ただきみのためだけにぼくのむねにあかりはともる

「ナッシュ! 今日という今日は許さん!!」
 ぶん、と振り回された烈火の騎士殿の剣の切っ先をひらりとかわしながら俺は笑った。次々とくり返される攻撃を、俺はダンスよろしく軽いステップを踏みながら避けていく。いやあ、頭に血がのぼった奴ほどあしらいやすい奴はいないね。
「ボルス、なにも剣まで向けなくてもいいだろうが!」
 眉をひそめたクリスがボルスをたしなめる。
「そうそう。単に挨拶しただけじゃん」
「ナッシュ黙れ! ついでにキスするのは挨拶とは言わん!!」
「えー? そだっけ?」
 へろりと笑ってやると、またボルスの血圧があがったようだ。しかし、何回からかっても面白い兄ちゃんだ。
 ビュッデヒュッケ城の廊下、パーシヴァルとボルスを連れたクリスを見つけた俺は、いつものように挨拶と、それからいつものように悪戯を仕掛けたわけなんだけど。
 ボルスもまあ毎回反応しなきゃいいのにいいように引っ掛かるんだもんなあ。これはからかわないと相手に失礼ってもんだろう。うん。
「ナッシュ、お前も火に油を注ぐようなことを言うんじゃない!」
「おや、お姫さまに怒られた」
 さも意外、と驚いてやると、クリスもむくれる。
「その呼び方はやめろと言っているだろうが」
「そうだっけ?」
「もうろくしてるんじゃないですか? お歳のようですし」
 一人だけ、からかい甲斐のない相手、パーシヴァルが冷たく言い切った。
「ひどい! 俺はこんなに若いのに!」
「問答無用!」
 ぶん、とまたボルスの剣がうなった。それをかわして俺は身を翻す。さて、これくらいにしておかないと騎士様たちを遅刻させちまう。
「へいへい、去りますよ〜だ」
「もう来るな!」
 ボルスが叫ぶ。そして、パーシヴァルのやはり冷たい声。
「クリス様に次近付いたら、何があっても知りませんよ?」
 苦笑しながら、俺はその場を離れた。そして、市のたっている城の正面へと足を向ける。
 やれやれ、あの騎士さんたちも毎度毎度御苦労だよなあ。
 クリス様に悪い虫がついたりしないよう、戦々兢々ってとこかな。クリスの周りにいなかったタイプで、しかも一緒に旅なんかしちゃった俺が気にならないわけないだろうけど。
 けど、きっと彼等の心配してるようなことにはならない。
 だって、俺はからっぽな男だから。
 そんな中身のない男を、クリスみたいに頭のいい女がほれることはないだろう。
 俺の心は、十五年前、ある女に持っていかれた。
 一緒に過ごしたのはたった数日。体を重ねたのはたった一夜。
 ただそれだけで、心を焼きつくされた。
 艶っぽい言葉を交わしたわけでもなく、
 何かを誓ったわけでもなく、
 どころか、一世一代の告白を鼻で笑われあげく冗談にされて。
 それなのに。
 その女が去ってから十五年、女運がなかったわけじゃない。それなりに、仲良くなった女もいた。けれど、どんな美女と言葉を交わしても、心が揺れなかった。
 俺の胸に、恋心という名前の火はどんなに小さな灯火さえともらない。
 男と女の関係はそれだけじゃないとも思うし、感傷的にすぎるとは思うけれど、だからといって全く心がないのではやはり成立しないだろう。
 数回、見合い話を持ちかけられたこともあったが、それも全て蹴った。
 己のためだけではない。ひとかけらも心を与えられない男などと暮らすはめになったら、その女は不幸になるだけだ。
(そういえば、首筋にキスさせることだってなかったっけ)
 そっと首に手をやる。
 悲しい男の性で、女を買ったことはこの十五年多々あった。しかし、そのどの相手にも首筋に唇を寄せることは許さなかった。
 もう痕すら残っていないけれど、 ここには確かに彼女に刻まれた傷があったから。
 キスされて、彼女を思い出すのが嫌で。そして、キスを拒絶することで、彼女を思い出すことも嫌で。
 全く、自分でもどうしようもないと思う。
 探そうかと思ったこともあった。
 けれど、一言も告げずに、逃げるように姿を消した女を何と言って追いかければいい? そして、なんと言って捕まえればいいんだ?
 そう思うと、何もできなくて、結局十五年もたってしまった。
(やだやだ、意気地がないったら)
 ため息一つ。
 自分でも馬鹿だと思うし、さっさと忘れた方が幸せなのは分かってるけど、もうこればっかりは思ったからといってどうにかなるもんじゃない。
 いいかげん考えるのが嫌になって、俺は顔をあげた。
 いかんいかん、暗い顔をして歩いていたら、このおせっかいな城の連中にとっつかまっちまう。それに、今日は取り寄せを頼んでおいた火薬の材料が手に入る日なんだ、ちゃんとチェックしておかないと。
 そう思って、店に目を向けた俺の視界を、白いものがよぎった。
(え?)
 それは、銀の髪。
 銀の乙女と呼ばれる女騎士様ものじゃない。それよりも色は更に薄い。そのうえ、その髪の主は小柄だった。
 確かめようと、振り向いたけれど、その姿は人込みに紛れたあとだった。
「ちょっと待て……」
 俺は全速力で駆け出した。



 その夜、俺はビュッデヒュッケ城の裏手、湖畔にある森中で身を潜めていた。
 火がともらないとぼやいていた俺の胸には、火焔とよんでいいほどの炎が燃え盛っていた。全く、これだけ燃えて行動してるなんてのは、実に何年ぶりだろうか。って十五年ぶりか。
 あの白い人影をみつけたあと、俺はすぐに追いかけた。けれど、彼女は見つからなかった。だからって、あきらめる俺じゃない。あれは見間違いじゃなかったと確信していたから。
 とりあえず始めたのは聞き込み。人一人行動するっていうのは、どうあっても痕跡がのこるものだ。まして、あんな目立つ容姿をした女が記憶にのこらないわけがない。
 で、集めた情報をつなぎ合わせたところ、彼女の目的は炎の英雄をはじめとする真の紋章をもつ人々の人柄と、そしてこの戦の趨勢を見定めることだったようだ。真なる月の紋章を持つ彼女の素性を考えれば、ごくごく当たり前のことだろう。
 そして、ついでのように金髪のナンパ男のことを聞いていったそうだ。
 俺のことを覚えていたらしい。
 それが分かったらどうしても会いたくなって、こうして網を張っている。
 彼女は宿には泊まっていない(ああみえてセバスチャンは宿に泊まった人間を全て覚えてる)。墓場にいるかとも思ったが、あそこは人の往来が激しいから居心地が悪いだろうとやめた。そして、他に彼女が気に入りそうなところ、と思って思い付いたのがここだったわけだ。
 笑えるくらい確証のない予想だが、彼女のねぐらに関する情報がさっぱり得られなかったのだからしょうがない。
 今夜は晴天のいい月夜。
 湖面に映る月光は実に彼女好みだ。
(出て来てくれよ……)
 俺にさっぱり運をわけてくれない神様に祈ったときだった。
 ひら、と湖の上を何かが舞った。
 それは月光のもと、白く輝いている。鳥かとも思ったが、飛び方が全然違った。あれは、白い蝙蝠だ。
 白い蝙蝠なんて初めて見たし、なんといっても綺麗だったから、俺はしばらくそれを目で追っていた。蝙蝠は、俺の視線なんか気付かずに岸へとやってくる。ちょうど人の目の高さまで降りてくると、淡く光を放った。
(え?)
 驚く俺の目の前で、蝙蝠は輪郭を崩した。そして次の瞬間には別のものへと変化を遂げていた。蝙蝠から-----------少女へ。
 少女は、月光のように冴えざえとした銀の光を放つ髪をしていた。そして、同じ銀の睫に縁取られた瞳は、鮮やかな血の色そのままのルビーアイ。ひらひらとした薄もののワンピースの上から、紫色のショールをひっかけている。
 服装こそ少し違っていたが、その容姿は十五年前と全く変わっていなかった。
 相変わらず馬鹿みたいに綺麗なまんまのその姿に、俺は笑いたくなる。
 真の紋章を持つのだから、なにより、吸血鬼なのだからそれは当たり前なのだけど。
 しかし、せっかく待ったのだから、声をかければいいはずのところで、俺はためらった。
 あいつは会いたいと思っているだろうか?
 その疑問が俺の足を止めた。
 それは、聞き込みをしているときからあった。金髪ナンパ男のことを聞いた、ということは、俺のことを覚えてはいるだろう。けれど、俺がこの城にいることを知っていて、けれど今まで声をかけなかった。ということは、あいつは俺に会いたいとは思っていないのではないだろうか? とすれば、今飛び出しても無駄なことだ。
 けれど俺は会いたい。
 じりじりとした焦燥感に迷いながら、俺は彼女を見つめる。それしか、できなかった。
 ふと、彼女は、湖面を眺めながら呟いた。
「……すべて、見定めることは終わったし……もういけばよいのじゃが……」
 ふう、とため息とともにルビーアイが伏せられる。切な気な顔で、一言だけ。
「……ナッシュ」
 俺の迷いが吹っ切れた。
 茂みから飛び出すと、名前を呼ぶ。
「シエラ!」
 相当驚いたらしい。目を見開くと、シエラはぱっと体を翻した。
「逃げるな!」
 天速星の足の速さをなめるなよ。俺は全速力で走ると、シエラの体を捕まえた。そして、もつれあうようにして茂みに突っ込む。
「きゃあっ!」
 少女のようなかわいらしい悲鳴を揚げたあと、シエラはじたばたと俺の腕の中でもがいた。
「はなせ、この無礼者! 婦女子に抱きつくとは不埒にもほどがあるぞ!」
「そうでもしないとあんた逃げるだろうが!」
「あんな血相を変えて追い掛けられれば誰だって逃げるわ!」
「人を騙したあげくに約束やぶったような女見つけたらとりあえず血相変えるのが普通だろう!」
 ひとしきり怒鳴りあって、俺たちは荒く息をついた。
「……いいかげん離せ。苦しい」
「……離したら逃げる」
「駄々っ子かおんしは。本当に苦しいのじゃ、いいかげんにせよ!」
 俺ははちょっとだけ手を緩めた。痛くはない程度に、けれど、逃れられないように。
「……スケベが……」
「なんとでも言ってくれ。俺はあんたを離したくないんだ」
「子供じみたことを言うでない」
「あんたに比べりゃ誰だって子供だよ」
 俺はふて腐れた顔で、シエラの肩に顔をうめた。シエラは軽く俺の腹をつねる。
「全く、十五年もたったというのに、老けたのは顔だけかえ?」
「渋みが出たと言ってくれ」
「どこか渋みじゃ。単によれよれになっただけではないか」
「ひでえな。これでもそれなりに人気者なんだぜ?」
 十五年前と変わらない軽口。けれど軽口ばっかりで、言いたいことの半分も言えない自分がもどかしい。全く、二十二じゃないんだからもっと気のきいたことを言えよ、俺。
「人気者のう……懐いておるのは動物ばかりではないのかえ? 犬とか」
「なんであんたがそれを知ってるんだよ!」
 聞き込みをしたことは言わずに、俺は言う。シエラはまた俺の腹をつねってきた。今度は強めに。
「わらわに見通せぬことはないのじゃ。それよりいい加減にせぬか。おんし、妻をめとったのであろうが。奥方以外の者にこのようなことをするでない」
「奥さんがいなかったらしてもいいのか?」
「なぬ?」
 俺は笑った。ぎゅう、とシエラを抱く力を強める。
「見通せないことはないって言っておきながら、あんたも俺の嘘にひっかかったな? 奥さんいるってのは嘘。銀の乙女なんていう大層な人と仕事上お近づきになる必要が会ったんだけど、これがまた恐いくらい強い親衛隊様様がついていてね、そうでもしないと話が進められなくて」
 シエラがあきれ顔になった。
「……嘘、かえ?」
「ああ。大体考えても見ろよ、俺にカミさんもらう甲斐性あると思うか?」
「ないのう」
「即答かよ……」
 言いながら、俺はシエラの抵抗がなくなったことを感じていた。俺がひとり身だってわかって、安心したととっていいよな? それ。
「嘘にリアリティをもたせるためにモデルにした人はいるけどなあ」
 意味ありげにに見遣ると、シエラが嫌そうな顔になった。
「まさかわらわか?」
「そのまさか。やー、その傍若無人っぷりが恐妻家を演出するのに本当にぴったりで……」
 ぎり、とまた腹をつねられて、俺は一旦言葉を切った。
「ま、でも甲斐性があったところでカミさんもらうのなんか無理だけどね」
「何故じゃ?」

「俺の気持ちを十五年も前に持ち逃げしやがった悪い女がいるんでね」
 ぴく、とシエラの眉があがった。
「それはどんな奴じゃ?」
「我侭で、自分勝手で、約束は守らないわ、とんずらこくわ、とにかくひどいおん……痛え!」
   思いきりつねられ、俺は叫んだ。
「誰もあんただなんて言ってないだろうが!」
「しらじらしいことを言うでないわ! このたわけが。人を奥方よばわりするどころか、もてないのをわらわのせいにする気かえ?」
「だってあんたのせいだもん」
「ナッシュ!」
 俺はシエラの耳もとで囁いた。
「なあシエラ、あんた、覚えてるか? 十五年前、俺があんたと一緒に生き……」
「やめよ」
「嫌だ」
 断言すると、シエラの紅い瞳が揺れた。
「やめよ……この阿呆が。おんしが望もうとしているのは、安楽な生を捨てるということじゃぞ? そのあとには、うつろな生しか残らぬ」
 だから、やめろ。
「安楽、ねえ」
 俺はその言葉を鼻で笑った。
「ナッシュ?」
「俺は今でもじゅーぶんろくでもない人生を歩んでるっての。それにさ、惚れた女がそばにいない男の人生がどれだけうつろだと思ってるんだよ」
「……っ、ナッシュ」
 シエラの声は、震えていた。俺はまたシエラの肩に顔をうずめる。
「俺は、つまらなかったよ。あんたがそばにいない十五年……ずっと」
「阿呆が……別の女を好きになればよいものを」
「しょうがないじゃないか。あんた以外、俺に火をつけることができないんだから」
「阿呆……」
 ぎゅう、とシエラが俺の背を抱いた。抱き返そうとした俺は、そのとたん背中に思いきり爪をたてられて悲鳴をあげそうになる。
「……シエ……!」
 反射的に弛んだ俺の手から逃れると、シエラはぴょこんと立ち上がった。逃げられる、そう思って俺は起き上がって手をのばしたが、その目の前にシエラの両手が差し出された。
 変なポーズだった。
 まるで子供が親にだっこをねだるようなポーズ。
「シエラ?」
「気の利かぬ男じゃ。はようせい。わらわはおんしの奥方なのじゃろう?」
「え?」
「遠路はるばる会いに来た奥方を、いつまでもこのようなところに立たせておく気かえ? さっさと部屋に運ばぬか」
 俺は、たっぷり十秒、シエラを見つめた。
 おい、それは……そうとっていいんだよな。……ていうか、そうとるぞ。
 どうあっても素直な言葉なんか吐かない上に、尊大なこの女が、俺の最愛の女だなんて、本当、俺の趣味の悪さは天下逸品だ。
「はいはい、お運び致しますよ、奥さん」
「はいは一回じゃ!」
 俺は笑うと、シエラを抱き上げて自分の部屋に向かった。


コピー本に入れようと思っていた
まんがのネームがもとになっています
まんがで書こうと思っていたのですが、
60ページの超大作になりまして…… 泣く泣く断念。
この話には続きと、シエラサイドの話があります
ので多分続きがそのうちアップ
……されるといいな。

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