Bravo girl!!

 かつん……。
 階段を上りきったところで、クリスは足を止めた。
 うつむいた視線がとらえるのは、堅い石造りの廊下。
 ちょっとだけ奥を見ると、その道筋を示すように沈んだ色の絨毯がまっすぐに伸びている。
 かつん。
 足を出すと、甲冑は床との間でまた堅い音をたてた。
「……」
 足取り以上に重いため息を落とすと、どっと疲れが肩にのしかかってきた。クリスは慌ててふるふる、と頭を振った。
(駄目だ……まだ全然問題は解決してないんだから)
 顔を上げて、絨毯の伸びる先を見ると、突き当たりに重厚な扉があった。ブラス城の中では一番大きな、賓客をもてなすための部屋だ。
 クリスは、そこにいる人物に会わなければならない。
 のみならず、頭を下げなければいけない。
 また、クリスはため息をついた。
 ことは昨日起こった。
 評議会が主催で開いたダンスパーティ。遠くティントや都市同盟、トランなどから多数客を呼び寄せていた。
 このパーティで少しでも交易に有利なコネを作ろうと、鼻息荒い評議会の面々がその力を誇示するために使おうとした相手、それがクリスだ。
 若く、美しい優秀な女騎士。
 客の視線を奪うには格好の材料だ。
 だが。
 そのお人形は重大な問題を抱えていた。
 恐ろしくダンスが下手だったのである。
 普段甲冑で走り回っているせいか、ハイヒールで立つことすらままならない。
 ロングスカート? それはクリスにとっては裾を踏んづけるためだけの衣装だ。
 立っているだけでもいいから、と懇願されて、仕方なしに(本当に立つだけでもずいぶんな重労働なのだ)出席したものの、評議会議員の息子の一人(断るには少しばかり地位が高すぎた)に引っ張り出され、事件は起きた。
 腕を取られ、ふらついた拍子に相手の足を踏む。
 それが第一手。
 痛みのあまり手を離したダンスパートナー。放り出されたクリスはたたらと踏んで、踊りの輪から飛び出した。
 これが第二手。
 なんとかバランスを取ろうとしたけれど、その勢いで何故かヒールが脱げて足がもつれてテーブルの一つにつっこむ。
 がしゃん、とかなり派手な音がしてから、クリスは止まった。
 それで第三手。
 テーブルにもたれるようにして体を起こすと、クリスがひっくり返したワインを頭からかぶった少女と目があった。
 詰み。
「あんた、なにすんのよ!! このトンマ!!!!」
 自分のものよりずっと深い紫の瞳がクリスを射抜いたと思った瞬間、視界がクリームでふさがれた。ぼたり、とさっきまでショートケーキだったものがクリスの顔からテーブルに落ちる。
 ごめんなさい、とか、申し訳ない、とか、頭に浮かんでいた弁解の言葉がいっぺんに頭から吹っ飛んだ。
 次の瞬間には、紫の瞳の少女の顔がチョコレートクリームでデコレートされている。
 クリスが投げたのだ。
「……やったわねぇ……!!」
 少女が叫ぶ。
 で。
 その後のことは正直覚えていない。
 気がついたときには何故かボルスとパーシヴァル二人がかりで押さえつけられていた。正面に見据えた少女もまた、おつきの者らしい青年二人にしがみつかれている。
「邪魔しないで!!」
 二人、異口同音に叫んだ気がする。
 お互い手にしていたものが、ケーキからテーブルにすり替わっていたような気がするが……それは幻だろう。多分。
 そこでパーティーはおしまい。
 さんざんな状態に、とてもではないが続けられない。
 二人が退いて、その場は一旦静まりかえったが、その後蜂の巣をつついたような騒ぎになったことは言うまでもない。
 クリスはとにかく部屋に戻された。我に返ってからはひたすら反省するしかない。(騎士団と評議会の連中は事態の収拾におおわらわだ)
 そして一晩あけて騎士団長から命令が出た。
『とにかく、謝ってこい』
 部屋に戻ってから聞いたのだが、彼女は鉱山都市ティントの大統領令嬢、リリィ=ペンドラゴンだったそうだ。
 ただパーティーに花を添えるため参加した少女ではない。歳若いが立場は立派な外交官だ。
 これはかなりまずい。
 商談が進まなくなったこと。これはまだいい。
 騒ぎで一時中断しただけだ。なんとか話をつなぎ、再び宴を開けば取り繕うこともできるだろう。
 だが、外交問題は、あとあと条約やら取引やらが一層複雑になる。
 ことは迅速に収めなければならない。
 話がティントに流れる前に。
 その第一歩として、さっさと謝ってこいというわけだ。
 騒ぎを起こしたことは確かなのだから、先に謝って誠意を見せることで、相手の気持ちを和らげる作戦だ。
 外交問題云々はぬきにして、自分でも謝るべきだと思っていたので、クリスは命令通り彼女の部屋に赴いたのだが。
 足取りは重い。
 昨日の一件で、彼女の気性は承知している。
 顔を合わせた瞬間、また怒鳴られることが容易に想像できた。いや、怒鳴るだけならまだいい。それと一緒にまた物が飛んできたら?
 自分の自制心に自信が持てない。
(……大体怒ったにしても、いきなりケーキを投げつけるか? 普通)
 心の中で愚痴をこぼしてしまって、クリスはぶんぶんと頭を振った。
 いや、そんなことを考えてはいけない。
 彼女の振るまい以上に、自分はやってはいけないことをしてしまったのだから。
 騎士である彼女の腕力は、普通の男よりも上だ。その力で、女の子に手をあげること、それは丸腰の人間に剣で斬りつけるようなものだ。
 これは、経緯はどうあれ許されることではない。
 彼らが剣を帯びることを許されているのは、それを抑える理性があるからこそなのだから。
 扉のすぐ近くまでたどりついて、クリスは立ち止まった。
 ノックをする前に、用意してあった謝辞を反芻する。
(私はクリス=ライトフェローと言います。昨日は申し訳ありませんでした……それから)
「あんた馬っ鹿じゃない!!!」
 扉を貫いて、部屋から響いてきた声に、クリスはびくりと体をこわばらせた。
 この声、彼女だ。
 一瞬、自分に向けられたものかと思ったが、そうではないらしい。部屋の中に、他の話し声が聞こえた。
「い、いやだから私たちはですね」
「あたしがいつ! あんたたちに謝れって言ったのよ!! 喧嘩したのはあたしと! あの銀髪の女でしょうが!」
 ぼそぼそと反論の声。リリィの声はそれを一蹴した。
「だから馬鹿だって言ってんのよ! そんなに外交問題にしたいわけ?! さっさと出て行きなさいよ! これは、あいつと、あたしの問題!!! あんたたちの出る幕じゃないの!」
 ばん、破壊せんばかりの勢いで扉が開いた。そこから、あたふたと評議会の議員達が出てくる。手に何か包みを持っているが、それはリリィに受け取ってもらえなかったようだ。
「もう来ないでよね!!」
 彼らの背中を怒鳴りつけて、ふーっ、と息を吐いて、それからリリィはクリスを発見した。
「あらあんた」
「あ」
 彼女の勢いに驚き、呆然としていたクリスは、一瞬反応が遅れた。
「……えっと、あの、私は」
 言おうと思っていた謝辞。しかし、それはクリスの頭から完全に抜けている。真っ白だ。
「私は、その」
 それ以上言う前に、リリィはにこぉ、っと満面の笑顔になった。
「あんた、昨日喧嘩した人でしょ? おはよ!」
「………………は」
 挨拶されるとは思わなかった。
 こんな事態は想定していない。ますます言葉が見つからなかった。さっきまで思い出していた言葉は、時空のかなたに消えている。
「昨日楽しかったわねー! 最後にはテーブルまで投げてたもん」
 爽快だと言われ、当惑と同時にクリスはどきりとする。
 本当は。
 実は心の奥底では、クリスもちょっとだけ楽しかったのだ。同世代の女の子と、思い切り喧嘩したことが。
 それを彼女は見抜いているのだろうか?
 いやそれより、あの騒ぎを楽しかったの一言ですませるか?!
「あたしとあそこまで渡り合ったのはあんたが初めてよ。うん」
「そうなのか?」
 我ながらぼけた返答だと思ったが、クリスはそう答えることしかできなかった。あんまり驚いていて。
「そうよ! あたし、あんたのことが気に入ったわ!」
 はい、とリリィは右手を差し出した。屈託のない笑顔をつけて。
(これは、どういうことだ?)
 唐突にクリスは笑いたくなった。
 むちゃくちゃだ。
 昨日喧嘩して。
 二人でパーティーをぶちこわしておいて。
 それでどうしてこんな言葉が出てくるのか。
 むちゃくちゃだけど。
「私の名前はクリス=ライトフェローというんだ」
 悪くない。
 クリスも右手を差し出す。
「私も貴女が気に入った」
 リリィが笑う。予想通りの台詞が、彼女の唇から飛び出した。
「当然よ!!」


 その後、何故か仲のいい彼女達を見て、周りの人間全員が首をかしげた。

クリス&リリィお友達になるの巻。
前から書きたいと思っていたテーマです。
二人の仲直りってどんなだったのかな、と
クリスとリリィ、どっちの部屋にいれるかかなり迷ったのですが、
リリィさんいい女っぷりを発揮、な話だったので
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