正しい犬の飼い方8

「ではアイリーン、また今度」
「気が向いたらね」
 玄関先で軽くキスを交わして、俺は女の家を出た。
 香水の残り香のついた上着を肩にひっかけて顔をあげると、夜があけたばかりの淡い青空が見えた。
 所謂朝帰りというやつである。
 夜中に「運動」して、朝早く起きるのは正直体力的につらいが、まあそのぶん楽しんだのだからしょうがない。
 衝撃の初陣から二年。俺たち三人は、順調に騎士団内で成長していた。
 クリスやボルスだけでなく、俺も功績を認められて、今ではボルスと同じクラスの指揮官の一人である。
 庶民の出としては破格の出世だろう。
 出世したぶん、陰口は増えたが同時に以前にも増して女性にモテるようになっていた。
 視線を空から路上に移したところで、俺はこんなときにあまりお目にかかりたくない人物と目があった。
「クリス様、おはようございます」
 朝のジョギング中なのだろう。ラフな運動服を着て首にタオルを巻いたクリスは、返事をせずにぎろっ、と俺を睨んだ。
 そういえば、ここは上流階級の閑静な住宅街。彼女が通りかかる可能性はないわけではなかった。
 なんとなくばつが悪くて、俺は視線をそらす。
 別に彼女は恋人ではないのだが、やましく思う必要などないのだろうが、なんというか、女遊びを妹に発見されたお兄ちゃんになった気分がして……居心地が悪い。
 それに、クリスだって嫉妬をしているわけじゃない。
「お前……ミュリアとつきあってたんじゃないのか?」
 案の定、以前に彼女の前で名前の出ていた女性のことを引っ張り出され、俺は苦笑した。
 清廉潔白な彼女と、俺の恋愛観は全くかみ合ってない。俺はわざと上品に微笑んだ。
「ああ、彼女ですか? 彼女とももちろん良い友好関係を結んでいますよ」
「……友好関係とやらが聞いて呆れる」
 クリスはそう言い捨てると、走り出した。
 俺は悪戯心を出しておいかける。
「クリス様、これからご自宅に戻られるのですか?」
「ついてくるな。女たらしがうつる」
 クリスが速度をあげた。俺も速度をあげる。乗馬と同様、足の速さには自信がある。
「その程度でうつるのでしたら、ボルスなんて、今頃私以上のプレイボーイですよ」
 クリスはまた走る速さを上げる。
「これで何人目だ?」
「つきあった数ですか? 27……と記憶していますが」
「そのうち刺されるぞ、お前」
 こちらも見もせずに言われて、俺は走りながら肩をすくめる。
「大丈夫ですよ。ちゃんと物わかりのいい方を選んでますから」
 言うと、クリスが走るのをやめた。
「クリス様?」
 俺も止まる。
 クリスは振り向くと、吐き出すようにして言葉をたたきつけてきた。
「……お前がそんな物言いをするから……!」
「え?」
「そんな風に言うから、後腐れのあるようなことが言えないだけじゃないのか?! そんなだから……お前に気に入られたいから本気だって言えない女だっているかも知れないじゃないか!」
「それは卑怯と言うものでしょう」
 俺は静かに彼女の視線を受け止めた。
「私はその方じゃないのですから、聞き分けのいいふりをされても、わかりませんよ。本当の気持ちを押し込めて、偽りの自分を見せておいてわかれというのは無茶です」
「じゃあどうしろというんだ」
「そのままの自分でアプローチをかければいいんじゃないですか?」
「好きになんかならないくせに」
「ええ、そうです」
 どっちにしろ、恋愛に深入りするような女にとっては、関係が深くなる前に俺にふられたほうが幸せであろう。
 俺は結局悪い男でしかないから。
「お前なんか……」
 低く、クリスがつぶやく。
「え?」
「お前なんか、思い切り手のかかる女に惚れて死ぬほど振り回されればいいんだ!」
 たたきつけられた言葉に、俺は破顔した。
「いい呪いの言葉ですね」
「パーシヴァル」
「その呪い、受けて立ちましょう」
 にやりと笑うと、拳がとんできた。紙一重でかわすと、クリスはまた走り出す。今度は追わなかった。
「俺が手のかかる女に惚れるように、俺も願ってますよ」
 言うと、クリスは顔だけ振り向いて「馬鹿!」と怒鳴った。



犬話の続きー。
前回の甘さもどこへやら。
パーシヴァルがいい感じにひねてます。

やっぱり、パーシヴァル=女たらしなエピソードは一回はいれておかないと。


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