僕は君に恋をする

 初めてその子を見たのは、まだ、僕が15歳の時だった。
 母親のスカートに隠れて、睨むように僕を見上げていた。
 人見知りの激しいその子に僕の竜を見せてあげたのがきっかけ。
 珍しい白銀の竜に目をきらきらさせて、その子は嬉しそうに笑い……その笑い顔が、僕の中の彼女のイメージになった。

 軽いノックの音で、フッチは読書の手を止めた。
「はい」
 読んでいた本を脇に置いて立つと、またコンコン、とノックがされる。部屋のドアを開けると、銀の髪をした長身の男が立っていた。
「ヨシュア団長」
「こら、団長を引退してからかなり経つんだから、その団長はよせ」
 軽く怒られてフッチが苦笑すると、ヨシュアも笑った。そのヨシュアの手には上質の酒とつまみ。
「たまには酒でも、と思ったんだが……今いいか?」
「大丈夫ですよ。どうぞ」
 狭い竜洞騎士団独身騎士寮でも、第六階位(大隊長クラス)のフッチの部屋はかなり広い。男二人は部屋にしつらえてあるソファにゆったりと座った。
「明日……発つんだろう?」
 フッチの出してきたショットグラスに上物のスコッチを注いでやりながらヨシュアが訊ねた。
「グラスランド行きの話ですね。はい、明日発つつもりで準備をしています」
「遠出をさせてすまないな」
「いえ、グラスランドの情勢は確かに不穏ですから、ミリア団長の危惧は当然だと思います。それに……僕個人としても他に気になることもありますし」
「そうか」
 フッチの言葉を聞きながら、ヨシュアはグラスを傾ける。と、そのとき、ヨシュアの手から突然グラスが滑り落ちた。テーブルに琥珀色の液体が飛び散る。
「ヨシュア様?!」
 フッチは腰を浮かせるとヨシュアに駆け寄ろうとした。ヨシュアは苦笑してそれを押しとどめる。
「いや、いい。それより何か拭くものはないか?」
「はい」
 フッチは手近にあったタオルでテーブルを拭き清め、酒をつぎ直した。グラスを落とした手をもみほぐしながら、ヨシュアは困ったように笑う。
「どうもだめだな、さすがに体がきかなくなってきて」
「ヨシュア様……」
「そう悲しい顔をするな、フッチ。竜の紋章をミリアに渡したのだから当然のことだ」
 竜洞騎士団長の交代、それは新たな竜の紋章の継承者の誕生と、前団長の死を意味する。紋章の抜き出しは、正式な儀式にのっとって行われたため、ヨシュアが即死するようなことはなかったが、もともと紋章に支えられていた命だ、余命数年がいいところだ。
「私はね、フッチ、満足しているんだよ」
 ヨシュアは穏やかに微笑んだ。
「騎士団長として600年……普通の人間の何倍も生き、何倍ものことを見て……そしてミリアという妻とシャロンという娘も得ることができた。トラン周辺は安定しているし、ミリアは優秀だから、騎士団を心配する必要はない。こんなにいい最期を迎えられて私幸せものだ」
「……そう、ですか」
 ヨシュアの幸福そうな顔につられて、フッチも笑った。それを見て、ヨシュアはにいっと笑う。
「あとはシャロンをお前がもらってくれればもう心配することは何もなくなるんだがなあ」
「っ!!」
 飲んでいた酒を危うく吹き出しそうになって、フッチは思い切りむせた。
 スコッチのアルコール度数は高い。へたな飲み方をしたときの被害は甚大だ。咳き込むフッチの背を、ヨシュアは呆れながらばんばんと叩いた。
「そんなに驚くことでもないだろうが」
「……っ、驚くことですよ! ヨシュア様、僕のことをいくつだと思っているんですか」
「確か……今年で29じゃなかったか?」
「シャロンは16ですよ? 30前の男にくっつけてどうするんです!」
「くっつけて嫁にやる」
 ヨシュアはどこまでも大まじめだ。
「……シャロンに結婚話は早いでしょう」
 前団長ヨシュアと現団長ミリアの一人娘、シャロン。ある意味竜洞騎士団最強のサラブレッドだが、いかんせん甘やかされて育ったせいか、必要以上に好奇心旺盛で元気な……所謂おてんば娘である。フッチの思うシャロンにまだ嫁の話は早い。
「16で嫁に行くのなんか普通だろう。大体歳の差をいったら私とミリアはどうなるんだ」
「規格外のヨシュア様の話を持ち出さないでください」
 ぜい、とフッチは息をついた。
「だがなあ」
 ヨシュアはその様子を見ながらグラスの琥珀を喉に流し込む。
「あいつはお前に惚れているだろう」
「っ……!」
 言われて、フッチはグラスを持ったまま固まった。
「知らんとは言わせんぞ」
 敢えて視線をそらせたまま言われ、フッチは息を吐き、呻くようにつぶやいた。
「……ええ、知ってます」
 奔放で素直なシャロンの気持ち。それが、すごい竜と一緒に冒険をしてきたかっこいいお兄ちゃんへの憧れから、もっと別のものに変わっていることなど周りにはお見通しだった。
 当然、思われているフッチにも。
 だがフッチは彼女を妹として扱うことはあっても、想いに応えるようなことはなかった。
 フッチは喉が焼けるのも構わず、くう、とスコッチを飲み干した。
「……僕にとってシャロンは、妹のようなものなんです。とてもかわいいと想うし、愛しいと想うのですが、恋人としては……あ、いえ! その女の子としてダメだとかそんなわけじゃないんですよ! ミリア団長に似て美人になると思いますし、元気でかわいいと思いますし! なんていうかその……僕がそういう風にみれないだけで……っ」
「そう必死に言い訳をしなくてもいいぞ、フッチ」
「いえその……」
「気持ちの問題は、しょうがない」
 存外明るい顔でヨシュアは笑うと、子供の頃のようにフッチの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「ヨシュア様」
「それにまだくっつける手がないでもないしな」
 にやり、と笑いかけられフッチはまた顔を引きつらせた。
「ヨシュア様!!!」
「さて自分の部屋に帰るとするか。ミリアと作戦でもたてねばならん」
 その作戦内容は一体何なのか。フッチが反論しようとぱくぱくと口を開けている間に笑いながらヨシュアは部屋を出て行った。ドアが閉まったのを見て、フッチはうなだれる。
「……600歳も年上の人間に勝てるわけないか……」
 ふう、とため息をついてフッチはグラスを片付けはじめた。ヨシュアのことだ、娘がかわいいとはいっても、フッチが本気にならないかぎり、無茶なことはしないはずだ。
 余ったスコッチを棚に片付けてから、フッチはごろりとベッドに横になる。強い酒を急にあおったせいか、頭が少しぼうっとしていた。
「シャロン、か」
 15の時に出会った2歳の女の子。
 白銀の竜ブライトのことが大好きで、鱗が欲しいと駄々をこねた。話すと一番喜ぶのは外の世界の不思議な話で、一番嫌いなのは文学小説。
 いつも僕の後ろをついてまわって、何か壊してはブライトと一緒になって僕を困らせた。
 憧れの眼差しが、いつの間にか違うものへ変わっていったことは、知っていたけれど。
 シャロンを思い出して一番に浮かぶのは、いつも小さな手だった。
 温かくて小さい、僕の服の裾を引っ張る手。
 2歳の女の子の面影がどうしても消えない。
 この手の面影があるうちは、どんなにかわいいと思っても、女の子としか見ることはできないだろう。
 軽い罪悪感に眉をひそめた時だった。
 ぱたぱたぱた、と廊下をこちらの部屋のほうへと走る足音が聞こえた。足音は元気よく近付き、フッチの部屋の前で止まる。
 六角の里に住む忍者のように足音だけで全ての人間を判断することはできないが、この聞き慣れている足音だけは別だ。
「フッチー、起きてる?」
 ごんごん、と乱暴にドアを叩く音。シャロンだ。
 フッチは寝転がったまま起きあがらないでおいた。今まで妙なことで思い出していた手前、顔を合わせづらい。ここは悪い気はするが、居留守を使わせてもらおう。
「フッチー?」
 またノック。これで諦めるかと思ったフッチは小さな金属音とともにドアノブが回るのを見て、慌てて目を閉じた。
 そういえば、ヨシュアが部屋を出た後に鍵をかけるのを忘れていた。これで起きていたことがばれたら、人の部屋に勝手に入ってきたことを叱る前に、何故返事をしてくれなかったのかと散々文句を言われるだろう。
 規則正しい寝息を装っているフッチのところへ、軽い足取りでシャロンが近付く。
「フッチ? 寝てるの……?」
 さらり、と髪が揺れる音。
 さすがに寝ているところを起こすことはないだろう、と狸寝入りを決め込んでいるフッチの顔を覗き込み、
 シャロンは何故かベッド脇にしゃがみこんだ。
「……寝てるんだ」
 確認しているのとはまた違った、柔らかな声。
 聞いたことのない声音に、フッチは表情を崩しそうになる。
 つ、と頬に何かが触れた。
 ひんやりとした感触。これがシャロンの指だと気づくのに、数瞬かかった。
 指は、滑らかな手つきでフッチの頬をなぞった。ぞくりと泡立つ背筋に、フッチは狼狽した。
「綺麗……」
 艶を含んだ、小さなつぶやき。
 耳にかかる吐息はかすかに甘い。
「ねえ、フッチはどうしたらボクに捕まってくれる?」
 ため息とともに囁かれた言葉は、意識などしていないはずなのに、甘くフッチを誘った。
「……っ」
 わずかに、フッチの息が乱れた。
 それを目覚めの前兆ととったのか、シャロンは立ち上がると慌てて部屋を出て行く。
 フッチがようやく体を起こしたのは、それから随分後のことだった。





 翌朝、まだ日も出ない時間にフッチは竜洞騎士団領を空路で脱出していた。
 ブライトを操り、山を越えながらため息をつく。
 極秘任務とはいえ、早すぎる時間に竜洞を出たのは当然シャロンと会いたくなかったからだ。
(寝たふりなんかするんじゃなかった)
 そうすれば気づかずにすんだはずなのに。
 文句を言われても起きるべきだった、いやそれ以前にノックをされた時に声を
「ああもう」
 乱暴にフッチは首を振った。
 目を開けているはずなのに、ちらつくのは昨日のあの声。あの指。あの吐息。
 自分の迂闊さに腹がたつ。
 あれのどこが女の子だというのだ。
「……しっかり女じゃないか……」
 気づいていなかったのはフッチだけで、きっとシャロンはずっと前から一人前の女としてフッチを見ていたのだろう。
 任務があったのはフッチにとって幸いかもしれない。
 シャロンは女と知ってしまえば、もう妹としては扱えない。その扱いの変化を、うまく処理するにはフッチは不器用すぎる。一度距離をおかなければ隠せそうになかった。
「朝早くにすまなかったな、ブライト。あの山を越えたら休憩にするから、それまでがんばってくれよ」
 なんとか気持ちをきりかえ、ブライトの首を叩いてやると、きゅい、と鳴いてフッチのを見た。
「ん? どうしたブライト」
 何もないところで、ブライトが飛びながらフッチを見るのはいつものことだが、今日は表情が違う。
 悪戯をしたのがばれた時のような、ばつの悪そうな顔にフッチは首を傾げる。
「ブライト?」
「……キュゥ」
「あー苦しかった!」
 ばふ、という音がしたかと思うと、ブライトにくくりつけてあった荷の一つがいきなりあいた。そこから何故か、金髪の少女が飛び出してくる。
「んなぁ?! シャロン!!」
「潜入成功!」
「潜入成功じゃないだろうが!! なんで君がここに……ってうわ危なっ……」
 当然の話だが、荷袋は人が乗る場所ではない。バランスを崩して落ちそうになったシャロンの腕をフッチは必死に掴んだ。抱き寄せて、触れてしまった柔らかさに慌てながら怒鳴りつけたが、声はうわずっていた。
「シャロン、何やってんだ君は!」
「だってボクも竜洞の外を見たかったんだもん」
「だからって荷に無理矢理入るんじゃない! ブライト! お前も知ってたら何故教えなかったんだ!」
 八つ当たり気味にブライトに怒鳴ってみたが、ブライトはまっすぐ前を向いてしまった。
 まさか竜に裏切られるとは思わなかったフッチは頭をかかえる。
「いーじゃんフッチ、ボクだって見習いとはいえ竜騎士なんだしさ、役に立つって!」
「……じゃあ君が詰まっていたせいで大幅に減った荷はどうしてくれるんだ?」
「あ、ちゃんと次にとまる街に送っておいたから」
「……」
 フッチは睨むが、シャロンは聞いてない。
 ぎゅっとフッチの腕を抱きしめてにっこりと笑い宣言した。
「逃がさない、からね!」
 巻き起こったまま、収まる気配のない嵐に、フッチはしばし呆然とした。
   

勝手な設定山盛りのフッチ×シャロン!
やっとサイトにのせられました〜。

まえからずっとあったのですが、やっぱり時間が問題で……
ゴールデンウィークのおかげでやっと完成です。

個人的勝手設定で
ヨシュア×ミリア、かつシャロンの両親です。

だって……
だってヨシュア様が出したかったんですもの……!!


続くかもしれません。


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