「じゃ、また今夜」
彼女の部屋から送り出されながら、俺はそう囁いた。
「ん」
去り際に、軽く体をかがめてキスを交わす。彼女は顔を赤らめて俺の胸を叩いた。
「いいかげんにしろ、パーシヴァル」
「クリスがかわいいから名残惜しくて」
「……さっさと行け!」
怒られて、俺はドアから離れる。彼女の姿が扉の奥へと隠されるのを確認してから踵を返した俺は、ぎくりと動きを止めた。
見えてはいけないものが見えたからだ。
彼女の部屋からまっすぐに伸びる廊下の奥。
角を大急ぎで曲がったらしい誰かの騎士服の裾が翻って消えた。
「……」
その夜。
俺は私室の前で立ちつくしていた。
一応ドアノブに手をかけてはいるが、開ける勇気がでない。
私室なのだから、普通に入ればいいはずなのだが、そうはいかなかった。
この部屋は二人部屋なのだ。
それも今朝の目撃者との。
「……参ったなあ」
こぼれたため息は重い。
女に二股がばれたときより、この状況のほうが気まずかった。
どんな顔をして部屋に入ればよいのか全然わからなくて。
(といっても、いつまでもここに立っているわけにはいかないんだが)
ぐずぐずしていると、ドアの中から声がかかった。
「入れよ」
ぶっきらぼうな声。
まあ、同じ騎士たる彼が、戸の前に立つ俺の気配に気づかないわけないか。
いいかげん腹をくくってドアをあけると、同居人はベッドの上で枕を抱いてあぐらをかいていた。
「ボルス」
「よう、遅かったな」
「……ああ」
俺は部屋に入るといつものように鎧の留め具を外し始めた。室内にがちゃがちゃと金具の音だけが響く。
ああもう。
空気の重さに押しつぶされそうだ。
ボルスが不機嫌なわけはわかりすぎるほどわかっていた。
騎士団の戦女神。
同じ騎士として俺たちは、共に彼女へ剣を捧げた。
お互い、彼女へ敬愛以上の気持ちを抱いていたことは知っていた。
正々堂々勝負だなんて冗談めかして言い合ったこともある。(主にもちかけたのはボルス)
けれど、実際にかっさらわれては心中穏やかなどではいられないだろう。
気持ちを抑えることも隠すこともできない彼だから余計に。
かちゃん、と小さく音をたてて、俺は鎧を全て外して片付けた。
「いつからだ?」
ぽつり、とボルスがつぶやいた。
主語がなくても、聞きたいことはわかる。
「……二ヶ月、前」
俺はあらぬ方向を向いて答えた。
だめだ、今日だけは奴のまっすぐな瞳が見られない。
「なんで」
「……告白、されて」
いつもはすらすらと言葉が出てくる俺の口からは小さな声しか出てこなかった。
ここでこうやっているよりも、敵前逃亡で軍事裁判にかけられたほうがましだ。
「俺が聞きたいのはそこじゃないよ」
ボルスが静かにそう言う。
いつも騒がしい男のこの物言い。静かなだけによけいに怖い。
「じゃあ何だ?」
「なんで、黙ってたんだ? クリス様のこと……」
「それは」
俺は即答できなかった。
いつものように言いくるめてしまえばいいところを、ずるずると二ヶ月もこの男に言わずにいたのは、自分でも何故かわかっていなかったから。
「なんでだよ」
「……」
言葉を探していると、いきなりボルスが立ち上がった。
「あーもー!!」
枕をたたきつけると、ものすごい勢いで壁を殴る。その振動のすさまじさに、部屋全体がびりびりとふるえる。
「おいボルス、やめろって! 大丈夫か?!」
いくら武人として鍛えているといっても、壁を殴れば自身の拳を壊してしまう。止めようとした俺の手を、ボルスはふりほどいた。
「放っておけよ、俺は自分に腹が立ってるんだ!」
「自分?」
俺は目を丸くする。怒るのなら俺にだろう。
思うと、ボルスはそのままその場で吼えた。
「畜生! なんで俺は、クリス様に振られたことよりお前に内緒にされてたことのほうがショックなんだよ!!」
「ボルス?」
「なんだよ!!」
腹立ち紛れに向けられた鋭い視線を、俺はやっと受け止めた。
「お前それを気にして?」
「悪いか!」
「……お前なあ……」
俺はへなへなとその場にしゃがみこんだ。
「パーシヴァル?」
「ボルス、俺がなんでお前に言わなかったと思う?」
「なんでだよ」
ボルスもしゃがみ込んで俺に視線を合わせた。
それを見て、俺はやっとボルスに言わなかった理由を確信する。
「俺は、怖かったんだ」
「怖い?」
「ああ。だってクリス様と恋人になったと知ったら、お前絶対離れていくだろう?」
俺にとって、ボルスは思う以上に大事な存在だったらしい。クリスのことは愛している。だが、親友のことも諦められなくて。
「だから言わなかったっていうのか?」
「ああ。すまん、ボルス」
「それでクリス様をあきらめないでいるところがお前らしいよ」
「自分でも虫がいいと思う……」
「その通りだよ!」
すくっとボルスが立ち上がった、と思ったら鉄拳が降ってきた。
「痛ぇっ!!」
「この馬鹿パーシヴァル。地獄へ堕ちやがれ」
殴られて、本気で涙目になって見上げたボルスは、思ったより不機嫌な顔ではなかった。
「ボルス……」
間髪いれずに今度はどん、と酒瓶が置かれる。
「飲め。でもって今まで黙ってたことを全部白状しろ!」
「おい」
「しょーがないから今の一発で許してやるよ」
憮然とした顔をしているとはいっても、怒ってはいない。それを見て、おれは笑ってしまった。
「おいパーシヴァル……」
「ボルス、お前最高」
ばんばん、と背中を叩くと、ボルスは迷惑そうな顔になる。
「言っておくが、許してやるのはこれっきりだからな!」
「わかってる。だから二度と裏切るようなことはしないさ」
「次、好きな女ができたら絶対絶対、協力しろよな!」
「誓うさ。女神にね」
もう一度、殴られながら俺は笑っていた。
翌日、二人そろって遅刻した騎士二人を、女神は不思議そうに見ていたそうな。
ボルス&パーシヴァル友情話。
クリスのことを、パーシヴァルはどうやって
ボルスに話したのかなーと。
パーシヴァルがだめ男な気がしますが、
ご愛敬……
後で読み返して思ったのですが、ボルスに詰問されてるパーシヴァルが
「妻に浮気がばれた亭主」のようだ……
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