正しい犬の飼い方11

「お前も、とうとう結婚かー! すげえな!」
 言うなり、ばんっ、と背中を多々けれて、俺は飲んでいた飲み物を危うく吹き出しそうになった。
「……はあ?!」
 振り返ると、そこには幼なじみの農夫、バーツが満面の笑みをたたえて立っていた。
「なんだよそれ!」
「へ? 違うの? さっきおばちゃん達が話してたからてっきりそうだと思ったんだけど」
「全然違うって」
 俺ははう……と思い切り深いため息をついた。
 クリスが団長に就任して以後、グラスランドとの戦いは休戦協定によって一段落つくものと思われていたが、何故か一転、激化の一途をたどっていた。
 休戦協定をしている会議場が襲われ、騎士団はカラヤクランを焼き討ちし、そして戦況は前以上の泥沼である。
 そこでさすがに、クリスが切れた。
 体力よりも、精神的に追いつめられたのがきたのだろう、グラスランドから帰って来るなり、彼女は倒れた。
 彼女は決して弱くはない。だが、その強さ故、負担が一気に噴出したのだろう。
 そして、騎士団の再編成をいいことに彼女へ短いが少々の休息が与えられた。
 長くはない。数日程度の短いものだ。
 だから、俺は息抜きになれば、と思って彼女を故郷イクセの村で行われている収穫祭に誘ったのだ。
 俺の予想通り、ゼクセとは違った素朴な祭りは彼女のお気に召したらしい。楽しそうに見て回る彼女は、普通の女性、というよりは更に幼く少女のようにさえ見えた。
 とりあえず思惑は成功。楽しんでいる彼女を横目で見つつ、村の連中に挨拶なんかをしているところだったのだが。
「彼女は同僚というか、騎士団の上司だ。お前も名前くらいは知っているだろう? 現ゼクセン騎士団長、クリス。ここのところ戦い続きで疲れていたから、息抜きにと思って連れてきたんだ」
「はー、成る程、騎士団長さんねー。パーシヴァルもやるなあ」
「バーツ、お前話聞いてたか? 彼女は違うと……」
「聞いてるって、彼女はお前の上司。でもって、本気でほれてるけど口説いてる途中、ってとこだろ?」
「……いらんところまで聞き取りやがって」
 あはは、とバーツは笑った。
 こういうとき、幼なじみは勘がいいから手に負えない。
「お前かっこつけだからなー、そんな風に思ってる人じゃないと、ここまで連れてこないだろ?」
「まあ……そうなんだが」
 今まで付き合ってきた恋人をここに連れてこようなんて思ったことは正直、ない。
 クリスが特別なのは確かだ。
「おばちゃんたち、すっごい勢いつけて噂してたよ。「あの」パーシィちゃんが嫁連れて帰ってきたって!」
「明日には、俺の結婚式の日取りまで決まっていそうだな」
「そのときには呼んでくれ。トマト持って祝いに行くからさ」
「ああそうしてくれ」
 俺がうんざり、と肩を落としたそのときだった。
「?!」
 風が、一瞬凪いだ。
 切り裂くような一瞬の緊張感。
 こんな片田舎であるはずもない殺気に、俺が身を固くした瞬間、大地に地響きがとどろいた。
「何?!」
 携帯していた剣を引き抜き、俺が身構え、バーツが驚いて顔を上げた。その鼻先を、何かが勢いよくかすめる。
 その先を目で追うと、建物に矢が刺さっていてそこから出火していた。
 火矢だ。
「ええええええ?」
 驚くバーツを俺は建物の陰に引き倒した。
「バーツ、逃げろ!」
「逃げろって?」
「逃げろ! 村の中にいたら危ない! ゼクセ方面に向かって走るんだ」
「……畑は……」
「いいから行け! 死にたいのか!!」
 俺はバーツが走り出すのを確認してから、村の奥の風車小屋へ走った。
 さっきクリスが歩いて行っていたのはこっちの方だ。
 こんなところで敵襲が来るなんて……畜生、クリスを一人にするんじゃなかった!
 走りながら、俺はイクセのパーシィちゃんから、疾風の騎士に頭を切り換える。
 矢の来た方向から考えて、敵が来ているのは村の北側、畑のある方向だ。
 走っていると、予想通りの方角から、グライドを携えたリザードクランの連中と、大降りのナイフを持ったカラヤクランの戦士達が見えた。
 彼らは、昔俺がバーツと鬼ごっこをしていた麦畑の小道を踏み倒し、よく馬で乗り越えた牧場の柵を蹴り壊しながら進んでくる。
「ああもう!」
 俺はらしくなく舌打ちした。
 頭が全然切り替わってない。
 これじゃパーシィちゃんのままだ。
 戦闘中の余計な考えは、ただ命を落とす原因にしかならないというのに。
 しかし、久しぶりにみた自分の原風景がそれをさせてはくれない。
「パーシヴァル!」
 名前を呼ぶ声に、やっと俺は我に返った。
 顔を向けると、クリスが矢のように走ってくる姿が見えた。彼女は何故か緑色のジャケットをきた男を後ろに従えていた。
「状況は?」
 アメジストの瞳に射られて、俺は背筋を伸ばす。
「最悪です。彼らは村の北から侵入してきました。こちらの地形からして、恐らく東にも兵が展開されていると思われます。人を逃がすなら、南か、西かと」
「お前はどちらがいいと思う?」
「西です」
「避難誘導が必要だな……こちらに常駐している兵は?」
「いません。自警団もないのです」
 俺がそう言うと謎の緑男がへらりと笑った。
「成る程ね、こちらの戦闘力はたった三人。いい感じにピンチだね」
 俺はじろり、と男を睨む。
 こいつは誰だ?
 服装から判断するに、どこかの傭兵らしいが装備が軽装すぎるのが気になる。そして、あからさまに態度が胡散臭い。
「クリス様、こちらの方は?」
「ああ、ハルモニアの怪しいナンパ男だ」
「ナンパ男?」
 予想外の返答に俺が驚き、そして緑の男はいじけた。
「その言い方ってひどくない? 俺はナンパしてるわけじゃないってば」
「黙れナッシュ!」
 一喝して男を黙らせると、クリスは俺に向き直った。
「とりあえず、こいつのことは気にしなくていい。それより村人を避難させるほうが先だ。パーシヴァル、先に行って彼らを先導してくれ。私は敵を倒しつつ後ろから追うから……」
「クリス様、それでは貴女が」
「大丈夫だ。命を捨てるようなことはしない。幸い一緒に巻き込まれてくれる人間もいるようだしな」
「えー……俺もぉ?」
「当たり前だ。どうもそのジャケットの下にはよさそうな武器が仕舞ってあるようだしな?」
「はいはい、お供すればいいんでしょう?」
 緑男は天を仰いだ。俺はクリスの肩を掴む。
「しかしクリス様、危険すぎます! 貴女が倒れるようなことがあれば……」
「落ち着けパーシヴァル!」
 ぱん、と乾いた音がした。
 クリスが勢いよく、俺の頬を両手で挟んだのだ。
 そしてまっすぐ俺の瞳をのぞき込む。
「ここの地形を一番よく知っていて、避難誘導ができるのはお前だろう? それに私は死ぬ気は全然ない」
「は……い」
「二手に分かれるぞ」
「わかりました。ご無事で……」
 俺が離れようとした瞬間、クリスは俺の腕を引いた。思わず体が傾いたところにクリスは背伸びをして、俺の頬にその唇を押しつける。
 ピュウ、と緑男が下品にも口笛を吹きやがった。クリスは笑う。
「お守りだ。持って行け」
「わかりました。では生きて会いましょう」
 俺は笑った。今のキスで、余計なことが全て吹っ飛んだ。やっと騎士らしい判断が戻ってくる。
 そして、俺たちは二人とも生き残った。

「始末書……ねえ」
 俺は、ベッドに寝転がったまま、行儀悪く手紙を書いていた。それでも文字だけは綺麗なんだから、器用なのもたまにはいいことがあるらしい。インク壺を倒したときが悲劇だが。
 クリスをイクセに連れて行き、戦闘に巻き込んだことは、どうやら俺の過失ということになったらしい。
 結局彼女は無事で、不測の事態も多かったから始末書どまりらしいが。
 俺はインク壺に蓋をすると、紙を放り出し、仰向けになった。
 正直始末なんてどうでもいい。
 それよりも、痛いことなんていっぱいあったから。
 故郷が焼かれたこと。
 知人が死んだこと。
 そして彼女に守られたこと。
 今恐らくクリスは、俺同様に衝撃を受けている。
 きっと何かを言ってやるべきなのだろう。
 けれど、そうするには俺の中では何も整理がついてはいなくて。
 心がまだ、奪われたものへの悲鳴をあげ続けている。
 コン! と扉を叩く音で、俺は飛び起きた。
「……誰、だ?」
「私だ。クリスだが……少し入っていいか?」
「あ、ああ……いいですよ」
 俺は書きかけの始末書を拾うと、机の中につっこんだ。俺が始末書を書かされていることは、彼女も知っているだろうが、実際に見せたのではまた落ち込むだろうから。
 少し息を整えて、扉を開ける。そこには部屋着姿のクリスが不安そうに立っていた。
「どうぞ」
 促してから、俺は棚に向かう。クリスは、俺のベッドをソファ代わりにぽすん、と座った。
「何か、飲まれますか?」
「いや、いい。それよりパーシヴァル」
「はい」
 そして、俺は彼女にやっと向き直った。
 クリスは困った顔になっている。ぽんぽん、と自分の脇を叩いた。
「こっちへ来い。見下ろされると話がしづらい」
「隣に座っても、結局見下ろすことになると思いますが」
「距離が違う」
 俺は、クリスの隣に座ると、少し背をかがめて彼女を見た。
「すまないな……村のこと。私のせいで」
「貴女のせいではないでしょう? 今回のことはグラスランド軍の暴挙ですし」
「だが、それは私がカラヤクランの集落を燃やしたことの報復で……」
「そうしなかれば、貴女は和平会議場で死んでいた」
「しかし……!」
 俺はクリスの唇に指を押し当てた。
「これは戦争です。個人に純粋な善悪はありません」
 クリスは沈黙した。
 俺も次にかける言葉が見つからなくて沈黙する。
 知っては、いるのだ。
 彼女がカラヤクランでの戦闘に、過大な責任を感じているということは。
 しかしそれを「彼女の責任である」と断じてしまえば彼女は罪悪感を易々と背負い込みつぶれる。
 だから、言うことはできない。
「……は、できないのかな?」
「え?」
 小声で囁かれたクリスの言葉を、俺は聞き返した。
「終わらせることは、できないのかな? 戦争を」
「それは……」
 無理だろう。被害が多すぎる。
「今すぐじゃなくていいんだ! けれど、このままじゃ人が死ぬばかりじゃないか。何か道を探して、どこかで止めることはできないだろうか? そして、そもそも戦いが起こらないように……」
「理想論、ですね」
 しかも甘い。
「っ ……けど!」
 けれど。
「いいんじゃないですか? 理想論」
「……は?」
 俺はクリスを見つめた。
「実現できないと決めつけて、目標に向かうことすらやめるよりは、たとえ無茶でも理想を追いかける方がいいと、私は思います」
「パーシヴァル」
「それに理想といっても、ずっと追いかければその一歩手前くらいまでには行けるかもしれません」
 少し笑うと、クリスもほんの少しだけ笑みを作った。
「貴女ならいっそ理想以上のことまでしそうですしね」
「それは買いかぶりすぎだろう!」
「そうでしょうかね?」
 俺たちは、やっと笑いあった。笑ったあと、クリスは顔を上げて俺を見据える。
「理想論でも、いいよな?」
「ええ。お手伝いしますよ」
「うん」
 クリスは頷くと元気よく立ち上がった。彼女が何をする気かはわからない。だが何かをすることは決めたようだ。
「じゃあちょっとがんばってみる」
「そうですか」
 俺も立ち上がった。
「ありがとう、パーシヴァル」
 身を翻し、部屋から出て行こうとするクリスの腕を俺は強く引いた。
「ん?」
 振り返ったクリスの頬に、俺は口づける。イクセの街で彼女が俺にしたように。
「お守りです、持って行ってください」
「……っ、な」
「貴女を愛しています」
 告げると、クリスはその瞳を思い切り見開いて驚いたあと、大輪の華のような笑顔になった。
「ありがとう!」
 その夜、クリスはハルモニアのスパイと共に、ブラス城から姿を消した。


 


 襲撃事件前後話です。
 なんだかいろいろとねつ造していますが、まあご容赦を。
 クリス視点の襲撃の話はときどき見かけますが、
パーシヴァル視点ってあんまりないかなあと。
(パーシヴァル×ヒューゴなら結構あるのかしら)
 今回はちょっと気弱な上に混乱しているパーシヴァルでしたが、
楽しんでくださればコレ幸いです


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