あいしてるあいしてるあいしてるあいしてる

「ここが俺の部屋だ」
 シエラを抱いたまま、俺は自分の部屋の戸をあけた。ベッドとクローゼット、それからテーブルと椅子という必要最低限のものしかない、簡素な部屋に入ると彼女をおろす。
「意外に綺麗にしておるの」
「仮の宿だしね」
「いつでも雲隠れできるように、か? スパイの習性が身についておるようじゃのう」
「まあこの家業長いし」
 俺は笑いながらマフラーをはずした。クローゼットをあけてその中に放り込む。ついでに剣とジャケット、装備品がびっしりついているベストも脱いでハンガーにかける。
 そんな日常の動作をしながら、俺は混乱する頭をどうにか落ち着かせようと必死になっていた。
 全くどういう一日だ。
 朝には、シエラのことを思い出して、つまらないなどと思っていたのに、今隣には彼女がいる。それも、他の何のためでもない、俺の恋人として。
 うかれる反面、今の状況が信じられなくて全然考えがまとまらなかった。
 嬉しすぎる。
「これもついでにかけておいてくれ」
 シエラがショールを俺に渡してきた。
「皺にするでないぞ」
「へいへい、わかってますよ」
 ショールをかけてから、俺はクローゼットの奥に手をのばす。そこには、俺の数少ない私物のうちの一つ……酒瓶がいくつか置いてある。
「酒、飲むか?」
「銘柄にもよるのう……」
 相変わらずの贅沢ものだな、この女は。
「これならいいだろ?」
 俺が差し出した赤ワインのラベルを見て、シエラが目を見張った。
「おんしの割にはいい酒じゃな、合格じゃ」
「知り合いに、ボルスっていってワインの収集を趣味にしてる奴がいてね。そいつから巻き上げたんだ」
「ろくなことをしておらんの。巻き上げられた者もかわいそうに」
「じゃ、可哀想がって、シエラはこれを飲まないんだ?」
「そんなことは言っておらぬ。飲むのじゃから、さっさと開けよ」
「あんたはそういう女だよなー」
「む、どういう女じゃ!」
 俺は、ショットグラスを出すと(ワイングラスなんて華奢なものは置いてない)コルク抜きをワインボトルに刺した。それから、コルクを引き抜く。
「ん、なんだ、結構あけにくいな」
「ん?」
 妙にひっかかるような感覚に、いぶかしく思いながらも、俺は思いきりコルク抜きを引っ張った。そのとたん、ぼろ、という変な感触がして抵抗がなくなる。
「あっ、……しまった……」
 言ったところでもう遅い。コルクは半分程のところでばっきりと折れていた。瓶には折れて残ったコルクがまだ引っ掛かっている。どうやら、コルク抜きをちゃんと下まで刺せていなかったらしい。
「何をやっておる。おんしにしてはらしくない間抜けぶりじゃが」
「うるせえな! 俺は……」
「俺は?」
 顔を覗き込まれ、俺は思いきりそっぽを向いた。
「……緊張してんだよ! 悪いか!!」
 白状すると背後でくつりとシエラの喉が音をたてるのがわかった。笑うなら笑えよ! 十五年振りで、やっと惚れた女と一緒にいるんだぞ? ミスの一つや二つ、おこして何が悪い!!
 シエラの手が俺の肩に回る。顔を向けると、にっこり笑ってオババは言いやがった。
「かわいい」
「ああそうかよ!」
 そいつは最高の褒め言葉だよ!!
 俺はその手を乱暴に振払うと、またクローゼットの奥をかき回した。先ほどのものとはまた別の赤ワインを取り出す。味の傾向はやや違うが、等級は同じくらい。
「何本巻き上げておるのじゃ、おんしは」
「ちゃんと奴の上司に睨まれないくらいには手加減してるよ」
「完全にカモにされとるのう……そ奴」
 シエラはまだ見ぬボルスに同情しているようだった。まあ、俺もいつもいつもカモにしてるわけじゃないが……むきになって勝負を挑んでこられたら、相手にしないわけにはいかないだろ? まあ、勝負を挑んでくる原因を率先して作っていることは否定しないけど。
「よっと」
 今度はちゃんとコルクの栓を抜いて、俺はグラスにワインを注いだ。よく寝かせた、香り高い葡萄の芳香が部屋に広がる。
「ほら」
 俺は一つとってシエラに差し出した。
「うむ……っと」
 普通のタイミングだったはずなのに、シエラはそれを取り落とした。ごとっ、と音をたててショットグラスが床に落ち、真っ赤な液体が床に広がる。
「シエラ?」
 渡しかたがまずかったとは思えないのだが。不思議に思ってよくよく見ると、シエラの手は、小刻みに震えている。
「どうしたんだ? シエラ」
 気づかれたことがわかったのか、シエラは顔を赤くして、思いきりそっぽをむいた。さっきの俺みたいに。
「……き、気にするでない」
「そんなこと言ったって……」
「緊張しておるのじゃ! 悪いか!!」
 怒鳴られて、俺は笑った。
 なんだ、どきどきしてるのはお互い様ってことか。
 耐え切れなくて、俺はシエラを抱き締める。
「シエラ、かわいい」
「離せ、このスケベ!」

「スケベ結構。大体抱き締めてるだけじゃん」
「それだけではないくせに……」
「それだけだよ」
 俺はシエラを抱いたまま、その耳もとに唇を寄せた。
「俺だってね、そればっかり考えてるわけじゃないさ。したいとかそういうことを抜きにして、ただ抱き締めてたいって思うことだって……あるんだ」
 シエラは返事をしなかった。そのかわりに、細い手が俺の背中にまわされる。
「シエラ……」
 強く抱くと、シエラの体温と、柔らかな、でもしっかりとした体の感触が返ってくる。俺はうっとりと、その感覚に身を任せた。
 熱と手触りが与えてくれる、充足感、そして実感。
 シエラがいる。
 ここに、俺の腕の中にシエラがいる。
 十五年、いや下手したら生まれてからずっと探していたものが、今手の中に、ある。
 抱き合ったまま、俺達はしばらく何も言わなかった。お互いのため息のような吐息だけが、部屋の空気を震わせる。
「ナッシュ」
 どれくらいそうしていただろうか。
 不意にシエラが手を離した。
「苦しい」
「あ、すまん」
 俺は随分長い間、シエラを拘束していたようだ。まだ足りない、と主張する腕をなんとかなだめすかしてシエラから離れる。
「ワイン! まだ飲んでない。あんまり放っておくと香りが変わってしまうわ!」
「そういやそうだな」
 俺はグラスにワインをつぎなおすと、シエラにもう一度渡してやった。今度は彼女も落とさない。
 軽く床を拭くと、俺も自分のぶんを手にとってベッドに座る。シエラも隣に座ってきた。
「お味はどーですか、奥様?」
「うむ。上品でよい香りじゃ。わらわの趣味じゃと、もう少しクセがあるほうがよいのじゃが」
「ふうん、じゃあそういうのをまた今度見つけておくよ」
「楽しみにしておくとする。まあもっとも、最高の赤ワインは目の前にあるがのう」
 シエラはワインを飲むと、俺の肩に手をのばした。そして、その手は首筋へと滑る。俺はグラスと置くとあとずさった。
「こらこらこら! それは酒じゃない!」
「わらわにとっては立派な嗜好品じゃ」
 にやにやと笑いながらシエラは詰め寄ってくる。
「だからってそうほいほいやれるか! 噛まれると結構痛いんだぞ!」
「何じゃ、ひさしぶりに会った奥方をいたわろうという気はないのか」
「こういうときだけ奥さん面すんな!」
 シエラは、俺を追い詰める体勢のまま、少し思案顔になった。そして次の瞬間、にっこりと嬉しそうに笑う。
「お願い、少しじっとしてて、あ、な、たV」
「ひ、卑怯者……っ!」
 今程、俺が男であることを恨んだことはない。わざとだって分かってるし、おもいきり作り声だってわかっているのに……この女の仕種にくらくらしている自分が死ぬ程情けない。
 おたおたしていると、シエラはくすくす笑いながら俺の首に手をまわした。首に、シエラの息がかかる。抵抗する間もなく、牙がたてられた。
「う」
 懐かしい痛み。そして軽い酩酊感と貧血。
 ある程度吸って落ち着いたのか、シエラは一旦折れの首筋から口を離した。そのまま、肩に顔を埋めたままくすくす笑う。
「こんの……オババめ」
「ふふ、ごちそうさま、じゃ」
「んんっ」
 笑うついでに首にキスを落とされ、俺は体をこわばらせた。
 ああもう、そこだけはあんまり攻撃してくれるなよ。
「どうしたのじゃ、随分敏感じゃの」
「弱いんだよ、そこ」
 十五年だれにも触らせてなかったから敏感になってるだなんて口が裂けても言わねえぞ、俺は。
 追求される前に、俺は首に牙をたてるために俺に抱きついた形となっている、シエラの体を抱き締めた。そのまま座っていたベッドに倒れ込む。
「それより、シエラ」
「うを?」
「こんな挑発的な態度とっておいて、ただですむと思って、ないよな?」
「さあ? わらわは食事をしただけじゃぞえ?」
「しらばっくれるなよ」
 俺はシエラを体の下に組みしいた。
「ナッシュ」
 制止の言葉なんかきかない。
 衝動のままに手を動かす
 それからの俺の行動は、ケダモノの一言に尽きた、と思う。とはいえ、相手も同じケダモノだったのだから、文句を言われる筋合いはない。
 お互いを隔てる衣類を乱暴に剥ぎ取り、直接抱き合って、
 噛み付いてキスして爪をたてる。
「シエラ」
 うわ言のように名を呼んで、
「ナッシュ」
 睦言のように名を呼ばれ、
 俺は暴走する熱のかたまりをシエラの中に放った。
 朝だ。
 俺はベッドに寝転んだまま、空が白んでゆくのを眺めていた。視線を落とすと、安らかに眠るシエラの綺麗な顔がある。
 とりあえず、今朝はシエラがいる。
 俺は安堵のため息をついた。

 昨日彼女と一緒にいて、俺が緊張していたのには、嬉しかったせいだけじゃない。
 恐かったのだ。
 嬉しい反面、また朝になったら、前と同じように消えてしまいそうで。
 だからずっと慌てて、シエラに触れたがっていた。
「ん……」
 差し込んだ朝日が眩しかったのか、シエラの柳眉が寄せられた。銀の睫が震えたかと思うと、うっすらとルビーアイがのぞく。見ていると、ゆっくりとその赤い宝石は焦点を結んでいった。
「ナッシュ?」
「おはよ、シエラ」
「おはよ。……なんじゃずいぶん不細工な顔をしておるの」
 起きて一番、シエラは毒づいた。
「この顔は生まれつきだよ」
「ほう? 目が充血して落ち窪んでおるのも生まれつきかえ?」
「そーだよ」
 正直に言うと、実は俺は昨日一睡もしていない。
 一瞬でも寝てしまうと、十五年前のようにどこかに行ってしまう気がしたからだ。だが、そんなこと、37の男が言えるわけもない。
 しかし、シエラにはわかったようだ。
「ばか者」
 くす、と笑ってシエラはベッドから抜け出した。続いて起き上がろうとすると、布団を頭からかぶせられる。
「シエラ?」
 どけようとすると、押さえ込まれた。
「乙女の着替えを見るものではない」
「昨日いろいろ見たじゃな……むがっ、む! わ、わかった、わかりましたっ!」
 大人しくしていると、シエラはそこから離れた。布団越しに、衣擦れの音が耳に届く。この音に聞き耳たててるのは……まあしょうがないよな。
 着替えが終わると、シエラは布団をはいで、俺の顔を覗き込んだ。
「もうよいぞ」
「へいへい」
 俺が体を起こすとシエラはまたおかしそうに笑った。
「本当に不細工な顔じゃ。言っておくが、わらわは見目のよくない男は嫌いじゃぞ?」
 シエラめ、面食いだって言い切りやがったな。
「じゃあどんな男がお好みなんですかね? 奥さん」
「そうじゃのう……」
 クローゼットからショールを取り出しながら、シエラが首を傾ける。
「見目がよくて……性格がよくて……それから」
「それから?」
「奥方に指輪を送るくらいは甲斐性のある男かのう」
 ……………………………………は?
 その台詞を聞いてから、俺はしばらく固まっていた。
 指輪、て。
「おいシエラ!」
「また来る」
 俺が止めるよりも早く、シエラは部屋を出ていった。
 おい、そういう台詞を吐いたら、俺が本気にとるって、わかって言っているんだろうな、シエラ!!
 本当に買ってくるぞ!!
「ったく」
 俺は、ベッドにごろりと寝転がった。
 昨日とりそこなった睡眠をとるために。
 しかし、こんなに興奮していて、寝られるものだろうか。
 ああちくしょう! 誰かこの俺のにやけきった顔をどうにかしてくれ!!

長文題名第二段。
もういちゃいちゃしてるだけの話です。
「してる」けど、直接的な表現がないので
表に置いてみました。

……シエラ様、おねだり上手?



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