔を真っ赤にして俯いた。
 パーシヴァルの気持ちを知った今思うと、無意識とはいえ自分のやっていたことは究極の生殺し、である。今までパーシヴァルの理性がもったというのが不思議だ。
「す……すまん……!! わ、私は……」
「貴女が全然そういう意識がないというのは知ってましたよ。それでも貴女と時間を共有できるのは嬉しかったですから。それに今日はやっとお互いデート気分ですし」
「すまん」
「じゃあ、ちょっとデートらしいことをしましょうか?」
「らしいことって何だ?」
 パーシヴァルはこぶりの唐揚げをフォークで刺すと、クリスの口の前に持ってきた。そして今日一番の笑顔でクリスに囁く。
「はい、あーん」
「……それ、男女が逆だろう」
「私はこれでものすごく楽しいからいいんです」
 言い切られて、クリスもとうとう笑い出した。



 が、しかし。
 パーシヴァルとの遠乗りデートをした翌日、クリスはどん底に落ち込んでいた。
 執事の用意した朝ご飯をつつきながら、三十秒に一階はため息をつき、眉間に皺を寄せている。
 なぜなら。
 クリスはデート中だというのに、居眠りをしてしまったのだ。
 遠乗りで軽く運動をして、好物をいっぱい食べて、ぽかぽか陽気でのんびり話していたら気が抜けて……きがついたら、寝てしまっていた。しかもちゃっかりパーシヴァルの腕枕である。
 パーシヴァルは、『リラックスさせることが目的だったのですから』といって笑っていたが、女としてそれはどうかと思う。
 しかも寝顔を眺められていたのかと思うと死ぬほど恥ずかしい。
「クリス様」
 ゆで卵の上に、ちょっとした塩の山を作っていたクリスに、やっと執事が声をかけた。
「何だ?」
「……その、サロメ様とのお待ち合わせの時間がそろそろ……」
「え? もうそんな時間か?!」
 時計を見ると、待ち合わせの時間はもうすぐである。一体自分は何時間「朝ご飯」をやっていたのか。外を見ると、既に西の空がわずかに茜色を帯びている。
 クリスは慌てて服を着替えに自室に走った。
 今日はサロメとオペラを見に行く約束なのだ。それなりの格好をして出なければ、サロメに恥をかかせてしまう。
(パーシヴァルのみたいなデートだと、いつも楽でいいんだがな)
 そう思う自分がおかしいのだろう、と苦笑をすると、クリスは支度に取りかかった。
 結局、ドレスを着て髪を結い、化粧をして出たところで、15分の遅刻になってしまっていた。
 玄関ホールに降りてくると、礼装をしたサロメが待っている。
「すまない! 遅れてしまった!!」
「お気になさらないでください。もともと無理にお約束をさせてしまったのですから」
「いや、話をもちかけたのは私だ」
「その原因を作ったのは私でしょう。どうか気にしないでください」
「だが……。いや、やめようか。謝りあっていては日が暮れる」
「ではおあいこということで」
 あくまでも謝る姿勢のサロメに、クリスは苦笑する。
 これがパーシヴァルなら「貴女を待つ時間ほど幸せな時間はないです」だとか歯の浮く台詞を言われて煙にまかれているところだろう。
「クリス様?」
「いや、なんでもない。行こうか」
「そうですね。オペラの前に軽く何か食べて行きましょう。いい店を予約してるんです」
「良い店?」
 クリスは執事から上着を受け取ると、サロメにエスコートされて玄関を出た。門の前にはサロメの持ち馬車が待っている。
「南通りのマヌーヴァです。クリス様もご存知でしょう?」
「ああ、あそこか。確かにうまいな、あそこの料理は」
 言われた店は、高級住宅地の中にひっそりとかくれるように建っている高級料理店。ガラハド前騎士団長や、評議会のお偉方に何度か連れられてはいったことがある。
「お前の手料理でもよかったのだがな」
「そうすると、その後オペラに行けなくなりますから」
 彼には、以前パーシヴァルと一緒に料理を作って出してもらったことがある。それを思い出して言うと、サロメは苦笑した。当然の返答だ。
 パーシヴァルのように、手料理片手にデートに連れ出すほうが変わっているのだ。
「クリス様?」
 問いかけられて、クリスは顔をあげた。
 サロメが馬車の扉の前で、クリスに手をさしのべている。
「ああ、何でもない。行こうか」
 黒髪の青年の上品な笑顔をふりほどくと、クリスはサロメの手をとった。



 そして、会食は滞りなく行われた。
 料理は満点。ワインもクリス好みのものを一本あけて、穏やかな会話をゆっくりと楽しんだ。
 そのはずだった。
 しかし。
「クリス様、お待ちください」
 食事が終わって、店を出たところでサロメがクリスを呼び止めた。
「サロメ?」
 振り向くと、サロメが険しい顔をして立ちすくんでいる。さっきまでは滅多に見せない穏やかな笑顔をしていたというのに。
「やはり、オペラはなしにしましょう」
「……? 何故だ?」
 オペラの演目は、サロメもクリスも好きな喜劇もの。配役も悪くない。特にとりやめる理由はみあたらなかった。
 きょとんとしていると、サロメは深く息を吐いた。
「サロメ?」
「……クリス様、私と話をしている間じゅう、誰のことを考えていました?」
「っ!」
 クリスは言葉に詰まった。
 すぐに、黒髪の青年の顔が浮かんだからだ。
 今日一日、ずっと考えていたのはデートをしているサロメではない。昨日でかけたパーシヴァルのことだ。もちろん、目の前の相手をないがしろにするつもりはなかったから、浮かぶたびに打ち消してはいたのだが、しかしパーシヴァルの面影は、打ち消すたびに浮かんでくる。
 見抜かれていた。
 そのことがひどく恥ずかしいと同時に、サロメに申し訳なくてクリスは俯く。
 サロメは、またため息をついた。
「女神ロアも意地が悪い。私より先に彼と出かけさせるのだから」
「サロメ、私は……」
「もし順番が逆なら、どんな手段を使っても、貴女に私以外のことなど考えさせないように仕向けるものを」
 低くつぶやいた声ににじむ熱を感じ、クリスは押し黙った。
 この熱は、いつもの冷静なサロメのものではない。
 サロメはクリスの様子を見て、首を振った。
「……敗因は、それだけではないでしょうけどね。さて、デートは、これで終わりにしましょう。御者に申しつけておきましたから、このまま私の馬車に乗って帰ってください」
 サロメはクリスから離れると、路地に向かって歩き出す。
「サロメ……!」
「これ以上言わないでください。……とことんまで無様な男になってしまいそうですから」
 クリスを振り向きもせず、サロメは黙々と歩く。その背中は、全てを拒絶していた。
 いや、恐らくクリスが追えばサロメは振り向くだろう。
 だが追って与えてやれる気持ちはクリスにはない。
「……っ」
 クリスは、乱暴に馬車の戸を開けると乗り込んだ。
 御者は無言で馬を走らせる。
 俯くと、涙が出た。
 パーシヴァルと一緒にいることは、とても楽しかった。思い出すととても幸せになる。彼の顔を浮かべても幸せになった。
 きっとこれが恋という感情の始まりなのだろう。
 けれど、この気持ちがパーシヴァル以外の誰にも向けられることはない。
 誰かを選ぶということは、他の誰か全てを切り捨てるということ。
 三人の内の誰かを選ぶと決めたときに、他二人を傷つける……それは覚悟していたはずだった。しかし、現実はそれ以上に重い。
(サロメにあんなことを言わせるつもりじゃなかった)
 でもサロメを選ぶことはできない。
 どうしようもなく、わがままで残酷な感情がそこにある。
 ごとん、という音がして馬車が止まった。
「クリス様、到着致しました」
「そうか」
 クリスは涙をぬぐうと馬車を降りた。
 顔をあげると、見慣れた自分の屋敷と……門の前に立つ男の姿が見えた。
「パーシヴァル……」
 風になびかせるようにセットした黒髪、黒い瞳、柔らかな笑顔を浮かべる綺麗な顔。
 今、クリスが選んだ男だ。
「クリス様」
 男はクリスを認めると笑いかけてきた。
 クリスは後ずさった。こんなことをしても、泣いてひどい顔なのはお見通しだろうが。
「不干渉の約束じゃなかったか?」
「それはデートの間の話。デートは、もうおひらきなのでしょう?」
 パーシヴァルは笑みを崩さず、一歩クリスに近づく。クリスの異常に気づいているはずなのに。
 クリスはパーシヴァルを睨んだ。
「今、お前にだけは会いたくなかった」
「そうですか?」
 パーシヴァルはまた一歩クリスに近づいた。
「お前は何故ここに来たんだ」
「貴女に会いたかったから。……結構小心者なのですよ」
 いつ他の男に貴女を攫われるか気が気ではないのです。そう言って、男は空々しく笑った。
「クリス様」
 クリスの視界が翳った。
 パーシヴァルがクリスを抱きしめたのだ。
「貴女こそ、何故泣いていたのです?」
「お前が……泣かせたんじゃないか」
 パーシヴァルの暖かさに、また涙が出る。しがみつくとパーシヴァルは支えた。
「お前が……お前が……!」
「私が? 私さえ選ばなければよかったと?」
「そんなわけ……ないだろうが!」
 涙の伝う頬にパーシヴァルの唇が触れた。
「お前だって……共犯なんだからな!」
 何の罪を犯したか、などと野暮なことをパーシヴァルは聞かなかった。ただクリスにキスを繰り返すだけだ。
「ええ。貴女の罪は私の罪だ」
 ぎゅう、と抱きしめられて、クリスは吐息を漏らした。
 初めて選んで手に入れたものは、とても甘くて、ひどく苦い。
「愛しています」
 耳元で囁かれて、クリスはなんとか笑うことに成功した。




 翌日、事態を知って抜け殻になったボルスと、やはり抜け殻になった多数の若手騎士によって大混乱になった騎士団の収拾にクリスがかなり苦労(サロメは手伝ってくれない)したというのはまた別のお話。

サロメ→クリスでボルス→クリスでパーシヴァル→クリス
クリスおおもてパート2です。

なんだかものすごい難産で苦労しました。
一応ハッピーエンドなのですが、
サロメがセンチメンタルジャーニー(何)な感じなので、
ちょっと暗いですねえ。
でも、恋愛は選ぶことでもあるので。


三角関係は描くのも予想外につらかったのでびっくり。


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