正しい犬の飼い方6

「パーシヴァル、気をつけろ」
 声をかけられて俺は振り向いた。そこには、警戒にしっぽをぴんとたてたゴールデンレトリバー……もとい、ボルスが立っている。
「こんなに楽しいパーティーだっていうのに、何を気をつけろって?」
 グラス片手に俺が笑うと、ボルスはむう、とむくれた。
 おいおい、そんな顔してちゃ、折角の礼服が台無しだぞー。
 俺たち二人が今着ているのは、いつもの簡素な騎士服ではなかった。くりくりの金髪のボルスは、それにあわせるように繊細な刺繍でもって飾られた豪奢な礼服を。俺は対照的にシンプルな(しかし生地は上質)それを着ている。
 社交界が嫌いではない俺はともかく、何故ボルスまでこんな格好をしているかというと、今いるのが俺たちの卒業パーティーだからだ。  五年間の教育期間を終え、クリスも含めて三人、今日からめでたく騎士様の仲間入りである。
 総合の主席は結局クリスに譲ることとなったが、乗馬の主席は見事獲得。
 総合でも3位にくいこんだから、出世街道としてはまずまずの出だしと言っていい。上機嫌でシャンパンを味わっているところにボルスがやってきて……今の会話になったわけだ。
「あいつだよ、あいつ! ランスロット! 奴もこのパーティーに来てるんだよ」
「ああ……あの人」
 俺はシャンパンをあおる手を止めずに生返事を返す。
 ランスロット=サイクル。数ヶ月前、楽しいピクニックを見事台無しにしてくださった騎士様である。こういう逃げ場のない公の場でからまれることを警戒しているのだろう。
 騎士ならば、見習い騎士達の卒業式を祝いに来るのは当然だし。
「気にするなよ、ボルス。一体何ヶ月前の話だと思ってるんだ? あれから特になにもなかったわけだし……もう忘れられてるって」
「しかし……」
 言うと、ボルスはうーん、と首をかしげた。
 結構平穏無事に過ごせていることは事実なので、反論しようかどうか考えているようだ。
 実際、相手がそう簡単に俺たちのことを忘れたわけじゃない。
 ピクニックから帰った直後、不穏な噂が流れていたりもした。
 だが、それは実害にまではいたらなかった。
 なぜなら、婿養子である彼にとっての最大の権力者である妻に浮気がばれ、それどころじゃなくなったからだ。
 まあ、その噂流したの、俺だけど。
 そのことには触れず、俺はやんわりと笑う。
「いいかげん忘れろよ」
「まあそうなんだが」
「それより自分自身のことを心配しろよ。今回もまたクリスを誘いそこねてるし」
 俺が話の矛先を変えると、ボルスの顔がびきっ、と引きつった。
 そして日に焼けた健康的な顔が、一瞬にして真っ赤に染まる。
「そそそそっそそそ、それは……」
「ボルスー、お前なあ、行動しないと何も始まらないぞ?」
 この男の片思いっぷりは、筋金入りだ。
 態度に全て表れているから、クリス以外は全員彼の気持ちを知っていたりはするのだけど。
「おおお俺とお前は違うんだ!」
 騎士の卒業式の宴会はダンスパーティーと相場が決まっている。
 騎士として最初の社交界デビューの機会でもあるためだ。ダンスパーティーだから、当然正装でパートナー必須。
 結構この機会に女に告白してくっつくという連中は多い。
 ボルスにもいい機会だと思っていたのだが、結局駄目で。
 最終的に、『クリスを誘い損ねてあぶれたボルス』と『申し込みが殺到しすぎて対応し損なったクリス』と『混乱する二匹の犬に引っ張り回されてあぶれた俺』で、女一人を男二人でエスコートする、というなんとも珍妙な一行としてパーティーに出席している。
 しかもクリスは男装(剣つき)である。
 ボルスは結構幸せそうだが、俺はいい迷惑だ。
「お前なあ……そうやって見てるばかりじゃ、横からかっさらわれるぞ?」
「そ……それは」
「たとえば俺とか」
「!」
 真っ赤な顔が、今度は一瞬にして青くなった。
「まさかお前!」
「なわけないだろうが。だけど、キモチっていうのは変わるからな。明日はどうだか保証はできないけど」
「……〜〜〜!!」
 情熱だけはありまくりのくせに煮え切らないボルスにいいかげん飽きて発破をかけたのだが、思いの外効き過ぎてしまったらしい。ボルスは、そのまま絶句してしまった。
 やれやれ。しかしなあ……実際、想い続けていれば、気持ちは通じるなんてことは幻想だぞ。
 目と目で通じ合う恋愛というのもあるけれど、ボルスとクリスにそれは無理だ。
 ここまで危機感を持ったのなら何かするかな、とボルスを観察していた。そのときだ。
 ざわっ、と人混みに異質な声が広がった。
「なんだ?」
 声のしたほうを見ると、ダンスホールの奥に人垣ができている。
 そして、人垣の中央には、見慣れた銀。
「クリス?」
 俺たちは同時に身を乗り出した。間違いない、クリスが騒ぎの中心だ。
 慌てて人垣へと近づくと、そこには藤色に銀をあしらった礼服を着たクリスと、話題にしていたランスロットが立っている。
「その言葉を取り消して頂きたい、ランスロット殿!」
 白い頬を桜色に染め、クリスが斬りつけるように言葉をたたきつけた。
「さて、どの言葉を取り消せばよいのですかな? 先ほどは『田舎もの』でしたが」
格好をつけているようで、どうしようもなく下品にランスロットが笑う。
「全部だ全部! 言いたい放題にも程がある!」
「そうですかな? 別に事実と違ったことは言っていないでしょう?」
「それも間違ってる!」
 先輩騎士に対する敬語も忘れて、クリスが怒鳴る。
 一体、何が起こったっていうんだ? ランスロットに、クリスにからむ理由なんてないはずだ。
「すいません、お嬢さん……こちらの騒ぎは一体?」
 俺は手近な女性に声をかけた。
「あ……パーシヴァルさま! いえ、あの銀髪の方があの騎士様に近づいていって、何かを取り消すように言ったのですわ。そうしたら言い合いになってしまって」
「まじかよ……」
 俺は、呆れてその場に崩れたい衝動にかられた。
 恐らく、取り消せと言ったのは、前にランスロットが俺にぶつけた言葉だろう。
 折角人が丸く収めたっていうのに、何をやってるんだ、あのスピッツは!
「お前にフォローされっぱなしっていうのが、嫌だったんじゃないのか?」
 俺が顔をしかめたのを見て、ボルスがそう言う。
「そういうところはクリスのいいところだが、方法が間違ってると思う」
「確かにそうだが、どうする?」
「それは……」
 俺たちが話していると、また人垣がざわめいた。
「何事だ」
 威厳のある声とともに、一人の騎士が進み出る。
 四十を超えたばかりと思われる、堂々たる威丈夫。ゼクセン騎士団長、ガラハド様だ。
「ガラハド様……」
 クリスとランスロット、両者が黙った。
「何事だと聞いているのだが?」
 ガラハドが首をかしげた。クリスが前に出る。
「ランスロット殿が、私の友人をいわれのない言葉で侮辱したため、撤回を求めておりました」
「そうなのか? ランスロット」
「言われのないことではありません。事実です」
「ふうむ……その内容は……?」
 クリスが首を振った。
「言いたくもありません」
「そうか。しかし、その言葉がわからないのでは判断がつかないな」
 ダンスホールは疑似裁判場となっていた。裁判長はゆっくりとクリスとランスロットを見比べると、にやりと笑う。
「折角のめでたい席だ。遺恨をのこしてもつまらなかろう。誰か、そこらから練習用の鎧と刃引きした剣を持ってこい!」
「ガラハド様?!」
 人垣がざわめくというより、どよめいた。当事者達も、事態がわからず声をあげる。
「騎士の決着は剣でつける。わかりやすくていいだろう? 刃引きをしてある剣ならば死ぬこともない。ランスロット、お前は負けたら何を言ったかしらんが、その言葉を撤回しろ。クリスは……」
「負けたらランスロットの慰み者にでもなんでもなりますよ」
 思い切りの良すぎる言葉に、またギャラリーがざわめく。ピュウ、と品のない口笛まで飛び交った。
「な……クリス殿なんてことを!!」
「待てボルス」
 止めようとしたボルスの肩を俺は掴んだ。
「パーシヴァル、なんだよ! こういうときこそフォローするもんだろ! クリス殿があいつのおもちゃになってもいいって言うのか?」
「そんなことは言ってない。状況を見ろと言ってるんだ。ガラハド様の仕切だぞ?! しかもこれだけギャラリーが集まってるところで決闘をやめさせてみろ。クリスの評判にもプライドにも傷がつく」
 俺たち二人にかばわれないと何もできない女。
 そういう噂は、結構前からあるのだ。
 今かばってしまえば、そのレッテルが完全に固定してしまいかねない。
「むしろやらせてみないか?」
 俺が言うと、ボルスのきつい目がつり上がった。
「おい……だが負けたらあいつのおもちゃだろう!」
「負けたら、だろう? 見たところ実力差はあまりないみたいだし、クリスが勝つ可能性はちゃんとある」
 ボルスは不満そうだ。俺は奴を押さえている手に力をこめる。
「だいたい、俺たちはもう卒業だろ? 騎士になれば、四六時中一緒てわけにもいかなくなる。そうしたらクリスは全てを一人で処理しなければならない。そう、これくらいの騒動とかな。むしろこの機会に『この程度は一人で切り抜けられる』ってことをギャラリーの前で証明して見せたほうが、人の上に立つ者としてはいいんじゃないのか?」
「しかし……」
「大丈夫。もし負けたって、その場で何かされるわけじゃない。その間にフォローを入れればいいさ。な?」
「う……」
 不承不承、ボルスが頷いた。
 俺は押さえていた手を下ろして、クリス達に視線を戻す。
 俺だって不安がないとは言わない。
 だが、それはきっとクリスの騎士としてのプライドが許さないだろうから。
「構えて!」
 審判役となったガラハドが言った。
 礼装の上から無骨な鎧を着込んだクリスとランスロットが、戦闘態勢に入る。
「始め!」
 その宣言にあわせ、クリスが飛び出した。
 交えられた剣が、重い衝撃音を辺りに響かせる。二度、三度と切り結ぶと、そのたびにギャラリーから歓声があがった。
「……パーシヴァル、お前この勝負どう思う?」
「五分五分ってところだな」
 彼らの戦いからは目をそらさずに、俺たちは感想を交わした。
 ランスロットの剣は、意外に上手かった。パワーの割にスピードはないが、結構器用なのだろう。クリスの剣をいなす、その使い方が、かなり上手だ。
 冷静な状態なら、クリスが負けるかもしれない。
「だが、クリスを女と侮っているところがあるからな……つけめはそこだろう」
「クリス殿がどこまでできるか、か。くそ……」
 ボルスが拳を握る気配。
 短気な彼じゃなくても、この状況は結構つらい。
「おぉぉ!」
 獣のような雄叫びをあげて、ランスロットの剣が繰り出された。クリスがよける。だが、彼女がかわしたその瞬間、剣の切っ先は軌道をかえた。勢いのせいだろう、刃引きをしてあるにもかかわらず、剣はクリスの頬をかすめ、彼女の頬に赤い筋を刻んだ。
 ギャラリーが絶叫する。そしてボルスも。
 それを見て、俺はうまい手だと思った。
 恐らく、さっきのランスロットの攻撃の意図は、急所ではなく頬を斬りつけることだったのだろう。
 妙な位置だから、クリスも反応が遅れたのだ。
 だが、その手は決定打にはならなくても効果的である。
 感覚器が集中する顔は、女でなくても攻撃されたくない場所だ。そこに浅くとも一撃いれられたというショックは意外に大きい。
 そのショックは恐れとなり、剣をにぶらせる結果となる。
 そうやってじわりじわりといたぶるつもりなのだろう。
 クリスはどう出る?
 心配もあるが、彼女がどんな反応をしめすのか、好奇心のほうを持って俺は彼らを見る。
 だが、そんな風に楽しむ余裕などなかったらしい。
「このぉ!!!」
 切られた次の瞬間、クリスが思い切りよくランスロットの懐にとびこんだのだ。
 顔の傷のおそれなんて、これっぽっちもない。
 相手がひるむと踏んでいたランスロットは反応が遅れ、その結果。
「やあっ!!」
 がん! とすさまじい音をたててクリスの剣がランスロットの胴にたたきこまれていた。
 ランスロットはそのまま吹っ飛ばされる。
 鎧を着ているし、剣に刃引きがされているから一見怪我はないように見えるが、ぼきん、と鈍い音がしたのは気のせいじゃないだろう。
 転がった先で、ランスロットは剣を放り出し、胸を押さえてうめいている。
 歓声があがった。
「では、約束通りあの言葉、撤回してもらうぞ、ランスロット」
 剣を持ったまま、クリスがランスロットを見下ろす。
 そして、ランスロットは最悪の捨てぜりふを吐いた。
「お……女じゃねえ……」
 時と場所がかわれば、彼女にとって最高の褒め言葉だが、明らかに最低の侮辱だった。
 クリスの目がつりあがる。
 彼女の足が高々とあがり、そして、踵から振り下ろされた。
 がつん!
 その衝撃音を聞いて、クリス以外(俺たちも含めて)の全員が、ランスロットに同情をした。
「ふん、お前なぞ男ではないな」
 一瞬の沈黙のあと、ギャラリーの歓声が復活する。
 その中を微笑みながら通ると、クリスはまっすぐ俺たちのところにやってきた。
「どうだ? してやったぞ!!」
「……貴女、とんでもないとこ踏みつけますね。本当に『男じゃなくなったら』どうするんです?」
「あんな男の子種なぞ、増えないほうが世のため人のためだ」
 言って、クリスは未だに鮮血の流れる頬をぐい、と乱暴にぬぐった。ボルスが絶叫する。
「ああああああクリス殿、そんなことしちゃだめですってば! かかかか顔顔顔顔ーーー!!」
「こんなのかすり傷だ。舐めておけばなおる」
 ぺろ。
 俺は、クリスの頬の傷を舐めた。
「パーシヴァルーーー!! お前何やってるんだ!!」
「クリス殿ご自身では頬は舐められませんからね。代わりに」
「むちゃくちゃ言うな!! クリス殿、医務室行きますよ、医務室!!」
 言うが早いか、ボルスはクリスを抱き上げると走り出した。
「わ、ちょっとボルス!!」
「まあそのまま運ばれておけばいいじゃないですか。運動して疲れたでしょう?」
 ボルスと併走しながら、慌てるクリスを俺はなだめる。
「だが、顔っていっても本当にかすり傷だし」
「男の私でも、顔に傷が残るのは嫌ですよ」
 くすくす笑う俺を、クリスは不満そうに見下ろす。
「で? 騒ぎにまぎれてお前は何をくすねているんだ」
 いらだちまぎれにそう言われた俺の手には、シャンパンの瓶が二本。どちらもなかなかいい銘柄である。
「だって祝杯をあげなきゃでしょう? 誰よりもかっこいいクリス様の勝利を祝って!」
 言うと、クリスは嬉しそうに笑った。
 そして。
「その前に医務室って言ってるだろうがーーー!!」
 ボルスの絶叫が学校中に響いた。



シチュエーションが気に入らなかったので書き直し。
踏むのは変わりませんが。

クリスがどんどん男らしくなっていきます……
それはいつもか


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