「やっとついたぜ温泉地!」
俺は村の前でガッツポーズをとった。
「……そのようにはしゃぐでない、ナッシュ。子供でもあるまいに」
そして、次の瞬間、冷ややかに投げかけられてた言葉に、肩を落とす。
「シエラぁ、水さすなよ。いいじゃんちょっとくらい〜〜。温泉なんて久しぶりなんだからさあ」
背中に乗る大量の荷物をしょいなおし、冷静な連れを見やる。手提げ一つもさげて居ないシエラは優雅に俺を見下した。
「全く、こちらの方向に来ると決定したときから温泉温泉と……子供っぽいというより、この場合はじじむさいといったほうが正しいかのう」
「あんたにじじいといわれるなんてね、そいつは光栄なことで」
毒づくと、思い切り足を踏まれた。
おい、黙ってりゃ美少女なんだから、そーゆー攻撃はよしてくれっ。
「おんしが行きたいと駄々をこねるから来たというに……ぼさっと立っておらずに、宿を探すのじゃ」
「ひっでえなあ。そもそも、あんたの荷物が重いせいで肩が凝って疲れてるんだぞ」
「責任転嫁かえ? 女々しいことじゃ」
俺たちは言い合いをしながら、山間の温泉街を歩いた。端から見たらかなり派手な喧嘩口調だが、本気じゃない。俺たちにとってはじゃれあい以外のなにものでおないから、お互い気になんかしてなかった。
……俺とシエラの付き合いは、数ヶ月前にさかのぼる。俺が仕事の行きがかり上、彼女の荷物もちになり、事件に巻き込まれ、一旦別れたのをなんとか再会して今に至っている。二人ともそれなりにわけありで、一つのところにじっとしてられない性質なので、生活は基本的に旅の上に成り立ってる。
一応、世間的には恋人。
一応だとか、余計な言葉がごちゃごちゃつくのは、シエラの意地っ張りな性格としがらみが災いして(断じて俺のせいじゃない)核心的な台詞なんか交わしてないことと、あと、荷物を山盛り持たされている俺のこの状況が、荷物もちとご主人様のような気がしなくもないことが原因だ。
「ナッシュ」
くい、と袖を引かれて、俺はシエラを見下ろした。
「何?」
「あの、『家族風呂』とやらはなんじゃ?」
シエラの白い手が指す方向には、一軒の宿屋の看板があった。そこには『家族風呂あります』とある。
「あー、あれかあ……」
「何かわかっておるのか?」
「うん、まあ最近の温泉のはやりだよ。ははあ、始祖様、昔のことはともかく、最近のトレンドにはうとくていらっしゃ……待て! 街中で雷はやめろ!」
ぱり、と馴染み深い音を聞き、俺はシエラを止めた。
「して、なんじゃ?」
言った顔は笑っているが、目が笑ってない。
ったく暴力オババめ……。
「説明するより見たほうが早いよ。値段も手ごろそうだし、今夜はあそこに泊まろう?」
「ふむ、よかろう」
俺たちはそのまま、その宿に入った。チェックインを済ませて鍵を受け取る。
……部屋は一応ツインだ。
まあ、使うベッドが一つになるか二つになるかは女王様のご機嫌次第だけど。
「ナッシュ、部屋の鍵はわかるとして、その札は何じゃ?」
部屋に向かいながら、シエラは不思議そうに俺の手元を見た。
「ああ、『家族風呂』だからな。それ用」
「ん?」
「シエラ、さっきから不思議なことに気が付かないか?」
俺は部屋に入ると、荷物を降ろしながらシエラにきく。
「はて……? そういえば、風呂の表示に男と女の別がないようじゃが。客が道に迷わないのかのう」
……本当にわかってないみたいだな。
「基本的に混浴なんだよ」
「なぬ?」
シエラの目が吊り上った。俺は慌てて手を前に振る。
「話を聞けって! こういうとこは、普通のでかい温泉宿と違って、小さい風呂がいくつか用意してあって、それを客が交代で貸切にして使うんだよ! ほら、家族連れとかだと、子供がはしゃいで走り回ったりすると、周りも迷惑だし、親もゆっくりできないだろ? だから家族風呂っつーんだよ! 札は、使ってますよってしるし!」
「わらわ達に子はおらぬぞえ?」
じろりとにらまれて、俺は視線をそらす。
「や……その、貸切だから、カップルがいちゃつくのにも使ってるけどさ。……ってぇ! 痛い! 痛いって、シエラ!! だから殴るのも引っかくのも蹴るのもよせ!!」
「ふい〜〜〜、やっぱ空を見ながら入る風呂はいいなあ……」
俺は、なめらかな風呂の湯の中で、手足を伸ばした。石造りの風呂の感触と、生垣の上に見える空が気持ちいい。
実に気持ちいい、が。
……風呂にいるのは、俺一人だ。
あの後、結局シエラ女王様のご機嫌は元に戻らず、結局こうして一人で風呂に浸かっている。
いいんだ、こうして大きな風呂に入ってるだけでも幸せだし。
背が高いせいで、普通のバスタブじゃ足のばせないからなー。
俺は風呂のへりに、体を預けた。
……まあ、シエラが何も知らないのをいいことに、ここに部屋をとった時点で下心がなかったとは言わないけどさ。
何もあそこまで怒ることはないだろう。
俺だって健康な成人男子なんだぞー……。
かたん、という音で俺は顔を上げた。
誰かが脱衣所に入ってくる気配がする。
あれ? 入ってくるときに札はさげておいたはずなのに。
「誰ですか?」
俺は風呂から出て確認しようとし……
「わらわじゃ」
湯の中に逆戻りした。
「シエラ?」
俺は慌ててそこらに放り出してあったタオルを引っつかむ。軽い音をたてて、風呂場に入ってきたのは、バスタオルを体に巻きつけたシエラだった。
「なんで? さっきむちゃくちゃ怒ってたじゃないか!」
「おんしがあんまり一緒にはいって欲しそうにしておったからのう。少々あわれを誘われてな」
「哀れまれてんのかよ、俺」
「……不満か? ならわらわは出るが……」
ちろりと視線を送られて、俺は素直に謝った。
「不満なんてありません。居てください、シエラ様」
「最初からそう言えばよいのじゃ」
シエラはしいてあるスノコに膝をつくと、手桶に湯をくむ。
「入る前に体を洗わねば……と、何を見ておる」
「いや? 気にせずどうぞ続けて?」
「気にするわ!」
ぐり、と俺の顔を間反対に向けさせるとシエラは体を洗う。その様子を耳で聞きながら、俺は情けないことにどきどきしていた。
落ち着け、俺。
シエラの裸なんて何回も見たじゃないか。
……あ、でも明るいところで見るのは初めてか。
じゃなくて!!
混乱している俺の頭に、何かが投げつけられた。
「てっ!」
「それを浮かべておくれ」
「浮かべるって……なんだこれ」
それは、黄色いあひるの形をしたおもちゃだった。俗にあひるちゃんと呼ばれるお風呂用のおもちゃである。
「デュナン新都市同盟の盟主にもらった由緒正しいものじゃぞ?」
「あひるちゃんが?」
「そうじゃ! ふふ、やはりお風呂にはあひるちゃんじゃのう」
シエラはバスタオルを巻きつけたまま、湯に入ってきた。上気してピンクに染まったシエラの肌に、白いタオルがゆらゆらと巻きついている。
……下手に裸でいるより、こういう布地の間から見える肌のほうがやらしい気がするのは俺だけだろうか?
俺は、シエラから視線をそらした。もったいないが、そうでもしないとあっという間に理性がどこかへ弾け飛びそうだったから。
「あんたの荷物がやたら重いと思ったら、そんなものまで入ってたのか」
「そんなものはないじゃろう! これは、カツミがわらわのために、『貧乏神』からぶんどってくれたものなのじゃぞ?」
「……同盟の盟主まで下僕扱いしてたのか?」
「ちょっとしたいきさつじゃ。ん? なんじゃ、妬いておるのか?」
「別に?」
くつくつ、と笑いながらシエラが俺の顔を覗き込んだ。そのついでに直接肌が触れて、俺は体を強張らせる。
「安心するがよい。カツミにはシュウがおるからのう」
「おいシュウって男じゃ……」
「それより、ナッシュ」
シエラが、俺に顔を寄せた。ほぼ抱きつかれている格好になって、俺は益々困る。
はっきりいって、この体勢は犯罪だ。
湯のなかで触れる肌は普段より滑らかで、きもちいい。
その上、下から見上げられると、こちらからは確実に胸の谷間が目に入る。
好きな女のこのポーズは悩殺ものだろう。
「な、なんだよ」
「おんしの望みどおり一緒に入ってやったのじゃから、おんしの血をよこせ♪」
「なにぃ?! ……おわ、ちょっとシエラ! 何勝手に……っ!」
ざぶ、と音を立てて、俺はシエラに押し倒されかける。湯の中に沈まなかったのは奇跡だ。
押し返そうとしたが、俺自身の本能がその力を弱める。
ああもう、なんだって! 吸血鬼が血を吸う体勢っていうのは抱きつくのと同じなんだ!
気持ちいいだろうが!
「シエラ!」
「ふふ」
俺の無駄な抵抗をかいくぐるとシエラは、首に手を巻きつけてきた。
「こら、シエラ、お前そんな暴れるとタオルが……!」
俺が動かなければいいんだろうが、そういうわけにもいかない。じたばたしていると、案の定、タオルがほぐれた。同時にシエラの白い体が……ん?
タオルから現れたのは、白は白でも、肌ではなく、布地の白だった。
白い水着。
この女、肩ひもなしの水着を着てやがった。
「シエラ……あんた随分余裕だと思ったら……!」
「ふふ、ひっかかりおったな」
「ひっかかるよ!」
首筋に牙をたてられ、貧血なんだか頭に血が上ってるんだかわからないまま、俺は絶叫した。
亜氷架 翔様のお風呂ナッシュに触発されて書きました。
お風呂ナッシュ……ナッシュを幸せにしてあげる祭りのはずなのに
なんかナッシュむくわれてません。
や、シエラとお風呂という時点で幸せとか!
説得力ねえ……
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