リリィの場合

「で?」
 城門の前で、クリスは言った。
「でって何よ」
 馬に乗ったリリィが、クリスを見下ろしている。
 ブラス城入り口、跳ね橋の上で、女二人はにらみ合った。
「リリィ、私は、貴方にチョコレートの作り方を教えてくれと言ったはずだ」
「そうね」
「そのとき貴方は「大丈夫! まかしといて!」って言ったな?」
「そうねえ」
 うーん、とリリィは何かを思い出すようなしぐさをする。
「なのに何故! ここにパーシヴァルがいる! っていうか馬に乗ってどこに行く気だ!!」
 行儀悪くクリスに指を指された男は、ははは、と笑っている。リリィがふくれた。
「だってしょうがないじゃない。アイツが国境付近まで来てるって言うんだもん。会いに行かなくっちゃ」
 だってバレンタインなんだもーん。と、リリィはまったく取り合わない。アイツ、とは恐らく現在ティントの大臣になっている彼女の年上の恋人、マルロだろう。
「こんなときに会えるなんてすっごく貴重なのよ! 親友なら、私の恋愛を応援してくれるわよね?」
 彼女が国を出奔しなければ、おそらくそんなことにはならない。……それに、私の恋愛はどうなる?
 言葉には出さなかったが、クリスの言いたいことは、リリィに伝わったらしい。
「だから、代わりにパーシヴァルに来てもらったんじゃない。ねえ?」
 同意を求められて、パーシヴァルはにこやかに頷いた。
 だから、それが問題だというのに!!
 叫びたいが、そんなことは言えない。クリスはその代わりにリリィを睨む。しかし、それは無駄だったようだ。
「じゃ、がんばってね!」
 言うだけ言うと、ティントの無敵女王様はさっさといなくなってしまった。あとには、途方にくれたクリスと、くすくす笑うパーシヴァルだけが残される。
「リリィ……」
「クリス様、城の中に戻りませんか? ここ、冷えますよ?」
 冷えているのは心だ。体はむしろ怒りで熱い。
「たまにリリィに頼みごとをするとこれだ」
「いいのではないですか? 言っては難ですが、彼女に教師の才能はありませんよ? 私なら、手取り足取り教えて差し上げられますし」
「いや……確かにお前のほうが教え上手なのは確かなのだが……」
「じゃ、早速とりかかりましょう。ビュッデヒュッケ城の厨房は、メイミに迷惑がかかるから、とここまで遠出をしてしまいましたからね。早くしないと時間が」
「う……」
 パーシヴァルに促され、クリスは城の中に入っていった。

 

 二月十四日はバレンタインデー。
 女の子がチョコレートを贈る日。
 そんな乙女イベント(笑)にクリスが参加しようなどと思ったのは、ひとえに、ビュッデヒュッケ城のあっけらかんとした空気のせいだろう。自分は騎士だから、と押さえていたクリスは、少し肩の力を抜き、この女の子の戦争に参戦することにしたのだ。
 しかし、彼女には重大な問題がある。
 料理が、さっぱりできないのだ。
 いや料理に限らず、裁縫など、一般の女性が行う細かい作業は、一切できない。
 チョコレートは、やはり手作りで……。そんな空気が漂う中、彼女だってじっとはしていられない。それで、リリィに手作りのチョコレートを作る手伝いをしてもらおうとしたのだが、何故か現在彼女の隣にいるのは、パーシヴァルだった。
 何故贈る相手に作る指導を受けねばならぬ……。
 一番、渡したい相手は、彼だ。
 なのに何故。
「クリス様、よくお似合いですよ」
 クリスの心中を知ってか知らずか、男はいそいそと準備を始めている。はあ、とクリスはため息をついた。
「世辞はいい」
「お世辞じゃないんですけどねえ」
 普段、剣ばかり振っている自分が、エプロンなどつけたところで似合うわけがないと頭から信じ込んでいるクリスは、彼の言葉を適当にあしらった。そうしながらも、心の中でこっそりつぶやく。
 似合うのは、お前のほうだ。
 普段から料理好きのパーシヴァルは、エプロン姿も板についていた。格好いい、と思う。普段甲冑のせいで見えない、その筋肉質だがバランスの取れた体のラインが見えるのも、更にいい。
(って、何を考えているんだ、私)
「クリス様?」
「いや、なんでもない」
「そうですか。六騎士に配るものを、とリリィ様から聞いておりますが?」
「あ、そうそう、そうなんだ」
 一人ぶんだけ作ると、六騎士にばれるからと、一応名目はそうしておくつもりだったのだ。
「ではチョコケーキを作りましょう。配りやすいように、小分けにして」
「ケーキ? チョコレートを溶かすのではなくて?」
「あれは結構温度調節が難しいですからね。今回は初心者用のレシピでいきます」
「そうか」
 初心者扱いされていることが、腹立たしい気もしたが、確かに自分は初心者である。クリスは素直に台所に立った。
「まず材料を計りましょう。この小麦粉を計ってください」
「こうか?」
 どざ。
 クリスは躊躇いもせず、はかりに直接小麦粉を乗せた。
「クリス様……それでは粉が汚れてしまいます」
「あ」
 赤面するクリスを面白そうに見ながら、パーシヴァルは要領よく計りの使い方から教え始める。教えられながら、クリスは眉に皺を寄せる。
「ええと、皿を載せて、で、この重さを差し引いて……数学でもやっている気分だな」

「目盛りを読む分には実験などと変わりないですからね」
 料理とはかけ離れた会話を二人は交わす。
「計り終わったら、卵をボウルに入れて……」
「ボール? あんな球体に卵をどうやっていれるんだ?」
「この丸い容器のことをボウルと言うんです」
 パーシヴァルは、半円状の容器を渡した。クリスは卵を取りながら、ふんふん、と頷いている。
「割りいれてください」
「割る? こうか?」
ぐじゃ。
 卵は、彼女の手の中で綺麗に握りつぶされていた。
「……意外に、もろいのだな、卵って」
 さすがに使い物にならないことは、クリスにもわかる。自己嫌悪に陥ったクリスの背を、パーシヴァルが叩いた。
「だから、優しく扱うのですよ。まあ、女性ほどではないですが」
「パーシヴァル!」
「おもしろいものを見せてあげましょう」
 ひょい、と卵をとったパーシヴァルは片手でそれを持つと、こん、とひびを入れ、なれた手つきでそのまま卵を割って見せた。
「片手で……すごい!」
 この技で最後に喜んだのは五歳の甥っ子だった気がするのだが、パーシヴァルはそれを置いておくことにした。
「どうやったらできるんだ?」
「やはり慣れ、ですかね? でも手が大きくないとできないので、クリス様には少し無理があるかと……」
「パーシヴァルの手は大きいからなあ」
 クリスは不思議そうにパーシヴァルの手をとると、しげしげと眺める。剣を持つ者特有のまめができた、大きな手。指だってなんだってクリスより大きいのに、何故これはクリスよりも器用に動くのだろう?
「クリス様」
「なんだ?」
「貴方にお手を取っていただけるのはありがたいのですが、そろそろ続きを……」
「あ、あああ、すまない!」
 言われて、状況を理解したクリスはぱっと手を離した。男性の手をとるなど、考えれば、すごくはしたない。
「すまん、つい……」
「気にしてませんよ。それより……さあ卵を割っていただきましょうか?」
「う……うむ」
 それから、何度も練習して卵を割ったクリスは、何とか順調に生地を作ることができた。それは、あとは混ぜるだけの作業であったということもあるが、「彼女は料理用語ではなく物理法則に則った説明をしたほうがよい」と理解したパーシヴァルの的確な指示のせいもあるだろう。
「料理とは科学の実験のようなものだな」
「まあ、そう言えなくもないですが……」
 オーブンを見ながら、うんうん、と頷いているクリスに、パーシヴァルはどうするべきか考える。しばらくすると、いい匂いが部屋にあふれ始めた。
「そろそろですね」
 置いておいた砂時計を、パーシヴァルが確認する。
「じゃあ出そうか」
 オーブンを開けて、中からケーキを取り出す。そこには、ちゃんと膨らんだチョコケーキが並んでいた。
「すごいな……ちゃんとケーキだ」
「ふふ、クリス様が頑張ったおかげですよ」
「いや、パーシヴァルのおかげだ!」
 二人は笑いあう。
「これはあとあら熱をとって、包んでしまえば終わりですね」
「あら熱?」
 てきぱきとケーキを天板から出して、並べるパーシヴァルを、クリスはおっかなびっくり手伝う。
「今は熱いですからね。置いておいて室温まで冷やすのです。さて、これで今日の講義は終わりですかね。焼いている間に洗い物もしてしまいましたし、上でお茶でも……」
 エプロンをとって出て行こうとするパーシヴァルに、クリスは続かなかった。
「ああ、すまないが、私はもうしばらくここに居残るから、先に行ってくれないか?」
「どうかされましたか?」
「いや……その」
「なにか足りないものでも?」
 クリスの様子を、パーシヴァルは不思議そうに見ている。
「そうじゃなくて……その、もうしばらく、料理を作っていたいんだ」
「では、お手伝いしましょう」
「いや、それはいい」
 クリスはきっぱりとそれを断った。義理チョコならともかく、パーシヴァル自身にあげるものを、彼に手伝ってもらってはいけないだろう。そう、思ったのだ。
「そう……ですか?」
「その、レシピの見方も、混ぜ方も、なんとか理解したし……もう一回、自分の力だけで、作りたいんだ。だめだろうか?」
 見つめると、パーシヴァルからは、なぜか表情が消えていた。
「パーシヴァル?」
「ああ、すいません、そういうことでしたら」
 クリスがなにか言う前に、パーシヴァルは身を翻す。気を遣わせてしまったな、そう思ったクリスが作業を始めようとしたとき。
 ガン! というすさまじい音が、彼女の耳に入った。
「パーシヴァル?」
 見ると、今まさに出て行こうとしていた彼が、動きを止めて立っていた。
「どうした!」
「いえ、少しシンクに手をぶつけてしまったようです」
 少しぶつけた、というレベルのものではないだろう。その手からは、ばたばたと赤い血が流れ出している。そのまま出て行こうとしたパーシヴァルを、なんとか引きとめようとクリスは追いかける。
「おい……」
「ほうって置いてください」
 クリスの差し出した手を押しのける。その手は、小刻みに震えていた。
「待て! どうしたというんだ!」
 原因は、おそらく自分。理由はわからないけど、そこだけはなんとか感じ取れる。ここで放してはだめだと、心が警鐘を鳴らしている。
「本当に、ほうって置いてください。ただ、自分の道化ぶりが情けないだけなので」
「道化? 何故」
 パーシヴァルは、やっとクリスを見た。傷ついた、瞳で。
「言ったとおりの意味です。貴女には誰か、心を差し上げたい相手がいらっしゃる。なのに、私はその手伝いをして……こんな状況は、さすがに嫌です」
「パーシ……」
「で? お相手は誰です? 騎士団以外だとすると、ナッシュ殿あたりですか?」
 そこまで言われて、クリスはようやく、相手が勘違いをしていることに気がついた。
 パーシヴァルを含め、騎士団六人分のチョコレート。そのほかに、また本命用のチョコレートを製作するクリス。騎士団以外に誰か好きな人がいると思われて、当然ではないか。
 青ざめた自分の顔を見て、肯定ととったらしい。パーシヴァルは、今度こそ厨房から出て行こうとする。
「ま、待て!」
 引き止めるクリスと、思い切り振り払うパーシヴァル。それを受けて、クリスはバランスを崩した。
「あっ……」
「危ない!」
 二人はもつれあって倒れた。
「つ……」
「パーシヴァル!」
 下敷きになったパーシヴァルはうめく。だが、すぐに彼女を押しのけようとする。
「どいてください」
「ちょっと待て、パーシヴァル。今どいたら、お前出て行くだろう!」
「当たり前です」
「だから、待てと言っている! 話を聞いてくれ!」
「何の話です! 私は貴女を好きなんですよ!」
「私が好きなのはお前だ!!」
 同時に叫んで、パーシヴァルは呆けた。
「…………はい?」
「だから、私が好きなのは、お前だ。……さすがに、贈る相手に手伝ってもらうのはどうかと思って……」
「だって、6個……」
「それこそ、六騎士の中に想い人がいると宣言しているようなものじゃないか。それはさすがに恥ずかしいし。……余った分はナッシュにでもやろうかと」
 クリスは相手を見下ろしながら、真っ赤になって説明する。パーシヴァルは大きくため息をついた。
「勘違い、ですか」
「そうだ」
 くく、とパーシヴァルが笑った。先ほどの表情とはぜんぜん違っている。クリスはほっとして息をつく。予定とは違ってしまったけれど、想いはなんとか彼に伝わった。
 ひとしきり笑って、それから恋人は彼女に言った。
「そういうことなら退散……と言いたいところなのですが、できれば予定を変更して、私の怪我の治療をしてくださいませんか? 今気がついたのですが、かなり痛いです、これ」
 見ると、パーシヴァルの手は真っ赤に染まっている。慌てて飛びのくクリスに、それから、とパーシヴァルはささやいた。
「貴女を一人厨房に残していくなんて、怖くてできません」
 笑う男の顔に、クリスは軽く拳をおみまいしてやった。





うっかりパーシィちゃん。
私はこれくらい穴がある方が好みです。
ああ、甘いったら
>帰りまーす