ハルモニアの子

 気配を感じたときには遅かった。
「って、あ、うわあっ!」
 俺は後ろから何かに捕まえられ、直後には宙に浮いていた。
 得意の逃げ足も、地面についていないのでは役に立たない。後ろを振り向くと、巨大な節足動物がギチギチと鳴き声なのかなんなのかよくわからない音を出している。
「ルビ! またお前か!」
 ビュッデヒュッケ城随一の不運男である俺は、なぜか人間以外にばかりもてるという至極不本意な特技をもっていた。ルビも俺になついている一匹だ。
 単になつかれるのなら別にいい。俺は動物好きだ。子供の頃は犬を飼っていたこともある。
だが、マーキングしたり巣に持ち帰りしたりするのはやめてくれ!
 特にルビ!
 お前断崖絶壁に巣をつくるから帰ってくるのも一苦労なんだよ!
「ルビ! おろせ! おろせってば!」
 コレも一応軍の戦力の一つだから、下手に傷つけるわけにはいかない。俺は火薬を使うこともスパイクを撃つこともできずにルビの足をがんがん、となぐりつけた。しかし奴はびくともしない。
「ルビ!」
 おたおたと慌てる俺のもとに救世主がやってきた。
 ルビークの青年らしい。虫使い特有の青い衣装を着た青年がやってきて声をかけてきた。
ええと、あれは確かフランツっていったっけ。
「助けてくれ! 俺を何かいいものと勘違いしてるらしい!」
「わかりました! ルビ! 降りてきなさい! それはメスじゃない!」
「……俺を何だと思ってるんだ、この虫は!」
 俺は頭が激痛にさいなまれるのに耐えながら、フランツの行動を見守った。彼の言うことはちゃんときくらしい。ルビはしぶしぶ俺を地面に下ろした。
「ルビ、もうやっちゃだめだぞ?」
「ギチギチギチ……」
「彼は人なんだ! 番の相手はちゃんとみつけてやるから!」
「ギチギチ……」
 不満そうにしながらも、ルビはその場を去っていった。
 ……メスだと思ってたのか。
 っていうか、あの虫のメスってどんな形してるんだ? 俺、あの虫とは全然似ても似つかないよなあ……。
「災難でしたね。うちのルビが失礼なことをしてしまい、申し訳ありません」
 ルビークの好青年はすまなそうに謝ってきた。俺は顔の前で手を振る。
「いいって。未遂ですんだし」
「ありがとうございます。ええと……」
「ナッシュだ」
 そういや、虫に連れてかれたことはあるけど、飼い主とちゃんと話したことはなかったな。
「? ナッシュ、さん? そういえばハルモニアなまりがありますね。それにその髪……まさか一等……」
 フランツが不思議そうな顔になった。そういえばフランツは辺境とはいえハルモニアの国民だった。まあ、時たまあることだから、俺はおどけて笑ってみせる。
「母親ゆずりのこの髪のせいで間違われるけど、あいにく俺はしがない傭兵さ。一等市民じゃない。第一そんなおエライさんだったら、こんなぼろ着てうろついてるわけがないだろう?」
 しかし、フランツは引き下がらなかった。
「いえ、違います。貴方、ナッシュ・ラトキ……」
 最後の一文字を言う前に、俺はフランツの口をふさぐと近くにあった茂みに引きずりこんだ。
「……! んんっ!」
「それ以上言うのはやめとけ。寿命が縮まるぞ」
 俺の発する明確な殺意を感じ取って、フランツは暴れるのをやめた。俺はゆっくりとフランツから手を離す。だが、あいている手は投げナイフをすぐに使えるように油断なく構えている。
 しかし、この兄ちゃん、どこでラトキエの名前なんか知ったんだ?
 俺の家がなくなったのは二十年近く前だ。二十歳そこそこの人間が知ってる内容でもない。
 フランツは、緊張した面持ちで俺を見つめた。
「覚えてらっしゃらないですか? 俺です、フランツです、ナッシュ若様」
「若様?」
 懐かしい呼び名に、俺は目を丸くする。
 そんな呼び方で呼ばれたのは実に十八年ぶりだ。
 若様……ということは、俺の親父がまだ健在だった頃の、使用人あたりだろうか? しばらく考え込んだ俺は、一人の人物に思い至った。
「……お前、小間使いのフランツか? 庭の手入れが得意だった」
「思い出していただけましたか?」
 フランツの顔がほころぶ。俺は頭をがしがしとかいた。
 脳裏に、庭の害虫駆除が主な仕事だった小さな少年の面影がよみがえる。
「思い出したというか……今のお前をみてあのフランツだとはそうそう思わないって。そうか……でっかくなったな。といっても二十年近く経ってるんだから当然か」
 俺の母国、ハルモニアには「征服民族の教化の一環」と称して、征服した国の子供達をハルモニア中心部へ連れてくるという政策がよく取られていた。物心つかないうちに親から引き離された子供達に、下働きなどをさせながら、ハルモニアがいかにいい国かを教え込むのだ。適当な年齢まで成長した彼らは、また故郷に戻される。そして、教化された子供達は大人になって村や国を導いていく中心人物となるのだ。実に効果的で、いやらしい同化政策である。
 俺の家は民衆派、つまり神殿よりはまだ民衆のことを考えようっていう風潮の家だったから、そういう人質は少なかったが、やはり家自体がでかいせいか、いるにはいたのだ。そういう奴隷が。その一人がフランツだ。
「ラトキエの家が取り潰されてから、別の家に移動させられまして、そのあと故郷に戻ったのですが、ずっと気にかかっていたのです。若様、よく生きて……お嬢様は」
「あいつは嫁にいったよ。それから長生きしたかったら、その家の名前は出さないほうがいい。ことの顛末を探ろうとすることもだ。俺はナッシュ・クロービス。いいな?」
 言うと、フランツはこくりとうなずいた。
 よしよし、素直ないい子だ。
 俺はほっと息を吐いた。
「なら、いい」
「すいません。……そういえば若……いえ、ナッシュさんは何故ここに?」
「んー? 一応傭兵ってことになってるよ。といっても前線で戦うよりは情報集めが主だけど」
「スパイ、ですか?」
「まあ、そうなるかな?」
「……それ、家名以上にいってはいけないことなのでは……」
「それについてはなんか有名になっちゃったからもういい。ま、大体にしてここの連中はそういうことには無頓着だから」
「はあ」
 フランツは複雑な顔になる。ハンサムな顔が台無しだ。
しかし、あのかわいかった子供がこんなでかい兄ちゃんになるとは。俺が老けるのも当然か。
「スパイということは、ナッシュさんは、今中央の命令で動かれているのですか?」
 ふと探りを入れるような目で見られ、俺は顔をしかめた。ルビークを二等市民に格上げしようと躍起になっている連中がいたことを思い出す。中心人物はこいつか。
「やめとけやめとけ。しがない傭兵だって言ったろ? 俺を利用しようたって、あんまりいいことないぜ? それより、そこらでバーツについて農作業の真似事やってるササライの手伝いでもしてやるといい。そっちのほうが全然効果的だ。うん、ルビの背に乗せてやって飛ぶのもいい。絶対子供みたいに喜ぶから」
「あ、その……すいません」
 悟られたことが恥ずかしかったのか、フランツは真っ赤になって謝った。
 やれやれ、血気盛んなことは悪くないけどね。
 心のなかで、ため息をつく。彼の場合、ハルモニアの同化政策は成功したというのだろうか?
 二等市民、そのえさのために全てを投げ出そうとする彼の姿を見る、俺の気持ちは複雑だ。
(貴方の国の全てを食いつぶしてやろう!)
 大昔に聞いた、ある男の絶叫がふと脳裏をよぎる。
「……なあ」
 よぎったら、疑問が口をついてでた。
「なんですか?」
「フランツ、お前さんはルビークを二等市民にしたいんだよな?」
「ええ」
「……正直、ハルモニアを恨んだりはしなかったのか? その、復讐したいとかは思わなかったのか?」
 俺にしては、らしくない問いかけ。フランツの返答には、やや間があった。
「……実のところを言うと、ハルモニアに対する愛国心が、あるわけじゃないです」
「じゃあなんで」
「三等市民の暮らしは過酷ですから。俺は、皆の生活をもっと楽にしてやりたいんです」
 俺を見たフランツの瞳は恐いくらいまっすぐだった。
「復讐したところで、結局人を傷つけて、あとには何も残らないじゃないですか。それよりも、俺は皆が……イクが笑顔でいるように、努力がしたい。そう、思ったから。そうするには、二等市民として認められるということが一番いいと思ったんです」
 俺は、自然に自分の口の端が笑うのを感じていた。
「お前は……強いな」
 思い出す、十五年前の惨劇。
 一時は親友とさえ呼べるほど仲の良かった、妹の婚約者ですらあった男のことを俺は思い出していた。
 フランツとザジ、彼らは同じ境遇の者だ。
 しかし、フランツは共生を、ザジは復讐を選んだ。
 そもそもザジだけが悪かったんじゃない。ザジが弱いんじゃない。しいて言えばハルモニアの国が悪かった。
けれど、そこで二人が選んだ道の先にあるものは、あまりに隔たっていて。
「お前は、強いよ」
 繰り返すと、フランツは面食らったようだ。
「ナッシュさん? 俺はそんなことないですよ。だって、そのために同じグラスランドの民を傷つけて……」
「うん、それはちょっと間違ったかもしれないが、お前さんの、その村を大事にしようって考えはいいと思うぜ」
「そう……ですか」
 フランツと俺はしばらく沈黙した。ややあって、フランツは口を開く。
「二等市民と望むこと……それは奉公に出された家が、ナッシュさんのところだったから、というのもあります」
「俺の家?」
「ほかの家では、俺達は皆人以下として扱われました。そうされていたならば、恨んでいたかもしれません。けれど、あの家ではご当主様をはじめ、皆俺たちのことを人として扱ってくれたから。ハルモニアに住む人が全員俺たちをさげすんでいるわけではないことを知っているから、こんな行動にでることができたのかもしれません」
「そっか」
 俺は息を吐いた。
 それはきっと親父のおかげだろう。
 俺が家を出るまえから、人の位置にこだわりのない性格をしていたのは、全てゲドなみに夢想家だったあの親父の教育によるところが大きい。
「ありがとな、フランツ」
 俺は笑った。ルビークの青年は、目を丸くする。
「え? そんな、お礼を言われるようなことは何も言ってませんよ?」
「いいんだ。わからなくても、俺はお前さんの言葉が嬉しかったんだから」
 フランツは困惑した様子で俺を見ている。俺はまた笑う。
「そうだ、今暇か? なら俺につきあえよ。そろそろ農作業に夢中になっているササライを風呂まで引きずっていかなきゃならないんだが、一人だと面倒くさくてな。若いのがいるとありがたい。ハルモニアのナンバー2と仲良くなっといて損はないぜ?」
 軽くウィンクひとつくれると、俺はフランツを引っ張って、バーツに迷惑をかけているであろう上司の元へと向かった。


18年前。ナッシュ19才フランツ8才。こういう光景もアリ?




……っだあ! 消化不良でございます
でも、これ以上腹にためておくと腐りそうだったので出しました。
ザジが復讐を決意した理由も、
フランツがルビークで敬遠される理由も、
同じ同化政策。
そのへんのことについて、
ナッシュがなにも思わなかったとは思いたくないです。
でもイベントはなし……。
てか、ラストがああだったからって
ルビークの状況もそのまんまってどうよ?
それが一番消化不良ですよう!!

>かえるわ〜〜ん