正しい犬の飼い方10

 グラスランドに対する勝利と引き替えに、騎士団の要が死んだ。
 それも一人だけではなく、二人も。
 そして俺たちが勝利したとされる場所には、敵とほぼ同じだけの数、味方の骸が転がっている。
 これだけのものを失っておいて、
 俺たちは本当に勝ったと言えるのだろうか?

「クリス様、紅茶をお持ちしましたよ……」
 ノックとともに執務室に入ったが、返答はなかった。
「ん?」
 つい先日から、クリス用となったゼクセン連邦評議会内騎士団長執務室を見回すと、重厚な執務机につっぷするようにしてクリスが寝息をたてていた。
 やれやれ、疲労がピークに達してしまったらしい。
 それも無理ないな、と思って俺は紅茶の乗った盆をわきに置くとクリスの寝顔を見下ろした。
 ついこの間、やっと集結したグラスランドとの戦争。
 もとは小競り合いだったはずなのに、終わってみれば、双方ともにすさまじい数の死者を出していた。
 数だけではない。
 こちらは、有能な指導者である騎士団長と副団長の二人を失っていた。
 今、騎士団を率いているのは、騎士団の両翼を失い、全滅しかかった騎士団をまとめて勝利を導いたクリスである。
 一番真価を問われる戦場で、騎士全てをまとめたのだから、だれも彼女に逆らう者などいなかった。
 従う者達に忠誠心が強いのはいい。だが、同時に彼女は突然今までとは比べものにならないほどの重圧を背負うこととなってしまったのだ。
 居眠りをするクリスの眉間には、くっきりとした皺が寄っていた。
 いい夢は見ていなさそうだ。
 起きているときも、常に唇は真一文字に引き結ばれ、甲冑の上からでもわかるほど、肩肘を歩くのが癖になっている。その姿は、士官学校に入学してきたころの彼女を彷彿とさせた。
 握ったまま寝たせいで、紙に謎のミミズ文字を描いていたペンを、そっととってやると、クリスは小さくうなった。
(余裕がないな……本当に)
 今彼女に必要なのは、彼女を支える誰かの手なのだろう。
 もちろん、部下も軍師も、彼女を助けるつもりだし実際そうする。だけど、その他に、彼女の重圧を受け止める、そんな存在が必要なのではないだろうか。
 彼女の全ての傷を受け止めて、そして全てを許す者。
 家族など彼女にはいないから、きっと恋人がその役目を持つことになる。
 そう考えてから恋人志願のボルスのことではなく、誰か他の恋人という役割を持つ者を考えていた自分に気がついた。
(いや……あいつじゃあわないか?)
 そう思って無意識に除外したらしい。
 ボルスの、クリスに対する愛情。それは求める愛情だ。
 激情をぶつけ、それに応えてもらうことで成就する想い。
 それは悪いものではないけれど、今のクリスには重荷になるだけだろう。
 彼女に必要なのは、もっと余裕のある男。
 彼女の傷が理解できて、気遣うことができて。
 彼女を許し、彼女を癒し、彼女を抱きしめることができる……
「っ!」
 結論を出したその瞬間、俺は叫びそうになって歯を食いしばった。
 そこにあったのは、ひどく傲慢な感情だったから。
 彼女に必要なのは、
 俺のような男。
 その結論に隠れているのは、むちゃくちゃに自己中心的な独占欲。
 誰かが彼女を守るべき、なのではなく俺が彼女を守りたいのだ。
 そして他の誰にも守らせたくない。
「なんだ……そうか」
 随分前に、ボルスに言われたことが頭をよぎる。
 俺は恋という感情をもう手に入れていると。
 確かにそうだ。
 気づかなかっただけで、彼女を守りたいという気持ちはもうずっと前から持っていたはずだから。
「クリス……」
 ふと漏れた、彼女を呼ぶ声は、我ながらとてつもなく甘かった。
 もう、その気になっている自分が笑える。
 しかし、そんな馬鹿なことを言っていられる暇はなかったらしい。
「ん……」
 名前に呼ばれたことに反応したのか、クリスが目をさましたのだ。
 彼女は、極上のアメジストの瞳を二三回瞬きさせたかとおもうと、がばっ! と勢いよく体を起こした。
「え……あ、朝……っ? っていうか仕事中…………?!」
「おはようございます、クリス様」
 少しふざけたように言うと、クリスの顔が寝起きのせいでなく真っ赤になった。
「ぱ、パーシヴァル、いつの間にここにっ!!」
「失礼いたしました。あまりに気持ちよさそうに眠っていらっしゃったので声をかけそびれてしまいました」
「起こしてくれ! 頼むから……」
「次からは気をつけましょう。しかしクリス様、少し休まれてはいかがですか?」
「そうは言ってられないさ。やるべきことは山ほど……」
「クリス様」
 俺は、羽ペンを取ろうとしたクリスの手を押さえました。
「できるだけ、私達を頼ってください。貴方を支えますから」
「パーシヴァル……。そうか、そうだよな」
 苦笑するクリスに俺も笑う。
 しかし、「俺を頼ってくれ」とは言えなかった自分は、ボルスに大きなことなど言えないのかもしれない。


 前の難産とはうってかわてスピード更新です。
 わ〜い、やっとラブい話ですわV
 しっかし……自覚するの遅いよパーシヴァル……。
(いや、全然ラブくない話を書くことを楽しんでいた自分が言うこっちゃないですが)
 独占欲を自覚したところで、あとちょっとで完結のつもり! です。


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