「ん?」
買い物帰りだった俺は、ふと、変なものを見つけて立ち止まった。
本日、ゼクセン騎士団士官学校はめでたくお休み。
久々の休日を、珍しく一人で買い物に費やし、(大抵女かボルスがいる)寮に帰るところだ。
俺がみつけた変なもの、とは銀髪の少女だ。
騎士団士官学校に入学して以来、破竹の勢いでカリキュラムを消化し、あっというまに二年分飛び級してしまったというとんでもない生徒、クリスである。
来月あたりから、俺たちのいる最上級生のクラスに編入されるのではないかと、一年ちかくタダ見ているだけの究極の片思いをしているボルスが興奮してこの間語っていた。
恋に恋する青少年ボルスならともかく、俺がクリスを見かけて立ち止まったのは、その様子があまりに異様だったから。
どう変かというと、まず、場所が変。
彼女は化粧品屋のショーウィンドウの前に立っていた。
そこはごくごくありふれたこぢんまりとした店で、あまり貴族の娘が立ち寄るような場所じゃない。そして、待ち合わせに使えるような場所でもない。
そして、表情が変。
何か考え事でもしているのだろうか? 先ほどから、ショーウィンドウを、これでもかと睨み付けながら、赤くなったり青くなったりを繰り返している。
挙動も変だ。
時折顔をあげては、店のドアノブに手をかけようとして、結局やめる。それの繰り返し。
……何、やってんだ?
化粧品屋に恨みでもあるのだろうか?
全然想像がつかないけど。
ぼうっと観察していると、とうとう店の店主が不審に思ったらしい。青い顔をして出てきた。
「あ、あのっ、お客様……どうか……なされましたか?!」
「え。えええええっ、あ、いやそのっ!!」
声をかけられるとは思っていなかったらしい。少女は飛び上がらんばかりの勢いで後ずさった。その勢いで、足下にあった鉢植えを蹴り壊す。
おいおい。
「何か……うちの店に問題でも?」
「い、いや! 問題などない! 問題があるのは私のほうで……っていや、そうじゃなくて!!!」
混乱する少女と店主。
その横では、ショーウィンドウが少女の手で今にもたたき割られそうだ。
「何、やってんだか」
理由はよくわからないが、このままでは店主がかわいそうなことになりそうだ。俺は荷物を持ち直すと、彼らに近づいた。
「お客様?!」
「あ、ああああああ、す、すまない!!」
「クリス!」
俺が少女の手を取ると、店主と少女、両方の動きが止まった。
「遅れてすまない。出がけに忘れ物をしてしまって」
「え……あ……?」
事態がのみこめず、クリスはぱくぱくと口を動かすだけだ。
俺は軽く目配せをすると、店主に向き直る。
「すいません、私が遅れてしまったせいで、ご迷惑をかけたようですね。彼女、不機嫌になると、どこかをじっと見ている癖があるんですよ」
「あ、はあ……そうなんですか?」
「ええ。すいませんでした。では」
銀貨を一枚店主に投げてよこすと、俺はそのまま彼女の手を引いて、路地裏まで強引に歩いていった。
「ちょ、ちょっと、待ってくれ!」
クリスが、ようやく反論してきたのは、路地に入ってからだ。
「だ、誰だお前は!!」
言うに事欠いてそれかよ。
礼を言われるとは思ってはいなかったけど、あまりに色気のない発言に、俺は呆れるより笑ってしまった。
「失礼。私はパーシヴァル=フロイラインといいます。貴女が店主に声をかけられて、おこまりのようでしたから声をかけたのですが、ご迷惑だったでしょうか?」
「え……あ、そ、そういうことか?」
「そういうことです」
俺が言うと、クリスはふう、と息を吐き出した。
「すまない。騎士団に入学して以来、『ずっと見てます』とか『貴女しかいない』とか変な手紙やら声のかけられかたやらしてたもので。正直さっきは助かった。ありがとう」
「クリス殿、もてますねえ」
「もてる? 何の話だ。私は嫌がらせの話をしているのだが?」
心底不思議そうな顔で見上げられ、俺は笑いをかみつぶすのに必死だった。
暴走する青少年と、純粋培養のお嬢様。彼らの間には、随分と深い溝が存在しているようだ。
「すいません、今の話は置いておいてください。そういえばクリス殿、貴女は何故あの店に? 化粧品屋にうらみでもあったのですか?」
「恨み? とんでもない!」
クリスは慌てて手を振った。
「しかし、随分厳しい目でショーウィンドウを見ていらっしゃいましたが?」
「え……そ、そんな顔、してたか?」
「してました」
断言すると、クリスは真っ赤な顔になってうつむいた。
「あ……あれは……その……恨みとかそういうんじゃなくて……わ、私……が店に入る勇気がなかったというか……」
「勇気? ……暗殺者でも店にいましたか?」
なんだか話が見えない。
俺がかがみ込んで顔をのぞき込むと、クリスは泣きそうな顔になっている。
「苦手なんだ! ああいうフリルやらレースやら香水やら! ふわふわキラキラしたの!!」
なんかちょっとつついただけで壊しそうじゃないか!
悲鳴にも似た言い訳に、俺は思わず「ぶ」と吹き出してしまった。
キラキラしたのって、何だよ……。
しかし先ほど化粧品屋の鉢植えを壊したこともある。笑い事ではないのだろう。
「騎士なのだから、化粧なんて関係ないと思ってたら、ガラハド様に『騎士たるもの、身だしなみは必要。男が髭を剃るように、女のお前も化粧をしろ』と言われてしまって!」
「それで決死の思いで化粧品屋に行ったわけですか」
「そうだ……!」
男のひげそりと一緒、と言われて反論できなかったのだろう。クリスは真っ赤な顔のまま、地面を見つめている。
「女性騎士仲間に聞けばいいじゃないですか」
当然の疑問を口にすると、ふてくされたような声が返ってきた。
「……友達、少ないんだ」
というよりいないのだろう。
そういえば、士官学校内で、彼女が誰かと歩いているところを見たことがない。
「お母様などには……と、これは失言でしたね」
女性としてのたしなみを、一番学ぶべき相手を持ち出そうとして、俺は途中でやめた。そういえば、彼女の母親は、士官学校入学前に他界している(ボルス情報)。
「それじゃ、店先で困っていてもしょうがないですね」
困ったままのクリスは無言だ。
やれやれ、しょうがない。
俺は乗りかかった船に完全に乗ることにする。
「じゃあ私についてきてください」
「え?」
突然、そんな提案をされてクリスは驚いた目で俺を見た。
「笑ってしまったお詫びに、いい店を紹介してあげますよ」
「え、店って!」
クリスの返答を待たずに、俺は路地から出た。彼女も慌てて追ってくる。しばらく歩いて、大通りぞいの店の前にやってくると、俺は立ち止まった。
「ここは……?」
クリスは不思議そうに目の前の店を見上げる。
「もちろん、化粧品のお店ですよ」
さっきクリスが見ていた店より、数段ランクが上だけど。
店のドアを開けると、女店主が嬉しそうに声をかけてきた。
「あら、いらっしゃい! パーシヴァルじゃない。いつもより来るのが早いみたいだけど……その後ろの子はまた新しい彼女?」
「また、と新しい、と彼女、全部余計ですよ、ミレーヌ」
「そうかしら?」
くすくす、と店主は笑っている。三十路をすぎて、随分立つこの店主は、面倒見がよくて気さくないい人なのだけど、ときどき店の雰囲気にそぐわないくらい口が悪い。
まあ『また』も『新しい』も『彼女』もいつものことだけど。
「彼女は士官学校の仲間ですよ。ちょっと今日は事情があって連れてきたのです」
「事情?」
店主はかわいらしく、首をかしげる。
「ええ彼女が……て、クリス?」
事情を話そうと、クリスを振り返ると、彼女は呆然とした表情でその場に固まっていた。
「クリス?」
「パーシヴァル……お前、女装のケでもあるのか?!」
俺は、膝からかく、とこけそうになった
同時に、店内に俺以外の店員の爆笑が響く。
このまま放り出して帰ってやろうか……この馬鹿。
俺はため息をつくと、自分のこめかみをとんとん、と叩いた。
「髪。結構剛毛なんで、整髪剤でかためないと収まらないのですよ。男性用の整髪剤は臭いがきついので、こちらの女性用の整髪剤を利用してるんです」
「似合いそうだとはおもうけどね」
くす、と店主がいらない補足説明を加える。
「すまない、パーシヴァル! 男なのに化粧品屋の常連って、ぜんぜん理由がわからなかったから、つい!」
「つい、で人を衣装倒錯者にしないでください」
「すまない! 本当に悪かった!!」
真っ赤になって謝るクリスと俺の間に、目に涙をためたまま、ミレーヌが割って入った。
「で、この子をウチに連れてきた理由は何?」
「彼女にあう化粧品を一揃え、選んで頂けないでしょうか? あと、使い方のレクチャーも」
「化粧品選びと指導ね。わかったわ」
店主は彼女の事情を深くは聞かず、すぐににっこり笑って引き受けた。こういう物わかりの良さが嬉しいんだ、この店は。
「パーシヴァル……」
「ここで待ってますから、ゆっくり教えて頂いてきてください」
「うん、ありがとう!」
クリスは、初めて嬉しそうに笑った。
「今日は本当に助かった。ありがとう、パーシヴァル」
日も暮れて、宵闇色に染まり始めた町を俺と並んで歩きながら、クリスがそう言った。
彼女の手には、先ほどの化粧品屋の包みがある。
あの店主は、初心者の心理につけこむようなことはしないから、最低限のものばかりだったが、それでも結構な量だ。
「これから、ちゃんとできそうですか?」
午後じゅう、彼女の空前絶後の不器用ぶりをたっぷり眺めることとなった俺は、真剣にそう訊ねた。
少女らしく、淡く色をのせた唇をとがらせて、クリスはむう、とうなる。(化粧品屋で化粧をしてもらった彼女は、お世辞ぬきで宝石のような美少女だ)
「メモも書いてもらったし……、た、多分、大丈夫だ!」
「多分?」
「……これから、練習する」
「がんばってくださいね」
いや本当に。
マスカラを眼球に塗りそうになったのを見たあとじゃ、どうしても心配になる。
「今度から、こういうことのないように、少し知り合いを増やしておくことをお勧めしますよ」
言うと、クリスは無言で唇を噛んだ。
それがどれだけ彼女にとって難しいことか、わかっていて言った俺は知らぬふりをして歩き続ける。
とびきりできのいい、名門の女性騎士候補。
それは、男性騎士候補にとっても、女性騎士候補にとっても、とても近寄りがたいものだから。
まして飛び級までされてしまうと、学年の違いから声もかけづらくなる。
けれど、それを乗り越えて尚、仲間を作ることができなければ、これから彼女はつぶれていくだけだ。
騎士団において、仲間というものは、自分を守るための命綱だ。どんなに優秀な成績をおさめても、それがなければ実践であっという間につぶされてしまう。
って。
そこまで考えて、俺は苦笑した。
行きがかり上、助けることになったからって、そこまで心配する義理はないはずなのに。
どうかしてる。
石畳の坂を上がると、その先に、小さな花々で飾られたこぎれいな屋敷が見えた。なりは小さいが、かなり手を尽くして建てられたのが遠目でもよくわかる。
「クリス殿、あのお屋敷ですよね?」
「ああ。あそこが私の自宅だ。送ってくれて、ありがとう」
「いえ。騎士見習いとして当然のことですので」
門に近づこうとしたら、くん、と服の裾を引っ張られた。
当然犯人はクリスだ。
振り向くと、そこにはつぶらな瞳で俺を見上げる純白のスピッツの幻影が見えた。
あ、やばい。
ものすごい面倒を背負い込む予感がして、俺は顔をひきつらせた。
「パーシヴァル」
頼む、言ってくれるな。
「私の友達になってくれ!!」
嗚呼、なつかれた。
俺はあきらめてクリスの頭をなでてやった。
どうする? アイフル? なパーシヴァル
ちわわにしちゃあクリス様強いので、ジャパニーズスピッツでございます。
飼い犬が増えてしまって、パーシヴァルさあ大変。
さてこれからどうしましょうかねえ
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