卑怯者

「入りますよ」
 軽いノック音のあと、シュウは同盟軍のリーダーであるの部屋のドアを開けた。
殿?」
 部屋の中は薄暗い。いつもは来客でいっぱいのその部屋は今、ひっそりとしていて物寂しかった。開け放 した窓から風が入り、カーテンを揺らしている。
殿?」
 部屋の主の名前をもう一度呼びながらシュウは部屋の奥へと歩を進めた。人影は見当たらない。
  いや、
「そこですか?」
 天蓋つきのベッドに、はいた。薄いカーテン越しに布団の膨らみが透けて見える。布地をはらって ベッドに手を突くと初めて布団の中身がもぞりと動いた。
「寝てるんですか?」
 寝ているわけはないと確信しながらもそう訊ねる。布団の中身は、ぴく、と硬直したようだった。シュウ はため息を一つつくとベッドに腰を下ろした。
 新同盟軍によってロックアックスが開放されて、一週間がたっていた。そして、ナナミの死からも。
 葬儀は滞りなく行われ、死者は土の中に静かに安置されている。死んだ者を送る儀式も一通り終わり、同 盟軍の生活も元に戻りはしたが、生活をする人間の心は元通りというわけにはいかなかった。
 は壊れてしまった。
 少なくともシュウにはそう見える。
 表向きは今までと変わりないのだが、ときどきひどくぼんやりしていたり、無表情に何かを見つめるとい った行動をとるようになった。突然ふらりと一人でどこかへ行ってしまうこともある。今日のように部屋に 閉じこもってしまうことも 。
 戦争はまだ続いている。リーダーがショックを受けているから少し待って、とは言えない。
傷を受けてい るのはハイランドの皇王も同じだろうが、目的のために周りの全てを捨ててきた彼だ。予定通りの行軍を行 うだろう。それまでにこちらも体勢を立て直さなければならない。
 そこまで考えて、シュウは苦笑した。
 リーダーの精神管理まで作戦のうちとは、軍師も因果な商売だ。いつの間にやら人の心まで計算式のよう にロジックで考えている。論理式だけで考え、全てを割り切ってしまうほど人間を捨ててはいないはずだっ たのだが。
(悪い癖だな)
 人の命のやりとりを頭の中でこねくり回す軍師病だ。シュウより数段人情家なアップルやクラウスでも、 頭の片隅ではシュウと似たようなことを考えているだろう。だが、そんな感情を抜きにしてもシュウには危 機感が少なかった。 それはある意味当然だ。なぜならナナミは生きているのだから。
 ロックアックスで彼女は確かに重症を負った。だがそれは彼女の命を奪うほどではなく、手術の後ではわ ずかながらもしゃべることができた。いつもの彼女ならば、を安心させるためにすぐに彼に会おうと しただろう。だがそうはせず、かわりにホウアンに自分が死んだと伝えさせ、シュウよ呼び寄せた。驚くシ ュウに彼女が伝えた決断、それはとの別離だった。
 にとって、ナナミという存在は同盟軍より大きい。いざとなればなにもかも捨ててナナミを守るだ ろう。だがそれは同盟軍という大きなものを率いるリーダーとしては失格である。自分の存在は、の 邪魔になる。そう判断した彼女が自分から身を退くことにしたのである。 ナナミの判断は正しい。シュウもそう思う。だが、は壊れてしまった。
 こんなになるほど愛されていたことをあの少女は自覚していただろうか。
 己を知らぬ少女のことが、シュウには嫉ましく、恨めしい。
 初めて会ったころのこの少年は屈託なく笑う元気な子供だった。だが、戦争が続くにつれ、その笑顔に 段々と影がさし、時々凍るようになってきた。それを度々救っていたのはナナミだった。まっすぐすぎる彼 女の言葉はを追いつめることもあったけれど、それでも彼女は唯一の支えだった。
 支えを失った少年はあまりにも脆い。リーダーとして戦うこともできないほどに。
 だがこのままにするつもりはなかった。彼には立ち直ってもらわなければならない。どんなことをして も。
殿」
名前を呼ぶと、はかすかに震えたようだった。
「起きてるのはわかってますよ。眠れないんでしょう?」
「……っ!」
 の震えが、布団ごしに伝わった。
「それぐらいはね。……顔を出してもらえないでしょうか。私は貴方と顔を合わせて話がしたい」
「シュウさん……」
 が嫌そうな声をだす。一人にしておいてくれ、といいたいらしいが、シュウはここで退く気はなか った。
「顔を出してくれませんか。今の私たちには会話をすることが必要ですよ」
 静かに言うとはしぶしぶ布団から顔を出した。
その顔を見てシュウは彼が顔を出したがらなかった 理由を知る。彼の目の下にはくっきりクマができていた。目も充血して真っ赤である。
「うさぎみたいな目ですねえ」
「……だから、顔を出したくなかったんだ。これを見たらみんなまた心配するし」
「そうですね。アイリあたりが大騒ぎを始めることでしょう」
「シュウさんは騒いだりしないんだね」
「寝不足になるくらい、普通でしょう。別に驚いたりはしません。ですがそれを許容したわけではありませんよ」
「シュウ」
「リーダーとして、自覚が足りませんよ」
 あからさまな、挑発だった。案の定、が目を上げる。
「リーダーとして……だって? そんなもの知るもんか!」
 珍しく大きな声で怒鳴る。
 それでいい。この子供には感情を吐き出すことが必要だったのだから。
「リーダーとか、戦争とか、そんなこと知らない! 僕は大切な人を守りたかっただけなのに、友達と一緒 にいたかっただけなのに! ジョウイはいなくなった。ナナミは死んでしまった! 大事な人を守るつもり で始めたのに……気がついた時には、僕には守るものがもう何一つないんだ」
 ぼろぼろと瞳から涙があふれた。ナナミが死んで、初めて流す涙だった。堅く握り締めた拳でシュウの胸 を叩く。
「戦えない……もう僕は戦えないよ。守りたいものもないのに、戦ってどうするんだよ」
 泣きじゃくる少年を、シュウはどこか覚めた目で見つめながら抱きしめた。予想通りの反応だ。ならきっとこう言うと思っていた。そして、シュウはが一番欲している言葉を、その発言自体に自ら傷つきながら口に乗せる。
「守るものがないなんて、言わないで下さい」
 が顔を見ることがないよう、シュウは自分の胸に少年の顔を押し付けた。
「私では、かわりになれませんか」
 卑怯な言葉だ。
「私は、貴方の大切な人にはなれませんか? 私には、貴方が必要です」
 この言葉は、にとって麻薬のような効果がある。それが解っていても、口にしなければならない。 にはその言葉が必要だから。
「リーダーとしてでしょ?」
「いいえ、人として。私は、貴方が大切です」
  言葉はを縛る。
「本当に?」
 上げられた顔を片手でとらえるとシュウはその唇にかるくくちづけた。
「本当ですよ」
 今度は自分がの肩に顔を埋める。  が大切なのは本当。だけど、彼を縛るために告げたかった言葉ではない。
「だから、もう、守るものがないなんて言わないで下さい」
  私が貴方の守るものになるから。貴方の支えになるから。貴方を守るから。 だから、もう一度立ち上がって。
(卑怯者だな、俺は)
 心の中で思うけれど、もう言霊は取り消せない。
「うん……もう言わない」
 耳のすぐそばに聞こえたの声はやけに晴れやかで、シュウは自分の作戦が成功してしまったことを 知った。
 自己嫌悪。そして心の中に、軽い失望が生まれる。
 これはこんな策をたててしまった自分に対してなのか、こんな小細工に引っ掛かってしまったに対 してなのか。
「少し、眠って下さい。しばらくここにいますから」
「うん」
 は素直に目を閉じた。ベッドに横たえてやると、すぐに安らかな寝顔になる。
「大好きですよ……」
 知らず、つぶやいた言葉。けれどもうその言葉は嘘にまみれていて。シュウはそれからしばらく、眉間に 皺を寄せたままそこに座っていた。


大昔サルベージSS

読み返すと結構暗いですね。
(う〜ん、意外に暗い話一杯書いてたんですね)

 自分のたてた策に自分で傷つく。
 でもその策を使うことをやめることはできない。
 そういう鬱屈を抱えているシュウさんにえらい萌えてました。




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