嫌がらせ2

「で……?」
 椅子に座るナッシュの前で、ササライはにっこりと微笑んだ。
「一体全体どういうことになったら、ああいう状況になるんだい? ナッシュ」
「いやそれが俺にもよく……」
「よくわからないのに、キスするんだ、君は」
「俺がしたわけじゃ……」
 どす、とみぞおちに拳を入れられ、ナッシュは口をつぐんだ。
「何か言ったかい? ナッシュ」
「いーえなんにも!」
 悲鳴のような声で、ナッシュは返答した。
 ビュッデヒュッケ城、ハルモニア神官将執務室は現在、執務ではなく尋問室として使用されていた。
 尋問されているのはナッシュ、尋ねているのがササライ。アシスタントは巻き込まれた哀れな執務官、ディオスだ。
 うふふ、と顔だけ上機嫌なササライを見ながら、ナッシュはため息をつく。できることなら、家族のことも任務のこともなげうって今この場を離れたい。だが、それは無理だった。椅子の脚に両足を、腕を二の腕と手首、そして親指同士で後ろに縛られ、どうにも身動きがとれない。人体工学の粋を結集したハルモニア最高の縛り方は、いくら縄抜け名人のナッシュといえど歯が立たなかった。
「ディオス、頼んでおいたもの持ってきて」
「……え。本当に使うんですかあ? あんなもの」
「そんな気がなかったら君に頼んだりしないよ。ほら、さっさと頼んでいた五寸釘、出して」
 ひっ、とナッシュが口の中で悲鳴をあげた。
「ちょ、ちょっとササライ様! 五寸釘なんて何に使うつもりなんですか! 何に!」
「拷問」
 あっさりきっぱり、全く迷いなくササライは言い切った。
「拷問ったって、俺から訊くことなんてないでしょうが」
「うん。だからいじめるのが目的。なんか言いたいことがあるなら聞くけどやめないから」
「〜〜〜〜〜〜キス一つでそこまでするんですかあんたは〜〜〜っ!」
「うん」
 きっぱり。
 ササライはやはり迷いなく答えた。
 本気で。
「安心して。殺したりはしないから」
「それは暗に、えんえんえんえん殺さずにいじめ続けるっつー意味じゃないですよねえ?」
「なんだ、わかってるんじゃない。察しがいいと助かるよ」
「そんな風にほめられても嬉しくありません」
「当然だね。君をうれしがらせるつもりなんて、毛頭ないもの。ディオス、彼の靴を脱がして」
 ディオスに出してもらった五寸釘と蝋燭を持って、ササライが言った。ディオスの顔が引きつる。
「ナッシュさんの靴脱がしてどうするんですか?」
 おそるおそるナッシュの足に手をのばしながらディオスが聞いた。
「釘を打つの」
 ぴた、とディオスの動きが止まった。
「東方の拷問方法の一つだよ。足にね、こう釘を打っておいて、その傷口から蝋を垂らすの。それで口を割らなかった囚人はいなかったんだってさー、すごいよね! あははははははは」
「やめてください! 足は俺の商売道具なんですから!」
「仕事しなけりゃ別に不自由しないでしょ?」
「不自由しますよ!! ササライ様やめてください、お願いですから!」
「や」
 ナッシュは涙目になった。
「やめてくださいって! だいたいササライ様に対する嫌がらせで何でおれがここまでとばっちりを食わなきゃならないんですかあああっ!」
「嫌がらせ? 僕に?」
 ササライがナッシュをにらんだ。
「あのキスがどうしてそういう意味になるんだい」
「……あのとき、あのお嬢様のキスの相手は誰でもよかったってことですよ」
 ササライの手に握られていた釘が、ナッシュの首もとにあてられた。そのまま突き刺せば、ナッシュの喉が掻き切れる位置に。
「彼女を侮辱するような発言は許さないよ」
「侮辱じゃありません。事実です」
 ナッシュはまっすぐササライを見た。
「あれを見て、ササライ様はどう思いました」
「不快、だったね」
「それがお嬢様のねらいですよ」
「僕への嫌がらせのためだけに他人とキスしたって言うのかい?」
 ササライの手は動かない。ナッシュは静かに続けた。
「そうですよ。あのとき、リリィは絶対にササライ様とだけはキスしたくない、そう思って俺にキスしたんです」
 くす、とササライの口元がほころぶ。
「それだけ彼女に嫌われていると、そう言いたいみたいだね」
「違いますよ。ササライ様がお好きだからです」
 ササライは当惑して首をかしげた。
「矛盾してないかい、それは」
「女の心は矛盾のカタマリなんですよ。特にリリィお嬢様の心はね。好きだから、絶対に好きだって言いたくないんです」
 ナッシュの言葉に、ササライは更に首をかしげる。釘を持った手からは力が抜けている。
「ササライ様、今貴方がやるべきことはここで俺をいじめることじゃなくて、彼女と話すことです。好きだからそうしたと、彼女が気づいているならあとちょっとです。がんばれば、おちてくれますよ」
「……」
 ササライの瞳の色が深くなる。ナッシュの言葉が信じるに足るものか、考えているのだろう。ナッシュは祈るような気持ちでササライを見つめた。
「……いいよ。一度だけ、君の言うことを信じてあげる。彼女とちゃんと話してこよう。君をここにほったらかしてね」
 ナッシュはほっと息をつく。しかし、次瞬間ぐい、と胸ぐらを捕まれた。
「でも、君の読みがはずれていたらそのときは」
「ときは?」
「奥さんと離婚させてやる!」
 最高の捨てぜりふを吐いて、ササライは部屋を出て行った。彼が戻ってこないことを確かめてから、ディオスはナッシュに巻かれた縄を解き始める。
「ナッシュさんの奥さんと離婚させるなんて、ササライ様そんなことまでできますかね……」
 しびれた手をほぐしながらナッシュは青ざめて答える。
「いや……あいつならやりかねん……」
 ふう、と吐きだしたため息は、どこまでも重かった。



「ねーねーヒューゴぉ、あたしのお願いが聞けないって言うのぉ?」
 耳元で主張され、ヒューゴは顔をしかめた。
「あのさ、リリィさん」
「いいじゃない、平頭山くらい。すぐよすぐ! ピクニックみたいなもんなんだからさあ、出かけようよお!」
「今日はシックスクランの話し合いがあるからだめって言ってるじゃない」
「だってもー、つまんないんだもの!」
 これ以上ないというくらい盛大に自分の希望を主張して、リリィはヒューゴの胸に指をつきつけた。ヒューゴはげんなり、とため息をつく。
「お嬢さんも聞き分けなって」
「だってぇ」
 ジョー軍曹がなだめたが、効果はない。リリィは頬をふくらませるばかりだ。
 カラヤの執務室。
 炎の英雄のための部屋ということで、いつもならばグラスランドゼクセン人種の区別なく人が出入りする部屋なのだが、現在部屋にいるのはたった三人。
 部屋にやってきたリリィの不機嫌オーラを見て取って、全員そそくさと逃げ出してしまったのだ。今いるのは、真っ先にリリィにつかまってしまったヒューゴと、そのヒューゴに泣きそうな顔で尾羽を捕まれ、逃げ遅れたジョー軍曹だけだ。
「ほ、ほら、お茶の時間だし、カフェテリアでも行ってきたら?」
「嫌。どうせササライが待ちかまえているもの」
 ふう、とヒューゴとジョー軍曹は同時にため息をついた。彼女の不機嫌の元凶の名前に気が重くなる。
「あの鉄頭の女大将のところはどうだ? 今日は暇だったと思うが」
「う〜〜、ここんところいりびたってたから、きっとあっちにもササライが網をはってると思うのよね。だからヒューゴのところにきたのよ!」
 あれだけ大騒ぎしてこの部屋にやってきておいて、ササライの思惑もなにもあったものではない、と二人は思ったが、言わないでおいた。言っても無駄だからだ。
「どうしてそんなにササライさんのことを嫌うの? ここのところ仲よかったじゃない」
 ヒューゴは、ここ数日の疑問をリリィにぶつけてみた。逃げられないのなら、もうこれはつきあった方がよさそうだ。
「嫌だから」
「……なんでまた。なんか嫌なことでも言われたのか?」
 あまりにきっぱりとした物言いに少々面くらいながらジョー軍曹が尋ねた。リリィは首を振る。
「べつに、そんなのないわよ」
「じゃあなんでなんだ」
「嫌だから! 嫌なの!」
 お嬢様の物言いは、とりつくしまもない。軍曹とヒューゴは顔を見合わせた。
「よくわからんな……あれだけ好かれておいて」
「だって嫌なんだもの! とにかく、ササライだけは、絶対嫌なの!」
「その理由をお聞かせ願えますか?」
 戸口から静かな声がかけられた。
 見ると、そこには青い軍服を着たハルモニアの将校が一人立っている。ササライだ。
「ササライ! あんたなんでここに!」
「貴女の居場所くらい、簡単に見つけられますよ」
 淡々としたササライを、リリィはにらむ。
「何の用よ!」
「貴女に会いに来たに決まってるじゃないですか。そうだ、英雄殿、軍曹殿?」
「ん、んん? なんだ?」
 急に話をふられて軍曹とヒューゴは慌てた。巻き込まれそうで怖かったから。
「しばらく席を外して頂けませんか? 彼女と二人で話がしたいのです」
「あたしに話はないわよ! ちょっと二人とも、あたしを見捨てる気?」
「ええ……?」
「そう言われてもなあ……」
 ヒューゴも、ジョー軍曹も困り果てて顔をしかめた。リリィに逆らうのも怖いが、ササライに逆らうのも怖い。まさに究極の選択だ。
「お願いします」
 にっこり。
 ササライに花のような、しかし絶対零度のほほえみを向けられ、彼ら二人の心は決まった。
 結論。ササライのが怖い。
「ヒューゴ、戦士には退かなきゃならん時がある。わかるな?」
「うん、ジョー軍曹!」
 引きつった笑いで頷きあうと、二人は全速力で部屋を飛び出していった。あとのことは知らない。この火の粉はかぶったら火傷じゃすまなそうだ。
「う、裏切りものおおおお」
 一人取り残されたリリィは恨めしげにドアをにらむが、それは無情にも閉じてしまった。リリィはササライを見やる。
「リリィさん」
「何よ!」
「話が……あるのですが」
「聞きたくない」
 リリィはそっぽを向いたままだ。ササライを見ようともしない。一歩近づくと、彼女は一歩下がった。
「教えてください。なぜ、私では嫌なのですか?」
「嫌だからよ」
 ササライが、近づくとリリィは逃げる。壁へと。
「それではわかりません。何故なのですか?」
「嫌だから嫌なんだもの!」
 逃げるリリィを、ササライは追いかける。とん、とリリィの背が部屋の角の壁に当たった。
「リリィさん……」
「嫌、だから」
「だから!」
 ササライは声を荒げた。ササライの腕に追いつめられたリリィは体をふるわせる。
「だから何故私ではだめなのかと聞いているのです! そんな言葉じゃ納得できない!」
 やっとササライのほうを見たリリィの深い紫の瞳を、ササライの視線が射抜いた。
「私は……貴女が好きなんです。だから」
「……」
「嫌なら嫌で、ちゃんと、貴女の言葉で言ってください。ただわけもなく拒絶されるのは、正直こたえます」
 ササライの目が、伏せられる。
「だって……」
 予想外に弱々しい声が、ササライの耳を打った。
 驚いて顔をあげるとリリィは今にも泣きそうな顔をしている。
「リリィさん?!」
「だって……口説かれて落とされるなんて、なんか負けるみたいで嫌なんだもの……!」
「は……」
 ササライは、あいた口がふさがらなかった。呆然としたあと、リリィの肩に頭を預ける。
「なんだ……そんなこと……」
「そんなことじゃないわよ! 切実な問題よ」
「……負けるってそんな。それを言ったら出会ってからこっち、私はずっと貴女に負けっぱなしですよ」
 リリィの背に、手をまわす。彼女は抵抗しなかった。
「ねえリリィさん」
「何よ」
「私のものに、なってください」
「嫌よ」
 またきっぱりと拒絶されて、ササライはリリィをみつめた。
「リリィさん……」
「で、でも」
 リリィはササライの前に指をたてた。
「あんたがあたしのものになるっていうんなら、考えてあげなくもないわっ」
 ぶ、とササライは吹き出した。意地っ張りもここまでくればあっぱれというものである。
「ええ。それで十分です」
 この日初めて、やっと柔らかく笑うと、ササライはリリィの唇にそっとキスを落とした。


 その後彼らが自発的に部屋から出てくるまでの数時間、カラヤの民が部屋を使えずたいそう難儀したということを追記しておく



やったよ!
やっとラブだよ旦那!(旦那って誰だ)
ササリリを書き始めて早数ヶ月!
やっとラブにたどりつきました!!
前回のすさみきった空気はどこへやら、ラブラブですよこの二人。
迷惑のかけっぷりはいつも通りですが、まあそれはご愛敬。
あ〜よかった。
これでまた陰謀とか書けるわ(おい)
追記 拷問方法の知識の元ネタは、池波正太郎著「鬼平犯科帳」です。
う〜ん、若い娘さんの知識じゃねーな。
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