正しい犬の飼い方4

「クリス殿が俺たちの学年に上がってくるっていうのは……お前のことだから、もう知ってるよな?」
 士官学校の新学期。廊下で、少しだけ拗ねたような口調のボルスに訊ねられた俺は、苦笑しながら頷いた。
 実は昨日お知り合いになったクリス本人に教えられたところだったりする。
「やっぱりなー」
「まあ今回知ってたのは、運が良かったせいなんだが……」
「運?」
「ああ、実は昨日町で……」
 説明しようとしたときだった。
「パーシヴァル!」
 澄んだメゾソプラノが廊下に響き渡った。
 声のした方に視線を向けると、こちらへ向かって全速力で走ってくる(ふりふりしっぽつき)スピッツの幻影が……いや、クリスが見えた。
「クリス殿」
「おはよう、パーシヴァル! クラス編成表見たか?」
「まだですが……」
「一緒のクラスだ!!」
 それが嬉しかったらしい。にこっと笑ったその姿には、やはり全開でしっぽを振りまくっているスピッツの姿が重なる。
「一年、よろしくな」
「おや、一年だけですか?」
「あ……えっと……騎士団に配属されてもよろしくはしてほしいが……」
「はいはい」
 なでなで、と、クリスの頭を撫でると、目の前の光景が信じられなくて凍っていたボルスの口から、声にならない悲鳴があがった。
 あ。ちょっと面白い。
 真っ赤になってひきつっているボルスを横目で確認してから、俺はクリスの顔をのぞき込んだ。
「で……昨日の今日ではまだお化粧うまくなりませんね?」
「う、やっぱり変か?」
「ファンデーションがむらになってますよ」
 俺はポケットからハンカチを出すと、クリスの顔から、余分なファンデーションと口紅を拭き取ってやった。
 滑らかなその頬に触れるたび、ボルスの口から「お」とか「な」とか、変な悲鳴があがる。
 お前何やってんだ、とか、何考えてるんだ、とか言いたいんだろうな、多分。
 俺はそれを完全に無視して続ける。
「貴女は肌が綺麗なんですから、こんなのは薄くでいいんですよ」
「その薄くという力加減がわからないんだ」
「力をいれちゃ駄目なんですよ」
 力加減、と言っている時点で、彼女の化粧観がかなりむちゃくちゃだということがよくわかる。
 俺は化粧を整えてやると、こんどはクリスにくるりと後ろを向かせた。
「髪の毛も、ご自分で?」
「化粧もやるのだから、髪も自分で……と思ったのだが。こっちも駄目か?」
「独創性は評価に値しますけどね」
 俺は三つ編みなのだか寝癖なのだかよくわからない状態になっているクリスの髪をほどいた。
 櫛を取り出して、すいてやると癖のない銀髪がすんなりと肩におちる。
「……っ〜〜〜」
 ボルスの顔は、真っ赤を通り越してどす黒い。
 血管切れなきゃいいけど。
 若いから大丈夫か。
 櫛とリボンを使って、我ながら器用な手つきでクリスの髪をまとめて結い、リボンでとめる。
 サイドは編み込みにしたから、今日一日は走り回ってもくずれないだろう。
「はい、できた」
 言って、肩を叩いてやると、クリスは複雑な顔で俺を振り向いた。
「ありがとう。しかしお前、本当になんでもできるなあ……やっぱり……じょそ……」
 全部言う前に、俺は彼女の口をふさぐ。
 全く、相変わらず失礼な奴だ。
「上にも下にも兄弟が多いだけですってば! 結い方教えてあげませんよ?」
「あ、すまん!」
 二度と同じ質問をしてくれるなよ、この馬鹿犬は。
 これでひきつってるだけの俺ってえらい。
「ごめん。それから、今後よろしくな。……と、そういえば、そちらの人は?」
 クリスは、俺の隣に立っていたゴールデンレトリバーを見つけてそう言った。
 よかったなー。やっと発見されたぞ、ボルス。
 しかし、初めて発言の機会を得たボルスの口から飛び出したのは、裏返りきった奇声だった。
「わ、わわわわわわわ私ははははははは……あのっ」
 緊張するのはわかるがボルスよ。
 それだとクリスにとっては嫌がらせにしかとられないぞー。
 さすがにかわいそうなので、俺が代わって紹介してやる。
「彼はボルス=レッドラム。私の悪友ですよ。一年のときからのつきあいなんです」
「ああ、レッドラム家の! はじめまして」
「はははははは、はじめ、まして、きりす殿」
 おい、名前間違えてどうする。
「パーシヴァルは友達が多くて羨ましいな」
 クリスは俺たちを見て、苦笑する。まあ、実態は犬と飼い主だったりもするんだけど。
 俺はふと思いついてクリスに笑いかけた。
「そんなの、実は結構簡単なことなんですよ?」
「ん?」
 俺はボルスの手をとり、次いでクリスの手をとると、二人の手を強制的に重ねた。
 ボルスがまた悲鳴をあげる。
「はい、オトモダチ」
 にっこり俺は笑う。
 なにかと手のかかる犬二匹。
 犬同士でくっついたら、俺の負担も軽減されるに違いない。
 とっさに思いついたにしてはいい案だ、とほくそえんだ俺は、次の瞬間それが読み違えだったことを思い知らされた。
「わぁっ、ボルス!!!」
「え?」
 ぐらり、とボルスのでっかい体が傾いた。
 そのまま受け身もとらずにずぅん、と廊下に崩れ落ちる。
「ボルス!!! 驚いたからって卒倒するんじゃない!!!!!」
 その後、重たすぎるボルス(寝た子供は重い)を保健室に引きずりながら、『ボルスは卒倒するほど私と友達になるのが嫌だったんだ!!』と半泣きになっているクリスをなだめる羽目になり、俺は自分の苦労が指数関数的に増えていることに気づかされた。


ボルス、クリス、パーシヴァル、三人組のやっとできあがりです。
クリスの飛び級の年代からいって、
パーシヴァル達と同じクラスになる可能性は
ないわけではないかな〜と思って書いてます。

クリス様、無自覚に罪作り。
そしてこっそりパーシヴァルは外道です。
といってもあっさりしっぺがえしくってますが


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