グラスランドとゼクセンはでめでたく同盟成立した。
炎の英雄という旗印もできて、若いが優秀な軍師も迎え入れて、おかげで戦闘のめどもたった。
合同本拠地となったゼクセンの城は、広くて快適。
人が多い分、活気に満ちあふれている。
ただ嵐のような勢いで突き進む侵略者に翻弄されいていた、あの時よりは格段に状況はよくなったというのに、俺は一人思い切り不機嫌だった。
「よっと」
俺は、レストランで買った昼食を片手に、城の裏手の崖をこっそり降りた。
どこにでも人のいるビュッデヒュッケ城は、一人になれる場所を探すのも一苦労だ。
岩場に腰をかけて、周りに誰もいないことを確認してから、俺は初めて不機嫌な顔になった。
ああ、外面ばかりいいこの性格が恨めしい。
クリスが旅から帰ってきてから、ずっと俺はこんな調子だった。
彼女が帰ってきたのが嬉しくないわけじゃない。
会えたこと、それ自体は嬉しいけれど、彼女はとても美しくなって帰ってきたから。
騎士であることのわだかまりや、家族との確執、想い。
旅に出ることで、それらもろもろのことを消化した彼女は、驚くほど鮮やかに、華やかに美しくなっていた。
それはとてもいいことだと、頭ではわかっている。
そうなることを俺も望んでいた。
けれど、そうさせたのは俺じゃない。
彼女に作用したのは、旅であり、知り合った友人であり、そして……あのハルモニアのスパイなのだろう。
クリスの周りをうろつき、なれなれしくからかう権利を得たその男は、クリスの表情を変えることに関しては、これ以上ないというくらい才能に恵まれていた。
そうしたかったのは自分。
けれど、実行したのは奴。
クリスが旅に出たあのとき、俺にその役目ができなかったこと、それは解っている。
彼女に世界を見せるだけの力はないし、なによりあのときは混乱していたから、何もできるはずもなかった。
わかってはいるけれど、あのスパイと共にいるクリスを見て気分が沈まないわけはない。
恐らく、これを世間では失恋というのだろう。
だが、まだ気持ちに整理もつかないし、諦めもつかないから、恋を失う、というものとは少し違う。
それはいつまでも想い続けているボルスも同じだ。
「なんだかなあ……」
ずるずると引きずっている自分が女々しくてどうにも嫌だが、くすぶっている炎であっても恋は恋。まだ忘れられそうにもない。
彼女は、ただ愛している人という以上に、俺には大事な人だったから。
持ってきた食事に手もつけず、ぼんやりと遠くを眺めていたときだった。
「ぶっはーーーー!!!」
ざばあっ!! という激しい音と共に、俺の足下の水面から、人が飛び出してきた。
「なっ……に?!」
「あー苦しかった苦しかった! もーこの季節に水泳なんてやるもんじゃないってば。ナイフだって痛むし、洗濯だって大変なんだって! って、あ、パーシヴァル。よう、元気?」
「こんな所で何やってるんですか、ナッシュ殿!」
「水泳」
へらり、と笑うと緑のジャケットを着た金髪ナンパオヤジは俺の足下に泳いできた。
「その格好で泳ぐことに何のメリットが……」
「やーそれがさー、ルビっていったけ? あの虫。あれに連れ去られそうになっちゃってさー、なんとか振り切って湖に落下したはいいんだけどまだ水面で狙ってやがるから、しょうがなく潜ってここまで来たんだ。手ぇ貸してくれ、上がるから」
「嫌です」
素に戻っていたところに、驚かされて地がでてしまったらしい。
俺は思わずナッシュの差し出した手を避けてしまった。
ナッシュは一瞬面食らったあと、水の中に入ったままだというのに、器用に浮いたまま大爆笑をはじめた。
「あっ、ははははははは、うわーめちゃくちゃ嫌われてるなー、俺。はははははいやー若いモンは素直だ!」
「ナッシュ殿」
俺が何かを言う前に、ナッシュは岩の上にはい上がってきた。額にはりついた金髪をかきあげると、ブーツを脱いで、中に入っている水を流す。
「まあ嫌われてる理由はわからないでもないけどさー、もうちょっと仲良くしようよ」
「死んでも嫌です」
「はっきり言うね、お前さんも」
「今更繕っても無駄そうでしたので」
そりゃそうだ、とナッシュはまた馬鹿みたいに笑い出した。
いいかげんにしてくれ。
俺はナッシュを睨む。
この男が。
クリスを導いたのだろう。
そして、クリスが直面した危機に支え、涙をぬぐったのだ。
俺にとっては煩わしさでしかないが、こいつのおおらかな性格は、きっとクリスを救っただろう。
強い羨望と、憎しみ。
男は俺の視線にもかまわず笑い続ける。
「いやー、おもしろいわ。おじさん気に入っちゃったな」
「気に入らないで下さい」
「気に入ったものはしょうがないじゃん。ああそう、気に入ったついでにいいことを教えてあげよう」
にこにこと笑いながら、ナッシュはブーツをまた履き直した。
そして、にやりと笑いかける。
「君がね、俺を嫌う理由の八割は完全な誤解さ。クリスはね、お前が思うよりずっと一途な女性なんだから」
「な……」
「じゃーなー!」
俺が反応するよりも早く、ナッシュは立ち上がると崖の上に向かって右手をかざした。
ばしゅ、という音がしたかと思うと、そのまま右手から上空に吊り上げられる。隠し武器をつかってあっという間に崖を登ったナッシュはそのまま去っていってしまった。
「何なんだ……あいつは」
勝手に一人で笑って、勝手に一人で納得して、なんであんなにはた迷惑な言動ができるんだ。
「ったく!」
岩壁を殴ると、俺はまたその場に座り直した。
昼休みとしてとっていた時間はそろそろ終わり。だからここから出なくてはならないが、しばらくまともな顔ができそうになかった。
愛おしい、という気持ちは、とても不安定なものだ。それは、うっかりするとすぐに狂おしいという感情にすり替わる。
それはただ、暴走をしているのと同じ状態だというのに……。
湖の先をずっと睨んでいると、頭上からぱらぱらと石が落ちてきた。
石は、俺のわきを通り、そのまま湖面に波紋を残して吸い込まれる。
「ん……?」
またナンパ親父が戻ってきたのかと思った俺にかけられた声は、予想外の人物のものだった。
「パーシヴァル、ここにいたのか!」
見上げると、クリスが崖の上から俺を見下ろしていた。
俺は、さっきのナッシュの真似をして、湖を泳いで逃げたくなる。こんな、心に余裕がないときに、彼女に会うなんて。
「ええ……まあ。ここは静かですので」
「いつもいつも食事時に消えるから、探していたんだ。そっち、行っていいか?」
「え? こっちって……クリス様、危ないですよ!!」
俺が言うが早いか、クリスは崖をそろそろと降りようとしていた。俺は慌てて体を起こし、クリスに手を伸ばす。
「うわぁ!」
案の定、クリスは岩の一つで足を滑らし、そのまま湖に落ちそうになったところを、間一髪俺の手が支えた。
抱き留めて、そのまま岩の上に腰掛ける。
「クリス様……周りをよく見て行動してください。甲冑姿でここは無理ですよ」
「お前だって甲冑でここに来てるじゃないか!」
「靴はさすがに普通の靴を履いてますよ」
「あ、本当だ」
「身を乗り出さないで下さい。この格好で湖に落ちたら、確実に溺れますよ」
「すまん」
クリスは俺を見上げると笑いながら謝った。
「……反省してらっしゃらないでしょう?」
「まあな。だってこうでもしないとお前はつかまらないし」
クリスはまだ彼女を抱いたままの俺の腕をぎゅっと掴んだ。
「ずっとお前に会いたかったんだ」
「毎日会っているでしょう?」
「それは会議室での話だろう! 私が言いたいのはお前と話したかったってことだ!」
クリスの、アメジストより澄んだ透明な瞳が俺の瞳をにらみ据えた。
「パーシヴァル、私のことを避けているだろう」
「……」
俺は沈黙した。
だってそれは事実なのだから。
俺の知らないところで美しくなって、知らない笑顔を振りまく彼女を、俺は見ていられない。
「お前の気持ちは……もう変わってしまったのか?」
「気持ち?」
予想しなかった言葉に、俺は聞き返した。
「あの日、お前は私にくれたのじゃなかったのか? ……気持ちを」
「ああ……あの時のことですか」
俺は苦い記憶をたどった。
彼女が旅に出たあの日の俺の告白。今考えれば、あの言葉だって言わなかったほうがよかったのかもしれない。
「忘れて下さい。貴女にはもう他の人がいるのだから」
「他の人って、何だ?」
「いらっしゃるでしょう? 馴れ馴れしく貴女の周りをうろついている方が」
言うと、クリスは目を丸くした。
「ちょ……ナッシュがか?」
「他に、誰がいるのです」
「ナッシュだって違うぞ。誤解だ」
「どのあたりが誤解なのです? 旅に出て貴女は華が咲くように美しくなった。そうさせたのは、彼でしょう? 気づかない奴がいたら教えて欲しい」
「だからそれが!」
俺が目をそらすと、クリスは俺の頬に手をやって、無理に自分の方を向けさせた。
「私があの日、ブラス城を出ることができたのは、お前のおかげだ。お前が、気持ちをくれたから」
「私の?」
あの夜の、あの言葉が?
「お前……今華が咲くようにと言ったが、華が咲くためには、まず蕾のところまで育てなくてはならないだろうが」
「……」
クリスは俺を見つめている。
「私を蕾にまでしたのは、パーシヴァル、お前だ」
「私……? そんな……ことは」
「あるんだ。だって、私を一番最初に女騎士として扱ってくれたのは、お前じゃないか。お前がそうしてくれたから、私は騎士であることと、女であること、どちらも捨てずにいることができたんだ」
俺はまた沈黙する。
彼女を騎士として扱ったこと。それはクリスに興味がなかったからだというのに。
「咲いたのだってそう……が気あの日、あの時ああいわれて、私は本当に嬉しかったんだ」
だから、ありがとう、って言っただろ?
笑いかけられて俺はどうしていいか解らなくなる。
クリスは、俺の首に手を回した。
「愛しているんだ、パーシヴァル。気づくのが随分遅くなってしまったけど」
「愛して……」
「うん、愛してる。だからお前に愛されたい……お前の気持ちが変わってなければいいのだが」
「変わってなかったから、こんなに不機嫌だったのですよ」
俺は恐る恐る彼女の頬に手を伸ばした。頬から顎へ、その綺麗なラインをたどると、軽く上を向かせる。
唇に口づけを落としたが、彼女は拒まなかった。
「クリス……」
抱きしめると、くすりと彼女は小さく笑った。
「クリス、様?」
「いや、なんかお前の反応があんまりらしくなかったから」
すごく怖かったんだぞ、とクリスは主張する。
「野生の獣でも手なずけるんだってあんなに怖くないぞ」
「俺は犬か何かですか」
「あ! ……あー、いや、その」
うなだれて、俺はうろたえる彼女の首筋に、俺は顔をうめた。
「もう犬でも何でもいいですよ。一生飼って頂けるのでしたらね」
「じゃあ一生飼い主、だな!」
立場の逆転に、思わず笑ってしまった。
ハーラショー!!
やあっと犬話完結です!
な、長かった……本当に長かった……。
どれくらい続いていたかなんて、もう考えたくないくらい長かったです。
や……始めた当初、長くなることは目に見えていたのですが、
途中でプロットが倍くらいに増えて、結局すごいことに。
ううん、しかし、こんなに長く書いたの久しぶりだー……
ここまでおつきあい下さいました方、本当にありがとうございます。
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