それでも好きならしょうがない

 久しぶりの雨は突然だった。
 午後になって突然現れた雨雲は、あっという間に青空を覆い尽くし、鉛色の間から水滴を地上に向かって一斉に降らせた。天が不機嫌になっているのにはかなわない。秋の冷たい雨に体温を奪われないよう、外で作業をしていた者は皆屋根の下へと避難した。
 竜を連れているせいで、大抵外にいるフッチもブライトを連れ、この雨に追い立てられるように厩へ向かう。中に入ると、先客がいた。
「ようフッチ」
「あれ? ナッシュさん、どうしたんです?」
 厩で雨宿りをしていたのは、緑のジャケットを着た、うさんくさい三十がらみの男だった。
 名前はナッシュ。フッチの暮らす竜洞とは遠く離れたハルモニアの工作員であるが、何の因果か、つきあいは15年前からの縁だったりする。
「雨宿りに決まってるじゃない。やだねえ、濡らせない荷物持ってる時に限って雨が降るんだもん」
 ナッシュのぼやきを聞きながらフッチは厩の一角にしつらえてある竜の寝床にブライトを連れて行く(当然だが、一般の城であるビュッデヒュッケ城に竜専用の小屋なんてものはないし、人間用の客間に竜は連れて行けない)
「ではこの雨はナッシュさんのせいですか?」
 彼の不運は城内でも有名だ。
 苦笑混じりに言うと、ナッシュはむくれた顔になる。
「言うね、お前さんも。……そういえば、いつも連れている女の子はどうした?」
「シャロンですか? 今日はヒューゴ君達と調査に行ってます」
「ああ、大空洞の調査ね」
「迷惑かけてなければいいんですけど……」
 自分も一緒に行けばよかったかと、ため息をつくフッチを見てナッシュは笑う。
「大丈夫でしょ、シャロンはああ見えてお前さんのいないところではしっかり大人だよ。……それとも、別の意味で心配?」
「別の意味でって……ナッシュさん、それはどういう意味ですか」
「今君が思った意味さ」
 聞き返すほどのことでもないだろう? と笑われ、フッチはブライトについた泥をぬぐう手を止める。
「……皆さん誤解しているようですが、私とシャロンはそういう関係じゃないですよ」
「そうかい? じゃあシャロンが同年代の少年達と出かけてることは全然気になってないんだ」
「気になってません」
「本当に?」
「本当です!」
「……ふーん、じゃあこれは言わなくていいか。シャロンが目安箱にラブレターっぽいもの入れてたなんてことは……」
「な……っ、ちょっとナッシュさん?!」
 ばっ、とあわてて振り向いたフッチの見たのは、人の悪い笑みを満面にたたえたナッシュだった。
「あーごめんごめん、間違えちゃった。これベルちゃんの情報だったわ」
「……〜〜〜〜〜っ、ナッシュ、さん……っ!!」
「ラブレター情報ひとつでそれだけ慌てるんだったら、いい加減認めたらどう?」
 耳まで赤くなってうちひしがれているフッチの背を、ナッシュはぽんぽんと叩く。
「認めるといってもですねえ」
「俺にしてみたら、どうしてそこで止まっちゃうかがわからないけどねえ。シャロンも君のこと好きなんでしょ? で、君はシャロンに惚れてる。ほらシンプル」
「シンプルなんかじゃないですよ。僕とシャロン、いくつ歳が離れてると思っているんですか?」
「んー、12、3てとこでしょ? それくらいたいしたことないって」
「たいしたことあるでしょう」
「全然」
 フッチの逡巡を、ナッシュはあっさり斬り捨てた。
「歳の差なんてさ、シャロンが君のことを男として見てて、君がシャロンを女だって見てる時点で全部クリアーでしょ。そもそも恋愛なんて当事者の問題だし。 世の中にはもっと困ったしがらみはいっぱいあるよー、敵味方だったりとか、身分違いだったりとかさ。それに比べたら軽い軽い」
「……」
 フッチの悩みを、ナッシュは笑う。
「坂道とか見たらね、走っちゃったほうがいいんだよ」
「ナッシュさんはためらいなく走りそうですよね」
「ああ。だから今の俺があるわけさ。でもさ、坂道走らないでいて本当にいいわけ? 相手の気持ちにあぐらかいてるうちに、横からかっさわれても知らないぞ」
「……でしょうね」
 どんどん沈んでいくフッチに気づいているのかいないのか、ナッシュは笑ってフッチの背中を叩くと立ち上がった。
「雨もあがったみたいだし、先に城にもどるわ。じゃ、がんばれよ青少年」
「……はい」
 足取り軽く出ていくナッシュとは対照的に、フッチはその場に座り込む。その様子を、心配げに彼の竜が覗き込んだ。
「大丈夫だよ、ブライト」
 顎を撫でると、ブライトは顔をぺろりとなめる。フッチは苦笑した。
 ナッシュが言おうとしていることはわかる。
 自分がシャロンを愛していて、彼女の気持ちに気づいているのなら、きっと告白すれば話は片づく。
 恋人同士になって、それでめでたしかもしれない。(シャロンの両親から反対されることだって多分ないし)
 でも。
 自分がそうしない……というよりそうできないのは。
「やっぱり歳の差がっていうか、それじゃ僕が変態みたいだし、しかも団長の娘さんだし……いや」
 そこまで考えて、フッチは首を振った。
「違うな……」
 多分、自分がこだわっているのはそこじゃない。
 年の差のあるカップルも、立場が違うカップルも、この三十年近い人生の間、人よりかなり多く見てきた。だからきっとそれは建前。本当の、自分がずっと引っかかっている理由は。
「自分に自信がないから、だな」
 言葉に出して、より実感する。
 シャロンの気持ちが受け止められないのは、自分にそれだけの自信がないから。
 心の奥をさらけ出して、幻滅されることを恐れている。
 そうして、今の関係すら保てなくなることが怖いのだ。
 ならば幻滅されないようにいい男であるよう努力をしよう、という前向きな発想にならない、自分の根暗な思考が嫌になる。
「どうしよう……」
 半ば投げやりにつぶやいたときだった。
「フッチー! いるのー?」
 部屋の中に陽光を投げかけるようにして、元気な声が入ってきた。振り向くと、シャロンが愛用の槍を片手に立っている。
「ああシャロンか。お帰り」
「ただいまー! 今日はねえ、結構戦利品が多かったからフッチにもおみやげ! 烈火のからあげだよっ」
「そうか。ありがとう」
「どうしたの? 何か暗いよ?」
「うん、ちょっと考え事をしていてね」
 不思議そうに見上げてくるシャロンを見て、フッチは苦笑した。
 シャロンは、この旅の間に驚くほど綺麗になった。様々なものを見て、様々なものを聞いたのだから、それはむしろ当然のことだろう。
 そうでなくても成長期。
 少女が女に羽化するのは一瞬のことだ。
 この変化に気づいているのは恐らく自分だけではない。
 横から攫われるなんてことは、ナッシュの冗談でなくともあり得るだろう。
(そうなったら自分は?)
 想像して、また胸が痛くなる。
 きっと、胸が痛くなるどころではなくショックを受けるだろうに。
「フッチ? 本当にどうしたの? 顔色悪いけど」
「ああ……」
 重いフッチの返答をシャロンは笑い飛ばす。
「フッチって、結構暗く考え込むよねー」
「僕は元々そういう性格なんだよ。……って、シャロン僕の考え込む性格はどうでもいいのか?」
 思わず口をついて出た言葉をシャロンはあっさり受け流した。
「何年のつきあいだと思ってるわけ? フッチが考え込むと結構暗くなるってことも、実は単なる竜バカだってことも知ってるに決まってるじゃん」
 竜バカとはなんだと、いつもなら叱りとばすような言葉も、今のフッチにとっては衝撃だった。
「なんだ……知ってたのか」
 知らず、顔が笑う。
 恐れていたことは、実は全て知られていて。
 それでも尚受け入れられていたのか。
 弱さも強さも、それら全てを受け止めている相手に対して、これ以上抗いきれるわけがない。
「フッチ? どうしたの、さっきから変だよ?」
「ああ……うん。ちょっとね、君が好きだなって」
「は?」
 シャロンはぽかん、と口を開けて一瞬止まった。
 そらから、顔を真っ赤にしてフッチにくってかかる。
「な、何その言いぐさ! ボクは犬猫とかじゃないんだから!」
「こら、叩くなって。悪かった。言い方が悪かったみたいだな」
 そう言って、フッチはシャロンの腰に手を回して抱き寄せた。家族や、友人には絶対にやらない仕草で。
「フッチ?」
 軽く顎を捕らえられて、シャロンの声が震えた。どうしていいかわからないらしい、そのルビーアイを正面から捕らえる。
「シャロン、僕は君が好きなんだ。……愛してる。嫌?」
「……フッチ…………? ボクを? ……え? ……え、嘘……ホント?」
 惑う瞳。けれど、顎をフッチに捕まえられているせいで、逃げられない。フッチの吐息がシャロンの頬にかかった。
「本当」
 フッチが軽く頬に口づけると、シャロンの膝からかく、と力が抜けた。
「おっと」
 慌ててフッチがシャロンの体を支えると、シャロンは必死にその腕にしがみついた。
「び……っ、びっくり……するから予告くらいしてよ! フッチのばかー!!」
「ごめんごめん。あ、でも嫌……じゃないよね?」
「嫌だったらとっくに槍で刺してるよ!」
 ぎゃんぎゃんと抗議の声をあげるシャロンを抱きかかえながら、フッチはずっと笑い続けていた。

フッチ×シャロン告白編。
やー、フッチ君がいろいろとうじうじ考え込むせいで
結構な難産とあいなりました。

や、うちの設定ではフッチ君「根暗」ですから
うじうじしてるのはもはやデフォルトなのですが
(2のあの根暗ぶりを見たあとでは
3の好青年ぶりをみても、奥は根暗としか思えない)

でも、腹をくくったが最期
結構な鬼畜になりそうな予感が……げふげふげふゲホンゲホンゲホン


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