やくそくとおまもりとゆびわときみ

その日、運良く休暇のとれたゼクセン騎士団長クリスは、秘密の恋人であるパーシヴァル(多分内緒だと思っているのは彼女だけだろうが)と一緒にビネ=デル=ゼクセ一の老舗と言われる宝石店へとやってきていた。
 恋人とお買い物、という、普通のカップルらしいデートコースのようだが、来店理由は少々情けない。
「ピアスの金具って、壊れるものなんだな……」
「そりゃ、踏めばたいていの装飾品は壊れますよ」
 やれやれ、とパーシヴァルが息をつく。
「いつもはちゃんと宝石箱に入れてるんだ! ……このときはその……たまたま、うっかりはずしたまま忘れてて」
 しどろもどろになって弁解するクリスを、パーシヴァルは面白そうに笑う。
「では、なくさないよう、毎晩私がアクセサリーをはずして宝石箱に入れてさしあげましょうか?」
「はずしたついでにパジャマも外されそうだから遠慮しとく」
「パジャマもなくさなくなっていいじゃないですか」
「パーシヴァル、問題はそこじゃないだろうが」
 じろ、とクリスが睨むが、パーシヴァルはどこふく風だ。にっこりわらって、宝石店の戸を開ける。
「そんなことより、宝石店につきましたよ。さ、入って入って」
「調子のいい……」
 むくれたふりをしながら、店内に入ると、なじみの店員がにこやかに迎えてくれた。事情を話してピアスを渡すと、すぐに修理の手配を取ってくれる。こういうとき、にこやかな顔のまま表情の変わらないここの店員はありがたい。
「パーシヴァル、十分くらいですぐに修理できるらしいんだが」
「じゃ、ここで待たせてもらいましょうか。その間に他の宝石を見るのもいいでしょうし」
「だな」
 クリスは店内を見回すと、ショーケースを見ることにした。落ち着いた、やや広めの店内には隅で立っている紳士が一人いる以外、誰もいない。のんびり商品を見ていても迷惑にはならないだろう。そう思って新作のアクセサリーを見ていたクリスは、ふと顔をあげた。
 なんとなく、部屋の隅にいる紳士に見覚えがあったからだ。
(はて……?)
 ゆっくりと、振り向いてみる。紳士は、窓際のショーケースを見ているため、こちらからは背中しか見えなかった。
(う〜〜〜ん……)
 歳は三十代。モスグリーンの落ち着いた立派なスーツを着ている。きっちりとセットされた髪はやわらかそうな金。
(金? ……ああ、そうだ、あの髪だ!)
 クリスはそこまで観察して、やっと既視感の正体に気がついた。
「なあパーシヴァル、あの人、ナッシュに似ていないか?」
 軽く袖を引き、恋人にささやくと、彼も少し目を見開く。
「背格好は同じですね。それにあの金の髪……ハルモニア人っぽいですけど。まさか、別人じゃないですか? 第一あの貧乏神にここに来る甲斐性があるとは思えませんが」
「前から思ってたが、お前、ナッシュとなると時々扱いが冷たいな。しかし、ナッシュでないにしろ、ハルモニア人ではありそうだな。髪が本当にきれいな金髪だ」
「クリス様はああいう方がお好みで?」
「……だったらお前とつきあってないだろうが」
 しかし、疑問はすぐに解けた。奥から別の店員がやってきて、紳士に声をかけたからだ。
「ラトキエ様……ラッピングが終わりましたけれど」
「ああ、すまない」
 店員に呼ばれて振り向いたその顔は、見慣れた三十親父のものだった。そして、受け答えするややトーンが高めの声も。
「ナッシュ!」
 言うが早いか、クリスはナッシュの服を引っつかみ、自分の方へと引き寄せた。この紳士がナッシュなら、この状況はものすごく怪しい。
「ナッシュ、貴様……こんなところで何をしている」
「え? えええええええ?!」
 胸倉をつかまれた紳士は、ぎょっとしてクリスを見た。
「また何か妙な小細工をしているんじゃないだろうな?」
「ちょ、ちょっと、誰かと勘違いをしているんじゃないですか?」
 男はあわててクリスの前で手を振る。本気で驚いているようだ。
「ちゃちなごまかしをするんじゃない! ナッシュ=クロービス。お前みたいに目立つ奴、見間違えるわけないだろう」
「だからちがいますって! 私の姓はラトキエと言うんです! ねえ、店員さん」
 紳士が助け舟を求めて、店員を見た。店員も呆然としながらこくこくとうなずく。店員は、嘘をついていないようだ。言われて、クリスは固まった。
「あ……本当に人違い?」
「そ、そうですよ……ね、ですからその手を離して……」
 クリスが手から力を抜こうとした、その瞬間だった。
「でも、名前はナッシュっていうんですね?」
 にっこり。
 笑いながらパーシヴァルが言った。
「う」
 紳士の顔が引きつる。
「パーシヴァル、どうしてそれを」
「ほら、私たちは軍人ですからね。それに有事ですから。スパイ捜査のため、と名目をつければ今強引に名簿を見るくらいの権利はもってるんですよ」
 どういう早業か、パーシヴァルは顧客名簿を店員から受け取って広げていた。クリスは、もう一度紳士の服を握りなおした。紳士は、今まであわてていた表情をくずし、あーあ、と天井を仰いでいる。
「へえ……紹介状はサロメ殿が書いたみたいですね。偽造でしょうか? 本物でしたら、彼が協力しているミッションということで、うちに被害はなさそうですが……」
「本物だよ。……ったく、クリス一人ならごまかせたっていうのに……」
「にしても随分な子供だましだと思いますけどね」
「うるせー」
 先ほどとはうってかわって柄の悪い様子で、ナッシュはがりがりと頭をかいた。店員が目を丸くしてナッシュを見る。
「あ……あの、お客様?」
「ああ、心配しなくていい。俺の家業は確かに怪しいが、今回ここに来たのは策略とかそんなのはぜんぜん関係ないから」
 店員はまだ疑わしそうだ。ナッシュは苦笑して、店員の持っている包みを取る。それは、青い包装紙でラッピングされた小さな包みだった。
「俺はここで何をした? 指輪を買っただけだろ?」
「指輪?」
 クリスが、ナッシュの手を見た。その小さな包みは、確かに指輪が入るのにちょうどいい大きさである。
「カミさんにね、プレゼント。俺とペアで。いいのが欲しかったからサロメ殿に紹介状を書いてもらったんだ。この格好はまあ……その、いつもの格好じゃこんな高いところ入れないからな」
「へえ? にしたってこんなこそこそしなくてもいいじゃないですか」
 パーシヴァルが言うと、ナッシュが嫌そうに顔を歪めた。そして、パーシヴァルとクリスは、世にも珍しいものを見ることとなる。
「下手に買ったら新聞沙汰にまたなるだろうが……それに……ああもう、俺にだって事情はあるんだ!」
 常のへらへらしたポーカーフェイスではない。十代の少年のように耳まで真っ赤に染めて怒鳴ると、ナッシュはそのまま店を出て行った。あまりに余裕のないその顔に驚いた二人は、彼を見送ってしまう。
「な、なんなんだあいつは」
「……まさか、単純に恥ずかしかったのでしょうか。指輪を買うのが」
「あいつが?」
 クリスが驚いて窓の外を見る。ナッシュの後姿は、もう随分と小さくなっていた。
「あの……クリス様」
 ナッシュに商品を運んできた店員が恐る恐るクリスたちに声をかけた。
「何だ?」
「あのお客様のことですが……」
「ああ、心配しなくていい。あいつなら、城に帰って絞り上げれば何か吐くだろう。この店に迷惑がかかるようなことはさせないから」
「いえ、そうではなくて」
「ん?」
「あのお客様、多分……本当に指輪をお買い求めになられただけだと思いますよ」
「そうなのか?」
 店員は苦笑した。見回すと、他の店員も苦笑して同意する。
「だって、さっきみたいに耳まで赤くして、ああでもないこうでもないって、すごく真剣に悩んで選んでらっしゃいましたもの。こちらがあてられるくらい」
 くすくす、と店員たちが笑う。
「いろいろ事情があって、奥様に指輪を買ってあげたことがなかったそうで、それで、とおっしゃっていました」
「そうか……」
 クリスは、パーシヴァルと目を見合わせた。
「どうします? クリス様」
「ほうっといてやるか。何か、かわいそうだし」
「ですね。……クリス様、どうされました?」
 言い合ったあと、クリスが笑うのを見てパーシヴァルがたずねた。
「いや。ああいう伊達男でも、たまにはあんな顔もするんだな、と思ってな」
「私だって、貴女に指輪を選ぶとなれば、あんな顔をしますよ」
「え?」
 パーシヴァルはにっこりと笑った。



「ったく……」
 ぼす、と俺は自室のベッドに顔から飛び込んだ。布に埋まった顔の皮膚は、バーツの作ったトマトより赤い。
「なあんで、あそこでクリスに会うかなあ……」
 恋人に指輪を買うこと。既婚者の男なら一度は通る道だが、これほど恥ずかしいとは思わなかった。柄にも無くああだこうだと考え込んで。そんな姿を、騎士団の連中(特にクリス)に見られたくなくて、わざわざサロメに紹介状まで書いてもらったっていうのに。
 三十七年も、不運とつきあってくればいいかげん慣れもしてくるが、今回のは本当に運命の女神も意地が悪い。
「……まあいっか……ものは手にはいったし」
 つっぷした、いつものジャケットの中には小さな包みがある。死ぬほど恥ずかしい思いをして買ってきた、ペアの結婚指輪だ。
 それよりも、問題はこの後だ。
 俺は体を起こすと、ベッドの上にあぐらをかいた。
 シエラは指輪を受け取るだろうか?
 俺としてはもちろん、受け取ってもらうために買ってきたのだが、指輪というものは特別な意味がある。
 指輪とは、約束。
 特に結婚指輪には共にあるという、重大な約束がこめられている。
 言うまでも無く、シエラは不老不死だ。だから、俺が人であるかぎり、ずっと一緒だなんていう約束は守ることができない。
 もちろん、俺にシエラから離れる気なんてものはさらさらない。だから状況は変わらないのだけど。
 約束をきちんとしてしまうことは、また違うだろう。
 シエラは、この約束を求める俺を、受け入れるだろうか?
 それとも、たわいも無い軽口を本気にした愚か者と、笑い飛ばすだろうか?
 それとも……
「何を呆けておる」
「どわっ」
 目の前に、今まで考えていた女の顔があって、俺はのけぞった。そのままの勢いで壁に後頭部をぶつける。
「痛え!」
「あほかおんしは。何をやっておる」
「いきなり現れたら誰だってびっくりするさ!」
「三回ノックして、声も五回かけたのじゃが?」
 抗議する俺に、冷ややかな声がかけられた。
「え? そうなの?」
「そうじゃ。まったく、そんな間抜けでよく工作員などやっておれるのう」
「余計なお世話だよ! ちょっと……考え事をしてただけだ」
「あほの考え、休むに似たりじゃぞ?」
 俺は半眼になってシエラを睨んだ。おい、俺の苦悩を阿呆で片付けるなよ。
「俺だって考えることはあるんですー」
 もそもそと起き上がると、俺はマフラーを外して、ジャケットも脱いだ。いつものようにクローゼットに押し込もうとしたら、そのポケットから包みが落ちた。
「なんじゃこれは」
「あ」
 何故そこでポケットから落ちるんだよ、この包みはあっ。
 心の中で絶叫したがもう遅い。包みは、最悪の方法でシエラの手に渡った。
「誰ぞにプレゼントかえ?」
「……あんたにだよ」
 俺はそっぽをむいて言った。
 あーもう心の準備も何もなしだよ。
 ま、しょうがないか。
「……え」
「あんたに。……あけてくれ。受け取るかどうかは、それからでいいから」
「ナッシュ?」
 たずねても答えない俺にあきらめをつけて、シエラは包みをあけた。ちいさな箱からでてきたのは、銀色に光る華奢なペアリング。
「ナッシュ……?」
 シエラは、目を見開いたあと、泣きそうな顔で所在なさげに俺を見た。
「言っただろ? カミさんに指輪を送るくらいの甲斐性のある男がいいって」
「……」
「受け取れないなら、それでいいから」
 静かに言うと、シエラはきゅ、と唇を引き締めた。
「わらわが受け取らぬなどと言うと思ったか?」
「ああ、思った」
 言いながら、俺はシエラの頬に触れた。
「愚かものじゃのう」
「だったらなんで、あんたはそんな泣きそうな顔をしてるんだ?」
 ふ、とシエラの唇が笑いを刻んだ。
「迷っておるわけではない。そうじゃの……怖いのかもしれん。嬉しくて」
「シエラ」
 言葉を紡ごうとした俺の唇に、シエラは指をあてた。
「わらわがおんしの奥方じゃと、言ったのはおんしであろう? 指輪を受け取らぬ奥方はおらぬ」
 泣きそうなのは変わらないけど、紅い瞳に迷いはない。
 そのとき、俺は唐突に理解した。
 シエラは、とっくの昔に覚悟していたということを。
 俺に再会して、ここに居つくことを決めたときに、俺といることでおきる悲しみを全て受け止めると決めていたのだ。
 知らなかったのは、俺だけで。
「シエラ」
 俺はシエラの手を取った。それから、あいた手で、指輪を取る。
「一緒に、いてくれるか?」
 左手の薬指に指輪をあてて、尋ねるとシエラは笑った。
「命尽きるまで」
 どっちの命が、とは言わなかった。それはわかりきってたから。
 白い指に、白銀の指輪が映える。
 俺たちはどちらともなく唇を重ねた。
 見届ける司祭も、認める神もなく。
 ただ二人だけの誓い。
 三十七のくたびれた男と、八百年ものの吸血鬼とじゃ、おままごとにもならないけど。
 それでも
「愛してる」
 この誓いだけは破らないから。
 ささやくと、シエラの瞳から小さく涙がこぼれた。
「わらわもじゃ」
 お、やっと言ったな。
 俺は笑った。
 シエラは満足げに自分の指にはまった指輪を眺める。
「白金の結婚指輪か。手配に苦労したのではないかえ?」
「あんたにはそれが似合いそうだと思ってさ」
 俺は笑ってごまかした。
 結婚指輪は銀で作るのが普通だ。しかし、銀は魔を退く金属。カミさんの指に通した瞬間、火傷させちゃ意味が無いと思って、無理にプラチナで作ってもらったのだ。そのぶん、かなり高くついたけど。
 それでもシエラにはわかったのだろうか?
 くす、という笑い声が俺の耳に届いた。
「ナッシュ、おんしにもはめてやろう。手を出すのじゃ」
「うん」
 俺が左手を出すと、シエラは指輪を取った。そしてふと手を止める。
「どした?」
「ん、おんしの指輪には名前をいれんかったのじゃな」
「ん……まあ」
 俺はこりこり、とこめかみをかいた。
 ハルモニア流だと、結婚指輪には相手の名前をいれるのが普通だ。実際、シエラの指輪の内側にはナッシュ=ラトキエと俺の本名が刻んである。だが、俺の指輪には「愛してる」という言葉が代わりに刻んであった。
「家業が家業だからな。下手につかまったり殺されたりしたときにあんたの名前がでてきちゃ迷惑がかかるからな」
 これだけ城で有名人になっておいて言うことでもないが、染み付いたスパイの悪癖で、俺は固有名詞のついた持ち物を一つも持っていない。それこそ、風呂屋で使っているタオル一枚でも。実際、俺自身がここから姿を消してしまえば、人の記憶以外に俺がここにいたという証拠はなくなるだろう。そういうものだ。
 説明すると、シエラは俺の指輪を手に握りこんだ。
「これはどこで買い求めた?」
「ゼクセの宝石屋だけど?」
「では、そこに行ってわらわの名前を刻印してもらうぞ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! あんた話きいてたのか? 俺は……」
 びし、とシエラは俺に指をつきつけた。どこかのわがままお嬢様みたく。
「その手にわらわの名を抱いていると思えば、おんしは敵地でつかまることも勝手に死ぬこともできぬであろう? だからじゃ」
 勝ち誇ったように言われて、俺は言葉をなくした。
「なんじゃ」
「わっ……がままだなあ」
「それの何が悪い」
 悪くない、と俺は首を振って破顔した。
 勝手に死ぬな。
 そのわがままのどれだけいとおしいことか。
 俺は、シエラを抱きしめるとその頬に唇を寄せた。それから、唇に、瞳に、首筋に。
「じゃあ、明日ゼクセに行こう」
 ささやきながら俺はキスを繰り返す。
「ナッシュ……こら。わかったから」
 でも俺は制止を聞いてない。
「でもその前に」
「なんじゃ」
「俺自身の体にあんたを刻んでみないか?」
「そういうことばかりうまくなりおって……んっ……あ」
 そのあと何回キスしたかは覚えてない。




長文題名第四段。
え〜〜と、指輪に関する決まりごとは、かなりいい加減に書いてます
この時代に白金の精製方法があったのか、とか
本当に指輪に名前を刻むのが習慣なのか、とか
そんな突っ込みはいれちゃだめです
つかみが長すぎです、タカばさん



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